神華 一章 七十四話




 朝日が昇り室内が明るくなり始めた頃、突如誰かの悲鳴が聞こえた。
 深い眠りに入っていた麗華は、その声に驚いて目を開けた。人が駆け寄って来る音と、悲鳴の数が増えていく。何が起きたのかと体を起こそうとすると、胸のあたりに重みを感じて隣を見た。そこには同じ様に悲鳴で起こされた彰華の不機嫌な寝起きの顔があった。
「うあああああ!」
 彰華の腕がまわされて抱き枕のように寄り添って寝ていた。彰華の顔が近すぎて、麗華も悲鳴を上げて布団から飛び起きた。
「な、なんでいるの!?」
「……昨夜の出来事を忘れたのか?」
 彰華は体を起して余裕の笑みを浮かべている。昨夜の出来事を思い出した麗華は、隣で寝てしまった事を今更ながらに激しく後悔した。
「お、思い出した……」
「彰華意識が戻ったのね!!!」
 横にいた麗華を押しのける勢いで、麻美、瑛子、莉奈など、守護家女子陣が五日ぶりに意識を取り戻した彰華に駆け寄った。
 彰華の無事を確認して喜びの声を上げている彼女たちに、彰華は心配かけたなと、言いながら頬や頭を撫で落ち着かせる優しい言葉をかけて微笑んでいた。
 麗華は彼女達が喜んでいる姿を見て良かったと、ホッとする。そして、何故ここにいるのか問われる前に、この歓喜の声が上がっている間に部屋を抜け出した。



「彰華の部屋で何していたのかしら?」
 部屋を出ようとした時、横から低い声が聞こえてびくりと肩を震わせて声の方を見た。腕を組みながら、微笑んでいる真琴がいた。
「いや、あの別に変な事はしてないですよ」
「そうかしら」
 真琴がゆっくりと優雅な足取りで麗華の前に立つと、細くしなやかな指で彼女の首筋を指差す。
「首に妙な赤みがあるわよ」
「赤み? 虫に刺されたのかな?」
 麗華は指差された場所に触れて確かめる。
「でも、腫れていないしかゆくもないですよ。ダニとかいるんでしょうか?」
 赤みの正体が何か分からず首を傾ける麗華の手を取った。
「ちょっといいかしら?」
「なんです?」
 真琴は手の甲に口を落とした。柔らかい唇の感覚に麗華は驚いて手を引く。
「なななな」
「手の甲が赤くなったでしょ?」
「ひぇ?」
 驚きながらも真琴に言われた通りに手の甲を見ると先ほどまで無かった赤みが出来ていた。
「皮膚を吸うと充血するでしょ。それが所謂キスマークって言うモノよ」
「き、キスマーク!?」
 慌てて首を押さえる。そう言えば彰華がふざけて、麗華の首筋に唇をおとしていた。その時悪ふざけで付けたのだろう。
「彰華君最低! これってそんな真っ赤ですか!? いつ消えます!?」
「あぁ。本当にそれ以上の事は何もなかったようね」
 真琴は満足そうに微笑む。
「ある訳ないじゃないですか!」
「麗華さん無防備だから、気を付けなきゃだめよ。悪い男に引っ掛かりそうで私、心配だわ」
「そんな、無防備でいるつもりはないんですけどね」
「それから、その赤みだけど、安心してちょうだい。私が消してあげるわ」
 真琴は治療が得意だ。充血して出来たものがキスマークならば直ぐに元の肌に戻してくれるだろう。
「ホントですか? よかった」
「少し動かないでね」
「はい」
 麗華が動かないで立っていると、真琴が肩に手を置いたと思うと首筋に唇を落す。柔らかい舌が首筋を這った。
 その感覚に麗華は小さく悲鳴を上げた。目をぱちくりさせて、真琴を見ると笑っていた。
「ほら、悪い男に引っ掛かった」





 彰華が目を覚ました事により藤森家、守護家は落ち着きを取り戻して来た。麗華一人では、無理だった藤森家の結界についても、彰華の指導で藤森家守護家共に全員参加で簡易的な結界を作る事が出来た。
 大がかりな結界を作る作業は、困難を極めたが一週間をかけて結界を作る事が出来た。ただ、この結界は中級までの妖魔を防ぐ事の出来るもので今までの様に、全ての妖魔を防ぐ事や悪意を持った術者の侵入を防ぐ事は出来ない。
 元の結界の役割を果たせるようになるまでには、まだ時間と準備が不足していた。

 ばたばたと過ぎる時間の中。華守市の一大行事の日がやってきた。それは華守市にやってきた時に藤森家当主菊華から聞いていた夏祭りだ。先の戦いで損害を受けている守護家もあるが、事件を知らない一般人も関わる夏祭りは通常通り行われる事になった。

 華守市のシンボルの花守公園を中心で祭りは開催される。縁日が開かれ中央広場では特設ステージが作られイベントが行われる。藤森家主催のイベントもあり、麗華も微力がら手伝う事になっていた。

 夏祭りにふさわしい桃色の浴衣を着つけてもらい麗華は夏祭り会場に行くまでの時間、夜に行われる藤森家と各守護家の前で披露しなければいけない舞いの練習を行っていた。今回の舞は勾玉廻りの舞で踊った舞とは違い、唯の余興としての舞だ。舞の指導をしてくれた彰華の妹で麗華の従妹の知華も、夜遅くまで麗華の練習に付き合ってくれていたが、ここ最近の慌ただしさの中で覚えた舞いはまだ完ぺきとは言えず苦戦していた。

 麗華が一通り舞を終えると後ろから小さな拍手が聞こえた。
「大分上手くなったね」
「優斗君」
 後ろを振り返ると拍手をしている優斗がいた。あの事件から二週間が経ち、負傷して寝込んでいた優斗は動き回れる程に回復していた。
「もう行く時間かな?」
「まだあるよ。桃色の浴衣可愛いね、麗華さんに良く似合っているよ」
「ありがとう」
 藤森家に来てから着物を着る機会が行く度もあったが、その度優斗に見せると可愛いと褒めてくれる。少しくすぐったいが、褒められると嬉しい。麗華は微笑み答える。
「俺は留守番だから、お祭りに一緒に行けなくて残念だな」
 優斗達がやった事に付いて藤森家の出入り禁止を解除されたが、まだ謹慎中の彼らは特別な理由がない限り麗華と共に出歩く事を禁じられていた。今回の夏祭りの間藤森家を空ける事のない様に、優斗は藤森家で留守番をする。他の真琴と蓮は裏方で夏祭りの警護役にあたり、麗華と共に行動するのは真司と大輝になっていた。
「怪我をしているんだし動き回らず安静にしていた方がいいだろうし、良かったんじゃないの?」
「怪我は大体治っているから、平気なんだけどね」
「そうなんだ。ね、優斗君」
 廊下に立っていた優斗の傍に行き、優斗の顔めがけて拳を強く握り渾身の力を込めて殴った。不意打ちの出来事に優斗は麗華の拳をまともに受けてよろめく。
「怪我人を殴るのは気が引けたけど、治ってるなら思いっきりできると思って」
「――――っ」
 痛みに耐えている優斗を見て殴った手を振りながら麗華は、やっと目的が果たせたと満足そうに笑う。
「ごめんね。意外に根に持つタイプなんだ、私」
「……いや、俺がした事は最低だったから、殴られて当然だと思う」
「あの時は本当に、腹が立ったし。今思い出すだけでも、ムカつくよ」
 優斗が提案した作戦により、麗華は何度か妖魔に襲われたり、車に乗ったまま川に突っ込み溺れかけたりと、死にかけている。行く度も死にかけた所為で、心的外傷を受けた。今でも暗闇に一人でいると襲われた時の恐怖がよみがえる時がある。
 ずっと現れていなかった陰の神華を見つける事に必死だったのは分かる。自分は違うと言い張ったが、実際は麗華が陰の神華だったので、優斗が正しかったのだろうが、行為的に生死の危機に陥れて様子を見ていたのは簡単に許せるはずがない。

 優斗は殴られた頬を赤く腫らし苦い顔をしている。
「悔しいけど、優斗君の占い当たってたんだね。あの時酷い事言ってごめん」
「…………いや」
「私も殴ってすっきりしたし。お互い今までの事は、抜きにしてこれからまた、よろしくね」
 麗華は笑って仲直りの握手の手を差し伸べる。
「いいの?」
「あ、でも、もう変な物仕掛けてきたりしないでよ」
「しないよ。これから本当に麗華さんを守るから」
「うん。迷惑かけると思うけど宜しくお願いします」
 麗華の手を優斗は握り返した。

「それから、助けてくれて有難う。優斗君が居なかったらやばかった」
「間にあって良かったよ」
「でも、優斗君死んじゃうかと思って本当に怖かった。出来れば私を守って傷つくとか止めてね?」
 優斗は曖昧に笑う。麗華の危機になれば自分の身がどうなろうと守るだろう。
「……危機的状況になる前に防ぐよ」
「まぁ。あんな場面二度とないと思うけどね」
「そうだよ。今まで守れていなかった分、俺達が麗華さんを本当に守るから」
 握っている手に少し力がこもる。優斗の真剣な眼差しを受け、麗華は少し恥ずかしくなる。他の人からも何度か言われて事のある、守ると言う言葉だが、何度言われても嬉しいしくすぐったい。
「……うん。ありがとう」



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2012.7.8

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