一章 七十二話 消えた結界




 東の空が明るさを増してゆく、オレンジ色に染まりゆく空を見つめて小さく息を吐く。夜明け前には花守市を離れる予定でいたのだ。予想外に時間を取られてしまい、水色のワンピースを着た黒髪の女は手に持っている鍵を倉庫に中に差しこんだ。
 ここは花守学園にある備品をしまう倉庫だ。中に閉じ込められている仲間を探すのに手間取り時間がかかってしまった。
 倉庫を開けると、女の仲間以外の人間も彼女の登場に助けが来たと安心した表情を見せる。女は自分の仲間が縛られている術で出来た糸を引きちぎる。
 黒髪の遊ぶようにはねさせている青年は、手と口がやっと解放されて安堵する。
「助かった、綾奈ありがとう。例の物は手に入ったのか?」
 綾菜と呼ばれた女は、青年を一瞥して首を縦に振る。
「もちろんです。それより早くここを脱出いたしましょう」
 綾奈は他の仲間たちの様子を見ながら出口へと急かす。仲間以外の人が解放するように頼んでいたが、綾奈はそれを無視した。
「そうだな。それにしても、この肌が痺れる様な奇妙な気配はなんだ?」
 高台にある花守学園からは花守市の様子が見渡せるようになっている。そこから空気が歪んだようないような気配が花守市全体を包んでいる様子が見て取れた。花守市に来た時に、覆っていた許可のない術者や妖魔除けの結界が歪んでいる。
「結界が崩れる前兆でしょう」
 何百年もあり続けた藤森家を守るために張られていた結界が崩れようとしていた。結界の歪みは日が昇るにつれ進み、太陽が東の空を赤く染めた頃には空気に溶け込むように花守市に張られていた結界は消えていた。
 





 彰華に手を引かれながら、父が作った鳥居を越えて石畳の不思議な空間を通る。少し歩くとまた鳥居がある。鳥居を通ると風景が変わり、秋の庭園の風景になる。この真夏に紅葉した木々を不思議な感覚で見ていた。石畳の道をそのまま進むと幾つも鳥居があり、その度に風景は秋から春、春から冬と奇妙な季節の移り変わりを見せた。
「ねぇ、そっちはどうなった? 皆無事かな?」
 手を引く彰華は何も語らず黙々と早足で進む。麗華が何度か話しかけても彰華は答える事なく道を歩いてゆく。いつもなら、言葉ぐらい返してくれるのに何も語らない彰華を不思議に思いながら手を引かれるまま後を歩く。
 九個目の鳥居を抜けると、見覚えのある場所に出た。
 藤森家の中庭にある池の水面に麗華と彰華は立っている。池の真ん中に神華だけが見える鳥居があり、そこが神界との通り道になっていた。
 日は昇り初め空は明るくなり始めていた。揺らぐ空気と今まで感じた事のない違和感を覚えて、辺りを見渡す。何かが空気に解けていくような不思議な感覚だ。
「……完全に壊れたな」
 隣にいた彰華が呟く。
「何が?」
 彰華の顔を見て初めて彼の異変に気が付いた。薄らと透けている彰華の顔色は土気色をしていた。今にも倒れそうなほど目が虚ろだ。
「だ、大丈夫!?」
 鳥居を通っている時周りの変化に気を取られて、彰華の顔を見ていなかった。彰華の体に触れて彼の様子を見る。
「……俺が張った結界も破れた。その反動が返って来ているだけだ」
「それって大丈夫なの?」
 彰華は曖昧に笑う。
「自分で体に戻れるか?」
「うん。それより彰華君は……!」
 彰華の体が解けるように消えて、いままで掴んでいた手の感覚が指先から抜けていく。
「彰華君!?」
 慌てて、周りを見渡すが何処にもいない。そして麗華自身の体にも異変が起きた。ゆっくりと何かに吸い込まれる様な不思議な感覚に陥りそのまま意識を失った。




 誰かに呼ばれている気がして、麗華は目を覚ました。体中が筋肉痛になったように、悲鳴を上げている。まだはっきりしていない頭で、名前を呼ばれ横をみると、真司、大輝、蓮、真琴の四人が寝ている麗華の布団を囲うようにして不安げな様子で麗華を見ていた。
「なに? ……どうしたの?」
 何故四人が寝ている姿を見ているのか、ぼんやりした頭で疑問に思う。四人に寝顔を見られていたかと思うとなんだか恥ずかしい。
「麗華! 大丈夫か!」
 身を乗り出して麗華の無事を確認する大輝の姿に違和感を覚える。大輝の顔に大きな絆創膏が張られ頭に包帯を巻いていた。
「大輝君こそ、怪我どうしたの、大丈夫?」
「俺は平気だ! それより、お前は?」
「うん? なんか筋肉痛? は酷いけど大丈夫」
「おい、真琴ちゃんと治したのかよ!」
 大輝に言われて真琴が前に出て来て麗華の様子を見る。真琴は触れる許可を麗華にとってから麗華の脈を取る。
「あれ? 真琴さん、髪短い」
 真琴の長い艶やかな黒髪が、バッサリと切られて短髪に変わっている。一瞬誰だか分からなかった程、誰もが振り向く美人から誰もが振り向く美男子に変わっていた。柔らかく色気のある仕草もなくなり、落ち着いた大人の男の仕草に変わっている。
 真琴は少し困ったように笑い、その話題には触れない。
「脈は安定しているわ。記憶が少し曖昧の様ね。寝起きだから仕方がないと思うけど、麗華さん。昨日の出来事は覚えているかしら?」
 髪が短く仕草も変わったのに、口調は前のままだ。
「昨日の……」
 少し考えてようやく一連の出来事を思い出し、はっきりと目を覚ました。こんなぼけぼけと寝てはいられないと、勢いよく布団から起き上がる。
「昨日って、今何時です? 私どのくらい寝ていました? 彰華君! そう、彰華君大丈夫ですか? あ、優斗君も! あの後どうなりました!? 皆大丈夫? 怪我は!?」
 次々と質問して行く麗華に真司が手で制する。
「そんなに一気に質問しても答えられないだろ。順番に教えるからちょっと落ち着きなよ。麗華は気を失ってから半日ぐらい経っている。昼の一時半」
「一時半……。それで、彰華君は? 最後に彰華君を見かけた時、凄く具合が悪そうだったの!」
 いつもどこか飄々としている彰華が、具合が悪そうだった。心配で胸騒ぎがする。
「彰華が、迎えに行った事覚えているの?」
「うん。手を引いてここまで連れて来てくれた。その時凄く具合が悪そうで……」
「彰華が目覚めた連絡は入っていない。彰華が張っていた結界も破れたから、その反動が心身ともにダメージがあったんだと思う。今、自室で休んでるよ」
「大丈夫なの?」
「今、守護家の治療が得意な人が総出様子を見ているよ。だから、大丈夫」
 彰華は大丈夫だと言われて少し安心するけれど、守護家の治療が得意な人と言う言葉に引っ掛かりを覚える。いつもなら、治療が得意な水谷家がその役割を担っているはずだ。登世子の持っていた血の付いた刀はやはり、彼女の治療に当たっていた水谷家の人々の血だったのだろうか。
 麗華の顔色を読み取り、真司は渋い顔をする。
「……死者はまだ出ていないよ。やられた人達も一カ月も在れば元気になる。ほら、守護家って傷の治りが早いから心配はいらないよ」
「そう……。あの、優斗君は?」
 麗華を庇い登世子に刺された優斗の状態が気になる。血を流して倒れている優斗の姿が思い出されて、体を強張らせる。
「あいつなら、平気。ちゃんと五体満足で生きているよ。動けるようになるまでには少し時間がかかるだろうけどね」
「そっか。良かった」
 気になっていたこの場にいない二人の状況を知れて少し安心する。
「真司達は大丈夫?」
 真琴以外の三人はところどころ負傷した痕がある。
「俺たちも大丈夫。それより、麗華は?」
「私も大丈夫。心配してくれて有難う。でも本当に大丈夫だよ。それで、登世子さんはどうなったの?」
「魂が抜けたみたいな変わりようで、別室で大人しくしているよ」

 麗華に倒されてから、登世子は憔悴した様子で大人しく捕まった。聞き取れない声で何か呟きながら、此方の質問には一切応えようとしなかった。登世子が捕まった事を知り、彼女が連れて来た仲間たちも捕まり今は藤森家にある牢に閉じ込められている。
 藤森家を襲った蜜狩りの犯人たちは捕まったが、一つ大きな問題を藤森家にもたらしていた。

 藤森家と守護家が創設されてから何百年も続いていた、勾玉廻りの儀式が失敗に終わった。花守市に張られていた結界が崩れ、今花守市は妖魔や悪意ある術者が簡単に出入りできるようになってしまっていた。

 本来なら、一人でも神華がいれば勾玉廻りの舞を踊り結界を維持する事が出来た。だが最悪の事に、陰の神華である麗華の魂が神界に行ってしまった。連れ戻すならば、直ちに陽の神華である彰華が追わなければいけない。先に勾玉廻りの舞を踊り結界を強める事に成功しても、勾玉廻りの舞は神華に負担をもたらし一日は寝込み身動きが取れなくなる。そうなれば、麗華は神界に馴染み連れ戻す事が出来なくなっていた。
 藤森に張られている結界を選ぶか、麗華を選ぶか、どちらか一方しか選べない。結果、彰華は麗華を選び神界まで迎えに来た。

 そして、何百年も藤森家を守っていた結界は陰陽の神華不在の為に呆気なく崩れてしまった。




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2012.6.3

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