一章 七十一話





 神界の肌を涼しい風が通り抜ける草原で父はゆったりと瞳を閉じて、懐かしそうに語り始めた。
「初めて、桃華を見かけたのは彼女が四歳の時だった。その時から愛くるしい瞳で、儀式の最中だから顔は固かったがその場に居た誰よりも輝いて見えた。もちろん、お父さんは上から見ていたから、桃華が私を見る事はなかった。初めて言葉を交わしたのは桃華が六歳の時だ。あの時の感動は今でも忘れられない!」
 熱く母の事を語りだした、手のひら程の父を呆れた目で見る。そう言えば、父は母一筋のちょっと変わった人だった。
「一定の位の神は下界に下りるのに依り代を必要として、簡単に下りる事は出来ない。でも好都合な事に、藤森家には依り代に丁度いい人形が置いてある。今のお父さんぐらいの大きさの幼い女の子の人形だ。お父さんその人形を依り代にして、下界に下りたんだ。桃華の所に行くと直ぐに桃華は俺に興味を抱いてくれて『あなたは、だあれ?』て、もう可愛らしい小鳥の様な声で聞くんだ。もう、お父さん言葉を掛けられた事が嬉しくて! 嬉しくて! 初めの頃は、桃華も人形が喋る事を警戒していたようだけど、人形遊びとか子供のする遊びを一緒にしたよ。可愛いらしい、子供らしい遊びなど本来馬鹿馬鹿しいと思うが、桃華となら何をしても楽しいひと時だった。桃華が藤森の森を案内してくれた時とか――」
「あの。お父さん。お母さんとの馴初めとかについては端折ってくれていいよ」
「そうか? でも、麗華もお母さんとお父さんがどういう風に恋に落ちたか知りたくないか? 天界と地上の大ロマンスだぞ」
 母との思い出を話したくて仕方がないと言う父の顔に、麗華は呆れつつ顔を振る。
「私、そんなにここにいられないと思うから、手短に言ってよ。大ロマンスはまた今度聞かせて」
「……うぅ。そうだな。麗華がここに長くいるのは体によくないだろう」
 十歳児の姿の小さな父は目に見えて残念そうに肩を落として、落ち込んでいる。余程娘の麗華に、母との馴初めを聞かせたかったようだ。
「では、手短に。依り代の人形を使い、俺は良く桃華に会いに行っていた。桃華が十六歳になった時、事件は起きた。
藤森家はここ何代か神華を生み出していない。藤森の力は神華を生み出す事により強まるが、何代も生まれていない故に力が薄れて来ていた。元々神華と言う者は神界の事情により生み出される産物だが、下界では違う意味があるらしい。力ある蜜は金に変わる。浅ましい弱い人が思いつく事だ。当代の藤森当主は二人の娘、桃華と菊華に神華を産ませようとしていた。神華が生まれるようにと、数人の呪力の強い男を連れて儀式と称し……」
「ぎ、儀式と称し?」
 幼い顔の父が、幼い顔に似合わない酷く険しい顔をしていた。
「腹が立った。俺の可愛い、可愛い桃華になんて事をするつもりなのかと! 人の分際で此方の事情を考えず、願い請うだけではなく力ずくで神華を生み出そうとする行為は、愚かとしか言えない。藤森を管理する部署の奴らは、静観するつもりでいた。元々、菊華は産まれた時から次の神華を生み出す役目が与えられていた。陽の神華が生まれるのが遅かれ早かれ、藤森を管理する部署の奴らは気にしない。
 でも、桃華は違う。元々、陰の神華を産む役目は別の人に決まっていた」
「……え? でも、私は」
 麗華は持っている陰華を握る。父は少しだけ困ったように微笑む。
「お父さんは怒り狂い儀式に乗り込んだ。桃華を助けたい一心だった。その場にいた奴らには俺がどう見えたのか分からないが、攻撃してきたから返り討ちにした。だが、その、怒り狂っていたモノだから、手加減が上手く出来なかった。藤森は特別な地で元々神界との繋がりも深い。故に、気の流れが歪みやすい場でもある。気の流れ歪めてしまって、場に穴が出来た。穴と言うのは歪みそのモノで中がどうなっているかは入ってみないと分からない。その穴に幾人が飲みこまれた。俺が暴れるものだから、流石に藤森を管理する部署の奴らも慌てて場を治めに来た。そこでまた少し意見の食い違いが起きて、ちょっと争いが起きて……」
 藤森家で神である父と藤森を管理するという部署の神が戦った。その戦いは、人同士の戦いとは比べ物にならない破壊をもたらす。
 藤森家の特殊な土地柄と混ざり合い、その場に大きな歪みを生み出した。その結果、その場にいた人々は、次々と戦いに巻き込まれ穴に飲まれていった。当代の当主も例外ではなく、穴に飲まれて消えた一人だ。
「菊華の方は藤森を管理する部署の奴らが死守していたが、気が付けば桃華も穴に飲まれていた」
「え」
「穴に入り助けに行ったときには、桃華の体は限界だった」
 父は思い出したくもないと、辛そうに顔を歪める。
「蘇生を試みるが私は治癒が得意ではない。手の中で弱っていく桃華を見るのは辛く耐えられなかった。だからお父さんは初めの禁忌を犯した。瀕死の状態の桃華に自分の力を分け与え、体の傷を癒した。そして、桃華を藤森家に置いておけないと判断して、連れ去った。誰も桃華を傷付ける事が出来ない様に、彼女が前から望んでいた普通の少女としての一生を送らせてあげようと、思った。桃華が安全に住める場所を作り、そこで幸せに暮らしてほしかった。桃華が辛いと思わない様に、余計な記憶を消してお父さんは桃華の傍から離れた」
「あれ? お母さんが記憶喪失なのって、お父さんが原因?」
 記憶が曖昧な母が不安そうな顔をしている時があったのは、全て父が原因だったのか。父の話を聞いていると、両親の大ロマンスと言うより、神と言う大きな存在だった父に振り回された母の一生と言う気がしてくる。
「そうとも言えるが……。私は気が付いていないふりをしていたが、桃華は次に会った時には全ての記憶を取り戻していたよ。桃華も藤森の術者で内側から術を破ったようだ。そして、桃華の前から消えた私を桃華は探し当ててくれた。姿を消していた私を見つけるのは苦労しただろう。神界までは生身の人では来られないがその入り口まで来て、お父さんを呼んでくれたのだ。もう、お父さん感激してな! 傍にいない方が桃華の為だと思ったけど、桃華もお父さんを望んでいると分かれば傍を離れる訳にはいかない!」
 父は桃華が神界まで会いに来た時の事を嬉しそうに語り始めた。
「ちゃんと、両思いだったんだ……」
 父の話を聞いていると一方的な愛情を注いでいるのかと思っていたが、桃華もちゃんと父の事を思っていたようで少し安心する。
「何気に酷い事を言うな。お父さんとお母さんは相思相愛のらぶらぶだ!」
「ごめん。でも、なんで記憶喪失だってお母さん言ってたの?」
「藤森に行きたくなかったのだろう。それに、記憶があると分かれば私が桃華の傍を離れると思ったのかもしれない。あの出来事で桃華に負い目があるからね」
 父が暴れた所為で桃華の父親は亡くなっている。
「お父さんは桃華の傍に行こうと思ったが、一つ障害があった。その時には位を下げられていたが、私は神だったからね。簡単に地上に下りる事は出来ない。依り代が必要だった。前の様に丁度いい器はなかった。一緒に地上で生活するのは無理だと初めは諦めようとしたが、桃華が自分を依り代にすればいいと提案した。力のない人間は依り代として使えないが、桃華は十分に力を持っていた。だから、私は桃華を依り代にして地上に下りる事にした。桃華と共に居たかったから誰にも邪魔される事なく過ごせる場所を確保してそこで生活をしていた」
 麗華の家周辺に張られた結界は元々、桃華と父が誰にも邪魔される事なく過ごすために作られた物だった。
「桃華が人として生きられる時間が残り少ない事が分かっていた。だから少しでも桃華の希望を叶え幸せにしてあげようと思った」
「え、お母さんの寿命が分かってたの?」
「神だから、嫌でも見えるものがある。もちろん、桃華に悟られる事はしていない。ただ、桃華は感の鋭い人だから、自分の死期悟っている所があった。桃華を依り代に下りていたから、桃華が亡くなると地上に止まる事が出来なくなった。だから、桃華は麗華に何かあった時の対処方を教えていただろう?」
「確かにお母さんから、教わっている事はあったけど」
 桃華から、緊急の時の連絡や方法は教わっていた。だけど、当時小学生の麗華は葬式や行政の書類を一人で全てやらなければいけなかった。幼い麗華には手に負えない事もあり隣の家の人が助けてくれたからどうにか出来た。施設に入るべきだと言われた事も何度もある。
 一人になった時の生活を思い出して、不満をぶつけたい衝動に駆られる。
「本当は、あんなに早く桃華が亡くなるとは思わなかった」
 父が桃華の事を考えて、悲痛な表情をしていた。不満をぶつけようとしていた麗華は思わず言葉を飲みこむ。桃華の寿命を知っていると言っていたのに、父にとって母の死は本当に予想外の出来事のようだった。
「なんで? お母さんの寿命が見えているってさっき言っていたのに」
「……読みが甘かった」
「?」
 どういう意味なのか分からず麗華は首を傾ける。だが父がその事に付いて語ろうとはしなかった。話がしたくないと、小さく首を振り別の話題を振る。

「麗華が何故神華になったか、話していなかったね」
「う、ん」
 母が早く亡くなった理由を強く聞いても、頑なな父が語る事はないと分かった。麗華は今一番知りたかった話をされて、少し緊張する。
「二人での生活も慣れてきた頃、公園で遊ぶ親子を見て桃華はとても和やかに幸せそうに見つめていた。桃華は子供が好きだった。桃華ならとびっきり可愛らしい子供を産むだろうと容易に想像が出来た。本当は神が子供を作る事は禁じられていたけれど、私が桃華似の子供を産ませてあげたかった」
「お母さんが、子供好きだから禁じられている事でもしたの?」
「それだけで十分な理由だろう。その頃私の世界の中心は桃華だったからね。彼女の為なら何でも出来た」
 父が母に向ける愛情が幼い麗華にも異常に思える事があったが、今改めて母に向けている愛情を再認識すると凄いと思う。父は禁じられている事でも母を喜ばせるためなら何でもやる。
「桃華似の可愛い男の子が生まれるのが私の理想だった」
「……期待に応えられなかったね。私、お父さん似の女の子だよ」
 麗華が髪を短く切り少し表情を凛々しくすれば父に見える程、麗華は父似だ。母に似ている所は殆どない。
「そう。麗華が宿った時、私は真剣におろすように勧めるべきか悩んだ」
 自分の理想と違ったからという理由で、仮にも神であった父に自分が生まれない様にするべきか悩まれていたと知り衝撃を受ける。
「え! な、なにそれ! そんなに、男の子が欲しかったの!?」
「女の子でも良かったが、問題は私に似てしまったところだよ」
「神華だったからじゃなくて? お父さん似だと何かまずいの?」
「あぁ。神華だった事も問題だった。本来は別の人が陰の神華を産み、別の所へ持って行かれていた藤森の血が藤森に戻るように計画されていたからね」
「それって」
 登世子の話が思い出される。登世子は元々藤森以外の土地で生まれた藤森の血族だ。祖父が藤森家から誘拐されたと聞いている。神々が飛散した藤森の血を藤森に戻そうと計画していたのならば、麗華が生まれた事で登世子が居るべき場所を奪ってしまった事になる。
「藤森の血が濃い方が神華になりやすい為に、麗華が陰の神華として産まれて来た。藤森を管理する部署の計画は、藤森の血を管理しやすくする為に、神華として生まれさせて一か所に集める予定だったようだが、予定されていた子より麗華の方が早く生まれてきたので計画が崩れた」
「もし、私が少し遅く生まれて来ていたら私じゃなく、登世子さんが神華だったのかな」
「そうだ」
 小さな父が短く肯定する。
「そっか……」
「神華として生まれて来て苦労させてしまったな」
「ううん。ほんのちょっと、面倒で嫌だなって思っちゃったけど、苦労だとは思ってないよ」
「私は麗華を神華にしたくなかったよ」
 父の小さな指先が麗華の頬を軽く撫でる。
 記憶の中でみた父も麗華を神華にしたくなさそうだった。でも、真司、大輝、蓮、真琴、優斗、陰の守護家達の顔が浮かぶ。陰の神華が居ない所為で、不憫な思いをしてきた彼らが待ち望んだ陰の神華。麗華が少しだけ早く生まれてきたから登世子ではなく麗華が神華になったけれど、それで良かったと思う。まだ良く分からない、役割だけれど自分が陰の神華だと言うのならその役割を果たして、陰の守護家が麗華を守ってくれる分の恩返しが出来ればいい。
「私は、陰の神華で良かったと思う。少なくとも、今はこの手にある花嫌いじゃないよ」
 手に握る陰華に微笑む。神界に来た時から手に持っていた香りのしない不思議な花。

「そうか? 今ならまだ捨てる事も出来る。お父さんが新しい花をあげるよ」
「また、貴方は勝手な事を言う」

 後ろから今まで居なかった人の声が聞こえて驚いて振り返る。そこに居たのは麗華達の居る方へ歩いてくる、着物姿の彰華だった。手には麗華と同じ様に形は違うが鮮やかな紅い花を持っている。
「彰華君! ど、どうしてここに?」
 ここは神界で、普通の人ならば簡単に来られる場所じゃない。そこに彰華が居る事が信じられなく目を見開く。
「遅いから迎えに来た」
 平然と言う彰華に父が苦笑いする。
「君にはいつも迷惑をかけるね」
「いえ。自分で望んで行っている事です。麗華を早く体に戻したい。親子の再会はもういいですか?」
「そうか、もうそんなに時間が過ぎてしまっていたか。まだ、話し足りないけれども、早く体に戻った方がいいだろう。詳しく話を聞きたければ、菫君を使いなさい。知っているだろうが麗華に危険が及ばないようにと、傍に式神を付けていたんだよ。手紙なら書けるから」
「その、菫君の事でも色々聞きたい」
「今はもう時間が無いから手紙で聞きなさい」
「分かった」
 彰華が手を握るように伸ばしてくる。
「何?」
 手を握る必要性を感じなかった麗華は、その手を不思議そうに見つめる。
「手を繋いだ方が安定してつなぐ事が出来る」
「ここにいるのは麗華より彼の方が体に掛る負担が大きい。麗華が仲介役になり気の流れを整える事が出来る。彼を楽にする為にも早く手を握りなさい」
 父に言われて麗華は彰華の手を握る。ふと懐かしい感覚がした。小さい時、神界に来た麗華を迎えに来た彰華ともこうやって手を握っていた。
 気の流れは良くまだ分からないが、彰華が透けている様な不思議な感覚がする。
「帰り道は私が開こう。麗華、元気で」
「うん。後でいっぱい、いっぱい手紙書いて菫君に持たせるから!」
 十歳児の姿の父が小さく光ると、一瞬にして姿を変えた。麗華の知っている二十代後半の父の姿。足が長く指が細い、いつも母の傍にへばりついていた父。力強く大きな腕で麗華の事を抱きしめる。
「あいしてるよ」
 少し照れくさくて、父の胸に顔をうずめて笑う。
「……うん。お母さん以外に言っているのを初めて聞いたよ」
「麗華だけ特別だ」

 父が手を放すと同時に大きな鳥居が目の前に現れた。麗華が名残惜しそうに父をみていると、彰華が父に一礼してから、麗華の手を引きながら鳥居の中に入って行った。




 鳥居の中に姿を消した二人をいつまでも名残惜しそうに見ていた父の隣に、伯父がいつの間にか立っていた。
「無理をする」
 力の大半を封印されている父にとって地上に繋がる門を開くのは至難の業だった。でも、麗華と彰華を無事に地上に確実に戻す為には、たとえ無理をしても自分で開いた方がよい。十歳児の小さな姿に戻った父は少し疲れた顔をしていたが、満足げに笑う。
「私の娘は可愛く育っている! さすが桃華の産んだ子供だ!」
「お前の妻自慢にはうんざりだよ」
 伯父は相手にするのも面倒だと視線を遠くへやる。
「その、自慢の娘にも自分のした最大の罪は言わないのだな」
「…………何時か、時が来たら」
「いつかが来る時がるのかな?」

 大きな鳥居を見つめながら弟は苦痛に顔を歪め、兄はその顔を満足そうに見つめていた。



top≫ ≪menu≫ ≪back≫ ≪next



2012.6.1

inserted by FC2 system