一章 七十話


「麗華!」
 最初に駆け寄ったのは真司だ。ぐったりと床に倒れ込んだ麗華の隣に座り意識を確認する。登世子ともみ合いで髪は乱れ、叩かれた頬は微かに赤く腫れ、足からは出血がみられた。衣服や手足は血だらけだ。見るからに悲惨な状態に顔を青ざめる。
「どうなった! 麗華は大丈夫か!」
 大輝が次に飛び込んできて、倒れている麗華に駆け寄る。麗華の姿を見て言葉を失う。
 蓮が登世子の拘束を完了させ、後から来た麻美に引き継ぐと麗華の様子伺う。
「これは……」

 倒れている優斗の元には従妹の莉奈が駆け寄った。最後に麗華の状態を見た彰華は最悪の事態が起きた事を知り、顔を曇らせた。
「……まずいな」
 胸元にあったはずの紅い鮮やかな陰華は消え失せ、麗華が人形の様に倒れている。呼吸はしているが、声をかけても体を揺さ振っても反応が一切見られない。
「魂が抜けている」
 麗華の様子を見て蓮が判断すると、大輝が立ち上がり拘束されている登世子に激しい剣幕で詰め寄った。
「お前何したんだよ!」
「私は何もしていないわ!」
「そんなはずないだろ!」
「落ち着け、大輝」
 彰華が倒れている麗華の千切れた服の、間から胸の谷間に触れながら止める。
「莉奈、瑛子は先に優斗の手当てを」
「はい」
 莉奈と瑛子は彰華の指示に従い、瀕死の優斗の応急処置と治療の手配を取り始めた。
 彰華が麗華の胸を触りながら何か考えている様子を、真司は不思議そうに見る。
「……何をしているの?」
「気配を追えるか試しているが、無理な様だ」
「無理って、麗華の魂は何処へ行ったの?」
「俺達にとって一番厄介な場所だ。本能的に神界へ逃げたのだろう」
 彰華が深くため息を吐く。人の世とは別の次元に存在し、簡単に行ける場所ではない。
 幼い頃、一度麗華を迎えに行った事がある場所だが、あの時はまだ麗華と繋がっていた。繋がりとは、陽の神華と陰の神華を繋げた糸の様なもの。元々二つで一つの陽の神華と陰の神華は、互いの意識を共有し合う事ができ、危険からお互いを守る様に出来ていた。だからそれを辿って迎えに行く事が出来たが、今は繋がりが切れている。彰華が陽の神華であるからと言っても、別の次元にある神界へ訪れる事は至難の業だ。
 麗華が何故、神界と言う場所へ逃げるのか、未だに彼女が何者か知らない、真司、大輝、蓮は困惑した顔を彰華に向けていた。





 ただ白い道を歩いていると、花畑に出た。様々な形色合いの赤い花畑だ。まるで炎の様に揺らめく花々が、背筋が凍るほど鮮やかな赤い色合いで、見る者を魅了する美しさが恐ろしかった。
 視線を逸らす事が出来ない得体のしれない恐怖で、持っているモノを思わず強く握る。強く握って、麗華は初めて手に持っている物に目を向けた。紅く大きな一輪の花を手に持っていた。
 見覚えがある。先ほど見た時は胸にあった、陰華と同じ形をしている。胸元に視線を向けると、着ている服が白い柔らかい生地で出来たワンピースだった。夢の中で来ている物に文句を言うのは変だが、このワンピース胸元が開きすぎだ。胸の大きさに少し劣等感のある麗華は胸元が少しでも閉じるように、服を引っ張り上げる。
 胸にあったはずの花がなく、手に持っている紅い花を見つめる。
 思い出されたのが、菫が見せてくれた幼いころの記憶。あの時、幼い麗華と彰華は手に花を持っていた。

「これもしかして、陰華?」
 麗華の呟く声に反応するように、紅い花畑が静かに揺れた。
「君。また来たのか」
 横の方からうんざりとした声が聞こえて、麗華は驚いて声のする方を見た。そこには青い着物の様で着物とは少し形の違う不思議な物を着た、三十代前半の男が立っていた。
「……あの?」
 麗華は男の顔を見て何か、思い出しそうになる。
「これで三回目だ。わたしが何度叱れば君は理解出来るのか教えて欲しい」
 三度目と言う事は、麗華はこの男と会った事があるようだ。じっと男の顔を見つめて何とか思い出そうと記憶を呼び起こそうとする。
「おや、今回は陰華を散らした訳ではないようだな」
 男は麗華の手に持った花を見て言う。
「これ、やっぱり陰華なんですね」
「何をいまさら……。あぁ。《じょあ》は上手くやったのか」
 男は何か一人で納得したように頷いている。
「今回は特別に茶の一杯は出して遣る事にしよう。わたしの姪でもあるからな」
「……メイ?」
 男は付いてくるようにと一言言うと、先に道を歩いて行く。麗華の疑問に答える気はないようだ。男に付いて行くべきか考えるが、麗華の事を知っているらしい男に付いて行く事にした。
 駆け足で男の後ろに追い付くと、麗華は男の様子を観察する。変な着物ではあるが細かいところに刺繍がされてある。男は腰まで伸びる長い黒髪で、毛先の少し上を布で巻いて留めている。翡翠と思われる耳飾りを着け、指輪はしていないが腕輪がじゃらじゃらと幾つも着けていた。
 誰かと似ている。
 ほんの少し、目元が父に似ている。

「わたしはあまり下界の事に関渉する役割にないので、気に留めていなかったが、藤森を管理する部署の者たちが慌ただしく動いていたな」
 これはどうやら唯の麗華の夢ではないらしい。下界やら藤森を管理する部署とは一体なんなのだろう。男の言葉を頭なの中で整理して考える。藤森家にいた時は夜だったが、今ここは昼間のようだ。神界と地上の狭間に先ほど居たが、その時と似たような空気が流れている。
 男の案内のまま屋敷の中に入り、座敷に通されて使用人らしき人がお茶を持ってきてくれた。 
 手に持っていた陰華を正坐した膝に置き緑茶に茶菓子を前に、麗華の事をくつろいだ様子で見ている男に視線を向けた。
「改めて聞きたいのですが、ここは何処でしょう?」
「ここは華の丘だ。わたしのくつろぎの場でね。少し時間が出来たから休もうと思い来てみれば、君がいたのさ」
 あの紅い花畑は華の丘と呼ばれる場所にふさわしい。だが、麗華が知りたいのは場所の名称ではない。
「下界の生活は楽しいかい?」
「え? あ、はい。あの、下界と言う事は、ここは?」
「あぁ、君達の呼び方だと、神界と呼ばれる場所だ。知らなかったのか」
 男はなにをいまさらと、退屈そうに呟く。神界と呼ばれる場所に、いる自分が信じられない。しかも、男の言葉だと麗華は過去に二回はここにきているらしい。
「なんでここに居るんでしょう!?」
「知らん。わたしは来られて迷惑している」
 混乱する麗華に男は断言する。迷惑していると言われて、麗華は困惑する。お茶や菓子を出してもてなしてくれているが、迷惑なら早くここから出た方がいいのではないだろうか。
「ごめんなさい。直ぐに失礼します。あの、帰り方が分からないんです。教えて頂けないでしょうか?」
「なに。迷惑はしているが、今すぐ追い返すほど心は狭くない。さぁ、茶でも飲みなさい」
 男がお茶を一口飲み、茶菓子をつまむ。男が勧めるお茶を手に持ち一口飲む前に、麗華は意を決して聞いてみる事にした。
「あの、先ほど私の事をメイと言いましたが、神界に住まわれている方が本当に私の親戚なんでしょうか?」
男は少し悲しそうな顔をする。
「なんだ、思い出したわけではないのか。中途半端な封印の解け方をしているな。よし。わたしが完全にあいつの術を解いてやろう」
「あいつって、もしかして父の事でしょうか?」
「そうだ。わたしの愚弟、君の父親」
 あっさりと認められて、麗華は思考が停止しそうになる。
「………………あの。最終確認をしたいんですが。神界に住まわれていると言う事は、神様ですよね?」
「君たちのいい方からすればそうなるな」
 麗華は持っていたお茶を卓上に戻し、大きく息を吐く。頭を落ち着かせないと、この場で途方もない叫び声を上げてしまいそうだ。五、六回大きく深呼吸する。

 どういう事。父が神様の弟。母が亡くなって以来家に帰らなくなった父が神様の弟。月に一度くれる手紙にはそれらしい事は一切書いていなかった。とても信じられない。だが、この男が嘘を言っているようには見えない。
 意味が分からない。自分の父が神の弟と言われて、あっさり納得できるはずがない。
この目の前に居る男が、菫と同じ顔を持つ式神を作った麗華の伯父。同じ石を割って式神を作ったと言っていた。それならば父はもしかして。
「父は、神様なんですか?」
「今は違うが、元は神と呼ばれる存在だった」
「か、か、か、神……さま」
 自分の父が神様。
 はははと、乾いた笑いが漏れる。嘘だ。あり得ない。神が子供を作る事なんて出来るのか。あの、母命の父が神様なんて世界がどうかしているとしか思えない。神らしい事なんて一切している所を見た事が無い。
「知らなかったのか。そうか、それは驚くな。まぁ、茶でも飲み少し落ち着きなさい」
「…………はい」
 麗華は、伯父の言う通りにお茶を飲む事にした。お茶を手に持ち一口飲もうとしたら、凄まじい早さで何かが飛んできて茶の入った器を、麗華の手から奪い地面に叩きつけた。
 一瞬の出来事で、目を見開き驚く。手に持っていたお茶が消えて、床に割れた破片とお茶が零れている。
「来るのが早かったな」
 伯父がゆったりと笑いながら言う。
「麗華! ここの物は一口も口にしてはいけない!」
 割れた湯呑の傍で手のひら程の十歳児が飛び跳ねて怒鳴っている。
「え?」
 この小ささ、式神か何かだろうか。でも、どこかで見た事がある様な気がする。
 狩衣に似た着物を身につけ、十歳児は卓上に登り麗華の前に置かれた茶菓子に手をかざすと一瞬にして燃やして灰に変えた。
「んんん!? あれ!? も、もしかして、もしかして。お、お父さん!?」
 十歳児でしかも手のひら程の小さい存在だが、雰囲気でなんとなく分かる。
「麗華、何も口にしていないな?」
「お、お、お父さん? 本当にお父さん?」
「ここに居てはいけない。直ぐに帰りなさい」
「いや、本当に、本当にお父さん?」
「兄上、悪ふざけが過ぎませんか」
 麗華の言葉を無視して、父らしき十歳児は伯父を睨みつける。
「良いではないか。わたしも久しぶりに会った姪との会話を楽しみたかったのだよ」
「それにしても、こちらの物を食せば下界に帰れなくなる事を御存じでしょう」
「時期でもないのに三度も来るほど縁があるなら、いっその事住まえば良いと思うてな」
 伯父が麗華を神界に住まわせようと策略していた事に驚いたが、それよりも、久しぶりに会った父が麗華を無視している事が許せない。
 全ての元凶とも言える父なのに、この小さな十歳児の父を手のひらで潰してしまいたい衝動に駆られた。
 そして、その衝動を止める事が出来なかった。
 鈍い音をたてて父もろとも、卓上を叩く。

「れ、麗華。危ないじゃないか」
 麗華の殺気を感じて素早く父が避けた所為で、潰す事が出来なかった。
「お父さん! どういう事! なんでそんな小さくなってんの? お父さんが元神様ってなにそれ? 意味が分かんないよ、ちゃんと説明して!」
 激怒する麗華に、父は悲しそうな顔をして麗華を見つめた。
「すまない。麗華をここへ来させたくなかったんだよ。平凡な人生を歩んでほしかった」
「それ、質問の答えになってない」
「わたしが説明してやろう。こいつはふらりと下りた下界で女を娶り、子を産ませ、神の地位を失ったのさ」
 伯父の簡単な説明に苛立つ。麗華の悩みや人生がそんないい加減な説明で終えて欲しくない。
「そんな、簡単すぎる説明で理解できるほど、頭良くないんです」
「おや、分かりやすかったと思うが、不服か」
「不服です。お父さん。私に分かるようにちゃんと、説明してください」
 麗華は、十歳児の小さな父を絶対に説明させて今までの事をはっきりさせると、鬼気迫る眼で睨みつけた。
「……分かったよ」
 父は諦めたように呟く。
「兄上、麗華と二人で話したいので失礼させて頂きます」
「なんだ、私を加えてはくれないのか」
「貴方が居ると話がこじれそうです」
「つまらんな」
 伯父を座敷に残し、麗華と父は屋敷を離れて人気のない草原で話す事にした。

 涼しいさわやかな風が流れる草原で、手のひら程の小さな父は宙を飛び麗華の視線辺りで止まる。

「麗華が藤森に世話なっている事は瀬野から聞いているよ」
「瀬野って神界と地上の狭間に居た人だよね」
「あぁ、瀬野が小さい頃から可愛がっていたから、何かと便宜を図ってくれる。麗華が試練の間に来た時と聞いた時から、何時かこうなるだろうとは想像していた」
「お父さんって幾つ?」
「それは神界人に聞く事じゃないな。麗華が驚くほど生きているとだけ言っておこう」
「おじいちゃんなんだ」
「違うぞ。老いてはいない。おじいちゃんと言われたらお父さん傷つくよ」
「……そうだね。今どう見ても、十歳児だしね」
「この姿は、仮の姿なんだよ。お父さん禁じられた事を幾つか犯した、その罰を受けているんだ」
「……何をしたの?」

 父の小さな手が麗華の頬を愛おしそうに優しく触れた。
「桃華を、お母さんを世界の誰よりも、自分の命よりも愛した事かな」


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2012.2.27

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