一章 五十四話


 彰華の妹知華を攫った者たちは、岩本家にある蔵に立てこもっていた。麗華達がそこに着いた時には、蔵の周りに岩本家の式神と思われる者が蔵を取り囲んでいた。蔵の中に入る事は出来ないらしく、外から様子を見ているようだった。
 蔵の中がどうなっているの、簡単な見取り図を広げて、知華がいると思われる場所に印を付けて蓮と大輝は岩本家の人達と救出作戦を練る。
 麗華はその様子を後ろから眺めていた。

 先ほど、車の中で知らされた事が未だに頭を巡っていた。蓮が言うには確かに神華やしき反応が若干あるらしい。今まで感じる事の出来なかった微弱な反応が右手の葉の印から感じると言う。
 陰の神華が現れたと言う事に蓮と大輝は少なからず動揺していた。今までずっと待ち望んでいた者が、ついに現れたのだ。それは嬉しいはずだ。麗華の事や、知華の事に構わず今すぐ会いに行きたいだろう。陰の神華は居ないと馬鹿にされて、蔑に扱われてきた守護家なら当然だと思う。
 でも。

 ――陰の神華に会いに行く?
 と、聞けなかった。

 ――やっと会えるね。おめでとう。私に構わず会いに行って。
 と、言えなかった。
 
 陰の神華が現れる事を本当に願っていた。守護家の人達が他の人から無用の守護家と呼ばれ、蔑に扱われる事がなくなればいいと心の底から思っていた。それなのに、心の奥で何かが引っ掛かり、素直に喜び祝福出来ない。
 父の事や、菫と共に見た過去の映像。それらを考えて、陰の神華かもしれないと少しでも考えたせいだろうか。
自分で否定しておきながら、本当は特別な存在だと思いたかったのだろうか。
 いや、そんな事思っていない。神華じゃなければそれでいい。藤森家には色々面倒な儀式があるらしい。その中心になるのが神華だろうから、そんな重要な役を自分が担えるとも思えない。
 だから、別の人が現れたならそれは喜ばしい。心の引っ掛かりはただの気のせいだろう。難癖付けづに素直に祝福しよう。
 知華を無事に救出したら、蓮と大輝に陰の神華に会いに行くように勧めると決める。麗華よりも、陰の神華の方が彼らにとって重要なのだから。
 でも、なぜ陰の神華が藤森家を奇襲にかけた主犯なのだろう。神華に会えると言うのに、藤森家を襲ったという言葉の所為で、蓮と大輝の表情は硬かった。二人とも何か考えた様子で、口数が減りそのままこの岩本家まで来た。
 
 陰の神華が藤森家を奇襲した主犯なら、やはり麗華が始めた勾玉廻りは自分で最後までやるべきだ。父の術も陰の神華が現れた事とは関係なく、解くと決めたのだからやれる事は遣ろう。
 呼吸を整えて瞳を閉じて、菫に習った事をまた実行してみる。海賊の宝箱の様な箱を思い浮かべて、箱を開けてみた。前にやった時は開かなかった箱が今度は簡単に開いた。中に入っていたのは母の作ったお豆腐レンジャーのグリーンの人形が入っていた。
 また、お豆腐レンジャーの人形だ。これは何か意味があるのだろうか。ふと、藤森家に来て毎日見ていた夢が思い出される。祭壇にある麗華の大好物のステーキを禿鷹や狼に狙われそうになり、そこに現れるお豆腐レンジャー達。夢の中でも若干変化があり、最後に見た夢ではイエローの活躍でステーキを食べる事が出来た。
 あれはやはり何か意味があったのだろうか。何かを暗示しているのだろうか。
 あれ、私って、なんでお豆腐レンジャー好きなんだっけ?
 小さいころから熱狂的なお豆腐レンジャーのファンの麗華は、初めて自分がこんなにお豆腐レンジャーが好きな事に疑問をもった。確か、母が勧めてくれて見始めたレンジャーモノだった気がする。

「…………い」
 そう考えていると、急に肩を軽く叩かれる。瞳を閉じていたので、驚いて少し飛び退くようにして瞳を開けた。蓮が少し硬い表情で立ち眼鏡のずれを直す。
「さっきから呼んでいるのに、返事がなかった。何を考えていた?」
「え、あ。ちょっと色々……」
「知華の救出作戦が決まった。五分後決行する。岩本家の式神が中を探った結果中に居るのは女が一人だ。大輝が正面から突入し囮になり、俺は後ろから中に入る。岩本家に麗華を預けるのは不安が残るので、麗華は俺と共に中に入り目の届く範囲に居て貰う。麗華に危険が及ばない様に細心の注意は払うが、中に入れるか?」
「うん。大丈夫。足手まといに為らない様に気を付けるね」
 中に入るとは思っていなかったが、早く知華を解放してあげる為には出来る協力はしよう。
「陰の神華の事を考えていたのか?」
 蓮に言われて、麗華は少し困った顔をする。本物が現れたのだ。今まで勘違いされた麗華としては、なんて言ったらいいのか言葉に困る。
「俺は何があろうと麗華と共に行動する」
「……え?」
 蓮は眼鏡を触りずれを直す。
「そのつもりでいてほしい」
「でも、やっと会える陰の神華ですよ?」
「随分待たされたのだ、今更会うのが遅れても気にならない。むしろ会わなくとも気にならないな」
「そんなこと言って……」
 守護家の中で一番家の中で上手くいっていないのは蓮だ。神華と会い無用の守護家と嗤った奴らを見返したいはずだ。
「そんな顔するな」
 麗華の頭をぽんと蓮が優しく叩く。そんな顔と言われて、初めて自分が迷子の子供の様な情けない顔をしている事に気がついた。
 陰の神華より自分を選んでくれるという言葉が嬉しい。でも、散々罵られた所を見た事があるのに、陰の神華じゃない唯の藤森家の血族と言うだけで、守って一緒に居て貰う理由があるのだろうかと思ってしまう。長年待ち望んだ人と唯の麗華を天秤にかけて欲しくない。
 嬉しいと思う気持ちと、そう思う事が罪にすら思える複雑な気持ちが胸の中で疼いている。



 そうこうしている間に時間になり岩本家に呼ばれて麗華も作戦の詳しい内容を、見取り図を見ながら聞いた。
 蔵には隠し通路がある。そこから蓮と麗華が入る。大輝は正面から岩本家の人間と共に派手に脅しをかけると言う。
 大輝に気をつけてねと声をかけてから、蓮と麗華は隠し通路に向かった。
 その昔蔵から金品を盗もうとした人間が作ったと言われている曰く付きの隠し通路は、地面を這いつくばらなければ通れない狭い通路だ。舗装されている訳ではなく、土がむき出しだ。元々封鎖されていたのだが、今回の作戦の為に使う事にした。土を操る事に長けた、土屋家の蓮だから通れる隠し通路とも言える。
 こんな通路と呼ぶ事も疑わしい、穴を通ると聞いた時は驚いた。だが知華の救出には蓮の力が必要なのだから、付いて行く事ぐらいしか出来ない麗華は文句を言わず従った。
 懐中電灯を口に咥える様にして、狭い通路を匍匐前進してゆく。

 体中土まみれになりながら、やっとの思いで通路を抜けて蔵の奥に出た。
 棚の裏に出たらしく、外では大輝達が暴れ始めた激しい音が聞こえてきた。知華がどのような形で居るか様子を見る。
 手を縛られて壺などが保管されている桐の箱が並ぶ棚の傍で俯いていた。絹の様に細く艶やかな長い髪に隠されて表情は読み取れない。奏が言っていた様に、心細さで涙を流しているようだ。女が居るという情報だが、それらしき人は見当たらない。大輝達に応戦しに言ったのだろうか。珍重に知華の周りに罠の術がないか確認する。
「麗華は少しここに居てくれ」
 声を潜めて蓮が言う。麗華は頷いて、蓮の行動を見守った。蓮は知華の傍に駆け寄り無事を確かめる。蓮が来た事に知華はほっとしたように顔を上げた。泣き続けていた所為で大きな瞳が赤くはれていた。それ以外は怪我なく血の匂いもしない。持ってきた小刀で縄を切る。
「大丈夫か?」
 知華は口を開くが声が出ないようで、無事だと伝える為に蓮の手を握り何度も頷いた。
 居るはずの誘拐犯が見当たらない。蓮が傍によっても大丈夫だと合図を送り麗華も知華の元に駆け寄った。
 長い髪に大きな瞳、小柄な可愛らしい子だ。少し震えている。可哀そうに、今まで閉じ込められて恐い思いをしたのだろう。
「怪我はない?」
 麗華の言葉に、知華は小さく頷く。
「女はどうした?」
 知華は解らないと首を振る。蔵の扉が爆音とともに蔵にあるモノを巻き込みながら吹き飛んだ。熱風を感じる事から大輝が放った術のようだが、もう少し手加減をしてくれないと、中に居る麗華達まで巻き込まれそうだ。実際蓮が咄嗟に防いでくれなかったら、麗華と知華に飛んできた花瓶がぶつかっていた。
 知華を誘拐した女は何処に消えたのか。大輝達が蔵の中に突入してくるが、肝心の女が見当たらない。
知華を保護した蓮たちはとにかく、蔵から出る事にした。何事もなく蔵から出て、岩本家の人に知華を引きす。奏が知華を強引に抱きつき、初めは嫌そうに逃げようとしていた知華も最後は奏に縋る様に泣いていた。
 無事でよかったと思いながら二人のやり取りを、安堵した気持で見る。
「なんだよ、誰もいなかったじゃねぇか。お前ら刃が立たないとか嘘、付いてんじゃねぇーよ!」
 無駄に術を放つ事になった大輝は岩本家に文句を言う。
「変だな。いたんだよ。本当に。札を巧みに使う術師で……。まだ中に潜んでいるかも知れないから警戒は怠るな」

「同感です」
 透き通る落ち着いた女の声が聞こえて、麗華たちは声のする方を振り返った。二十代後半の美しい女が、淡い水色のワンピースを着て微笑していた。黒い髪は肩で切りそろえられ、少しつり上がった瞳は見下す様に麗華達を見ていた。
 誰? と思うより早く、女は言葉を紡ぐ。
「皆々様、その場で口を閉じ動きませぬよう」
 ただ、言葉を言っただけなのに、何故か体が痺れる様な感覚に為り、口も体も動かせない。女が言った言葉道理になったようで気味の悪い恐さを覚える。蓮の方を見たくても、瞳すら女を見たまま動けない。
 蓮や大輝他の術者達も、女の言葉道理に口を開く事も体を動かす事も出来ない。言った事実現させる、強い言霊の力だ。
 立てこもりの膠着状態を抜け出す為、女はわざと知華を一度解放させたのだ。
 微笑する女は、知華に近付き抱き合っている奏を引き離そうとする。
「さぁ、その手を放しなさい」
言霊の力が通じないのか、奏の必死の抵抗が効いたのか知華に抱きついたまま放さない。女は何度か同じ言葉を繰り返すが、奏も知華も動かない。
 諦めたように息を吐くと、麗華の方を女が見た。
「貴女、レイカっと呼ばれておりましたね」
 一人で立っている麗華に狙いを定めたようだ。麗華の前に行くと手を取り女は隠していた小刀を出して指先を少し切った。身動きが出来ないまま麗華は指先に痛みを感じた。にじみ出た血を少し舐めて、女は笑う。
「貴女の方が上質の味が致します」
「離れろ!」
 女の術を内から解いた蓮が、麗華から離れさせる為に術を放つ。女は麗華を盾にして後ろに隠れた。術は麗華に当たる前に蓮によってかき消された。
「わたくしの術を破るとは流石は守護家、感服致します。ですが、今わたくしとても素晴らしいモノを頂きました」
 麗華の血を一口飲む事で、体に流れる呪力が増している事を感じ取った女が余裕の笑みを見せる。
 女は白い手を麗華の腰に回し、後ろから抱きかかえた。
「我が有言なる言霊よ。以下の事を実行しなさい。わたくしの声が届く全ての人よ、わたくしとこの子の存在を一時間視界に入れず思い起こさず、存在全てを記憶から消しなさい」

 女が言霊を発すると、蓮、大輝、その場にいた全ての術者立ちの、頭の中に何か電気の様なモノが走った。今さっきまで何をしていたのか頭の中で起きた衝撃で混乱する。
 ただ、知華を救出する為に岩本家に来たという記憶だけが残っていた。
 目の前に居る麗華が視界に入らない。その存在を本当に忘れてしまった様に、自分達が何故臨戦態勢を取っているのか不思議な面持ちで辺りを見渡していた。
 麗華自身、自分が何者で何故ここに居るのか分からない不思議な感覚に陥る。
「さぁ、わたくしに従い歩きなさい」
 女に手を引かれ思考回路が起動しないまま歩く。誰に止められる事なく、岩本家を抜けた所で腕に違和感を覚えて見た。糸が腕に巻き付いている。蓮と離れない様にと初めに付けられた糸だ。
 麗華は初めその糸が何なのか分からず不思議そうに見ていたが、ピンと張る糸の感覚で徐々に頭がはっきりしてきた。自分がまた誘拐されそうになっている。これじゃいけない。なんとかしなければ。そう焦り抵抗しようと試みるが体と頭が別者の様に動いてしまう。頭がはっきりしていても、麗華の血を飲み呪力を強めた女の言霊の力は強く自分ではどうする事も出来なかった。



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2011.6.11

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