一章 五十三話



 藤森家の母屋にある菊の間に不穏な空気を漂わせた男女が籠っていた。三十畳ほどの間には、結界を作る装置が中央に置かれ術印が床に施されていた。
 他に部屋に置いてあるモノは何もない。高い位置にある窓は真夏だと言うのに閉じられている。空調が管理された部屋の為暑さは感じないが、気分を憂鬱にさせる蝋燭とお香の匂いで部屋が満ちていた。
「ねぇ、いい加減ここから。ここから出してくれない?」
 十六歳ほど少女。肩ほどで切りそろえられた黒髪に、少しつり上がった大きな瞳には閉じ込められて一日半以上経ち不満が映し出されている。
「私、これからやらなきゃいけない事いっぱいあるのよ? 貴方の戯れに付き合ってはいられないわ。それにお腹すいたし」
 不服を訴える少女は、閉じ込められて一日半飲まず食わずを強いられていた。それは、ここへ少女を閉じ籠めた彰華も同じだ。
「初めの勢いはどうした。体を清める為の断食は一週間すると決まっていると言っただろう」
「本気で言ってるの!? 一週間も飲まず食わずなんて普通死んじゃうでしょ!」
「死なないさ。俺達の体は普通とは違うからな」
 彰華は少し長めの前髪をかき上げて、薄い唇を片方釣りあげて笑う。
「なんだ。体が辛いのか?」
「……そんな事ないわよ!」
「そうだよな」
 彰華は嘲笑うように微笑んで近寄り、少女の胸元を強調した服を少し乱暴に脱がせた。露わになった胸の間にある華に触れる。
「こんな立派な華があるのに、体が辛いはずないよな?」
 少女は彰華の愛撫するような手を払いのけ睨みつけた。
「気安く触らないで!」
「何故?」
「何故って聞く方がどうかしている。これは、私にとって大事なモノなんだから!」
 必死に為って胸元にある華を押さえる少女を、彰華は冷ややかな瞳で見ていた。
「まぁいい。それで、やらなきゃいけない事の方は言う気になったか?」
「何よ、さっきから偉そうに! 本当に嫌なやつね。折角来て上げた片割れに対して」
「片割れか。ならば、何故普通に出向かなかった」
 少女が大勢の人を引き連れ、奇襲をかけるように華守市に来た事が気に入らない彰華は射抜くような鋭く冷たい視線を送る。
 少女は言葉を詰まらせてそして、少女の胸の中にある憎いものをぶつける様に言葉を吐いた。
「わ。私、藤森家なんて大嫌いなのよ! おじい様だって、お母様だって、皆藤森家の人に殺されたんだから!」
「それは嘘だろ」
 彰華が即答した事に、憤慨して少女は手を振り上げた。彰華を叩いてやろうと振り上げられた手は、彼にあっさり受け止められた。
「いいか。藤森家の人間はまず、藤森家の人を殺さない。血が薄れてきた今、なぜ大事な子孫を殺す。たとえ分家だろうと、私生児だろうと、大事なモノとして扱われる。君がどんな場所で育ったか大体想像は出来るが、思い違いで行動するのも大概にしろ」
「あ、貴方が知らないだけでしょ! あいつら、何度も私を殺そうとしたんだから!」
「その時点で間違っている。藤森家の人間は華守市から出られない」
「じゃ、じゃあ。守護家よ! 守護家が私を殺そうとしたのよ! 命令したのは藤森家なんだから!」
「何のために?」
「そんなの、私に華がある事の気に入らない人の仕業に決まってるじゃない!」
 彰華はあきれ果てた様に息を吐いて少女の手を放す。
「哀れだな」
 少女は見捨てられた子供の様な途方に暮れた不安そうな顔をする。自分の片割れと信じていた彰華は自分を受け入れない。それどころか否定して、気に障る事ばかり言う。皆に言われ使命と共に嫌々来た華守市。それでも片割れに会える事を楽しみにしていた。自分と同じ重みを負った彰華になら、全てを打ち明けられると思っていた。
でも、それは違った。この少年は所詮藤森家の人間。保守的で昔ながらの考え方が息づいているこの場所に、自分の様なよそで育った者を受け入れる者などいるはずがなかった。
「哀れんでもらわなくても結構よ。……藤森家も貴方も大嫌いよ。だから、私が、終わりにしてあげる」
 少女はある使命と決意を胸に微笑する。
「それはどうやるんだ?」
「ここから出してくれたら教えてあげるわ。嫌ってほどね」
「五日後か。それまで生きているといいな」
「そんな心配無用よ。私忙しいんだから、もうすぐ私の迎えもくるでしょう」
 この部屋の外では少女を解放するようにと働いている仲間がいる。同じ目的と使命を持った仲間達。守護家など敵はない。


 少女の自信あふれる言葉を彰華は軽く笑う。何を言ってもこの少女には無駄だと思う。なら好きに妄想をさせて上げよう。少女が飢えに苦しみ発狂する姿を見るのも一興だ。
 こんな面倒な事をしなければいけないのは、全て少女の華の所為だ。あの胸にある華と藤森の血が少女にあるから、愚かなもの達が勘違いをした。それを証明するだけの力がない。彰華の発言力を以て否定しても、少女が見せた力が愚かなもの達をひれ伏した。
 ならば、簡単にその違いを見せてやろうと思った。少女が別の場所に行こうとするのを有無言わせずこの部屋に押し込み、他の誰ひとり中に入れず閉じ込めた。後一日もすれば少女が根を上げるだろう。
 藤森家の周囲で起きている事柄も、術者を華守市から出られなくする結界を張った以上なにも出来ないはずだ。この少女の事以外は守護家の者たちが全て終わらせるだろう。

 ふと、結界に違和感を覚え彰華は結界を作る装置に近寄る。華守市に張った結界を誰かが通過した。この結界に穴を作り抜ける事が出来る者は守護家ぐらいだろう。そして、守護家の他にもう一人来てほしくない人物がいる気配に動揺する。
 なぜ。
 なぜ、戻ってきたりするのだ。守護家の誰も麗華に連絡が取れない様に張った結界でもあった。こんなくだらない事は麗華に知られずに済ませてしまいたかった。
 麗華には自分が出来ない分、外の世界でのびのび生きてほしかった。藤森家にこれ以上関われば、今まで隠してきた事を知られるだろう。何も知らずに笑う麗華が好きだった。全てを知った時、またのん気に笑ってくれるだろうか。
 無理だ。知れば引き返せない。麗華は全て受け入れて、そして心に出来た小さな穴を隠して笑う様になる。自分と同じ様に為ってほしくなかった。だから、麗夜の申し出を受け入れたのに。今までの事が無駄に為る。
 今すぐ麗華が引き返す様に仕向けるべきだ。愚かな少女に付き合ってこの部屋に閉じこもっている場合ではない。だが、この少女が下手に動けば厄介だ。この部屋に少女だけを閉じ込める事は難しい。頭が痛い事に少女が持つ力は強いのだ。
 麗華の気配を感じながら彰華は頭を悩ませる。そして気がつく。麗華の気配がこんなに離れているのに読み取れる事。それが意味する事に気が付いて、彰華は長めの前髪をかき上げて苦笑する。何もかも手遅れと言う事だ。
 微かに安堵する気持ちを内に秘めて、彰華は無駄な抵抗を止めた。少女と麗華の対面は避けたかったが、本物との違いを見せつけるのも面白いだろう。





 捕まえた田矢と妖獣を学園の倉庫に他の捕まえた者たちと一緒に閉じ込めて、蓮と大輝は彰華が張った結界を破壊しない様に穴をあける事を試みる。
 十分程二人で術を唱えると、僅かに人一人通れる穴が開いた。先に大輝が中に入り様子を伺う。安全だと解ると麗華と蓮が後に続いてなかに入った。三人が入り終わると結界の穴はゆっくりと閉じて元の結界の役割に戻る。
 たった一歩の結界を越えただけで辺りの雰囲気が違う。木が燃えた後の様な焦げくささが辺りを漂っていた。

「相当やられているな」
 大輝が舌打ちし、守護家の状況をある程度読み取ったように苦い顔をする。
「まず、俺達が来た事を彰華達に教えるべきだろう」
 蓮が懐から札を数枚出して式神を作り飛ばした。麗華達が来た事を知ればなにかしら、反応があるだろう。麗華達はまず、優斗の荒木家にかけ足で向かう。
 これ以上事態が悪くなる事はなんとしても防がなければと言う思いがある。
 荒木家に向かう途中で、高速で走ってきたワゴン車が麗華達の前で急停車した。麗華を庇うように立つ蓮と大輝は何処の車かすぐに分かったようだ。
 焦った様に開いた車の扉から、黒い背広を着た髪を金髪と銀髪に染めた男が飛び出て来た。年は二十代後半で少し垂れた瞳に焦った様子が浮き出ていた。
「蓮、大輝! 来てくれたか! 助かった! 事は急を要する、車に乗ってくれ!」
「奏(そう)、何処に連れて行く気だ。こっちにも目的がある」
「そんなの後廻しだ! こっちの方が重要なんだよ! 知華さまが攫われたんだ。早くしないと手遅れになる!」
 奏と呼ばれた金髪と銀髪の派手な頭をした男は、岩本家長男、岩本奏(いわもと そう)。彰華の妹、知華の護衛としていつも傍にいる者だ。
「知華が? なにやってんだよ! 四六時中傍にいるくせに攫われたとか、ふざけんなよ!」 
 大輝の顔が強張り怒鳴る。知華と同い年の大輝は小さいとき良く一緒に遊んでいた。
「こっちだって、不測の事態でテンパったんだよ! 相手は強くてとても俺達の力じゃ敵わない。だから蓮、大輝来てくれ!」
「麗華、どうする?」
 蓮が麗華に確認する。奏は初めて麗華に気がついた様に驚いた顔をした。
 まだ会った事のない、従妹の知華が誘拐されたと聞いて麗華も焦る。勾玉廻りをしなければいけないが、戦力になる蓮と大輝は知華の救出に回った方がいいのではないか。
「先に言っておくが、俺は麗華が勾玉廻り続けるって言うならそっち行くからな。知華の事は岩本家の責任だろ、そっちで何とかしろよ」
「こっちで、何とも出来ないから助けを求めてんだよ! 知華さまがどうなっても良いって言うのか!」
「そんなこと言ってないだろ! でもこっちには麗華を守る必要があるんだよ」
「私を荒木家まで送ってくれますか? その後なら、大輝君も蓮さんも安心して知華ちゃんを助けにいけるんじゃないかな?」
 麗華の提案を、蓮と大輝は即座に却下する。
「それの何処が安心できるんだよ。優斗とふたりとかまずあり得ないだろ」
「俺は麗華に付いて行く。この糸があるしな」
「こんなところで言い合っている暇はない! 知華さまが殺されたらどうする気なんだ! ごたごた言わずに三人とも車に乗れ!」
 奏の鬼気迫る怒鳴り声に驚く麗華の手を、奏が引っ張り車に乱暴に乗せた。麗華の扱いに文句を言おうとした、蓮と大輝もまとめて、手を引き乱暴に車の中に詰め込んだ。
 そして車の扉が閉まる前から車が急発進した。
「ふざけんなよ、奏!」
「人の都合は無視とはいい度胸だな」
「恨みごとは後でいくらでも聞く! でもこっちは本当にヤバいんだ。荒木家なんてほっといてもなんとでもなるだろ!」
「みなさん申し訳ありません。奏兄さん知華さまの事になると頭に血が上って普段と別人になってしまうんです」
 運転席から、青年の声がする。バックミラー越しに目があう。落ち着いた言葉使いの青年の名前は、岩本怜(いわもと りょう)岩本家の四人兄弟の三男だ。
「どういう状況なんですか?」
 勾玉廻りもしなければいけないが、従妹の知華がそんなに危ない状況なら蓮達の力を使うべきだ。
「藤森家に奇襲をかけてきた奴らがいた。一日前になる。藤森家だけじゃなく、各守護家も襲われた。狙いは藤森家の血や守護家にある貴重な術具だ。華守市にあるはずの結界は緩んでいたらしく、妖獣や妖は防げたが術者達は抜けられた。
 知華さまは岩本家で預かっていたんだか、そこにも奇襲をかけられた。夕暮れ時で侵入者の警報もならなくて油断してた。少し目を放した隙に知華さまの叫び声が聞こえて、気がつけば知華さまがいなくなっていた。
 式神に後を追わせたが、向こうの術者が何かしたらしく式神との連絡が取れなくなった。藤森家にその事を伝えると、すぐに彰華さまが華守市全体を覆う結界を張り、術者は誰一人出入り出来なくした。その間に、知華を取り戻すようにって。
 岩本家の力を総動員して知華さまを攫ったやつを見つけ出したんだか、強くて、とても歯が立たない。他の守護家に応援を頼んだんだか、他も大変な様子で来る応援もその術者にやられる始末だ。場所は解っている。でも、救いだせない」
 奏が行き場のない憤りを押さえる様に自分の手を強く握る。爪がささり滲みでる血。知華を思い本当に心配しているようだ。麗華も知華の事を考える。立てこもっている様子だが、どうか無事でいてほしい。
「蔵から知華さまの泣き声だけが聞こえてくるんだ。許されるか、そんな事? 知華さまを泣かして驚かしていじめていいのはこの俺だけなのに!」
「……え」
「あの長い髪を揺らして、『奏、いい加減にして!』と泣き叫ぶあの顔は俺だけのものなのに!」
 奏を見ていた麗華は無意識に少し奏と距離を置く様に腰を動かす。この人、変な人かもしれない。
「奏兄さん。それ以上言うと、奏兄さんが知華さまの事を助けたいと思っている事が疑わしく思えますよ」
「とにかく、俺は知華さまを早く助けたいんだ!」
 大輝が白い目で奏を見る。
「お前、まだ、知華を泣かして遊んでんのかよ。悪趣味もいい加減にしろよ」
「うるさい!」
「それに、本来このような事態ならば、すぐに守護家が来るはずなのですが、藤森家を襲った主犯が思いもよらない方だったのです」
「それって?」
「陰の守護家の蓮や大輝には朗報でしょう。陰の神華が現れました」
 怜の言葉に麗華は反応が遅れる。
「…………え?」
 頭の中が真っ白に為る。何でと言う思いと、違って良かったと言う思い両方が頭を巡り、隣にいる大輝と蓮の顔を見た。二人とも信じられないという驚愕した表情をして、右手にある守護家にある葉の印を見ていた。



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2011.6.8

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