一章 五十二話



 眼鏡越しに見える鋭いまなざしで見つめられ、麗華は混乱する。妖獣に連れ去られて数分も経たないうちに急に、妖獣が攻撃され牙から離され体が宙に舞った。そして気が付くと、蓮の腕の中に居た。蓮の腕に抱かれている事が信じられなくて、蓮の頬を軽く触れる。すこし火照った体をしている、本物の蓮だ。
 蓮を呼ぼうとしていたけれど、こんなに早く駆け付けてくるとは思わなかった。蓮の瞳を見つめていると、連れ去られた時の不安と恐怖していた気持ちがゆっくりと抜けて行く。
 麗華の無事を確認した蓮は麗華を連れ去った青年、田矢に視線向けた。妖獣が攻撃を受けた衝撃で田矢も地面に落ちていた。体をゆっくり起こして、蓮を睨みつける。妖獣の脇腹から赤い血が流れている。
「良くもやってくれたな! その眼鏡! お前、土屋家の蓮だな!」
 術家の交流とはどうなっているのだろう。麗華は不思議に思う。大輝も田矢もすぐに何処の家の者か判断していた。でも、眼鏡で判断しなくてもと少し蓮を気の毒に思う。蓮は気にしていない様子で、眼鏡のずれを直す。
 日本中に散らばる術家は古くから横に繋がりがある。年に一回術家の会合も開かれている。各家の特徴、当主、特別な力を持つ者、役職にある者達を覚える事は術家にとって基本だ。それらを覚えていないと、無礼となる、さらに何か事件が起きた時に対策が取り辛い。
 田矢は脇に差していた刀を取り出して構え、妖獣も傷を負いながらも立ち上がり田矢に加勢しようと牙をむき出しにして唸り声を上げた。
「麗華、下がっていろ」
「は、はい」
 麗華は戦闘態勢に入っている二人の邪魔をしない様に、蓮の言葉を素直に聞いて後ろに下がる。蓮と田矢が生み出す肌が痺れる様な殺気立った空気に少し怯える。華守市に来てから暴力的な事柄によく出くわす様になったが、やはりこの空気には慣れない。
 でも、華守市で『蜜狩り』と呼ばれる行為が行われている最中に、自分から飛び込んだのだから目を背けたり逃げたりは出来ない。
 蓮と田矢戦いが始まった。先に動いたのは田矢で刀を構えて走って来た。蓮は術を放って応戦する。蓮は田矢の攻撃と妖獣の攻撃を素早く避けて応戦した。麗華は両手を握り合わせて、祈る様にして二人の決着が付くのを見守った。
「クソ、守護家は伊達じゃないな」
 何重にも重ねるように術を巧みに使う蓮の方が優勢だ。
「観念する事だな」
 鋭い視線で田矢を見つめ、眼鏡のずれを直す。そして、蓮が決定打となる術を使い田矢を縄の様な糸を術で、田矢と妖獣を拘束した。

 蓮が兄二人と術で戦っているのを見た事があるが、蓮は本当に強い。田矢と妖獣をあっという間に拘束してしまった。尊敬の眼差しで蓮を見ていると、田矢と何か話していた蓮は少し離れた場所で見守っていた麗華の近くに寄って来た。
 麗華の視線を打ち消すような、鋭く怒りの籠った瞳だ。叱られる事を分かった子供の様に、麗華は体と少し振るわせる。
 蓮はきっと、危険地帯に自分から来た麗華を怒っている。すらりと背の高い蓮に上から鋭い瞳で帰れと言われたら従いたくなるような迫力がある。
 何か言われる前に逃げたい気持ちになるが、麗華には熱い使命がある。そう。優斗を殴ると言う。大事な事だ。それを思い出すと、蓮も共犯だった事を思い出し、何で怯える必要があるのだと、気持ちを奮い立たせ蓮を見つめ返した。
「………………」
 蓮は何も言わず麗華の前に立つ。
「………………」
 蓮に何か言われると思っていた麗華は、何も言わない蓮を不思議に思いながら見つめる。互いに無言のまま見つめ合い、先に口を開いたのは蓮だった。
「…………怪我はないか」
 妖獣に体当たりされた時の痛みが少しある。恐らく青痣が出来ただろうが、動けない程ではない。
「大丈夫です」
「そうか。大輝はどうした」
「一緒に来たんですけど、多分向こうの方に……」
 大輝と今までいた場所を指差す。蓮は軽くその先に視線送る。眉間に皺が増えた事から蓮が何を思っているのかなんとなく読み取れた麗華は、気持ちを逸らそうと話を振る事にする。
「あの人、何か言ってました?」
 麗華は拘束されている田矢と蓮が交わしていた言葉が気になった。彼の目的が藤森家の血である事は分かるが、他に結界の中で起きている事は聞き出せたのだろうか。
「有効な情報はない」
「蓮さんは中で何が起きているかって分かりますか?」
「何故、来た」
「……」
 蓮に言われると思っていた台詞。こんな風に簡単に捕まる癖に、蜜狩りが起きている場所に安易に来た事を見下したような目で見られて、少し言葉を詰まらせる。
「それは、私にしか出来ない事があると思ったからです」
 優斗を殴る。もちろんそれだけではない。結界が緩んだ原因が、麗華が勾玉廻りを放棄したことなら、正常化させる手助けをするのは麗華がやらねばならない事だ。
「今ここがどういう状態になっているか知っているのか」
「はい。……いえ、中で何が起きてどういう状態なのかと言う意味では、知らないですけど、蜜狩りって言うのが起きていると聞きました」
「お前も狙われている事になるのに来たと言うのか」
「はい」
「お前を襲わせた俺達がいる場所を守りに来たのか」
 表情一つ変えずに言う蓮を麗華はやはり蓮も加担していたのだと改めて思いながら見つめる。分かっていた事でも、本人から言われると違う。でも、責める気持ちも、罵る気持ちも湧いてこない。ただ少し胸が痛み寂しい気持ちになる。
「……守りに? いえ、そんなつもりはないです」
 力のない麗華が、藤森家や守護家を守れるとは思えない。勾玉廻りをやり遂げる事が守る事に入るなら、そうだろうが、守ろうという気持ちで来た訳じゃない。そんな大層な気持ちで来たのではなく、自分の所為で結界が緩み襲われた事が嫌だった。優斗に役立たず呼ばわりされた事が許せなかった。危険だと分かっていても、自分勝手な思いで大輝を巻き込んで戻ってきたのだ。だから、守る使命感とかで来たのかと思われるのと、後ろめたい気持ちになる。
「でも、自分が出来る事はやるつもりです。勾玉廻りを完成させます。なので、蓮さん。この結界の中に入るのを手伝ってくださいね」
 軽く微笑んで言うと、蓮の眉間の皺が更に増える。
「危険だと分かっているのに中に入るつもりでいるのか」
「もちろんです。じゃないと荒木家に行けないじゃないですか。勾玉廻りを終わらせるには結界に中に入る必要があるんです」
「お前が勾玉廻りを完成させなくても、勾玉を取り出す事は各家の当主が出来る。勾玉が藤森家に揃えば彰華が結界を強める事が出来る筈だ」
「それ、いつ起きるんですか。私が把握している一日半以上経っているのに、未だに結界が張り直された気配はないですよね。いま、彰華君がどういう状況でこの結界を張っているか、蓮さんは把握していますか?」

「……いや。中で何が起きているかは解っていない」
 結界の外で襲って来た賊の残党を尋問したとしても、藤森家内で起きている事は結界に拒まれて知ることが出来ない。一日半以上経っているのに未だに結界が張り直されていないのは更に悪い事態が中で起きている事を物語る。
 麗華が中に入り勾玉廻りを完成させれば、一番良いと蓮も分かる。でも彰華でさえ、対処しきれていない最悪の事態が起きる場所に麗華を連れて行く事が出来る筈がない。
 これ以上、神華じゃない麗華を藤森家の事情に巻き込んで辛い思いをさせてはいけない。

「中には入れさせられない。死にたくなければ、ここから立ち去る事だ」
「死にませんよ。誘拐されて血を採られたりするかもしれないですけど、殺される事はないと思います。だって、藤森家の血族ですから」
「のん気な事を言うな! 先ほど誘拐されそうになっていただろ。俺がいなかったらどうなっていたと思っている!」
「あの人が言うには、私の血を何かに捧げるつもりだって言っていました」
 連れ去られている時にどうするつもりか聞いたら、田矢がそう言っていた。それがどういう意味なのか麗華は理解していない。血を捧げると言うのは生贄に使う意味だ。その目的を知れば尚更、麗華をここから遠ざける必要がある。
「自分の地元に帰れ!」
「ここまで来たのに帰れる訳ないじゃないですか!」
「一人で帰れないと言うなら、俺が無理にでもここから遠ざけよう」
 蓮が少し身構えるのを見て麗華は蓮から少し距離をとる。
「女の子に暴力ですか」
「お前を拘束するのに暴力など必要ない」
「術だって十分暴力ですよ」
「……それで安全が確保されるなら」
「うわ、さいてー」
「………………」
 蓮の眉間に更に皺が寄る。ほんの少し麗華の言葉で傷ついた様に見えた。気持ちを引き締める様に軽く俯いて眼鏡のずれを直す。
「蓮さん。蓮さんに私の行動を制限される権限はないはずです。術に対抗する力を持っていない私が心配ですか? 私も、中で何が起きているのか詳しく分からないのに入るのは無謀だって解っているんです。さっきも大輝君の言葉に従わないで、ちょっと離れたすきに捕まっちゃいました。足手まといまっしぐらって感じですよね。反省しています。
 でも私は中に入ります。そう決めたんです」
「中で更に恐ろしい目に遭うかもしれない。お前が傷つく所をもう見たくない」
 蓮の真剣な瞳を受け流す様に麗華は苦笑する。散々恐い目に遭わせた本人が何を言う。先ほど助けてくれた事は感謝している。でも、傷つくのが見たくないと言う理由で止められても、嬉しくはない。
「何を今更。そんな気遣い要りません」
 むしろ、危険な目に遭った方が神華かどうか確かめられて良いんじゃないの?

 そんな嫌味な言葉が口から出そうになるのを、蓮が視線を逸らして悔いる様な顔をしたので何とか飲みこむ。
 蓮は麗華にした事で、藤森家を出入り禁止になっている。土屋家からも追い出され、家を失っている。麗華にした事を十分罰を受け、悔いているはずだ。そんな蓮に嫌味や喧嘩を売りたい訳じゃない。蓮に結界の中に入れるように手助けをして貰いたいのだ。
 どうしたら、蓮が帰れと言わずに中に入る手助けをしてくれるだろう。

「蓮さん、私を助けてくれませんか?」
「…………」
「蓮さんの力が私には必要なんです。私、馬鹿だから、さっきみたいにまた捕まってしまうかもしれない。大輝君も来てくれるけど、私みたいにちょこまかしちゃう人には、蓮さんが必要なんです。彰華君が何とかしてくれると言うけれど、彰華君に私の不始末を頼むのは心苦しいんです。自分の所為で人が傷ついたのに、何もしないのは目覚めが悪いんです。だから、私に出来る一つだけの事。勾玉廻りをしたいんです。お願いです。結界を抜けて一緒に来てください」
「…………………」
 長い沈黙が続く。蓮が思いを改めてくれる事を麗華は祈る気持ちで見つめる。蓮がふと視線を横に向けると紙が何処からか飛んできて蓮の前で止まる。
 その紙に見覚えがあった。大輝が蓮を呼ぶ為に放った式神だ。

『バーカ。あーほ。てめぇの力なんか必要ねぇーよ。二度と麗華に近づくなよ。無用の根暗眼鏡!』
 そう言うと式神が役目を果たして唯の紙になって地面に落ちた。

 た、大輝君。蓮さんに助けを求めるって言ったのに、これって唯の悪口で逆効果じゃ……。

 案の定、蓮は顔を怒りで引きつらせて、ただの紙になった元式神を足で踏みつける。
「……無用だと。麗華一人説得も守れもしないガキが! 大輝! いい加減隠れて居ないで、出てきたらどうだ」
 蓮が電柱を睨みつけると、気まずそうに視線を泳がせる大輝が姿を現した。怪我はしていないようで麗華はほっとする。
 蓮が軽く手を横に滑らせると大輝の足元の地面が波打つように揺れて大輝を捕まえようとした。素早く大輝が飛び退けるが、着地地点にも同じ術がかけられていて、あっという間に大輝を拘束した。
「クソ放せよ!」
 蓮は麗華の腕を掴み、麗華を連れながら大輝の傍に寄る。
「一人で守れない癖に、そんな言葉が吐けるな」
「あれは、偶々麗華が離れるから! それに、蓮が居なくてもすぐに追いついて助けられた!」
「お前一人じゃ論外だ。麗華、この中で何が起きているか分からない。危険な目に遭うかもしれない。それでも勾玉廻りをしたいのだな」
 蓮が眼鏡を軽く触れて最終確認する。
「はい。それでも行きます」
「分かった。ただし、条件がある。手を前に出せ」
 蓮が了解してくれた事が嬉しい。素直に手を蓮の前に差し出すと、蓮は指から糸の様に細いモノを出し麗華の腕に巻いた。そしてその先を自分の聞き手じゃない方の腕にも巻いた。
「これは?」
 手に繋がれた糸を不思議な思いで見つめる。軽く結ばれているので痛くない、少し動かしても伸び縮みして邪魔には為らない。
「俺と麗華を結ぶ糸だ。ちょこまかすると自分で公言していただろ。中で離れられない様に、これを付けてもらう」
「あ、なるほど」
 麗華は糸に触れながら、術でこんな事も出来るのだと思う。
「……この糸見えるのか?」
 蓮は麗華が今まで見えていなかった術が見えている事に気がついた。麗華は軽く笑う。
「初歩的なモノなら見えるようになったんですよ。まだまだ見えないモノも多いですけど、父が私にかけたって言う術を解こうと思って」
「父がかけた術?」
 麗華は簡単に実家に帰ってあった事を蓮に話した。ただ、ある可能性については言わなかった。まだ、その事を話す覚悟が出来ていない。
 話し終えると蓮は、何か考えている様子だった。

「術を解くのは恐くないのか」
「……少し恐いですけど、自分だけ蚊帳の外には居たくなくて」
「そうか」
「はい。……蓮さん。さっきは助けてくれて有難う御座いました。これから、また迷惑をかける事になると思いますが、よろしくお願いします」
 麗華は軽く頭を下げる。蓮は困ったように苦笑して眼鏡のずれを直す。

 あんな事をした自分にどうして麗華は簡単に頭を下げ、お願いが出来るのだろう。憎まれ、罵られる事を覚悟していた。自分達がした事を許している様子がないのは先ほどの言葉からも分かる。本当に蓮の力を必要としている。術者として必要とされている。それでも、無視をせずに向き合ってくれる事が嬉しいと思う。麗華の無謀な願いを聞いてあげたくなる。そして、もう二度と、誰かに傷つけられることのない様に守りたい。
 麗華の乱れた髪を直す様に軽く撫でる。ほんの少し切なさが籠った瞳で見つめられて、麗華の心臓が驚いてとび跳ねる。
「……今まですまなかった。許して欲しいとは言わない。その代わり、麗華に危害が及ばない様に最善を尽くしたい。麗華の傍で守る事を許可してくれるだろうか」
 優しく低い声で語りかけるように囁かれて、顔に血が上る。脈打つ心臓を、落ち着かせようとして失敗する。未だに麗華の髪の乱れを直す様に動いている手が、脈打つ真相を悪化させている気がした。
「あ、あ、あの。すでに、糸付いていますし、守って貰わないと困ります」
「……言う順番が逆だったな」
 苦笑いする。
「そ、そうですよ。だから、無茶しないようにしますから、……お願いしますね」
「あぁ。まかせてくれ」
 

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2011.6.2

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