一章 五十五話



 燦々と太陽の降り注ぎ息苦しささえ感じる外を麗華は、水色のワンピースを着た女に手を引かれながら歩く。なんとか、体を動かせないかやって見るが、女のかけた言霊の力は強く、どうする事も出来ない。このまま何処へ連れ去られるのだろうか。それは何としても阻止したい。
 女が麗華の手を引きながら住宅街の裏側に入っていく。麗華の記憶では、その先に行くよりは反対の道に行く方が市内を出られるはずだ。仲間がいて車で逃げようとしているのだろうか。
 いや、その前に彰華が張った結界がある以上、結界の外に出る事が出来ないはずだ。どうするつもりなのだろうと思っていると、女は人目が少ない路地の影に麗華を座らせた。
 予め隠していたらしき鞄を影から出して、幾つか道具を取り出す。針とチューブそれに魔法陣の書かれた手のひら程の壺を幾つか取り出す。腕の柔らかい皮膚に指を当てて血管を探す様にしてから消毒液を塗る。
「少し痛みを感じるでしょう」
 そう言うと、麗華の腕に針を刺す。血管にささった針の先に取り付けられているチューブを徐々に赤く染めて、壺の中に麗華の血が入っていく。
 血が抜かれる感覚に若干眩暈を感じた。
「……気持ち悪い」
 ぼそりと、独り言を呟く。声が出ている事に驚いて、体を動かそうとするがやはり動かせなかった。でも声が出る。女の目的をはっきりさせたい。
「何故、こんな事をするんですか?」
 声が出た事を若干不思議そうに見ていた女は、麗華の血が壺に入っているのを確認して馬鹿な事を聞くと言いたげに麗華を見た。
「愚問としか言いようがありません。蜜が必要だからでしょう」
「だからって藤森家や守護家を奇襲するなんて」
「なんとしてでも、蜜が必要でした。藤森家や守護家を混乱させてしまった事は申し訳なく思います」
 ふと、疑問に思う。陰の神華と共に藤森家に奇襲をかけたなら、なぜ、蜜を陰の神華から蜜を貰わなかったのだろう。より多くの蜜を奪いに来るのが「蜜狩り」だからと言われればそれで終わりだが、危険を冒してまで何故暴挙に出たのかその理由が気になる。
「蜜を陰の神華から貰わなかったんですか?」
「陰の神華から貰えるはずが御座いません」
「なんでです?」
「わたくし、容易く語る事は致しません」
 女は深く語る事を拒否する。簡単に語る方が可笑しいと思うが、藤森家や守護家を襲い、知華まで攫いその上麗華の血を取っているのに、その理由を何も言わない女は卑怯だ。初めの壺に血が溜まり、次の壺に移し替えている女を睨む。
「私を解放してください」
「残りの封壺が一杯になれば解放いたします。蜜さえ手には得ればよい事。人一人移送させるのは重労働でしょう」
 女は元々知華をここに連れて来て血を抜く予定だった。その予定は岩本家によって止められて、立てこもる事を余儀なくされたが、今こうして麗華の血を取ることで目的を遂行していた。
 残りの壺は後四つもある。一体どれだけ、麗華の血を取る気なのだ。血が抜かれる度に体が重くなるような具合の悪さが増してゆく。
「確かに何も教えぬのは、虫が良いと言うモノ。貴女がわたくしを見逃すと言うのならば、貴女方に有効な情報をさしあげましょう」
「虫が良いってその条件の事じゃないんですか?」
 女は笑う。
「その通りですわ。ですが、わたくしと貴女ではどちらが優位にいるのか分からない訳ではないでしょう。今ここで他者を呼び、貴女を捕まえさせる事も出来ます。そうすれば、貴女は二度とこの土地に戻る事も出来なくなる。体一つ満足に動かせない状態では、抵抗も出来ないでしょう」
 女の言葉に麗華は眉をひそめる。この人は一体何を考えているのだろう。「蜜狩り」を指揮した人とは連携が取れていないのではないだろうか。誘拐が目的なのだと思っていた。それとも元々、血だけを目的として「蜜狩り」をしているのだろうか。
 結界の外で会った田矢と言う男は、麗華を何かに捧げると言っていたのに女の話は少し違う。
「わたくし無駄な事は好みません。貴女が条件に乗らないのならば、人を呼びましょう」
「その前に私を助けに人が来てくれるかもしれませんよ」
「その腕に付いている糸は確かに厄介でしょう」
 蓮が麗華に付けた術で出来た糸を切れば、蓮はすぐに気がつく。それに今頃もう糸を怪しみ、こっちに来ているかも知れない。女にはこの糸をどうする事も出来ない。
「……最低ですね。人を襲って、人を誘拐して、血を抜いて」
 次の壺に取り換えている女を麗華は軽蔑したような目をすると、女は微かに傷ついた顔をした。
「存じています。人として落ちる所まで落ちたと。わたくしにはたとえ何を捨ててでもお助けしたい方が居るのです」
 女の決意に満ちた声。他人がどうなろうとも、その人だけを助けたいと悲痛なまでの非情な思い。藤森家や守護家がどうなろうとも自分の目的が全てだった。
 自己中心的で、非道な行為だと分かっている。人を傷つけ、憎まれ恨まれる事をした。この呪縛は今後一生女に付きまとうだろう。たとえ助けようとしている人が望んでいない行為だとしても、女はやるしか方法はなかった。
 藤森家の蜜がどうしても必要だった。
 術者にとって最高級の回復薬。市場に出回る事が制限され、高額な値段で取引される物だ。女の出来るだけの繋がりを頼っても、出来るだけの金を集めても、その人を助けるだけの蜜が手に入らなかった。ここ数年、安定した受給率を保っていた蜜だが、質の高い物は減っていた。手に入った僅かな蜜だけでは、助けるだけの力はない。このままだと、彼は死んでしまう。それだけは何が何でも耐えられない。
 どうするべきかと悩んでいた時、女が蜜を集めている事を知ったモノが、この蜜狩りの計画を持ちかけてきた。悪魔の誘いだと分かっていた。華守市を、藤森家を襲う事は術者にとって禁忌中の禁忌。やった者は、術者の組織に追われ見つかれば家を取り壊されて、術者の裁判にかけられ処刑される事なるだろう。
 それでもいいと思った。元より、取り壊される家や村はもう破壊されて存在していない。失いたくないモノは彼だけだ。それに賛同してくれた仲間達と、共にここへやってきた。結界に弾かれた者と弾かれずに入れた者と二手に分かれ、知華を誘拐した。その途中で、はぐれてしまった仲間もいるが、無事であると連絡は取れている。
 血を抜かれて青ざめてきた麗華を見る。この娘に何の恨みもない。非常識でも非道でも目的が全てなのだ。


「その人は、その子の父親?」
 女は麗華の言葉に虚をつかれた様に驚いた顔をした。
「子供?」
「え? だって。抱きつかれた時お腹が動いたから」
 女は今気がついたように腹に手を当てる。ここ数カ月精神的にも肉体的にも不安定な時期が続いていた。だから自分が妊娠した事に気が付いていなかった。言われてみれば体調も悪くなるし、予兆もあった。
「……子供。そんな、まさか……」
 女は何か考える様にお腹を押さえながら、突如涙を流し始めた。ぼろりぼろりと涙を流す女を麗華は茫然と見る。
「あの……」
「子供なんて、要らない。こんな忘れ形見見たいに、子供なんて欲しくない。私の幸せ家族計画はこんなんじゃない!」
「幸せ家族計画?」
「そうよ。あの人が居なくなったら、どうするのよ! 子供だけ私に残して、酷いじゃない! 私より先に死なないって約束したのに、なんで、私を置いていこうとしてるの? なんで私なんかを庇って遣られてんのよ馬鹿。兄様に敵うわけないって分かってたのに、逃げてって言ったのに。変な意地をはるから、私の事は、忘れればよかったのに。なんで、こんなことになってるのよ!」
 女はためていたモノを吐きだすかのように泣きわめく。女の背景がどうなっているか良く分からないが、大事な人を兄に殺されかけて瀕死の状態のようだ。藤森の血は術者の回復薬。
 だから女は、藤森の血をここまで欲しているのか。
「あの、私の血で良ければ上げますから。それで、その人が助かるでしょ?」
 取り乱して泣き叫ぶ女を哀れに思う。大切な人が自分の所為で死にそうになっているなんて、普通は辛いはずだ。
 女は涙を手で拭って麗華を見る。
「……助からなければ困ります。貴女、変わっているわ。元より血を抜いてるわたくしに、血をあげると言うなんて」
「無理矢理取られるのと、自分からあげるのでは違いますから」
「……こんなところに長居は無用でしょう。三つ封壺も溜まりました。十分でしょう。わたくしは是で失礼いたします」
 麗華の手に付いていた針を取ると、絆創膏を張り麗華に血が止まるまで押さえる様に命じる。
「血を頂いたお礼に、わたくしの持っている情報を差し上げます。元々この蜜狩りは昂然家の者が考えたモノ。知っておりましょう。六十年前の蜜狩りを計画して取り壊しになった家です。その生き残りが藤森家を襲い、蜜を奪う事をわたくし達に提案してきました。提案に乗った者はわたくし達を含め八つの集団がありました。全てどの家の者かこの紙に記しておきます」
 女の気まぐれか、言う気はないと言っていた事を話し始めた。すらすらと、藤森家と守護家に奇襲をかけた者たちの名前を書いてゆく。奇妙な気分でその様子を見る。
「なんで、こんな裏切り行為を?」
「わたくし、あの者たちとは肌が合いません。彼らは捕まえた方が世界の為でしょう。わたくしの名前は書きません。書かなくとも、言霊を使った時点で何処の者か分かるでしょう。
陰の神華は、昂然家が誘拐した藤森家の子孫に生まれたと聞きました。彼らはわたくし達に守護家を襲わせ囮に使い藤森家に乗り込んだようです。彼らに何の目的があるのかわたくしには分かりません。陽動作戦をしなければ、藤森家に乗りこむ事が出来なかったのかも知れませんね。藤森家の結界はとても緻密で精確、悪意あるモノは何人なりとも通り抜けられぬもの、と有名ですから。わたくしは遠目でしか陰の神華を見ておりません。貴女と同じぐらいの少女でした。側近の様な男がいつも傍におりました。真夏だと言うのに、長袖を着た顔の綺麗な妙な気配を持った男です」
 女の話を頭の中で整理しながら考える。
 この憂鬱に為るほどの真夏に長袖を着る妙な男が気になった。何故なら、麗華の知り合いにも真夏を気にせず長袖を着ていた男が居たからだ。

「何か質問があれば伺いましょう」
 女は、手義は良く封壺や機材を鞄にしまいながら聞く。
「その男の特徴をもっと知りたいです。話を持ちかけてきたのもその男何ですか?」
「えぇ。話を持ちかけてきたのも、黒い長袖を着た男でした。……瞳の色が妙でした。藍紫色で、少し伸びた鬱陶しい髪型の男でした」

 すみれ、くん?
 麗華の家にいる、父が作ったと言う式神。菫は真夏だと言うのに長袖を着ていた。瞳も藍紫。いやでも、藤森家が奇襲にあった時、麗華と共にいた。その後ともずっと一緒にいたはずだ。菫では無い。そう信じたい。

「他には?」
「……貴女はこれから、どうするんです?」
「わたくしの事は気にせず様に願います」
 女は鞄を持ち上げると、麗華に「蜜狩り」をした者たちの名前を書いた紙と、鈴を渡した。
「これは迷惑をかけたお詫びの印。一度だけ、貴女の困った時助けに参りましょう。要らなければ捨てて頂いて構いません」
 女がくれた鈴を見る。知華を誘拐して泣き晴らし声が出なくなるほど恐い目に遭わせておいて、お詫びに助けに来ると言う。
「矛盾してますね」
「存じております。わたくしが貴女にできる詫びは、このぐらいしかないのです」
「知華の事をあんな目に遭わせたのに」
「あの子には本当の事を告げただけの事。甘えた考えを捨てる様に説教したら泣き、わたくしも困りました。わたくしに連れ去られて喜んで笑っていましたのよ、あの子。むしろここから連れ去ってと頼まれました。どういう環境で育てたのか、わたくしが伺いたい位です」
 女はげんなりとした様子で語る。
 まだ、知華と話した事のない麗華は知華の性格をよく知らない。彰華からも知華は舞が上手いと言うぐらいしか話を聞いていなかった。
「それでは、失礼いたします」
 女は綺麗にお辞儀する。
「あの!」
「なんでしょう」
「お体を大事にしてください。あと、教えてくれて有難う御座います」
 女は苦笑いする。
「貴女、本当に変わっておりますね。守護家を襲い血を奪った者を気遣うなんて」
「……子供には罪はないから」
 女は少し悲しそうな顔をして、腹に手を当てた。
「えぇ。そうね」
 麗華の傍から離れて行く女の後姿を見送る。
 あの女はこれからどうするのだろう。犯罪者になってまで人を助けるのその心理は良く分からない。まだ、麗華にそこまで強く思う相手がいないからだろうか。他にもっと友好的で犯罪にならない方法は本当になかったのだろうか。
 藤森家の血が高額で売買されているのは知っているが、少なくとも、何らかの事情があるなら、言えば麗華は血ぐらいいくらでもあげられる。
 やった事は許される事じゃないけれど、それだけ必死だったのだ。あの人の大切な人が蜜で回復するといいと思う。

 路地裏に放置された麗華は動こうと試みるが、やはり動けない。四百ミリリットルは入りそうな封壺を三つ。血が大量に抜かれ顔が青ざめ冷や汗が出てきた。
 呼吸も苦しい。目がかすむ。
 誰かが麗華を呼ぶ声が聞こえたが、麗華はそのまま意識を手放した。



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2011.6.13

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