一章 四十六話


 気が付くと全体に霧の掛ったような白い世界に立っていた。前に真司と試練の間で体験したような白い世界。何でここにいるのだろうと、ぼんやりする頭で考える。

 ベッドの上で、精神統一をしていたはず。そうだ。久しぶりに自分のベッドで転がっていたら、寝てしまったのだ。いつもと違う夢が見られて少しホッとする。でも、この白い世界の夢もあまり楽しくない。
 立っていると、黒っぽい何かが近づいてくる。黒い長袖の服を着た背の高い男性だ。緩やかに波打つ夜を思わす漆黒の髪に、藍紫色の瞳。目を引く凛とした雰囲気のある男性だ。
 テレビに出ている人が夢に出てきたのだろうか、と思わせるほどのカッコいい男の人だ。
 男は麗華の方に迷いのない足取りで歩いてくる。麗華と目が合うと優しく微笑む。白い世界を見渡して、本当に自分向けて微笑んでいるのか確認してみた。本当に麗華に向けて微笑んでいる。誰だろうと思い、藍紫の不思議な瞳を見つめると、頭の中に何かがぼんやりと浮かんできた。

 確か幼稚園に通う前、家族でよく車で出かけていた。ふらりと行った公園の光景が思い出される。そこには両親の他にもう一人少年が傍にいた。十歳程の少年で、印象的な藍紫の瞳。目の前に居る男の幼いころだ。
 ――すみれくん。見てよ、これ、すみれ君と同じ瞳の花だね。
 ――そうだな。
 ――うん。だから、すみれくんにあげるね。
 ――ありがとう。
 小さな麗華が少年に菫の花を摘んであげる。傍に居る両親が笑っている。
 ――菫の花は菫君の名前の由来だからね。
 ――そうなの?
 ――お母さん、菫君の瞳見てピーンと来たのよ。菫の花みたいで綺麗な瞳よね。
 ――桃華が俺以外の男を褒めるなんて! 菫君、これをあげるから、サングラスを買いに行きなさい。
 ――大人げないわよ。菫君、麗夜の言う事聞く必要ないからね。
 ――そうだよ。すみれ君の綺麗な瞳隠しちゃうなんてだめだよ。
 ――……うちの姫君たちを味方につけるとは、……ずるい。

 そう言って落ち込む父を母が上手く慰めていた。ぼんやり思い出した記憶。
「すみれくん……?」
 そうだ。幼稚園に通う少し前までは、家にもう一人居たんだ。十歳ほどの少年で、兄妹の様にいつも傍に居てくれた。父も母も少年の事を『菫君』と呼んでいた。だから、幼い麗華も親たちを真似して『菫くん』と呼んだ。
 目の前に居る男の藍紫色の瞳を見ると、彼にあげた鮮やかな菫が鮮明に思いだされる。
「はい」
 名前を呼ばれて嬉しそうに微笑む菫は麗華の一歩手前で止まる。
「思いだされたか?」
「小さい頃一緒に居たよね? っと言う事は、もしかして式神さん?」
 目の前に居る男は少年が大人になった姿と同じだ。先ほど大輝に通訳してもらいながら話した式神は、ずっと傍に居たと言っていた。夢の中にどういう原理で現れたのか分からない。だが、藤森家に行ってから多少不思議な事が起きても動じなくなっている。
「そう。瞑想状態だと関渉がしやすく、麗華姫に姿を見せる事が出来るのです」
 不思議な気分だ。この男があの小さかった『すみれくん』で、実は式神で傍に居たと言う。それに、当時の年齢からすると今の外見に違和感がある。
「でも、すみれ君はもう少し小さくなかった?」
「外見年齢は変える事が可能。当時は麗華姫に合わせた年齢にしていたのです。その方が傍に居やすいだろうと」
「そうなんだ。あ、わ、私、名前呼んじゃったけど平気?」
 前に、彰華が式神の名前は呼ぶなと言っていた事を思いだした。名前を呼ぶと命令をする事が出来る様になる他に、契約者より力が上だと契約が上書きされる。
「心配する必要はありません。菫と言うのは奥方が付けたあだ名の様なもの。私の真名は他にある」
「そうなんだ。本当に傍に居たんだね。なんだか不思議……。でも、何で今まで、こうやって現れようとしたりしなかったの?」
「麗華姫は知る事を拒んでいた。私の存在自体信じておられなかった。その状態では関渉する事も難しい」
 確かに、藤森家に行く前は式神や不思議な力があるのは漫画や小説の空想の世界だけだと思っていた。夢に菫が出てきたとしても、ただの夢だと思うだろう。

「さて、時間も少ないので本題に移りましょう。これから、麗華姫の記憶を少し辿り、主がかけた封印を解きやすくいたしましょう」
「そんな事が出来るの?」
「麗華姫の許可があれば可能。許可を頂けるか?」
「もちろん。私も知りたい」
「では、参りましょう」
 白い世界を麗華は菫に続いて歩く。ただの白い世界に幾つも画面が現れ、麗華の些細な過去が写る。藤森家での生活、華守市に着いた時、高校の入学式、友達と行った中学の卒業旅行。歩いて行く程、画面の出来事は古くなって行く。
 小学生の麗華が写り、たまにノイズの入った画面が写る様になった。
「これは何で見えないの?」
「麗華姫が忘れたいと、人に知られたくないと思った出来事なのでしょう。今は関係ないので先へ」
「……うん」
 小学校の時に何かあっただろうか。自分の記憶なのに不思議と思いだせない。
 不思議に思ううちに、母が亡くなった日の出来事が映し出される。泣きながら父を捜しまわる麗華。その時の思いや光景が鮮明に思いだされて、胸が苦しくなる。麗華の傍に菫が写っている事に気がついた。泣きながら探している麗華の隣で、困惑しながら慰めの言葉を掛けている。
 あぁ。本当に、気づいて居なかっただけで、傍に居たのだ。

「さあ、もう少し奥へ。主が力を封じた辺りの時間まで辿りましょう」
「あ、うん」
 感傷に浸っている暇はない。まずは、自分にかけられている術をとかなければ。麗華は菫の言葉に従い奥へと進む。

 奥へ進むにつれて見られない記憶が多くなる。その中で唯一、麗華の記憶にはない、映像が写っている画面を見つけた。
 
 そこには、何処かの屋敷の様な廊下を二人の子供が手を繋いで歩いているのが映し出されている。
 一人は泣いている幼い麗華。手には見た事のない鮮やかな赤い花。でも傷ついて花弁が破れて茎が折れている。元は美しい花だったのだろうが、見る影もない程哀れな花だ。
 もう一人も花を手に持っている。見た事のない鮮やかな赤い花。麗華が持つ花とは形が少し違うが此方の花は美しいままだ。
 彰華の子供の頃だ。
 四歳程の二人。泣いている麗華の手を、彰華は黙って引いている。
 ここは何処なのだろう。彰華と四歳ごろの時に会った記憶はない。彰華も何も言わなかった。
「麗華!」
 廊下の端から誰かが走って来る。着物に似た不思議な服に、長い髪を不思議な形に結っている男。麗夜が血相を変えて走って来る。一瞬父だと分からなかった。こんな不思議な服を着ているのを見た事がないし、髪も長くなかった。
「大丈夫かい?」
「あ、お、おはな、だめに、なっちゃった」
 泣いている麗華をそっと抱きしめる麗夜。
「大丈夫、花なんて気にする必要はないよ」
「で、でも、たいせつなお花でしょ? だめに、しちゃった、どうしよう」
「麗華が無事ならそれでいいんだよ」
「でも、おっかない、おじさんにおこられた。おはな、だめになっちゃった」
「だめに為って無い。そう言ってるのに、こいつ泣きやまない」
 幼い彰華が不貞腐れたように言う。
「でも、ぼろぼろで、そっちのはキレイだもん」
「ぼくのは、大切に守られてるから、キレイなんだ。でも、きみのだって休ませればまた元に戻る」
「ほんとう?」
「本当だよ。なおらなきゃ、ぼくが困るだろ」
「ほんとう?」
 彰華の言葉だけでは信用できないらしい麗華は父にも同じ言葉を聞く。
「…………そうだよ。休ませれば元に戻るだろう。でも、今ここで捨てても良いんだよ。お父さんが新しい花をあげるから」
「おじさん何言ってんだよ!」
 麗華は首をふる。
「わたし、この花が良いの。元に戻るなら良かった!」
 泣きやんで笑う麗華。彰華は少しホッとしたような顔をしている。
「君は、迎えに来てくれたのかい」
 麗夜は彰華の手と麗華の手を取って歩き始める。
「うん。まだ時期じゃないのに、こいつが行こうとするから」
「ありがとう。助かったよ」




 これは何の記憶? どういう意味?
 彰華が持つ花と麗華が持つ萎れかけた花。
 それが何を意味しているのか。
 何処の廊下を歩いるのだろう。廊下の柱に刻まれている模様を見た事がないから少なくとも藤森家ではない。

「これが、お父さんが私に術を掛けるきっかけになった出来事?」
「はい、この数日後、主は麗華姫に術を掛ける事を決意された」
「数日後? 直後じゃないんだ」
 周りを見て他の記憶が見えないか探すが、何処もノイズが入っていて見えない。
「奥方が力を封じる事を反対されたのです。ですが、主は奥方に言わずに力を封じられました」
「お母さんはなんで反対したんだろう」
「奥方には奥方の考え方があったのでしょう。私には何も言えません」
 亡くなった桃華に事情を聴く事はもう出来ない。

 彰華が持つ花と似たような花を持つ麗華。あの花は何を意味しているのか、知りたいようで知りたくない。
 麗夜は花の意味を分かっていて、捨てても良いと言っていたのだろう。もしかしたら、妖魔に襲われるからとか、麗華では力が制御出来ないからではなく、あの花が原因で力を封じる事にしたんじゃないだろうか。麗夜は花を嫌っているように見えた。桃華も元は藤森家の人間、あの花の意味する事を知っていたに違いない。だから、力を封じる事を反対したのかもしれない。

 あの花の意味が本当に麗華の考えている通りなら、今更どうしろと言うのだ。
 実はそうだったみたい。と言って藤森家に戻るのか。そうやって戻っても、恐らく麗華の事は大切に思われない。『それ』だから大切にされて、優しくされる。そんな所に戻らなければいけないのだろうか。彼らの苦悩は分かるけれど、そんな場所に誰が戻りたいと思うだろう。
 嫌だ。『それ』だったからと、真琴や優斗や蓮がへりくだって謝る姿を想像すると吐気がする。
 予想が外れればいい。
「……その何かに襲われた時の記憶は見れないんだね」
「幼い麗華姫には衝撃が強すぎた。自ら封じたか、主が記憶を封じた可能性もある」
「じゃあ、この記憶は何で見えているの?」
「麗華姫が知りたいと思う故に見えたのでしょう」
 麗華が知りたい事。なら、麗華の予想は当たっているのかもしれない。現れれば良いと言っていたけれど、自分が『それ』だとは夢にも思わなかった。
 いや、でも、結論を出すのはまだ早い。
 父の術が解けていないままでは確証が持てない。これで先走り戻ったとしても、予想が外れていたら彼らを更に落胆される結果に為る。
 今は父のかけたと言う術を解く事に専念しよう。それで、その結果、何かが判明したとしたら、その時はその時で、考えよう。
 そうしなければ、頭の中が混乱し言い知れない不安に押しつぶされそうな気分で何も出来なくなりそうだ。


「これを見たからと言って、お父さんのかけた術が解きやすくなるの?」
「何か思うところは何のか」
「色々ある。でも、お父さんの術を解くやり方なんて全く思いつかない。どうしたらいいの?」
「うむ。では、もう少し足をのばしてみましょう」
「他の記憶を見るって事?」
「いえ、霊体を飛ばして華守の様子を見に行きましょう」
「……藤森家の様子を見たら解きやすくなるの?」
「それは、麗華姫しだい。華守の様子は気に為りませんか」 
 気になる。菊華は麗華の手紙の通りに真琴達を咎めなかったか。真司や彰華がどうしているのかも気になる。

 でも、その前に確認したい事が出来た。
「ねぇ。すみれ君は……私の味方?」
 菫は藍紫色の瞳を細めて薄く笑う。菫が熱心に麗華の術を解きたかる理由は、恐らくあの花に関係している気がする。主の麗夜が封じたがる花の正体を菫も知っているのだ。でも菫からその言葉が出ないのは、麗夜が言う事を禁じているに違いない。
「それは、麗華姫がどの位置から見るかによって変わるでしょう」
「どの位置? どういう意味?」
「ですが、ご安心を。最終的には麗華姫の味方です」
 優しく微笑んで安心させる様に言う菫を見て、麗華は苦笑いする。
「それは、安心できないよ。でも、答えてくれて有難う」
 少なくとも最後は味方で居てくれるらしい。傷つくのも裏切られるのも嫌だけれど、初めから教えてくれると心構えが出来る。菫は気を許しすぎてはいけないと、忠告している気がする。菫には菫の思惑があるのだ。それが麗華にとって良い事とも悪い事とも言い切れない。だから見かたによって違ってくると言う。
 誰に頼ればいいか分からなくなりそうだ。自分が確りするしかない。ふと、大輝の顔が浮かんだ。一人に為る事に慣れ過ぎていると、言った大輝。麗華に付いて来ても良い事など何もないだろうに、藤森家よりも麗華を選んでくれた彼ぐらい頼ってもいいのかもしれない。後で、起きた事全て相談してみよう。
 出会いは最悪だったけれど、今傍に居てくれて本当に良かった。




top≫ ≪menu≫ ≪back≫ ≪next



2011.2.15

inserted by FC2 system