一章 四十七話

 体から霊体を抜いて藤森家の様子を見に行くと、菫は簡単に言ったけれど実際に体験してみると奇妙な感覚だ。何をどうやったのかは分からないが、目を開けたら次の瞬間藤森家の敷地内に居た。体が透けているのだろうかと確認するが足もあるし、体は透けていない。変わった所と言えば、体から細い糸の様なもの一本伸びている事だ。魂と体を繋ぐ糸だ。この糸が切れれば体に戻るのが大変になる。
 本来、菫だけでは藤森家にある結界に阻まれて中に入る事はできない。麗華と共に居るから中に入る事が出来た。
 自分から藤森家を逃げる様に出てきたのに、こっそりと様子を見に来るのは自分勝手な気がしてきた。それに、中に入り様子を見るのが本当は少し恐い。もし、麗華の手紙に書いた事を無視し真琴達に制裁を与えていたとして、それを知った後麗華はどうするのだろう。
 自分がするであろう行動が簡単に想像出来て苦笑する。

 太陽は雲を退け高い位置で存在感を主張している。今日も暑い一日のようだが、体がない所為か暑さは感じない。麗華は藤森家の池のある中庭に立ち隣に居る菫を見上げる。菫は何を見せたくて藤森家に連れて来たのだろう。

「さぁ、先にお入りください」
「うん」
 先に入る様に言われて、麗華はためらいがちに廊下に上がる。廊下の先から何か小さいモノが布を下にして走って来る。長い耳にふさふさのたぬきの様なしっぽ。手のひら程の大きさで、狩衣の様な服を着た可愛らしい生物。
「かわいい!!」
 走るたびに、ふさふさのしっぽが左右に揺れる。ぬいぐるみが走っているようで、その愛くるしい姿に麗華の胸が高鳴る。
「何あれ!」
「家を掃除する式神でしょう」
 あれが噂の藤森家を管理する為に居る式神なのだ。見えている事に驚く。
「なんで、見えているの!?」
「霊体だからでしょう。あまり声をあげると、向こう側に気づかれる恐れがあります」
 麗華の足元をすり抜けて、式神が行ってしまう。麗華達が居る事に気づいていないようすだ。
「私達の事は見えないの?」
「主の術は霊体にも有効故、あの程度の式神には見えないでしょう」
「……そうなんだ」
 去っていく式神のふさふさのしっぽを見つめながら呟く。あの可愛らしい式神なら、一日中見ていても飽きないだろう。雑巾がけするほかにも、掃除している式神を見たい。
「麗華姫、目的が違う」
 菫に言われて、ハッとする。麗華の考えが顔に出ていたらしい。そう、今そんな事をする暇はない。真琴達の様子を見に行かなくてはいけないのだ。
 とりあえず、守護家の部屋のある方に向かう事にした。
 守護家の部屋は並んで用意されている。各部屋の前には小さな刀の様なものを持った小さな式神が座っていた。人形が置いてある様に動かない。趣のある、純和風の藤森家の内装が少し可愛らしいものに見えてくる。
 誰の部屋に訪ねようと考えて、真司の部屋を訪れると決めた。麗華を襲う作戦に加わっていなかったと言う真司の様子からまず見てみよう。
 部屋の障子に触れて、手がすり抜けて霊体である事を思いだす。すり抜けると言う事はこのまま障子を通り抜ける事が出来るはず。障子を突き抜けるのは少し恐いが、思いきって通り抜けた。
 真司の部屋が何処にあるか知っていたが、中に入ったのはこれが初めてだ。中には入ると目の前に、ずらりと並んだ本棚が目に入る。麗華には理解できなさそうな理数系の本が並ぶ。
 部屋を見渡すと洋服箪笥の前で旅行鞄に服を詰めている真司が居た。居て良かったと思うのと同時に、何で真司と目が合っているのか不思議に思う。
 気のせいではなく、茶色の瞳を見開き唖然としている真司と目が合っている。変だ。霊体なら見えないんじゃないのか。隣に居る菫に聞こうと思い横を見るが、隣に居たはずの菫が居ない。
 ええ! 何処に行った!?
 焦って周りをきょろきょろする。
「……………麗華?」
 真司が麗華を確認するように手を伸ばす。手が麗華の手に触れるが霊体なのですり抜けた。
「……見えてるの?」
「どうした!! やられたのか!! 何があった!! 大輝のバカ何やってんだよ!」
 驚愕したように立ち上がり麗華に詰め寄る。その様子に麗華の方が驚く。
「え、あ。別に何もやられたりしてないよ。落ち着いて」
「落ち着けだって? その格好で良く言うよ!」
 真司には霊体が見えているようだ。麗華が霊体の所為で何か勘違いをしている。
「違うの、これには色々訳があって。私は至って元気だよ。やられてもいないからね」
「本当に? じゃあ、なんでそんな格好なんだよ」
「これには色々訳があって」
「一体どんな訳があるのさ? 大輝が何かやらかしたの?」
「違うよ。そうじゃなくて……。なんて言ったらいいかな。幽体離脱しているのは、藤森家の様子が知りたかったからなんだけど」
「幽体離脱って、そんな技使えたの? 大輝に誘導が出来るとも思えないし」
「私がやった訳じゃなくて、手伝ってくれた人がいてね」
「誰だよそれ」
「家にお父さんが作ったって言う式神さんがいてね。それで」
「はぁ? 何がどうなってんの? 全部、包み隠さず何があったのか僕に話しなよ」
 真司は腕を組んで睨みつける様に麗華を見る。麗華はたじたじになりながら、真司に藤森家を出てからの事を全て話した。まさかこうして話す事になるとは思っていなかった。真司は本当に心配していたようで、彼に何も言わずに出てきて悪い事をしたと思う。
 だけど、例の可能性については言わない。まだ、確信がある状態ではなく、真司は藤森家に居るので言う気にはなれなかった。

「っと、言う訳で。お父さんが私にかけたと言う術を解こうと思ってる最中だったの。さっきまで式神さんが居たんだけど」
「式神? あぁ、岩本家の式神に部屋を荒らされたくなくて、僕の部屋には結界があるから入れなかったのかもね」
「そうだったんだ。隣に居たのにいなくなってるから、吃驚したよ。というか、何で見えてるの?」
「霊を見るぐらい出来るからじゃないか? それより。いくらああいう事情があったからって僕に何も言わずに、突然居なくなるってどういう事だよ。こっちがどれだけ心配したか分かってんの?」
 鋭い目で睨まれる。
「ご、ごめん。でも、大輝君が今行かなきゃ、出れなくなるって言うから。私もここに居る必要ないと思ったし」
「なんで、大輝のバカとなんかと出て行くのかが一番分からない。麗華と仲悪かっただろ、そんなのと一緒に居て平気なのかよ」
「そりゃ、初めは険悪だったけど、今の大輝君はいい子だよ」
「いい子ぉ? 頭、どうかしちゃったの?」
「酷いな」
「それで、本当に今、無事なんだよね?」
「うん。大丈夫。心配掛けてごめんね。…………あの、そっちの様子は?」
 真司は苦虫をかみつぶしたような顔をする。
「どうもこうもないよ。優斗達は藤森家の出入り禁止になった。真琴さんと優斗は家に戻ったけど、連絡が取れないからどうしているかは知らない。蓮は家から帰る事を禁じられたから行方も分からない」
「出入り禁止って」
「別に麗華が気にする必要はないよ。あいつらの自業自得だ。そのくらいで済んで良かったんじゃないの」
「でも、守護家にとって、藤森家入りするって特別な事だったんでしょ? そんな事になるなんて……」
 前に優斗が藤森家入りするお祝いに、代々譲り受けている占いをする石を貰ったと話していた。守護家が藤森家内に部屋を貰えるのは神華が現れた時だけの特別な事だ。神華が現れなく『無用の守護家』と嘲笑われ肩身の狭い思いを家でしているのに、更に出入り禁止となれば、家でどのように扱われるかは想像もできない。蓮は家にも帰れない上に行方も知らないと言う。養子の蓮は土屋家の義兄弟から酷い扱いを受けていた。だから、土屋家に戻る事も出来なかったのだろう。
 麗華が神華だと信じて罠をはり襲わせ傷つけた結果だ。でも、自業自得だと思う事は出来そうにない。
「そうだけど、あいつらもこうなると分かっていた。だから、麗華が気に病む必要はないだって。出入り禁止になったからって、実際に困る事は少ない」
「そうなの?」
「藤森家入りって陰の神華の傍で守る為にする行為だから、守る神華が居ないんだし藤森家に居る必要もないよ。困るとしたら、力の補給が受けられないから、飢餓状態に苦しむぐらい。それこそ、自分たちの所為なんだから思う存分苦しめばいい。そしたら、少しは麗華にやったこと悪いと反省するんじゃないの」
「でも、飢餓状態って苦しいんじゃ? 大丈夫なの?」
「そりゃ苦しいよ。だけど、麗華が気にする必要ない。さっきから、優斗達の事心配してるようだけど、こうなった理由ちゃんと理解してんの?」 
「……うん」
「じゃあ、優斗達の事はほっときなよ。関わりたくもないから、何も言わずに出て行ったんでしょ」
 真司の言葉が胸に刺さる。確かに、関わりたくもないと思った。神華じゃなければ必要ないと言われたのも同然の事をされて、藤森家に居たと思わなかった。
「…………でも」
「いい子ぶるのはやめなよ」
「いい子ぶってるつもりはないけど、気になるでしょ」
「関わる気もない奴らの事を気にしてどうするのさ」
 突き放される様に言われて悲しくなる。何も言わずに出て行った事を真司は怒っているのだ。それに真琴達との関わりを一方的に拒絶した麗華を。
「…………気にしちゃいけないの? 凄く痛い思いも辛い思いもしたけど、その後どうなったか気にしちゃいけないの?」
「気になるって言うなら、逃げないで向き合えば良かったじゃないの? その後、藤森家を離れれば良かっただろ」
「そういうけど、私だって、一杯一杯だったんだよ! 優しくしてくれていた優斗君達が実は、私を襲わせてた犯人だったんだよ。凄くショックだったんだから! それで、向き合えって、言ったって、神華じゃない私が悪いみたいな事言われたんだよ! じゃあ、神華じゃないんだし私ここに居る必要ないって思うのは当然じゃない! 本当は朝伯母さまに話してそれから、藤森家を出る予定だった。でも、大輝君が今すぐここから出なきゃ、藤森家から離れられなくなるって言われて、彰華君だって手伝ってくれるって言うから今しかないと思った。伯母さまには手紙で、事情を説明して優斗君達を混乱させたのは私が藤森家に行った所為だから、罰しないでって書いた。でも、よく分からないけど、藤森家の人を守護家が傷つけるって凄く悪い事なんでしょ。だから、伯母さまがちゃんと私の手紙に書いた事を守ってくれてるか心配になったの。そのくらいの心配もしちゃいけないって言うの!?」
「心配するなとは言ってない。あんたが書いた手紙のお陰で普通なら、極刑モノの事をしたのに出入り禁止でおさまったんだから。それでいいだろ。その罰が苦しくないのとか、そんな罰をする必要はないのに、って思っているみたいだから言ったの。やった事に責任は付きものだろ。優斗達も分かってるだから、くどくど心配する必要はない。それでも、優斗達の事が心配でどうにかしたいって言うなら、戻って来て菊華さまに進言すればいいだろ」
 藤森家に戻る? 今の状態ではとても、そんな気になれない。優斗達の処遇は気になるが、例の可能性があやふやな状態で戻りたくない。
「……戻る気はないんでしょ。なら、いいじゃんか。藤森家は麗華がいない状態に戻るだけ。それと同じで麗華だって藤森家に来る前に戻るって思えば良いだろ。優斗達の事は忘れなよ」
 麗華も同じ様な事を思っていた。麗華が藤森家から居なくなれば、麗華が訪れる以前の状態になり守護家が混乱する事もなくなる。そう思っていた。でも、真司から同じ言葉を言われると、無性に悲しくなる。藤森家で生活した事を忘れる事なんて出来るはずがない。いい意味でも悪いい意味でも、関わりを持ち人柄に触れたのにそれを忘れる事なんて出来ない。
「……忘れたりなんかしない」
「ふーん。じゃあ覚えていればいいよ」
 特に関心がなさそうに言われて、むっと来る。
「なにそれ、なんなの真司のバカ!」
「はぁ?」
「私だって色々、考えなきゃいけない事あって、一杯一杯だって言ってるのに、一つ一つ解決しなきゃ、混乱して訳わかんないのに、変な風に言わないでよ!」
「なにキレてんの」
「あぁ。もういい。優斗君達の事はほっとく。別に拷問受けてる訳じゃないんだし、心配する必要はないんでしょ。なら、良い。私の問題を解決したら、その後で考える。それが良い! とういうか、そうしなきゃ、話に為らない。私頑張るから!」
 突然、決断した麗華を真司は呆れ気味にため息をつく。
「なんか、僕の方が良く分かんないんだけど」
「そのうち分かるよ」
「ふーん。で、今実家に居るんだっけ?」
「うん、そうだけど」
 真司は箪笥の前に置いてある旅行鞄を持ち上げる。
「じゃあ、僕もそっち行くから」
「え?」
 当然の様に言う真司に驚く。
「何か問題ある?」
「問題って、だって、真司が私の所に来ても意味がないよ」
「本気で言ってんなら怒るよ。大輝が良くて、何で僕が駄目なのさ」
「駄目とかそういう問題じゃなくて、藤森家を出ていいの?」
「陰の守護家誰もいないのに、僕だけ居ても仕方がないだろ。それに、大輝だけじゃ心配だ」
「でも、私と一緒に居ても良い事ないよ。藤森家に戻るつもりないし、華守市に当分近寄らないよ。学校とか夏休み終わったらどうする気?」
「学校は麗華だって同じだろ。菊華さまは麗華を連れ戻すために手配するって言っていたから、地元の学校にはもう行けなくなってる。それに、麗華の家にだって藤森家の手の者がもう行くだろう。僕は藤森家に戻る気がない麗華を連れ戻す必要はないと思う。だけど、藤森家の血族の麗華が、華守市の外で生活をするには守る人が必要に為る。大輝だけじゃ、力不足だ。だから僕も一緒に行く」
「でも、式神さんもいるから。それに、真司まで家族と引き離しちゃうのは」
「僕の作った結界にすら入れない式神に何を期待できるの? あと家族と一緒に居たい様な年じゃない。僕は麗華の傍に行くからね」
「待ってよ。藤森家の血族だからって、真司が私を守る必要はないんだよ。守護家って、神華を守る為にあるんでしょ? 私は、……違うんだから」
「現れてもいない神華を藤森家で待ってるより、麗華を守る方がいい」
 真司の真剣な瞳に見つめられて、麗華は困惑する。真司が麗華の傍に来たがる意味が分からない。得する事が思いつかない。まさか、真司は菊華の息が掛っていて、麗華を連れ戻す為の罠だったりするのか。
 でも、真司の瞳はそんな事を思っている様には見えない。
「どうして、そんな風に思うの?」
 麗華が素直にそう聞くと、真司は盛大なため息を吐く。
「…………僕も同じ質問をあんたにしたい気分だよ」



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2011.2.18

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