一章 四十一話


「大輝君ー」
 のんきな声で笑いながら近づいてくる麗華に大輝は軽くため息をつく。麗華は大輝の目の前で足を止めてにこりと微笑む。
「ねぇ、大輝君?」
「あぁ?」
「なんで?」
 麗華は微笑みながら大輝の手を掴む。
「なんで、助けてくれなかったの?」
 掴んだ手を麗華は自分の胸元に当てた。あるはずの、体の一部がなく空洞になっている。滴り落ちるぬるりとした生温かい赤い液体が手に絡みつく。微笑みながら麗華は大輝の手を空洞になっている場所へ導く。
「誰も助けてくれなかったから、無くなっちゃったよ」
 麗華は笑いながら赤い涙を流す。掴まれた手が震え、大輝の血の気が引いていく。息を飲みこむ。助けられなかった事の後悔が頭の中を駆け巡る。
「痛かったよ。苦しかったよ。助けてって言ったのに。誰も助けてくれなかった。酷いよね」
「ぁあ、あ、ぁ」
麗華の赤い手が大輝の頬を触る。胸が締め付けられ呼吸が出来なくなる。何故こんな事になってしまったのか、麗華の悲惨な姿をこれ以上見る事が辛くて、信じたくなくて目を固く瞑り叫び声を上げた。
 自分の叫び声が耳に響く。麗華の責める声は止まない。頭の中で何度も何度も響いて、頭がおかしくなるほど大輝を苦しめる。

 声が止み目を恐る恐る開けると、目の前は暗く狭い部屋だった。
 そうだ、ここは断絶の間だった。と安堵のため息をつく。暗闇の中で自分の手を見つめて、濡れていない事を確認する。断絶の間に入ってからどのくらい時間が経ったのか、感覚がおかしくなっている所為で分からない。まだそんなに時間は経っていないだろうが、先ほどから繰り返される見たくもない場面と責める声に、精神的に追い込まれる。
 前に入った時は家族の死や藤森家の崩壊が見えたのに、今回は麗華の悲惨な死に方ばかり見せられた。
 深層心理の中で最も見たくないモノを見せ聞かせる断絶の間で、自分が今一番、麗華の死を恐れていると思い知らされる。血にしか価値のない奴の死を何故そんなに恐れているのか、大輝は不思議だった。
麗華が藤森家の血族だとハッキリした事で、今までの行動が許されない事だと認識して、一応、後の事を考えて謝罪と詫びの品を送った。だが、今まで取ってきた態度を簡単に変えられるはずもなく、素直に謝罪も詫びの品を渡す事も出来なかった。謝罪した時の麗華の唖然とした表情を見ると居た堪れなくなり逃げてしまった。それがいけなかった。真司や彰華の言う様に、あの場を離れるべきではなかった。大輝が付いていたなら妖魔などに襲われる事はなかったはずだ。
 何度、悔やんでも悔やみきれない。傷ついた姿の麗華には会っていないが、幻覚と幻聴の生々しい姿を思い出すと、本当にそんな目に遭わせてしまったのだと深く自責の念に駆られる。
 もう二度と、麗華が傷つく事のない様にする。麗華が誰かから狙われて居るのなら、絶対に守って見せる。
 心の中で固く誓う。

 麗華の声が聞こえて、また現実と区別のつかなくなる幻覚と幻聴が始まる。
 終わりのない幻覚に、苦しみ怯えていると施錠の外れる音がした。やっと終わったのだと思い、戸が開かれるのを安堵の気持ちで待つが一向に戸は開かない。不思議に思いながらも戸を開けてみた。前にこの部屋に入った時は、姉である麻美が戸の前に立っていたが廊下には誰もいない。一体誰が施錠を解いたのだろうと不信に思う。本当に謹慎が解かれたのだろうか。いつもと違う様子に戸惑いながら廊下を不安定な足取りで歩く。外は暗く星空が見えた。
 廊下の先で誰かが言い争いをしていた。様子を見る為に気配を殺して近付く。

「……って事かよ!?」
 優斗の胸倉を掴んで真司が険しい顔で何か叫んでいる。仲の良い二人が言い争いをするのは珍しい、一体何が起きたのだろう。
「そうだよ。真司はただ成り行きに任せれば、神華が現れるとでも思っているか?」
「だからって、麗華を襲って覚醒に導こうとするなんて、間違ってるだろ!?」
「このまま、神華が現れない方が間違っている。誰かが、行動を起こさなければ変化は起きない。状況を変える事は出来ないじゃないか」
「でも、僕も確認したけれど、麗華は神華じゃなかった。そう言ったよね? それなのに襲うなんて、人として最低だろ」
「分かってる。最低だって俺も思う。でも、確かめる為にはやらなきゃいけない事だ。何処に藤森家の人を襲う馬鹿が居る? 確かに麗華さんの事を不満に思う人達はいたけれど、行動に起こすほど馬鹿じゃない。嫌われたって、憎まれたって俺達には知る必要があった。誰も行動を起こさないなら、俺がやるしかないだろ。だからやった」
「だからって」
「他に確かめる方法があるか? のん気に過ごす時間は俺たちに残されていないじゃないか! 力が眠っている麗華さんをただ見て居るだけじゃ、力を見極められない。危機的状況でどう対応するか見極めるしかないだろ! あの血を飲んで、あれが神華の蜜じゃないって誰が思う!?」
 大輝も麗華の血を飲んだ時同じ事を思った。彰華の血を貰うのと同様の力あり、彰華の血よりも甘く引きつけられる魅力があった。何故こんな血が濃いのに力がなく、神華じゃないのか疑問に感じた。
 真司も同じ事を思っていたのだろう。答えに詰まっている。
「今度こそ、神華だってはっきりすると思ったんだ……」
「……でも、違ったよな」
「……違った。印に反応はないし、何も感じ取れなかった」
「バカだろ、お前」
「言われなくても、自分でもわかってる」
「大体何で、馬鹿正直に自分達がやったって麗華にばらすような事したんだよ。優斗達が犯人だって分かったら、麗華にどう思われるかぐらい想像つくよね」
「あれ以上やっても無意味だって俺も思ったからばらしたんだ。見えて居ない麗華さんを騙すのは簡単だけど、やった事の責任ぐらい自分で取る。他の人に気づかれて告げ口されたり、麗華さんが自分で気づいたりするよりも自分でばらした方が手っ取り早い。麗華さんを傷つけて酷い事をしたと思うけど、嫌われるのも憎まれるだろう事も分かっててやった事だから、後悔はしていない」
 真司は大きくため息をつく。
「お前、これからどうする気だよ。菊華さまは相当お怒りだぞ。守るべき為に護衛を頼んだのに、傷つけて居た張本人だったって。下手すれば、藤森家出入り禁止になるんじゃないの?」
「かもしれない。それでも良いよ。元々、陰の神華が居ないんだから、藤森家に居る必要もないだろ」
「簡単にそういう事を言うなよな。麗華の方はどうするんだよ。散々傷つけて、神華じゃないならどうでもいいのかよ」
「……きっと麗華さんは俺の顔も見たくないよ。真琴さんも蓮も同じだろ」
「本当に馬鹿だよな。お前ら」

 優斗と真司はまだ何か話しているようだが、大輝はその場から離れることにした。
 今聞いた事が事実ならとんでもないことだ。守護家会議の時に散々、犯人捕まえたら懲らしめて地獄を見せると言っていた奴らが、自分達で神華かどうか見極める為に麗華を襲っていたと言う。一体どんな気持ちでその言葉を吐いたのか、図々しく言える神経を疑う。
 陰の神華不在の所為で、優斗達は狂ったに違いない。
 力のない麗華を神華だと決めつけて、見極めようとしたなど信じられないほど馬鹿な行動だ。このまま、藤森家に麗華が居たら、また優斗達に傷つけられる可能性がある。一刻も早く、麗華を優斗達から逃がそう。
 一応藤森家の血族だから、誰かが妖魔から守らなければいけない。その役目は大輝自身が遣ろうと思う。自分も藤森家に居られなくなるけれど、幻覚で見えた麗華の悲惨な姿が現実になるくらいなら藤森家と縁が切れたとしてもかまわない。何よりも大事なのは麗華の身の安全だ。

 すぐさま、麗華を連れ出す手はずを整えて麗華の部屋に向かった。

 連れ出そうとすると、彰華が現れて麗華を連れ出す協力をしてくれた。何故彰華が麗華を藤森家から逃がすのか不思議だった。だが、彰華が本気で麗華を藤森家から出すつもりで居るのなら、これほど心強い協力はない。もし逆に大輝や麗華を騙しているのなら、もう藤森家から逃げる事は出来ないだろう。
 彰華の真意が見えない不安な気持ちを抱えたまま、言われたとおりに駅前で麗華の到着を待った。
 身一つで、麗華が歩いてくる。色々な事を考えていたのだろう。眉間に皺をよせて険しい顔で歩いている。大輝を見つけると、少しホッとしたような顔をして駆け寄って来る。
「大輝君。遅くなってごめんね。藤森家から駅までって結構道のりがあって……」
「別に。ほら」
 大輝はヘルメットを麗華に渡す。ここからバイクで離れようと思っていた。麗華はヘルメットを受け取りかぶる。
「有難う。とりあえず、次の駅ぐらいまででお願い。その頃には夜も明けていると思うし、後は自分で何とかするから。大輝君は藤森家に戻ってね」
 麗華に付いて行く気で居た大輝には、麗華の言葉が癇に障る。人が一大決心をして決めたのに、それを全く分かっていない。
「今更戻れねぇーよ」
「なんで? 夜中だし私を連れ出したのが大輝君だって他の人は気が付いていないと思うよ。だから誰にもばれないうちに戻った方が良いって」
「お前一人にさせられないだろ」
「大丈夫だよ。と言うか、色々考えたんだけど。多分、大輝君と一緒に居る方が危険だと思う」
「はぁ?」
「私、お父さんに術を掛けられてるんだって。自分でも気が付いて居なかったんだけどね。その術は、妖魔にも術者にも私の存在が知られない様にするモノなんだって彰華君が言ってた。実際今まで、妖魔に襲われた事も、術者って名乗る人が現れた事もなかった。だから、一人の方が誰にも気が付かれる事がないと思う。でも、大輝君が一緒に居たら、術者同士で居場所が分かったりとかするんじゃないかなって」
 麗華の父がそんな術を麗華に掛けていたとは初耳だ。麗華の父親とはいったい何者だろう。確かに、術者を見つけ出す方法がない訳ではない。麗華の言う通りなら、大輝と一緒に行動すれば麗華の居場所もばれる事になる。
「バレねぇーよ。彰華に姿消しの札貰っただろ。あれがあれば、他の奴に見つかる事はない」
 彰華に渡された姿消しの札はこの為のモノだったのだろう。
「そうなの?」
「あぁ。だから、俺はお前に付いていく」
 麗華の表情が険しくなる。人が折角付いて行くって言ってやっているのに、嫌そうな顔をするのか不思議だった。
「私に付いてきてどうするの? だって、私今一文無しだし、付いて来ても良い事ないよ。当分華守市には近寄らない予定なんだよ。家に帰れなくなるし、下手すれば学校生活にも支障が出るかもしれない」
「そんなのたいした事じゃねーよ。家も学校も行かなくたって生きていけっし。つーか、お前だってそうだろ。地元に戻ったら、即効菊華さまの配下の奴に捕まって藤森家に逆戻りだろ」
 麗華は深くため息をつく。
「……そうなんだよね。行く場所何処にもないんだよね。私。どうしよ。これから。いや、うん。私の事は良いんだよ。それより、大輝君の事。大輝君には帰る家も、家族もいるでしょ。居なくなったら心配する人がいっぱいるんじゃないの? 大体、まだ義務教育でしょ。私は落ち着くまでどっかで、住み込みのバイトでもすれば済むし、全然大丈夫」
「全然大丈夫じゃないだろ、それ」
「大丈夫だよ。今まで一人でやって来れたから、これからだって出来るよ」
「お前、一人に慣れ過ぎじゃねーの。俺も付いて行くって言ってやってんだから、一人より二人の方がましだろ。ありがたく思えよ」
 大輝の尊大な態度に麗華はきょとんとして目を瞬かせる。
「…………大輝君。なにか、変なものでも食べたの?」
「はぁ?」
「いや、だってね……。なんか、いつもの大輝君と違う気がして」
「うるせぇーな! 俺は唯、お前がこれ以上傷つけられるのを見たくないんだよ!」
 麗華は大輝の言葉に唖然として呟く。
「……やっぱり、何か裏が」
「ねぇーって言ってんだろ!!」
「ごめん、だってねぇ。今までの事を考えると疑いたくなるじゃない」
 苦笑いする麗華に大輝は舌打ちする。でも、確かに今までの自分の行動を考えると、簡単に信じて貰えない理由も分かる。
 麗華は少し額を軽く押さえて考える。それから、何か決断したように顔をぱっと上げて大輝を見据えた。
「……じゃあ、ちょっとだけ、付き合って貰ってもいいかな?」
「いいぜ。感謝しろよ」


top≫ ≪menu≫ ≪back≫ ≪next


2010.10.15

inserted by FC2 system