一章 四十二話


 麗華を一番疎んでいた大輝が味方してくれるとはなんて皮肉だろう。

 大輝のバイクに乗り背に抱き着きながら苦笑いする。誰かと共に藤森家を出ることになるとは思いもしなかった。
 これから、本当にどうしたら良いのだろう。
 まだ大輝を頼りに出来るほど気持ちは落ち着いていなけれど、一人ではないと思うと心強い気がした。



 店の開く時間帯になり、麗華は彰華に言われたとおりに服をすべて新しくした。そこで重要な事に気が付く。手持ちのお金が残り少ない。
 藤森家を出る時に、彰華に荷物を置いていくように言われ財布も置いて来てしまったのだ。大輝のお金で服を買ったけれども、ガソリン代もかかるし食費も宿泊費もある。
 大輝は銀行にお金があると言うけれど、銀行からお金を下ろせば麗華達がどこにいるかすぐにばれてしまう。こんな事になるなら現金だけ貰って来るんだったといまさら後悔する。

 現在あるお金では一日と持たない。残金千四十円。
 服やその他もろもろを買う前に大輝の財布の中身を聞いておけば良かった。
 華守市から離れて海道沿いを走らせてきた。海道の端にバイクを停めて朝食のパンをかじりながら、大輝と今後の事を話す。このまま、無駄に走らせても意味が無いし、とりあえずお金が必要だ。


「ん〜。やっぱ、何かしてお金を稼がないと駄目だよね……」
「……稼ぐって何するんだよ」
 大輝は麗華を連れてくる前に財布の中身を確認しなかった事を後悔していた。前日にゲームセンターで憂さ晴らしなどしなければよかった。
 大輝は術を使い家の仕事で働いた事はあるが、普通に稼いだ事はない。
「そうだなぁ。夏だし、あれはどうかな!」
 麗華は海水浴に来ている人々を指差した。
「海水浴でどうやって稼ぐって言うんだよ」
「そんなの海の家とかで一日雇ってもらえるように交渉するんだよ。あれだけ人が居るんだから人手不足に為ってる店があるはずだよ。そこに売り込めば、大丈夫!」
「上手くいくかぁ?」
「上手くいくよう頑張れば良いんだよ! さぁ、稼ぎに行くぞ!」
 麗華は拳握り天高く上げて気合を入れる。大輝は遣る気なさそうに、はりきる麗華に付いて行く。


 忙しそうにしている店は沢山あった。そこで雇ってくれそうな店に行き麗華は海水浴に来て荷物を掏られて家に帰るお金を稼ぎたいと、作り話をして交渉する。
 交渉する事三軒目の海の家の店長は麗華と大輝を見て少し思案する。麗華は必死に頑張るからと頼むと雇ってくれる事になった。
 店の指定の制服に着替えてくるように言われて、麗華と大輝は店長に渡された制服に着替えてくる。

 海の家の特製桃色のビキニにエプロン。
 着替えてきた麗華を見て大輝は驚いた。エプロンがある所為でまるでその下に何も着ていない様に見える。麗華のすらりとした足に、細い肩が露わに為っている。どぎまぎしながら麗華に釘付けになっていると、麗華も大輝の水着姿を見て驚く。
「……大輝君って鍛えているね。腹筋そこまで割れている人初めて見た。ねぇねぇ。触って良い?」
 麗華は大輝の鍛えられた体を興味深く見る。友人の中にも部活で鍛えた体をしていた人が居たけれど、それよりも引き締まった肉体美は初めて見た。つい触ってみたくなる。近寄って大輝の許可してくれるのをワクワクしながら待つ。

 大輝は我に返ったように驚いて目の前の麗華を突き放す。
「触ろうとするんじゃねー、バカ!」
「えー。いいじゃん、減るもんじゃないんだし」
「減る! と言うか、お前! その格好なんだよ!」
「なんだよって、店長さんに渡された水着とエプロンだよ。働いている人達もこれ着てたじゃない。見てなかったの?」
 大輝は店員など気に留めていなかった。
「お、お前、人前でそんな大根足見せて歩く気かよ!」
 麗華はむっとする。大根足とは酷い。どちらかと言えば麗華は細身だ。胸は少ないけれど、パットのお陰で谷間が出来ているし、くびれもちゃんとある。ビキニを着て歩いても、人から笑われる体型では無いはずだ。
「失礼な。これでも美容体型の体重を維持しているんだよ。細くはないけど、太くもないはず」
「恥ずかしくないのかよ! その格好!」
「何言ってるの? 海だよ。夏だよ。水着の何処が恥ずかしいの。前はエプロンで隠れてるし、働いてたら気に為らないって。まぁ、背中は丸見えだけどね」
 麗華はくるりと回って背中を見せる。大輝は噎せる様に口を押さえて麗華の後ろ姿の衝撃に悶える。
「……女ってわかんねぇ……。パンツ見えたら騒ぐのに、何で水着は良いんだよ?」
「水着と下着を一緒にされてもね。それにこれ、ちゃんとパレオ付きだよ」
 エプロンを軽くずらしてひらひらとしたパレオを見せた。白い足が露わに為り大輝は顔を赤くする。
「や、やめろバカ! 見せんな!」
「何をそんなに怒鳴ってるのよ」
 麗華は大輝が怒鳴る理由が分からないと、軽くため息をつく。
「お前には恥じらいってもんがないのかよ!」
「……恥じらい。大輝君相手に?」
 麗華が不思議そうな顔をして首を傾ける。そこで大輝は自分が男として見られていない事に気が付いた。まるで弟に水着姿を披露した様な反応だ。
 一人だけ動揺してムカついてくる。ここで、癇癪を起して麗華に当たれば前と何ら変わりがない。それではいけないと、苛立ちを必死に押さえて深呼吸する。
「……でも、その格好他の奴に見せるぐらいなら、他の所で働いた方がよくね? 店はまだあるんだし」
「これから、また探すの? 折角店長の好意で半日雇ってもらえるんだから、ガタガタ言わないの。それに賄い付きだよ。こんな美味しい話し他にないかもしれないじゃない。さぁ、確り稼いで今日の宿泊費にするよ!」
 渋る大輝を置いて麗華は店の中に入って行く。麗華と大輝はホールスタッフとして働く事になった。


 麗華はてきぱきとまるで水を与えられた魚の様に仕事をこなす。中には態度の悪い客もいたけれど、麗華は上手い具合にかわして、接客を続けた。店長にも麗華は働きぶりを褒められて上機嫌になる。だが店長は渋い顔をして、大輝の方を指さす。
「あれ。もう少し愛想よく出来ないのかな。メニューは間違いなく運んでくれるしちゃんと動いているようだけど、あれじゃあ、ねぇ」
 大輝は眉間に皺を寄せたまま、鋭い目つきで接客している。それでも整った顔立ちをしているお陰で若い女の子からは好評のようだが、それ以外からは大不評だ。一度、喧嘩を売っているのかともみ合いになりそうになった。
「申し訳ありません。今、指導してきます!」
 麗華は店長に深深と頭を下げて大輝の所まで行き腕を掴んで店裏まで連れて行く。
 不満そうにする大輝を軽く睨む。
「大輝君。少し愛想よくしよう。接客に一番大事なのは笑顔だよ。笑顔」
「はぁ? ちゃんと、真面目に働いてんだろ」
「それだけじゃ、駄目なんだよ。はい。笑顔」
 麗華は大輝の頬を人差し指で釣りあげる。笑顔になるどころか嫌そうな顔に為り、手を振り払われた。
「やめろ。……わかった。作り笑いすればいいんだろ」
 大輝が軽く舌打ちする。笑えと言ったのは麗華だが大輝に作り笑いができる事に驚く。麗華の表情を見て、大輝は顔を険しくする。
「バカにしてんのか。あの家に居たらそのくらい出来る様になる」
「そ、そうなんだ」
「信じてねぇだろ」
 実際大輝が、藤森家に居た時に作り笑いをしている所見た事がない。菊華と同席している時でさえ、不機嫌そうな顔をしていた。
「そんなこともないけど。一度見てみたいなって」
 じとっと大輝は麗華を見て、何も言わずに麗華を無視して店に戻る。大輝を慌てて追って仕事に戻る。大輝の仕事ぶりを、心配しながら見ながら働いていると、衝撃的なモノを見た。
 大輝が大輝じゃない。
 軽くさわやかに笑いながら接客している。
 先ほどまでの大輝は何処かに行ってしまったような好青年ぶりに動揺する。自分が頼んだ事だけれども、荒れている大輝しか見た事がないので激しい違和感がある。
 唖然としていると、注文を取り終えた大輝は麗華が立っている厨房に戻って来る。
 軽く笑っていた顔が、がらりと表情が変わり小悪魔の様にほくそ笑む。
「な。できんだろ?」
 茫然と注文を厨房に伝えている大輝を見る。意外過ぎて今見たモノが信じられない。
 接客中のさわやかな大輝になれないまま、仕事は無事に終えた。


 日が沈み海辺は日中の賑わいが嘘のように落ち着いていた。中にはキャンプや花火をしている人達も居たが、日中の騒がしさとはくれべものに為らないほど落ち着いている。
 今日一日の給料を手にした麗華と大輝は人の少ない海辺に座って店のあまりモノを食べていた。
「それにしても、今日の大輝君の作り笑いっプリには驚いたよ」
 麗華は思いだして笑う。今となりにいる、不機嫌そうな大輝があそこまで化けるとは誰も想像しないだろう。
「俺だってあのくらいは、余裕で出来んだよ」
 恐れ入ったかと、尊大に言う。
「疑った私が悪かったわ。でもこれで、お金も稼げたわね」
「稼げたって言っても、あれだけ頑張ったって言うのに、二人で一万だろ。安すぎ」
「普通だよ」
「一万だぜ。このまま地道に稼いで、逃亡するとかバカみたいだ」
「他にどうするのさ」
「まぁ、一万あれば軽く十倍には出来る。明日楽しみにしてろよ」
 自信満々な大輝に麗華は少し不安になる。一万を十倍にする方法とは一体なんだろ。
「一体何を?」
「明日の楽しみな」
 軽く笑う。今日の事もあるし、大輝を信じることにした。
「じゃあ、明日の楽しみにするよ」

 食事が終わり食べ終わったゴミを麗華は捨てに行く。一人で歩いていると、三人組みの遊びなれた風の若い男が近づいて来た。
「こんばんは」
「夜なのに暑いねー」
 気軽に話しかけてくる。麗華は軽く会話を受け流しながら大輝の居る方を見た。
「ねぇ、誰と来てんの? 友達?」
「違います。彼氏。しかも嫉妬深いから、相手出来ないよ、ごめんね」
「でもさ、彼氏なのに彼女一人にゴミ捨てさせるとか酷くね?」
 大輝が立ちあがって近づいてくるのが見えた。暗がりで表情までは見えないけれど、動きが苛立っている。少し拙い。こんなところで乱闘でもされるのは困る。
「あ、彼氏来た。じゃあね」
 麗華は三人組を放って大輝の腕に抱きつく。大輝は驚いて少し体を固くした。でも、三人組を威嚇するように睨みつける。
「ほら、行こう」
 麗華は大輝をそのまま三人組から離す様に歩く。後ろから「彼氏ちっちぇーな」っと野次と笑い声が飛ぶ。大輝の身長は麗華と同じぐらい。低くはないけれど、高くもない。中学三年生なら平均的な身長だ。それを野次られて、大輝は舌打ちして殴りに行こうとする。それを麗華が必死になだめた。

「大体。お前がちょろちょろして変なのに捕まるから悪い」
 苛立ちの原因が麗華に移ったようで睨まれる。
「じゃんけんで、負けた方がゴミ捨てって決めたのは大輝君じゃん」
「そうだけど、ちょっとの距離で絡まれるなよ」
「別に絡まれたわけじゃないよ。ちょっと話しかけられただけ。何もなかったから良いじゃない」
 大輝の不機嫌が直らない。どうしようかと思っていると、海に来たのに一度も海に入っていない事を思い出した。
 夜の海は危ないけれど、足を少しつけるぐらい大丈夫だろう。
 麗華は少し嫌がる大輝の腕を掴んだまま、そのまま靴を脱いで海に足を入れた。大輝も海の中に道連れだ。

「気持ちいね!」
 蒸し暑い中、このひんやりする海温が心地いい。
「俺。靴のままなんだけど」
「大丈夫。こんなに暑いんだもの、すぐ乾くよ」
 麗華は海の中をはずみながら歩く。鬱陶しい気持ちが、この暗い海の中に消えて行くようだ。バシャっと水の跳ねる音と共に背中に水を感じて後ろを振り返る。
 大輝がにありと笑って水を蹴る。
「ちょっと!」
「すぐ乾くんだろ」
 麗華の言葉を引用されて、ちょっとムッとする。お返しと麗華も大輝に水を掛けて、大輝もそれに応戦する。
 無邪気に笑いながら、水を掛けあった。
 

 全て忘れて、生活するのは簡単だ。嫌な出来事も都合の出来事も全て蓋をして心の奥底に隠せばいい。
 今日一日、前と変わりない平凡な日常だった。術の話も神華の話も一切出てこなかった。
 守護家の事も、出会う前に戻れば良いだけで、全部忘れて生活すればいい。そうすれば、別の新しい人生を歩めるのだ。

 でも。
 全てに蓋をしてしまえば良いのに、『でも』と心の奥底で声がする。

 知らなきゃいけない事がある。
 麗華に術を掛けたと言う父は一体何者で今何をしているのか。
 母は一体何に怯えて、記憶喪失を装っていたのか。
 これは麗華が知らなきゃいけない事だ。彰華は、わからないならそれで良いと言ったけれど、それでは駄目だと思う。
 今は守護家や藤森家の事まで考えられないけれど、まず自分の両親の事を知りたい。そうすれば、きっと何かが見えてくる気がした。

 一日。普通の生活を楽しんだ。久しぶりに働いて自分でお金を稼ぐ楽しみを味わった。大輝と他愛ない会話もしたし、今こうやって水を掛けあって遊んでいる。
 気分転換は十分に出来た。
 普通の人と同じ日常生活はこれで終わり。さぁ、もう一度、非日常の世界に戻ろう。

 散々水を掛けあって遊んで麗華は手を止める。それから胸を軽く押さえて、決意を固めて大輝を見る。
「ねぇ、大輝君。私、お父さんの事探す事にした。だから、一度家に帰らなきゃいけない」
 麗華の部屋にある、月に一度送られてくる父からの手紙。あれを読み直して手がかりを探そう。
 大輝は麗華の突然の宣言に軽く驚く。
「父親って、お前に術をかけたって言う失踪中の?」
「そう。きっとお父さんは全て知ってる。私の前に姿を現さない理由は分からない。でも、お父さんを見つけ出して全てはかせなきゃ。多分大変だと思うけど、手伝ってくれるかな?」

 大輝は答えは聞かれなくても決まっていると、軽く笑って頷いた。


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2010.10.29

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