一章 四十話





 藤森家に着いて自分の部屋に行き着替える。シャワーを浴びたいと思うが、夜も遅く風呂場に行くまでの気力がない。布団の上に倒れて目をつぶる。
 今日あった出来事がすべて嘘だったらいいのに。嫌な現実なんてなくなってしまえばいいのに。
 そんな都合の良い事ばかり考える。
 どんなに良い事を考えようとしても、優斗や真琴のした事は消えるはずがない。神華を見つけようとする彼らの行動も思いも異常だ。
 そんな彼らから、離れられる事を喜べばいい。そう思うけれど、藤森家に来てから嫌な事ばかりあった訳じゃない。
 何時も一人で食べていた食事は大人数で食べられた。初めは皆、無言で食事していて、こんな人たちと食べたくないと思ったけれど、慣れて来た最近は談笑して食べる様になり食事が美味しく感じた。
 少しずつ、守護家の人たちと話す様になり、藤森家に居るのも楽しくなってきた矢先の出来事だ。
 優斗が初めから策略していた事を考えると、今までの事全てが偽りに思えてきた。
 虚しい思いは、見えない針となり麗華の心に深く突き刺さる。

 早く自分の家に帰りたい。たとえ、一人でも傷つけられ神華じゃなければ必要ないと言われる事はない。それに、家に帰れば麗華が一人で生活している事を気にかけてくれる地元の友人が居る。ふられてしまったけれど、隣に住んでいる友人も麗華の事を大切に思ってくれている。彼らは誰一人、神華かどうか試す為と言って、麗華を危機的状況に追いやり傷つけようとしたりしない。
 危険で理解できない事の起きる非日常では無く、穏やかに過ぎる日常。
 早く戻りたい。

 でも、これから神華の見つからないままの陰の守護家はどうなるのだろうと、心配する気持ちも微かにある。
 わずかな血で、守護家の人たちが飢餓状態から抜け出せるのなら、麗華の血を分けてもいいと思ってしまう。

 突然、窓を何かが叩く音がした。まだ何かあるのかと、驚きと怯えで布団から飛び起きる。ただの風ではない。誰かが叩いている音だ。一体誰だろう。人だろうか、それとも麗華の見えない何かだろうか。
 恐る恐る窓を覗く。窓越しに見えたのは、金髪の髪で釣り目の少年。大輝だった。
 予想外の人物に、何の用だろうと不思議に思いながら窓を開ける。
「……大輝君? どうしたの?」
「お前。生きてるか?」
「ん? 生きているけど?」
「そうか。ならいい」
 麗華の安否を確認して大輝は安堵するように胸をなでおろす。
 夜中にいきなり来て、何を言い出すのだろう。しかも、大輝の部屋から麗華の部屋まで近いのに何故窓から来るのだ。普通に戸から聞けば麗華も不信に思わない。
 暗がりで分かり辛いが、大輝の顔色が悪い事に気が付いた。脂汗の様なモノが額に浮かんでいる。
「どうしたの? 顔色悪いよ、大丈夫?」
 心配して声をかけると、大輝に睨まれる。
「人の心配より自分の心配したらどうだ。ブスが余計酷くなってんぞ」
 泣いていた所為で目が腫れているのかもしれない。帰って来てから鏡を見て居ない。顔を手で隠す。
「そんな酷い顔してる?」
「今更だろ。それより。ここから出るぞ」
「出るって?」
「お前このままここに居るつもりなのかよ」
 先ほどの事件を大輝も知っているのだ。
「明日伯母さまに挨拶してから地元に戻ろうと思っていたけど」
「バカか。菊華さまがお前を手放す訳ないだろ。すぐに、あの手この手で引きとめるに決まってんだろ。今、この期を逃せば藤森家から出れなくなる」
「でも、なんで、大輝君が?」
 いつも荒く当たって来る大輝が、麗華を連れ出す役をする事が不思議だった。
「うるせーな! 俺じゃ悪いのかよ!」
 大輝が怒る。その声の大きさに驚く。
「ねぇ、こっそり抜け出すんじゃないの? そんな大声出してバレバレになるんじゃ」
 指摘すると舌打ちされる。
「ここに居たら、あの狂った馬鹿な奴らにマジで神華の代わりやらされっぞ。それでいいのかよ」
「いいはずがない」
「なら、そのままこっちに来い」
 窓から伸ばされる手を見つめる。すぐこの手を取って外に出たいけど寝間着姿だから、そのまま外には出れない。
「ちょっと着替えてからでいいかな?」
 軽く舌打ちされる。
「早くしろよ」
「うん」
 急に居なくなって騒ぎになっても困るから、菊華宛てに書き置きを残す。着替えを済ませて、必要雑貨を鞄につめる。準備を整えて窓の傍に行く。
「早くしろ」
 窓から伸ばされる手を麗華は掴んだ。

「何処行く気だ」
 何時の間に部屋の戸を開けたのか、腕を組んで彰華が麗華と大輝を見据えていた。
「彰華君。……聞いたんでしょ?」
 こんな時間に大輝が来て、彰華も来たのなら皆に話が行きわたってはずだ。彰華は戸を閉めて部屋の中に入る。
「聞いた。だから藤森家を出て行くと言うのも分かるが、そのまま大輝に付いて行って大丈夫だと思うのか?」
「どういう意味?」
 まさか、大輝までもが神華かどうか試す為に危機的状況へ誘導する罠をはっているのか。
「一度大輝が、後を付けられた事を忘れたのか。そのまま付いて行けばただ泳がされるだけだ。すぐに戻って来る事に為る。俺に考えがある」
 眉を顰めて彰華を見る。彰華も麗華を襲わせた事を黙認していたのに今更、上手く逃げる助言をするのにはどんな思惑があるのだろう。
「なんで? 彰華君だって優斗君達のしてた事黙認していたじゃない」
「それで、力がはっきりするならそれでいいと思っていた。だが、過激になる一方何も成果が得られていない。麗華がこれ以上、ここに居れないと言うなら、逃げる手伝いをしてやる」
「何のために?」
「居たくないと言う奴を止める理由があるか?」
 本気で言っているのか、彰華の考えている事が良く分からない。
「大輝。お前はそのまま外に出て駅前で待っていろ。これを持っていけ」
 彰華が大輝に札を渡す。彰華が作った姿隠しの札で大輝の作るモノよりはるかに性能がいい。彰華より力がある者には通じないが、華守市で最も力があるのは彰華だ。
「何考えてんだよ」
「お前には分からないさ。早く行け。大輝を見張っている式神は俺が何とかする」
「信じていいのかよ」
「いいから、早く行け」
 彰華が軽く急かすと、大輝は舌打ちして森の中に姿を消す。
 大輝が居なくなり部屋に彰華と二人だけになる。彰華は一体何を考えているのか。
「まず、荷物は全て置いていけ。あいつらが細工している可能性がある。服や下着も、藤森家を出たらすぐに処分して新しくしろ」
「分かった。でも、やっぱり彰華君が逃げる手助けをする意味がわからない」
「そうか? 俺はここに君が居なくてもいいと思っている。どこかで生きていればそれでいい」
「なにその別居中の夫婦の様なセリフ」
 彰華が軽く笑う。
「分からなければそれでいいさ」

「ねぇ、彰華君は私が神華だと思う?」
「…………さぁな」
 彰華は曖昧に笑う。
「知ってる事があるなら教えてよ。気になるじゃない。優斗君達に勘違いされて、なんで違うって言わないの?」
「じゃあ、逆に聞くが、危機的状況になった時に本当に何も起きなかったのか?」
「起きていないよ」
「本当に? 良く思い出してみろ」
 無意識に胸元に手を当てる。襲われた時に何か遣ろうとした気もする。でも記憶が曖昧で良く覚えていない。良く考えて思いだそうとするけれど、思いだせない。
「……何かあったのかもしれない、でも思いだせない。何で何だろう?」
 自分の事なのに良く思い出せない事があるのは、気持ち悪く不安に駆られる。
 もしかして、本当に優斗が言う様に覚醒していないだけで、神華だったりするのだろうか。散々違うと、罵ったのに実は本当は神華でしたと言う落ちがあるのは嫌だ。
「そうか。なら、それで良いんだろう」
「いいの?」
「思いだせないのなら、無理に思いだそうとする必要がない事なのだろう」
「そうなのかな……?」
「一つだけ、教えておく。君には術が掛っている。それは優斗達が遣ろうとした事の反対の術で、妖魔から姿を隠す為の術だ。藤森家の血族なのに今まで生きて来て、妖魔に襲われる事が無かったのは、妖魔に見えていなかったからだ。それだけじゃなく、式神や術者からも見つからない様に姿隠しの術がかけられてる」
 彰華からの思ってもいなかった言葉に驚き眉を顰める。式神や術者に見つからない様に姿隠しの術が掛けられている? 式神については一つ思い当たる節がある。はじめて藤森家に来た時に蓮の案内で廊下を歩いていると、式神に躓いて転んだ事があった。あの時、式神の存在を信じていなかったが、菊華の客として来ている麗華の足元を藤森家を管理している岩本家の式神がうろつくのは妙だ。あの時、式神には麗華の姿が見えていなかったのだ。
「……どういうこと? 誰がやったの?」
「麗華の父親だ。麗華に術を掛けると俺に知らせに来た」
「なにそれ!? お父さんが? 彰華君お父さんに会った事があるの!?」
「三回ある」
「そんなにあるの? だって、伯母さまはお父さんの事知らない様だったよね。何時会っていたの?」
「俺だけに会いに来たから、他の人は気が付いていない。最後に会ったのは君と同じ日だろう。桃華叔母さまが亡くなった日だ」
「そんな、でも、でも変じゃない? 華守市と私の住んでいる所は離れているし、あのドタバタしていた時に葬式の準備すら人に任せて、彰華君に会いに行ったって言うの!」
 頭の中が混乱してくる。父の行動が理解できない。母が亡くなった日は今でも良く覚えている。
 夜中に父に起きる様に言われて目を開けた。何か嫌な予感がして、子供部屋から両親の寝室へ駆け付けた。母が寝ている布団に潜り込み、一緒に寝ようとすると何時もと違う事に気が付いた。甘えん坊の麗華が布団に入ると、母は何時も気が付いて抱きしめてくれるのにそれが無かった。寂しく思い、母に自分から抱きついても反応がない。呼びかけると、返事は返って来なく母は眠る様に亡くなっていた。
 隣に寝ているはずの父に助けを求めても、父はすでに居なくなっていた。
 自分で救急車を呼び、近所の人に助けてもらいながら葬儀をあげた。母が亡くなってから、一度も父に会っていない。月に一度一方的に届く手紙だけでしか、父の様子を知る事が出来なかった。
 そんな状況だと言うのに、父は彰華に会いに遠く離れた華守市に来ていたのか。
 今まで、言わない様に気付かない様にしていた父へ対する不満が胸の中で疼く。

「君が思っている様な会い方じゃない。夢の中に現れるんだ。自分は麗華の傍に居られなくなったから、後はよろしくと、無責任な事を言って去って行った」
「夢の中? 意味が分からない。どうしてお父さんが彰華君の夢の中に現れるの?」
「そういう術を使ったのだろう。かなり強い力を持った術者だからな」
「お父さんって術者なの?」
「そうだ。どんな理由があり姿を隠したのか俺にも分からない。だが、守る者が居なくなる事を心配して、姿隠しの術を掛けたようだ」
「力を持った術者で、妖魔や術者から見つからない様に姿隠しの術を掛けたの? なら、私にその力は遺伝していないの?」
「しているだろ。だから血に力がある。だが上手く使えないから、見つからない様に麗華を隠す必要があった。そういう事だろう」
 混乱していて理解するのが難しい。父が力を使っている所も不思議なモノを見ている様子もなかった。普通の一般的な家庭だと思っていたのに、実際は違っていたのだ。
 麗華の事を考えて姿隠しの術を施したと言うのなら、なぜ麗華にその事を教えなかったのだろう。
 父は何を考えていたのだろうか。一般の子供と同じように育ってほしかったから隠していたのだろうか。
 父が居れば問いただすのに、推測しか出来ない歯痒さに苛立つ。
「麗華に掛けれている姿隠しの術は強力だから、力の掛った物を持たなければ、妖魔からも他の術者からも見つかる事はない。安心して好きな所に行け。ただ、悪いが地元には戻ればすぐに連れ戻される事になるだろう」
「そんな。私家に帰りたいのに、帰れないなんて……」
「連れ戻されるのが嫌なら、上手く遣る事だ。さあ。時間も残り少ない。これを持って俺に付いてこい。正面から藤森家を出る」
 彰華は大輝に渡したモノと同じ姿隠しの札を麗華に渡す。
「正面から藤森家を出て平気なの?」
「今、大輝以外の陰陽の守護家は母上と話をしている。廊下に居るのは式神ぐらいだから平気だ」
「なんで、大輝君以外なの?」
「あいつは本当ならまだ謹慎中で、断絶の間に入っているはずだからな。呼ばれなかったのさ」
「ダンゼツの間ってなに?」
「時間が無くなる。後で大輝にでも聞け」

 麗華が頷くと、彰華は普通に廊下に出る。誰かに呼び止められないか少し緊張する中、姿隠しの札を握って彰華の後を歩く。
 母屋と離れを繋ぐ中庭を通る。ふと、池を見ると真夜中なのに赤く存在を主張している鳥居が見えた。一つの鳥居の内側に二つ鳥居が見える。前に見た時は一つしかなかったのに、鳥居が増えている事を不思議に思う。その先はやはりぼやけて良く見えない。
 鳥居を見ていると、彰華も鳥居に視線を向けた。蓮には見えていなかったのに、彰華には見えているようだ。でも鳥居について口に出して聞こうと言う気は何故か起きなかった。軽く彰華と視線が合うが、そのまま母屋に続く道を黙って歩く。
 誰とも会わずに、藤森家の門まで到着した。
「後は、一人で行けるだろ」
 彰華は門の前で麗華を見る。
「……うん」
「元気でな」
「……うん。ねえ。彰華君も、一緒に行かない?」
 何故、そんな言葉が出てきたのか麗華自身良く分からない。神華である彰華が藤森家を離れられるはずがないと分かっているのに、言葉が勝手に出た。
 彰華は虚をつかれた顔をして、苦笑いする。
「俺は行けない。早く行け。……幸せに暮らせよ」
「うん。分かった。彰華君も元気で、また何時か会おうね」
「俺的には二度と会いたくないがな」
「酷いな。何時か、この出来事も笑い話になる時が来るよ」
「……来るといいな」
「来るよ。それじゃあ行くね。有難う助けてくれて」
「あぁ……」

 麗華は彰華に軽く手を振り藤森家を出て駅に向かった。



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2010.10.10

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