一章 三十六話




 真琴が包帯を変えてくれた後に、彰華が呼びに来て藤森家当主、菊華に朝の挨拶をする事になった。
 菊華は昨日の出来事を麗華の口からなにが在ったのか説明させた。なるべく大輝が罰を受ける事の無いようにと慎重に昨日の出来事を話した。
 菊華と会う間は三十畳ほどで上座に菊華が座り、少し距離を置いて彰華と麗華が並んで座っている。菊華の後ろの掛け軸は見た事も無い美しい花が二輪描かれている。着物姿の菊華は、凛とした美しさが在る。麗華の話を聞いている途中から表情を変えず、静かに何か思案していた。
「麗華さんに危害を加えようと企む者を、調べさせているわ。総力を尽くしているけれど、未だ見つけられていないの。ですから、麗華さんは為るべく藤森家から出ないで頂きたいの」
「……はい。でも、それは何時までですか? 犯人が捕まらなかったら、ずっとここに居なきゃいけないんでしょうか」
 藤森家に守ってもらえるのは心強いと思う。でも、何時までも藤森家に閉じこもっているのは辛い。
「三日以内に犯人は見つけ出すわ。だから安心なさい」
 菊華の確信に満ちた瞳に励まされる。菊華がここまで断言して言うのだから、もしかしたら大体の目星が付いていのかもしれない。
「ありがとうございます」
「良いのよ。元々我が家を害する者は放置など出来ませんもの。……恐い思いをされたでしょう。麗華さんを護衛するように陰の守護家に命じて在りますから、常に陰の守護家と共に行動なさい」
 元々守護家を頼ろうと思っていたので、菊華の言葉は大変ありがたかった。
「はい。有難う御座います。誰かの傍には居るようにしようと思っていたので、助かります」
「麗華さんの大切な身に何か起きては困りますからね。確り役目を果たすよう言いつけて置きましょう。……でもね。少し困った事があるのよ」
「困った事とはなんですか?」
「麗華さんに頼んでいた、勾玉廻りがまだ途中でしょう。一度始めたら、最後まで遣らなければいけないのに、祭典までの残り日数もありませの」
「彰華君がかわりに遣れば良いんじゃないんですか。今までそうしていたんですよね?」
 隣の彰華を軽く見る。彰華は、菊華の前だけ態度も仕草も変わる。物静かな様子で微笑む。
「確かに、今まで私が代役をやっていました。ですが、すでに麗華さんが始められた勾玉廻りを、私が引き継ぐ事は出来ないのです」
「そうなの? そういうモノだって知らなかった……。もし途中で止めたり、遣る人を変えたらどうなるの?」
「今まで中断や、人を変えた例が無いので分かりませんが、一度始めた儀式は中断する事は禁じられています。怪我をされている麗華さんには負担だと思いますが、最後まで遣って頂きます」
 彰華が困ったように微笑む。勾玉廻りがそこまで重要な事だとは思っても居なかった。ただ守護家にある祠から取り出した勾玉を受け取って、菊華に渡すだけの簡単なものだ。意味のある事だと思っても居なかった。

「勾玉廻りは順に各家から借り受ける事によって、藤森家の結界を強める効果があるわ。さらに、祭典の際に五つの勾玉を繋いだモノを身につけて、神華が舞を踊る事によって勾玉の力を年に一度補充しているの。とても、重要な儀式でもあるのよ。この状況で続けるように頼むのは、大変心苦しいのだけど、お願いできるかしら」
 結界とか良く分からなけれど、菊華の頼みを麗華が断れる訳もなく、麗華は二つ返事で遣る事を了承した。
 ただ家に行って、勾玉を取って来るだけだから、歩いたり、正座をしたりするのは足に負担が掛るけれど、そのくらいなら出来ると思った。菊華も足の事を配慮すると言っていた。
 水谷家の真琴と湖ノ葉が呼ばれて、水谷家に行く準備をするように告げられる。真琴が一日麗華を休ませてはと提案していたが、すでに昨日勾玉廻りを一日休んでいる為、菊華は心苦しそうに却下した。勾玉廻りは日を空けずにするのが通例、七日以内に全て終わらせる事と定められていた。


 仕度が整うと藤森家から車に乗り水谷家に移動する。麗華の護衛に選ばれたのは、優斗と蓮だった。前回は優斗だけだったが、今回から二人護衛が付くことになっていた。助手席に真琴が座り、蓮、優斗、麗華の順に後部席に座った。やはり他家の訪問は着物と決まっているらしく、今日も桃色の着物を着込んで勾玉廻りに行く。普通の服でも足が痛み歩き辛いのに、着物だと余計にうまく歩けない。何かに掴まらないとまともに歩けないので、真琴の手を借りて車に乗り込んだ。

 蓮は昨日の出来事を気にしているらしく、朝会った時から麗華と視線を合わせていない。車の中でも真琴と優斗と麗華が談笑する中で一人沈黙していた。
 麗華も蓮とどう接して良いのかわからない。昨日の出来事は血を飲んだ為の暴走だろうと推測したけれど、また、あんな事になったら麗華の力では抵抗出来ない。蓮が好んで襲った訳じゃないので、責めるのは違うと思うし嫌いになった訳じゃないけれど、あの出来事を無かったことにして、普通に接する事も出来なかった。
 時間を空ければ余計に気まずくなる。蓮とちゃんと向き合って話しをしなきゃいけないと思う。でも今は、自分の周りで起きている事に気を取られて居て余裕が無かった。水谷家の勾玉廻りが終わった後、藤森家に帰って来てから話をしてみようと思った。


 水谷家に着くと、今までの和式屋敷じゃない事に驚いた。まるで、ヨーロッパのお城の様な建て構えで、十階建て程で塔の様なモノまである。最近和式の物ばかり見ていたから、洋風のモノがここにある事に少し違和感を覚えた。
 でも、女の子なら一度は憧れて行ってみたいと思う様な立派なお城で、少し胸がときめく。塔の屋上から景色を眺めたら最高なのだろうなと想像する。
「ふふふ。凄いでしょう。わが家の自慢の城なのよ。三代前の当主がヨーロッパの城に憧れてね。屋敷が火事になったのをきっかけに全て建て替えたの。このお城にある全て、三代前の当主が設計して立てたのよ。中にステンドガラスや天井画も在ってとても綺麗なのよ」
 麗華の目が輝く。水谷家の中に入るのが楽しみになって来た。足が痛むので、真琴の腕に手を乗せて歩く。出迎えの人たちが数人いて、軽く挨拶してから中に入った。
 中に入ると期待を裏切らず、煌びやかな装飾品や細かい細工のある柱や天井画が目に入る。本物のヨーロッパのお城に入ったような不思議な気持ちになる。足の痛みも忘れて、真琴が軽く案内してくれた水谷家の様子を見てはしゃいだ。
 会議室の様な場所に連れて来られて、水谷家の当主から挨拶される。水谷家の当主は五十代後半の男で、すらっとした体や、鼻筋の通った綺麗な顔立ちは真琴に良く似ていた。当主は真琴の親だ。真琴と湖ノ葉とは又従兄妹だ。
 家の雰囲気は比較的落ち着いている。蓮の様に面と向かって暴言を吐かれる事は無い様だ。でもどことなく、真琴と当主のやり取りが他人行儀だ。当主も真琴もお互い敬語で話していた。やはり、真琴も陰の神華が居ない所為で肩身の狭い思いをしていたのだろと想像できた。

 勾玉廻りの準備を整える間、部屋で待たされる。他の家では日本茶を持ってきてくれたけれど、この城の雰囲気に在った紅茶がもてなされた。壁に飾られている花の絵に目がいく。油絵で描かれた花は、繊細な彩で本物の様に美しい。絵の虜になり暫く絵を見つめていた。
「気に入ってくれた?」
「はい。凄く綺麗です。まるで本物見たい! 蝶も間違ってとまっちゃいそうですよ。本当に綺麗。この絵が在るだけで部屋が明るく為る気がしますね」
「まぁ。嬉しい事を言ってくれるわね。気に入ったならあげるわ」
 真琴は壁に飾られている絵を外して、麗華に差し出す。欲しいとかそういう気持ちで言った訳じゃなかったから驚いた。
「いえ、そんなの悪いですよ」
「描いた本人があげるって言ってるのだから、遠慮しないで受け取って」
「え! これ、真琴さんが描いたんですか!」
 真琴にこんな芸術の才能があったとは驚きだ。
「そうよ。だから気に入ってくれた人が持っててくれたら嬉しいわ」
「素敵な絵なので欲しいです。……でも、こんな素敵な絵貰うのは気が引けます」
「落書き見たいなモノだから気にしなくて良いのよ」
「落書き! これがですか! どんだけ高度な落書き何ですか!?」
「この位の絵なら、結構あるのよ。倉庫に埋もれてるのもあるし、貰ってくれたら嬉しいわ」
「真琴さんって、気に入ってくれた人にはいつも絵をあげたりするんですか?」
「いつもじゃないわ。これでも一応画家としてデビューしてる身だから、簡単に人にあげたりはしないわね。でも、麗華さんは特別よ。部屋に飾ってくれると嬉しいわ」
「えぇ!! 画家さんだったんですか!?」
「そんな驚く事ないのよ。そこまで有名じゃないし、暇つぶしに描いたのが偶々賞を取ってね。その流れで、画家になっただけだから」
「凄いですね!」
「趣味みたいなものよ。我が家に来た記念品としてもらって頂戴」
「記念品って……」
「それでも駄目? ……それじゃあ。麗華さんの絵を描かせてくれるかしら?」
「私の絵ですか?」
「そうよ。人を描くのっていい勉強になるのよ。その絵をあげる代わりに、モデルになってくれる?」
「そんなことで良ければ、喜んで! 似顔絵とかって描いて貰った事ないから楽しみです!」
 麗華は真琴から絵を受け取り、自分がモデルになった絵を想像して喜ぶ。この花の絵を貰えた事も凄くうれしい。本物の油絵なんて、麗華の家には無かった。家に帰ったら、居間に飾ろうと決める。きっと部屋の中が、明るくなるだろう。今から楽しみだ。


 それから、滞りなく勾玉廻りが終わり、午前中のうちに藤森家に帰って来た。水谷家の城を探検してみたかったけれども、広い城の中を歩きまわる体力はまだない。早めに、藤森家に帰る様にと菊華からも言われていた。
 何事も無く水谷家から帰れた事に少しホッとする。
 車から降りて、貰ったばかりの絵を持ってご機嫌に歩く。痛みが無く、普通に歩けたので一人で歩いていたら、急に痛みが足を響いた。よろめいて、咄嗟伸ばされた手を掴む。
「あ、危なかった……。ありがとう――ぁ」
 伸ばされた手を辿る様に上を見ると、蓮の顔があった。黒のスーツを着て、無表情で麗華を見下ろす。蓮が助けてくれるとは思っていなかったので驚いて、反射的に手を放した。手を放した後で後悔する。これじゃあ、触れるのも嫌で拒絶して手を放した様に思われてしまう。余計気まずくなって空気がギクシャクする。
「あ、あの、ありがとうございます……」
「…………気を付けろ」
 軽く眼鏡を整えて、蓮が麗華から離れて行く。離れて行く蓮の背を見て、このままじゃいけないと思った。傷ついた表情はしていなかったけれど、きっと不愉快に思われた。
 このままじゃいけない。
 麗華は、遠ざかろうとする蓮の背広を捕まえる。でも、足が上手く動かなく、そのまま蓮に頭突きするように背に直撃し蓮を巻き添えにして地面に倒れ込んだ。

「……ちょっと、貴方たちなにしてるの?」
「転んだの? 大丈夫?」
 体制を整える為に前を向いた蓮の上に乗っかった状態の麗華を見て、真琴と優斗は不思議そうに見る。

「ご、ごめんなさい。……呼び止めようとしたんです。どこか痛いところとか在りませんか?」
「無い。それで何だ?」
 何だと言われると、急に言葉は出てこない。ただ、あのまま蓮を行かせては後悔すると思ったのだ。
「きょ、今日はいい天気ですね?」
「…………。重い。どけろ」
 未だ、蓮の上に倒れている事を思い出して、余計に気まずく思う。
「いま、除けます!」
 着物の所為と足の痛みの所為で上手く立てないで居ると、麗華の下から起き上がった蓮が手を引いて立たせてくれる。
「ありがとう御座います」
「今度呼び止めるなら、頭突きじゃなく声をかけろ」
「……はい。……今度は、普通に呼び止めますから」
 昨日の事はもう気にしない。むしろ蓮たちが暴走しないように、自分が気を付けなきゃいけない事なんだろう。
 だから、今度は普通に話しかけるから、無視やそっけなくしないでほしいと言う気持ちを込めて言う。
 蓮に通じたか分からない。蓮は少し、眉間に皺を寄せてから軽く眼鏡を整える。
「あぁ。そうしてくれ」
 蓮はそういうと藤森家の屋敷に入って行く。残された麗華は蓮が去る瞬間軽く口元が緩んだのを見逃さなかった。
 蓮の行動を不思議に思った真琴と優斗が首を傾けるなか、麗華はほっとして胸を撫でおろした。




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2010.9.27

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