一章 三十五話



 派手な音を立てて朝食の膳が床にこぼれた。朝食のまみれになりお膳の上に倒れた真司は、殴って来た相手を睨みつける。
「なんで、僕が殴られなきゃいけないのさ」
「俺が悪いみたいに言うからだ!」
「はぁ? ふざけんなよ! お前が連れ出さなければこんな事にならなかったのは事実だろうが、馬鹿」
 真司は立ち上がると大輝の胸倉を掴み怒鳴りつける。
 昨日麗華を連れ出しその上、藤森家の血族であるのにも関わらず、公園に置き去りにした所為で麗華は妖魔に襲われて大怪我を負った。麗華が居なくなった事に気が付いた真琴たちが麗華を探し当てなければ、妖魔に喰われていただろう。大輝は一度藤森家に帰って来た後すぐに姿をくらまし、携帯電話の電源も切り朝方に帰って来た。そして、つい先ほど、麗華の身に起きた事を知ったのだ。
 真司が麗華を連れ出し置き去りにした事を攻め立てると、大輝は逆切れした。麗華を連れ出した事にすぐに気が付かなかった、真琴たちが無能だったのが悪いと言い、麗華が妖魔に襲われると思わなかった、自分が公園に居た時は妖魔の気配は無かったと言い訳をした。麗華の安否を気にするが、真司に攻め立てられると素直に自分の非を認められない。
 朝食の席で、真司と大輝が殴り合いの乱闘を始める。一向に謝罪の言葉も言わない大輝に、真司の苛立ちは募るばかり。激しくなる殴り合いを、真琴、優斗、蓮は止めることなく見つめていた。そのうち、朝食を取りに来た守護家の女性陣が荒れ果てた部屋を嘆き、二人を引き離そうとしているところに彰華がやって来た。

 二人の乱闘を見て、彰華は軽くため息を付き長めの前髪をかき分ける。厳しい顔で二人の乱闘を見ている真琴たちに目を向ける。
「止めないのか?」
「なんで、止める必要があるの。大輝が麗華さんを連れ出したのが悪いでしょ。私が真司の代わりに殴って遣りたいところよ。でも、遣ったら手加減出来なくて殺しちゃいそうだから、真司に任せているの」
 真琴が腕を組みながら言う。優斗、蓮も同感だと言わんばかりに頷く。
「そうか。でもこれじゃあ、朝食どころじゃないな。小百合、麗華の所に朝食を運んでやれ」
「分かりました」
 小百合は軽く彰華にお辞儀して廊下に出て行く。
「麗華を襲った妖魔の正体は分かったのか?」
 華守市、特に彰華の行動範囲に妖魔除けの結界がはられている。元々、華守市に生息する妖魔は別として、他から妖魔は簡単に出入り出来ないはずだ。花守公園も彰華が良く行くところなので、結界が施されているはずなのに、機能していなかった。これは明らかに内部から妖魔を引き入れたか、別の方法で公園内に放ち麗華を襲わせたのだろう。前回麗華が森で襲われた時から藤森家を管理している岩本家が中心となって調べているが、今の所進展はない。何者が何の目的で、麗華を襲わせたのか、これ以上麗華に危害が加わらない為に早急に調べる必要がある。
 
「巧妙に痕跡を消していて犯人が特定できない。今日、花守公園に再度行って調べてみる」
 気配を読み取る事に長けている蓮は、渋い顔をしたまま眼鏡を整える。麗華が妖魔に喰われかけ血まみれに為っていた時の光景が思い出され、唇を噛む。何故もっと早くに助けて遣れなかったのか、自己嫌悪に落ち込む。
「他に妙な動きをしているところは無いのか?」
「ちょっと、占ってみたけど、麗華さんを不満に思っている所が結構あるんだ。各家に表だって不穏な動きはなくても、内心急に現れた力の見えない麗華さんを不満に思っている家が多い。過激派も占って見て、危険な人物は特定できたよ。菊華さまと岩本家に報告済み。処理してくれると思う。誰か聞きたいなら今教えるよ」
 優斗は得意の占いで、危険人物を割り出していた。今後麗華が、どのように行動すれば安全かも占いその事も彰華に告げる。
 一通り優斗からの報告を受けると、いまだ乱闘している真司と大輝に視線を遣る。

「そろそろ、麗華もこっちに来るだろうから止めるか」
 彰華が、莉奈や麻美に二人を引き離す様に視線を送る。暴れる二人を、守護家女性陣は術を使い二人を引き離した。
「止めるな! こいつまだ、謝罪の一言も無いんだ! 一回殺してやる!」
「大体、妖魔に襲われるあいつが悪いんだ! 狙われる様な脳無しが悪い!」
「まだそんなこと言いやがって!」
「だってそうだろ! 力があったら狙われる事も無かったんだぜ! 力社会のこの世界で力の無い屑がいる事の気に喰わない奴が、襲わせたんだろ。だったら、あんなクソ女、さっさとここから追い出せばいいんだ!」
「死ね。クソガキ! マジで僕が葬ってやるよ!」
「遣れるもんならやってみろよ! 無能なクソ女庇った事後悔させてやる!」

「いい加減にしろ」

 怒鳴り合う二人を見据え、彰華が低い声で一言呟く。二人は怒りがおさまらない様子で、止めた彰華を睨んだ。
「大輝、自分が何をしたのか分かっているだろう。何を考えて麗華を連れ出したかは知らない。だが、どんな事があろうと、藤森家の血族は藤森家の敷地外で単独行動させる事を禁じている。それを破った、罰は受けて貰う」
 藤森家と守護家にある掟の一つだ。大輝も幼い頃から教育されて、当然の事とは知っていた。でもその事をあの時自分の事で手いっぱいで頭から抜け落ちていた。大輝は舌打ちして視線を逸らす。
「断絶の間にしばらく入っていろ」
 断絶の間とは、一畳にも満たない狭い牢獄で、外部からの音も光りも遮断された暗闇の間だ。中では術が使えなくなる上に、体の精気が吸われる。何も無い狭い間で生まれ持っていた力が無効かされる上に精力が吸われ、と精神的に参る。さらに暗闇浮き上がる様にもっとも恐ろしいモノが襲ってくる幻覚や、不快な言葉や音が聞こえる。三日中に居れば精神崩壊が起きる。藤森家にある拷問をする間の一つだ。
 罰を受けて何度か入った事があるが、大輝が一番恐れている間だ。入りたくないと抵抗したいと思うが、掟を破り置き去りにした自分が悪いと自覚もある為、抵抗はしなかった。舌打ちして、大輝を押さえつけている術を無理にほどく。
「分かったよ、入ってれば良いんだろ!」
 大輝は自ら断絶の間に向かおうとする。
「麻美付いていけ」
「わかったわ」
「いらねーよ。自分で行ける」
「大輝が逃げるかもしれないから、私が付き添うの。黙って歩きなさい」
 麻美に言われて、大輝は舌打ちする。部屋を出て行こうとする、大輝に真司が呼びとめる。
「おい、麗華にちゃんと謝れよ」
「………………」
 大輝は何も言わないまま麻美に付き添われたまま部屋を出て行った。

「少し甘いんじゃないか。断絶の間なんて藤森家にある拷問の間の一番優しい部屋だろ。もっと厳しい間にすればいいんだ」
「いやそれで、充分だろ。……最も危険な間には別の奴らを送って遣りたい」
 真司の不満そうな声に彰華はひとり言のように呟く。彰華の言葉に真司も全く同感だと、頷く。見つけ出したら、藤森家に立て付いた事を死ぬほど後悔させて地獄を見せてやる。




 自室に籠っているのは退屈だ。それに一人で居ると思考が暗くなる。麗華はテーブルに頭を乗せて力を抜いてため息を付く。
 小百合がお膳を下げに来たきり、誰も部屋に来ない。自分から人に会いに行きたいけれど、小百合からまだ体調が悪いのだから絶対部屋から出るなと、何度も念を押された。真琴や大輝にお礼を言いたいのにと、貰った抱き枕を指でつつきながらまたため息を付く。
 携帯電話で暇を潰していたけれど、いつもは楽しいネット巡りをしていても虚しいだけ。
 誰か来てくれなきゃ、不安に飲み込まれそうで恐いのに。
 そうだ。誰も来ないなら、自分から呼ぼう。麗華は携帯電話のアドレスを見る。誰を呼ぼう。今持っている携帯電話のアドレスは彰華、優斗、真司、蓮、大輝の五人だ。真琴からはまだアドレスを聞いていない。呼びやすいのは従兄の彰華か同い年の優斗、真司。でも昨日の血を上げた時の事があるから、優斗は外しておこう。
 彰華にしよう。恐いけれど、やはり今起きている現状を把握したい。藤森家の彼ならある程度、何が起きているのか知っているはずだ。
 通話ボタンを押そうとした時に、部屋の前に人影が見えた。

「麗華さん、真琴よ。入ってもいいかしら?」
 思いがけない人の訪問に驚いた。でも呼ぶ前に人が来てくれて嬉しい。麗華は携帯電話を閉め、軽く身なりを整えてから返事をする。
「はい。大丈夫です」
 真琴は救急箱と薬湯を持って入って来て麗華に薬湯を差し出す。黄緑色の少しとろみのある液体が美味しそうにはとても見えない。体には良さそうだけど、苦いだろう。飲むのをためらっていると、真琴が軽く笑う。今日の真琴は黒いストレートのパンツに白い半袖のラフなシャツを着ている。長い髪は下ろしたまま、いつ見ても男の人には見ない綺麗な顔立ち。軽く笑う姿も本当に綺麗で、見とれてしまう。でもふとした瞬間風呂場で出会った事が思い出されて、頭からその事を追い出す事に必死になる。
「大丈夫よ。甘めに作っているから、飲みやすいはずよ」
「え? ……あ、はい」
 違う事を考えていたから、真琴の言葉を理解するのに数秒要した。恥ずかしくなって、その事を隠す為に薬湯を一気飲みする。確かに真琴の言った通り苦みがない。桃缶の汁と似た味がした。
「凄く意外です。見た目はどう見ても不味そうなのに、美味しい!」
「そう? 良かったわ。体調はどう? 痛みや違和感があるところはないかしら?」
「立つと右足が痛いけど、他は大丈夫です」
「右足だけ、傷が深かったから綺麗に治して上げられなかったのよ。力不足でごめんなさいね。でも傷も後遺症も残らないように治療するから安心してね」
「いえ、あ、助けてくれてありがとうございました。治療も本当、有難う御座います」
 麗華が深々と頭を下げる。真琴は少し困ったように微笑む。
「良いのよ。気にしないで。……こんな痛む傷が残る前に助けてあげれば良かったな」
 下げたままだった麗華の頭を真琴が軽く撫でる。
「恐かっただろ。これからは、こんな事の無いようにするから」
 真琴が優しく頭を撫でる。最後に人から頭を撫でられたのは何時だっただろう。真琴のしなやかな指が優しく麗華の頭を撫でるたびに、驚きと懐かしさと恥ずかしさが混ざった感覚になる。それと、少し恐かった気持ちが少しずつ薄れて行く気がする。
 少し落ち着いた気持ちで顔を上げて、聞かなければいけない事、確認しなきゃいけない事を聴く心構えをする。
「あの。妖魔って色んな所に居るんですか?」
「いえ。普通はそんなには居ないわ。確かに中には危険なものも居るけど、派手に動いたりはしないの。そういうモノがあると私達が駆除するから、向こうも下手に行動を起こしたりしないわ」
「じゃあ。私、誰かに狙われているんですか?」
「そうね」
 真琴は言葉を濁すことなく麗華を見詰めたまま返答する。
「そんな……。……なんで?」
 そうじゃないだろうかと不安だったけれど、真琴にあっさり肯定されて息を飲む。
「理由はハッキリ分かっていないわ。でも、何者かに狙われているのは確かね」
「でも、なんで私を襲うんですか? 力が無いから? だから藤森家に居る事が気に入らないんですか?」
「藤森家に居る事が気に入らないからなのか分からないわ。でも、力が無いから襲われるんじゃないと思うわ。だって、麗華さんの血には力があるんだもの。その事はもう他の家にも伝わっているはずよ。その後に襲われたんだもの、理由は別にあるんじゃないかしら」
「じゃあ。私が今すぐこの町から出て行けばもう襲われませんか?」
「どうかしら。藤森家の血族だと他の県の者にも伝わっているだろうし、ここから離れるのは別の危険に襲われるかもしれないわね」
「……そんな事って、あるんですか」
「藤森家の血だけなのよ。術の力を回復させるモノって。だから利用価値はいくらでもあるわ」
「そんな重要な血なんですか?」
「そうよ。藤森家の血は術の回復剤として高額な値段で取引されているぐらい貴重なモノなのよ。それに藤森家は短命だから今生存している藤森家の血族は分家を入れても二十人程度なの」
 今まで自分が特別な存在だと思った事は無かった。でも思わぬところで自分に貴重な血が流れていると知って、嫌な気分になる。流れる血なんてどうでもいい。家もなにも関係ない。ただ、恐い思いも嫌な思いもしたくない。それだけが本心だ。

「貴女に危険が及ばない様、これからはちゃんと私達が守るから」
 真琴が麗華を力強い決意の籠った瞳で言う。
「ほんとうに?」
「ええ。任せて。この真琴さん筆頭に守護家が貴女の危険を排除してみせるわ」
 真琴は長い黒髪を軽くなびかせて、軽く微笑んでウインクした。





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2010.9.22

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