一章 三十七話




 服を着替えて真琴の部屋に向かう。真琴の部屋に入るのは初めてだ。部屋に入ると優しい花の香りがした。真琴からいつもする良い香りと同じだ。部屋の中には幾つものキャンバスが立てかけあり、画材道具が綺麗に整頓されて置いてある。真琴らしい整った綺麗な部屋だ。
 真琴は医者が着る様な白衣を着て大きなスケッチブックを持っていた。エプロン変わりに白衣を着ているらしく、白衣には絵具で少し汚れていた。
「さっそくだけど、その服脱いでね」
 語尾にハートマークが付きそうな、甘い声で真琴が笑う。真琴の言葉が理解できなく、反応に遅れる。
「……え?」
「あら。スケッチするんだもの、服は邪魔でしょ?」
「何でですか? 描くだけなら、服を着たままでもいいんじゃないんですか?」
「私、人物は裸婦しか描かない事に決めてるのよ」
「え! そ、そんなこと言われても、ヌードは嫌ですよ!」
「別にやらしい意味合いは無いのよ? 芸術ですもの」
「そ、そんな事言われましても、嫌です」
「大人の女になる前の少女時代の体を絵で残せるって、魅力的だと思わない?」
「思いません」
「あら、残念。でもまぁ。嫌なら仕方がないわね。服を着たままでもいいわよ」
 少し落胆した様子で真琴が言う。麗華は心底ほっとする。真琴が椅子を差し出し座る様に案内し、椅子に座った麗華の服と姿勢を軽く整える。
「……前にぜーんぶ見た事あるしね」
 麗華の髪の毛を軽く触って耳元で小さく囁いて笑う。
 忘れかけていた真琴との出会いの風呂場を思い出して、一気に顔が赤く染め上がる。言葉が上手く出なく口を金魚の様に動かす。
「あの時は仕方が無かったのよ。あのまま放っておく事は出来ないでしょ?」
「……いえ! その前にあそこ女湯でしたよね!」
「違うわよ。露天風呂は混浴になってるって書いてあったでしょ?」
「書いていませんでしたよ!」
「書いてあったわよ。見落としたのね」
 見落としたと言われて、風呂場の様子をよく思い出してみる。でも麗華の記憶では、混浴だと書いてある張り紙は無かった。
「それに、貴女も私の体見たのだから、お互い様でしょ?」
「そ、そ、それは! 見たくて見た訳じゃないですよ!」
「それにしてはまじまじ見てたじゃない? 真琴、あんなにまじまじ見られたのは初めてよ」
 少し頬を赤らめる真琴に対して、麗華はゆでダコの様になって反論する。
「見てませんよ! 絶句したんです!」
「胸もじっと見つめられて、ドキドキしちゃったわ」
「そ。それは確認しただけで! 変な意味は在りませんよ!」
「そう? ならそういう事にしておきましょう」
「本当にまじまじなんて見てませんから!」
「はい、はい。分かったわ。それじゃあ、スケッチを始めてもいいかしら?」
「え、あ。はい。良いですけど……」

 あれ。いつの間にか真琴が露天風呂に侵入していた事が曖昧になった気がする。そう気が付いたのは、真琴が麗華を描き始めて数分たった頃だ。今更あの話題を蒸し返す事が出来ない。

 スケッチブック越しに見つめられると少し緊張する。サッサツと、鉛筆がスケッチブックに擦れる音が部屋に響く。
 いつもとは違う真剣な眼差しで見られて少し鼓動が早まる。段々照れ臭くなり何か話しをしなくては気恥かしく座っているのが辛い。

「……真琴さんって何時から絵を描いているんですか?」
「覚えてないぐらい前からよ。何か物を作ったりするのも好きでね。そこにある箪笥も私が作ったのよ」
 真琴に指差された先には、細かい花の彫刻が掘られた箪笥があった。絵だけではなく彫る事も出来るとは手先が本当に器用なんだと尊敬の眼差しを送る。
「凄いですね! あんな細かく彫れる人って本当にいるんですね! いつ頃作ったんですか?」
「高一だったかしら。一時期絵を描くのに飽きて、色々やったわ。陶芸や硝子細工も遣ってみたけど、彫刻刀で彫る感じに嵌まったのよね 」
 真琴の家、水谷家では芸術に優れた人を数多く生み出している。
 水谷流の焼き物や硝子細工は繊細な色使いと緻密な細工で世界的にも有名だ。
「彫刻刀でなにか彫るなんて中学の美術でしか遣った事ないですよ。しかもその時バッサリ指切っちゃって痛い思いしました」
 麗華はその時の痛みを思い出して指を押さえる。中学三年の時なので傷痕はよく見れば薄く残っている。中々血が止まらなく困った事もよく覚えている。藤森家が、血は妖魔を引き付けると言っていたが、あの時は何も異変は起きなかった。真琴達は力がある血だと言うけれど、前は違ったのだろうか。もしかして、華守市に来てから麗華の中の何かが変化したとかあるのだろうか。自分ではなんの変化も感じない。今までとなんら変わりはないように思う。あるとしたら、華守市に来てから変な夢を見るせいで熟睡できて居ないことだけだ。
 毎日見ると言うことは、あの夢には何か意味があるのだろうか。
 祠にあるステーキが狼や禿鷹に狙われて、お豆腐レンジャーが出て来て助けてくれるのかと思いきや見て見ぬふりで結局、麗華の大好物のステーキが食べられてしまう夢。
 そういえば、前々回見た夢は少し変化があった。何時もは見て見ぬふりのお豆腐グリーンが助けてくれようとしていた。狼から華麗にステーキを救い出してくれたけど、結局禿鷹に盗られて食べられてしまった。
 変な夢だとは思うけれども、あれに意味があるとは思えない。

 真琴に手を切った時に何か異変はなかったか聞かれたけれども、本当に何も無かったのでそのまま話した。真琴は何か考えている様子で、鉛筆を走らせる。

「あの。真琴さんはどうして、その、姿なんですか?」
 真琴と二人きりと言う中々無い機会なので、前から気になっていた事を聞いてみる。真琴は男性なのに普段から女性よりもしなやかに色気のある仕草をする。口調も女性らしい。
「あら。何か変かしら?」
 首を傾けて長い艶やかな黒髪を鉛筆に絡ませ微笑む。色気のある仕草にどきりとする。
「いえ! どこも変じゃないんです! 違和感もないです! ……あの、男の人が好きなんですか?」
 男が女になりたいと思うと言う事は、そういうことなのだろうと思って聞いてみた。真琴は一瞬きょとんと眼を丸くしてから、くすくすと笑う。
「違うわ。私男の人に興味はないのよ。女の子の方が柔らかいし、可愛らしいから好きよ」
「そ、そうなんですか。じゃあ何で?」
「そうね。ちょっとした意地からこうなったのよね」
「意地ですか」
 スケッチブックに鉛筆を走らせながら真琴は話す。
「小学生ぐらいの頃、陰の神華が現れないのに、陽の神華がいてずるいって考えた時があってね。自分も女なら、力を持て余して苦しい思いも、嫌な思いもしないじゃないかって思ったのよ。いま思うと馬鹿みたいな話なんだけど、陽の守護家に憧れたのね」
 真琴がそんな風に考えていた事に少し驚く。でも、陰の守護家は少なからず、自分たちの神華が居る陽の守護家を羨んでいる。
「女の子の真似して、髪を伸ばしたら、意外に似合うじゃない。其処ら辺に居る女子より私の方が何百倍も可愛いかったのよ」
 小学生の真琴を想像する。今でも十分美人なのだから、小さい頃は誰もが振り返らずには居られないほどの美少女に見えただろう。
「でも、そんな事をしても女には為れる筈がないって、言われたものだから余計に、意地になって女の子の仕草や言葉遣いを完璧に覚えたの。どっから見ても女の子に見えるようにね。馬鹿よね。そんなことしても、女になれる訳ないのにね。でも、そうしているうちに、似合ってるし、世間では女の子として生活する方が得する事多いでしょ。たとえば、お店のお兄さんに優しく声をかけると商品をおまけしてくれたり、値引いてくれたり、馬鹿な男を再起不能にして遊んでみたり、色々ね。そうやって遊んでいたら中学に入る頃にはすっかり板について、抜けなくなったのよね」
「それで、女の人の格好をしているんですか?」
「あら。私、女物の服は着た事ないわよ。女装趣味は無いのよ。と言うか、身長があるし、体格も良いから女物の服入らないのよね。でも大抵の人は仕草と口調で勝手に勘違いするのよ」
 言われてみれば、真琴がスカートを着ている所は見た事がない。麗華も勘違いした一人だ。真琴の仕草があまりに自然だから疑おうとも思わなかった。それに、男の人が居ると思っていない場所で出会った事もある。
「人って仕草や口調で勘違いしちゃうものなんですね」
「そうね。結構曖昧なのよね」
「これからもそのままで居るんですか? たまに、男口調に戻る時ありますよね?」
「それは考え中ね。このままでも私である事には変わりないし。何より、私が男だと分かった時の人の反応を見るのが楽しいのよね」
「……皆驚くでしょうね」
「そうなのよ。知らずに告ってくる人とかを、再起不能にするのが楽しくて」
 悪趣味な事をして楽しんでいると、麗華は少し思う。真琴の様に美人なら、誰でも勘違いして好きになるだろう。真琴自身も気さくで、優しいところがあるので魅力的だ。
「後、この口調と仕草をするのを、家の人たちが反対していて、だから家に対する嫌がらせでもあるわ」
「嫌がらせ……」
「不肖の息子が更に愚かしい事をしていると嘆く様を見るのが楽しいのよ」
 ほほほ。と笑う真琴。
 やはり、真琴と水谷家の中でも確執があるのだ。陽の神華が居るのに、一向に現れない陰の神華の所為で、肩の狭い思いをしている。
 もう、割り切っている様子の真琴だが、些細な嫌がらせをして水谷家に対抗しているのだろう。
 早く陰の神華が現れれば良いのに。
 力の見えない、麗華は神華では無いけれど、真琴達がこれ以上不憫な思いをしない様に早く見つかる事を心から願う。

「真琴さん。陰の神華が見つかったら、陰口言ってる奴らなんかぶっとばして遣りましょうね! それに、真琴さんは今のままでも素敵です!」
「まぁ、麗華さんは激しいわね。でも今まで見つからなかった人が簡単に見つかるとは思えないのよね」
「そうですよね。どこに居るんですかね。藤森家の血族である事は確かなんですよね?」
「ええ。分家に至るまで詳しく調べてみたけれど、見当たらなかったのよ」
「もしかしたら、私の前に母がもう一人子を産んでいて、その子が神華だったとか……?」
「そういう事があったの?」
「いえ。でも、母が亡くなった時私はまだ十歳でしたから、幼児の時に亡くなった姉妹が居ても、教えて居なかったとも考えられるのかなっと」
「陰の神華が亡くなっている可能性はないのよ」
「そうなんですか?」
「彰華にある陽華が在ると言う事は、対になる陰華も存在して居るの。どちらかが亡くなれば、華は在るべき場所に帰るとされているから」
「在るべき場所って何処です? と言うか、神華って何かを封印している要なんですよね?」
「在るべき場所としか聞かされていないから分からないわ。彰華は知っているようだけれども、守護家には教えてはいけない掟が在るのよ。華が在るから封印の要になり、華が在るべき場所に帰れば封印が完了するの」
「そうなんですか。でも、なんか良く分からない話ですね。大体華が帰るって事は、元々は神華にある陽華と陰華は生まれつき胸にあるモノじゃないって事ですか?」
「どういう仕組みになっているかは、守護家には教えてくれないのよ。だから言葉として『帰る』と知っていても、詳しい意味合いは分からないわ。彰華に聞いてごらんなさい。藤森家の血族の麗華さんには教えてくれるかもしれないわよ」
「機会が在れば聞いてみます。意外に守護家に秘密って事多いんですね」
「守護家はあくまで守るのが役目なのよ。守る事に不要とされる事柄は知らされないの」
「知りたくなったりしないんですか?」
「為る時あるけれど、掟だから聞こうとはしないわね」
「掟って面倒ですね」
「……全くね」




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2010.10.5

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