一章 二十八話




 森では陰陽の守護家たちが集まり麗華と真司が消えたと思われる場所を中心に捜索が行われていた。藤森家でこのあたりに隠された訓練所はないか調べてみたが、それらしきものは発見されない。昨日、麗華が妖犬に襲われた一件もある為何者かに拉致された事も視野に捜索される。気配を追って探すと、必ずある場所で止まりそこから気配が忽然と消えていた。
 彰華は蓮が掘り出した真司が送って来た札の残りとも合わせて思念を読み取るが、やはり途中で何かに弾かれ、最後まで読み取ることが出来ない。
 捜索を初めて四時間、もうすぐ六時になってしまう。本当ならそろそろ、麗華に夏祭りで踊る舞いを教え始めたい時期なのだが、次から次へと問題を引き起こす天才らしく、藤森家に滞在してから落ち着いた午後を過ごしていない。
 彰華は長めの前髪をかき上げて軽く笑う。待ちに待った従妹殿はこの退屈で窮屈な華守の土地に、自分の想像を超える楽しみを運んで来てくれそうだ。




 訓練所の間を八つ抜けて残りは後一つ。次の間に行くまで前に力を回復する為、また麗華の指から血を与える。二回目なのだが、初めの時よりも緊張してしまうのは何故だろう。おそらく、自分から押しつけて血を飲んでもらうのと、真司から要求されて血を上げるその違いかも知れない。
 真司が軽く切った指先に口を当て血を飲む。真司の長いまつげが軽く伏せられ、指に口が当たっている光景を見るのは心臓にとても悪い。早まる鼓動が、真司にも伝わっていないか心配になる。真司にとっては他意のないただの補給なのだ。変に意識してしまうと負けな気がする。口の中で遊ばれ始めた指を、真司の抵抗を受けながらも無理矢理引き離す。
「も、もういいよね?」
 麗華はただ軽く血を流しただけなのに、少し息が上がっている。先ほどよりも疲労感を覚えるのは、慣れない事をしているのと知らない場所にいる所為だろう。切られた指の血が止まっている事を確認して無意識に真司から隠すように手を握る。
「……あんたは大丈夫? 力取りすぎると、藤森家の人も臥せる事があるからさ」
 だから、疲労感があったのかと納得する。
「大丈夫だよ。ちょっと疲れたけど、倒れるほどじゃないし。それにちゃんと加減してくれてるんでしょ?」
「まぁ、あんたに倒れられたら運ぶのは大変そうだからね」
「ラスト一間! 頑張ってね!」
 麗華に出来る事は後、応援と邪魔にならない様に逃げる事だけだ。力一杯応援する。
「わかってるよ」
 真司は軽く手を振って、次の間に向かう廊下を歩き始める。
 恐さの絶頂を通り過ぎて、麗華もだいぶこの状況に慣れて来ていた。見えない何かはやはり恐いけれども、真司が細心の注意をはらい守ってくれているのが分かる。怯えるばかりではなく自分もしっかりとしなければいけないと言う気持ちが強かった。
 
 ついに最後の間に続く扉の前に辿り着く。扉の前に立つと麗華たちの到着を待っていたかのようにゆっくりと扉が開く。真司が様子をうかがいながら先に入り、麗華に入ってもいいと視線を送る。
 白い間。壁と床の境目が分からない様な一面がただ白い空間に出た。扉が閉まり、その扉が初めから存在していなかったかのように姿を消す。
 いよいよだ。麗華と真司に緊張が走る。いつもなら、戸が閉まると真司が構えて、戦闘を開始させるのだがしばらく待っても何かが現れる気配がない。さらにしばらく、いつでも戦えるように構えて待つが何も空間に変わりはない。
「ねぇ、私に見えていないだけで何か起こってたりするの?」
 今までと違う雰囲気を読み取り麗華は首を傾ける。
「いや、変だな。何も起きない」
 真司もまわりを見渡して不思議に思う。普通の訓練所では待ちぼうけの様な状態は起きたりしない。
「もう少し奥に行かなきゃいけないとか?」
 どこまでが床で、どこから壁なのか分からない。扉も消えてしまった為、今いる場所が、部屋の真ん中なのか端なのか、それすら良く分からない状態だ。
「不用意に動き回りたくないんだけど、仕方ないね。僕から離れないでよ」
 自然に伸ばされた手を、麗華は握って歩きだす。いつ何が出てくるか分からない緊張状態で二人は慎重にまわりを見ながら歩く。すこし歩いていると壁に当たる。壁に手をおいて部屋を一蹴してみるが、何も変化が起きない。完全に閉鎖した空間に閉じ込められた。
「どうなってんの?」
 麗華と真司は混乱する。今まで道理行けば何かが現れてそれを倒せばいいと思っていたのに、何も現れず何も起きないただの空間に閉じ込められてしまった。どうやってここから出ればいいのだ。
「いつも最後はこんな感じなの?」
「いや、違う。普通はその場に居る奴を倒すと出口が出てくる。こんな真っ白な空間に出た事なんてない。神技の継承の場所だからか? でもそれなら何で何も起きない?」
「わかんないけど、何か呪文を唱えるとか? 特別な術があってそれを使うとか?」
「……呪文、術ね。確かに、在るけれどもそれは陰の神華と陰の守護家の合わせ技だから、ここじゃ出来ない」
「おぉ。そんな合体技があるの? 変身とかするの?」
「変身なんかする訳ないじゃん。でも、もしかしたらそれが無いからかも知れないな。神技って言うぐらいだから、簡単に会得出来るとも思えないし。普通の守護家なら当たり前にやってる事だからな」
「その合わせ技ってどんなものなの?」
「陰華にしまわれてある武器が取り出せる。そうだよな。それに反応して神技を授かるのかもしれない」
「ぶ、武器? 陰華って陰の神華の胸にあるって言う花の事でしょ? そっから武器が出るの!?」
 思わず自分の胸を押さえて不安になる。どういう原理だか分からないけれども、胸から武器が出ると考えると恐ろしい。
「別にそこまで驚く事じゃいだろ。神華を守る為に神が授けた守護家だけが使う事の許された特別な武器があるのは当たり前だろ」
 真司が当然のごとく言うが麗華には驚きだ。真司が守護家で幼いころからそれが当然だと教育されていたからそう言えるのだ。
「なんか人から武器が出るって想像するとちょっとグロいね」
「あんたは、またそう言う事を言う。武器を取り出すとき、神華とシンクロする状態になるからかなり快感らしいよ。彰華が陽の守護家とやっているとこみた事あるけど、グロいっていうより神秘的だった」
 真司が呆れたように言う。彰華と守護家女性陣が武器を取りだしている光景を想像してみるが、神秘的と言うよりは恐ろしい。その現場を見せてくれると言われても、見たいとは思わない。でも、真司にその事を告げたらまた呆れられるか、怒られるかのどちらかだから言わないでおく。
「ちなみに、その呪文の言葉って言うのは?」
「……さっきあんたに言ったやつ」
「え」
 もし、神華だったらあの言葉で武器が出てくるのか。神華じゃなくて良かったと、心底ほっとする。あの場でいきなり自分の胸から武器が出てきたら、動揺して泣き叫ぶ。悪けりゃ発狂していたに違いない。
「その武器を取りだす呪文っていうのが、神華かどうか確認するのに最適なの?」
「分かりやすくていいだろ」
 確かに、目に見えて武器が出てきたら分かりやすいが、もし陰の神華が現れていきなり胸に手を当てて自分の身体から武器を取りだされたりしたら、恐怖感を覚え守護家を受け入れるどころか拒絶するだろう。
 真司たちには恐らく、一般人の思考が理解できていない。麗華は軽く額を押さえてから、自分が正しいと信じて疑わない真司を見る。
「あのさ、もし陰の神華が出てきたら他の方法で確かめる事を勧めるよ。私みたいに何も知らない人だったら、物凄く恐いと思うから」
「恐い? なんで?」
「いや、普通に考えて人から武器なんて出ないからね。普通の人だったら恐いって。他に確認方法無いの?」
「ある。けど」
「けど?」
 真司がなにかやましい事でもあるように軽く視線をそらす。ふと、さっき快感があると言っていたのを思い出す。陰の神華に会えていない陰の守護家は飢餓状態で欲求不満が長年続いている。出会えたら即効で欲求不満を解消しようとしているのだ。
 言葉に出していうのはなんだか恥ずかしく思えたので麗華は軽く言葉を濁す。
「あー。でもさ、嫌われたくなかったら、ほどほどにしておくのがベストだと思うよ。うん。特に普通の人だった場合は尚更ね」
「……分かったよ」
 真司が投げやりに言う。
 なんとなく気まずい空気が流れているので、麗華は軽く咳払いして空気を変える為に話を元に戻す。
「話を本題に戻してもう一度、最初に入って来た時の言葉を言うっていうのはどうかな?」
「入る時と出るときは呪文が違うんだよ」
「でもここでごたごたしてるよりもやって見る方が良いじゃん。『ゆらゆら、き しづしづ、つち ひらひら、みず ふあふあ、ひ きらきら、かね』」
 少し身構えて待ってみるが何も起きない。真司はやっぱりねっと呆れ顔でため息を付く。
「無駄だったみたいだね」
「これで出れたら簡単だったのにね。適当に術を放ってみるとか?」
「それこそ時間と、力の無駄」
 二人でどうやったらここから出られるか試案する。色々意見の言い合いする事およそ一時間。


 何もいい案が浮かばず次第に焦りが出始めたころ、初めて白い空間に変化が訪れた。周りの風景が一瞬にして日本庭園に変化した。藤森家にある様な大きな庭だが、足元に敷き詰められた庭石が異様なまでに白く光っている。この光は金子家から勾玉廻りの時に預かった白い勾玉の光に良く似ていた。
 一体何が起きたのか、まわりを見渡すと一人の青年が立っているのが見えた。
 狩衣に似ているが少し違う、見たこの無い形の服を来た青年だ。髪は長く頭の高いところで一つに縛り腰まで伸びている。青年は愛嬌のある大きな目で笑って軽く手を振りながら近づいて来た。
 真司が麗華を背に隠し警戒しながら、様子をうかがう。
「おう。悪かったな。まさかこんな時期に人が来るとは、思わなくてな。知らせに気が付かなかった。許せ」
「あなたは?」
「ん? なんだ。俺の事も知らないで来たのか? そういえば人がここに来るのは久しいなぁ。平たく言うと最後の審判、お前らに神技を授けるかどうか決めるのは俺って事」
「……ここは神界?」
「へ!?」
 真司の呟きに驚く。神界って本当にそんな所が在るなんて信じられないが、一瞬にして風景が変わった事と目の前に居る青年がただの人には見えない空気をまとっていた。
「いや、ちょっと違う。神界と人間界の狭間の様な場所だな」
 狭間と呼ばれても、空は青く快晴で空気も地上と変わりはない。ここが本当に地上じゃないのか不思議に思うほどだ。
 だが良く考えると、地上では夜のはず、それに庭石が淡く光るなど普通ではあり得ないので、青年の言っている事は本当なのだろう。
「それで、悪いがこんな時期だから、俺も忙しくてな。本当なら茶の一杯出してやりたいところだが、さっさと済ませたい。始めてもいいか?」
 真司が麗華に下がるように視線を送り、一礼して構える。
「金子家、真司。よろしくお願い致します」
「金子家神技継承を任されている、瀬野だ。……なんだ、華神剣は使わないのか?」
 華神剣と言うのは神華から取り出される武器の総称、守護家ならそれで戦うはずなのに素手で構えた真司を不思議そうに瀬野は見る。
「今は持ち合わせておりませんので、術で戦わせて頂きます」
 瀬野は麗華と真司を交互に見て、困惑したように軽く頭をかく。
「まぁ……仕方がないな。それでは、始めるぞ」
 真司と瀬野の戦いが始まった。麗華は少し離れた所から二人の戦闘の様子を見守る。瀬野は真司の力をはかっているように、綺麗に術を受け流す。
 真司の攻撃を受け流していた瀬野が反撃にまわる。力の差は歴然で、真司が押され始め何度も地面に叩きつけられるように倒れた。真司の口から血が流れるのを見て、焦って近づこうとするが、真司に視線で止められる。血のついた口を拭い立ち上がり、また瀬野に向かって挑む。
 激しい戦いが続き、真司がまた地面に叩きつけられた。立ち上がろうとするが戦いで受けた傷が酷く動くと全身が悲鳴を上げた。
「お前中々、見どころあるぞ」
 瀬野は愛嬌のある大きな瞳を細めて嬉しそうに言う。
「これからも精進すればもっと伸びるだろう。だが、今回はここまでだな」
 瀬野が軽く手を振ると、日本庭園に突如鳥居が現れた。真司に対する審判が終わったので、麗華は真司に駆け寄り立ち上がるのに手を貸す。
「……有難う御座いました」
 真司が一礼すると、瀬野は軽く手を振る。
「おう。また来いよ」
「はい」





 鳥居をくぐり抜けて見えたのは、星煌めく藤森家の森。最初に居た場所とは少し違うようだ。後ろを振り返ると、鳥居はいつの間にか消えていた。かろうじて歩いていた真司は崩れるように地面に座り込む。
 地面を見つめ肩で息をして自分の未熟さを痛感しているようだ。麗華は真司の隣に座って怪我を見る。
「怪我、大丈夫?」
 自分の足元すら良く見えない暗がりで、辺りにある灯りは夜空に浮かぶ欠けた月と星。暗がりに目が慣れてきたけれども痣の様子は良く見えない。
「……平気、骨折はしていない」
 真司が気持ちを落ち着かせるようにため息をついた。
「口切れてるよ。他に痛いところは?」
 麗華はハンカチを差し出して他に血が流れているところが無いか確認する。
「この程度ならすぐ治る」
 口を拭きながら、そっけなく答えた。真司は平気だと言うが三メートルぐらい投げ飛ばされていたのを近くで見ていた麗華は、怪我の具合が気になった。早く藤森家の人と連絡を取り、病院に連れて行った方がいい。麗華は携帯電話を取り出し通話出来るか確認するが圏外だ。
「電話が使えないの。藤森家に連絡する方法他にないかな?」
「札は使い切った。……術で何か飛ばす方法もあるけど、力が無いから出来ない」
「……また、血を飲む?」
「いらない。血を流して他の妖魔に気づかれたら、対処出来そうにない」
「じゃあ、私がちょっと走って助け呼んでくるよ」
 立ち上がろうとした麗華の手を掴んで座らせる。
「あんた一人にさせたらやばい。また妖犬が襲ってきたらどうすんのさ」
 昨日の出来事を思い出して、怯えながら暗い森を見渡す。先ほどまでは全然気にしていなかったが、妖犬を思い出すと風に揺られる木々や草が不気味に見えてきた。
「……今、何かまわりに居るの?」
「居ない。でも、何かあったら困るだろ。黙って座って」
「でも、怪我の対処は早くした方がいいよ。走って逃げればきっと大丈夫」
「どっちに、藤森家があるか分からないのに? 馬鹿言ってないで少し休ませてくれる? そしたら救援呼べるぐらいには回復する」
「……そうなの?」
「それに、こんな時間だから藤森家で僕らの事を捜索してると思う」
 時刻は夜中の一時。突如行方をくらました事で他の人たちに心配と迷惑をかけてしまったと落ち込む。それに行方をくらました理由を言えば、麗華が神の字を読める事もばれてしまう。真司とかわした約束も意味のない物になってしまった。真司が隠していた事を罰せられないか心配だ。
 思えば、真司がこんなに怪我を負った原因は自分が掛け軸に書かれている言葉を不用意に口にして訓練所に飛ばされた所為だ。
「……ごめんなさい」
 麗華が謝ると真司は嫌そうに顔を歪ませる。
「はぁ?」
「今日、散々な目にあわせた原因は私だから、ごめんなさい」
「別に、謝ってほしいなんて思ってないし。簡単に謝るの止めたら? 言えば気は済むかも知んないけれど、それだけで解決する訳じゃ無いじゃん。そうやって簡単に謝れられると、逆にムカつくよ」
「……そうだよね」
「こんな時間かかって抜けて、しかもボロボロにやられた事、遠まわしに嫌味言ってんの?」
 真司が皮肉気に笑ったので、麗華は首を激しく横に振る。
「そんなこと言ってない! 嫌味なんか言う訳ない! 真司君は頑張ってくれた。見えないから良く分かんなかった事もあるけど、でも守ってくれた事凄く感謝してる!」
「感謝してんなら、言う言葉違ってんじゃん」
 真司が何を示唆しているか気が付く。真司のお陰で抜け出せたのにまだ感謝の言葉を言っていなかった。

「……ありがとう。助けてくれて、守ってくれて本当にありがとう」
「どういたしまして。……あんたも、見えない割にぎゃあぎゃあわめかないで頑張ってたと思うよ。それに、あんたが居なかったら抜け出せなかった。……血、分けてくれてありがと」
 真司が少し照れくさそうに言ってくれた事が嬉しかった。迷惑ばかりかけてしまったけれども少しでも役に立てたのだ。


麗華は嬉しくなってにっこり笑う。
「なら私は、愚鈍な上に馬鹿で間抜けで愚図じゃないよね?」
「調子に乗んな」
 呆れ顔の真司におでこ指で弾かれた。




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2010.7.26

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