一章  三話 風呂





 夕方を少し過ぎたころ、青年は何かに誘われるように森の中を歩いていた。稽古で使う場所より離れた、いつもなら近寄りもしない場所に足が勝手に進むのだ。青年にとってそれは良くあることで、そういう時は逆らわず進むのが良いと知っている。
 草陰に隠れて何かが淡い光を放っていた。青年はその正体を突き止めようと近寄り手を伸ばした。そこにあったのは、欠けた首飾り。
「……これは……」
 その首飾りが何に使われ、何を意味するものなのか青年はすぐさま理解した。首飾りを大事に握り、安堵と喜びで震えた手ですぐに他の者に連絡を入れた。



「絶対、優斗の所為だ!」
「なんで、俺の所為なんだよ……。付いて来たのは真司だろ。文句を言われる筋合いはない」
「あそこで、あの女に馬鹿みたいに、鼻の下のばして話していただろ。それで、時間かかった所為なんだよ」
「馬鹿みたいって、俺はそんなつもりない。普通に話していただけだろ」
「自分だってあんまり外食しない癖に。『美味しいお店しってるよ。連れて行こうか?』とかカッコつけて言ってたよね」
 真司は嫌味っぽく笑って言う。優斗の顔が少し赤くなる。普段なら絶対自分から女の子を誘ったりしないのに、さらりと、誘ってしまった自分が信じられない。
「あら〜。優斗が女の子誘うなんてすごい進歩。ねぇ、その子そんなに可愛かったの?」
「真琴(まこと)さんからかわないで」
 くすくす、楽しそうに笑う、さらりとした腰まである長い黒髪の真琴は、お茶請けのせんべいを片手に持ちながら優斗をしなやかな指先でつつく。
「いいじゃん。教えなよ」
 ここは、藤森家にある二十畳ほどある一室で、優斗、真司、真琴それともう一人少年が、呼びだされてお茶を飲んでいた。
「顔はまあまあかな。でも、頭は弱そうだったね」
 真司が優斗の代りにこたえる。真琴はそれを聞いてにまりと笑う。
「おやぁ〜? もしかして、真司もまんざらでも無いんじゃないの?」
「はぁ? なんでそうなるんだよ!」
「だって、真司は女の子のレベルの付け方悲惨でしょ。それが、まあまあって高得点でしょ」
「そんなつもりないね。まあまあ、っていっても100点評価の44点ぐらいだ」
「ふふふ。強がっちゃって、かっわいい〜」
「真琴さん! からかうな!」
 顔を赤くして怒る真司を、真琴はさらにからかう。
「真琴嬉しいわ。女の子の話一切出ない二人から、ついに女の子の話が聞けるなんて、でも三角関係ね。恋愛初心者にふりかかる行き成りの難問。この恋愛百戦錬磨の真琴は、二人の見方だからどんどん相談してね」
「するか!」
「しません」
 目をキラキラさせながら言う真琴に、真司と優斗は即答で断りを入れた。
「なによ。つまらないわね〜」
「大体、彼女は旅行者だから、すぐこの町から出てくよ」
「あら、いいじゃない。旅先での甘酸っぱい恋愛。時間が限られてるからこそ燃えるでしょ」
 真琴は手に持ってるせんべいを豪快に口で割って食べる。真司は不機嫌そうに答える。
「冗談じゃない。すぐに別れが待っているような奴とは付き合いたくないね」
「別れるのがつらいから? でも、童貞を卒業できるチャンスじゃない」
 お茶を噴き出す優斗。
「真琴さん! 話し飛んでません?」
「飛んでないわよ。夏の思い出に旅先で出会った少年と熱い夜を過ごすってよくある話よ。私も何回か美味しく頂いたわ」
「ホントかよ」
 真司は呆れて言う。真琴はしなやかな指を真司の頬に当て微笑む。
「興味あるでしょ。観光の女の子を後腐れなく美味しく頂く方法。この真琴さんがじっくり教えて、あ、げ、る」
 顔を赤くして真司は真琴の手を振り払う。
「からかうな! もう、いやだ。真琴さんは人をおもちゃのように扱って! いい加減にしろよ!」
「だって、可愛い反応するから楽しいんだもん」
 反省する気の全くない真琴は、けらけら笑う。

「うるせぇな」

 一人距離を置いて座っている金髪の少年が呟く。
「おや、大輝(たいき)も話に入りたいの?」
 真琴は大輝と呼んだ金髪の少年を見る。大輝は鋭い目で真琴を睨むと、立ち上がり部屋から出ようとする。
「大輝。蓮(れん)が話があるって私たちを呼んだんだからいなきゃ駄目よ」
 もう一度大輝は、真琴を睨む。
「来てねぇし」
「遅いけど、あの蓮が私たちを呼んだのよ、いなきゃ駄目」
 大輝は真琴の言葉を無視して部屋を出ようと戸に手をかけようとした。だが大輝が開ける前に戸が開く。開いた戸にはすらりと背の高い、眼鏡をかけた青年が立っていた。
「座れ」
 青年は、一言言うと部屋に入り座る。大輝は舌打ちし、先ほど座ってた場所に座った。
「蓮、遅いわよ。大輝なんてトイレにいけなくて、そわそわしてたんだから」
 真琴は睨みつけてくる大輝を見て笑う。
「悪い。菊華さまに話していたら遅くなった」
「菊華さまに、話すようなことって?」
 菊華とは、藤森家当主。優斗たちはめったなことでは会えない人物だ。
 蓮はテーブルの上に首飾りを置く。その場にいた四人はそれを見た瞬間、驚いて動けなくなる。
「これが先ほど森から発見された。間違いなく本物だ」
 離れて座っていた大輝も首飾りを見る為に近寄ってくる。四人で首飾りを見つめる。
「……森?」
「調べたところ今日の朝から正午まで、部外者が森に入った形跡があった。そしてそれを、案内する優斗と真司の形跡も」
 優斗と真司に視線が集まる。
「じゃあ、あの子がそれを持っていたってこと?」
「恐らく」
「でも、変だよ。あいつには印が反応しなかった。僕、確認に術を使ったけど全く気づいていなかった」
「反応しなかった?」
 蓮が眉間に皺をよせる。
「全くね。僕と優斗が確認したんだから、確かだよ。ねぇ、優斗」
 優斗に同意を求めるが、何か考えている様子だ。
「優斗?」
「あの子、母親の実家かも知れないからこの町に来たって言っていた。それに探している家が藤森家って」
「母親の実家?」
「この首飾りは、氏神にお上がりになった菊華さまの妹君。桃華さまの物だ」
「え? どういうこと?」
「お前たちが案内した方が、桃華さまの娘である可能性がある」
「変でしょ、氏神になられた方が子供を産むなんて不可能だ」
「桃華さまが祀られたのが20年前。その時何があったか詳しくは聞いていないが、何らかの理由で生き残っていたのだろう」
「そんなことって、あるの?」
 困惑する優斗。ばん、とテーブルを大輝が叩いた。
「重要なのはそこじゃねぇ。じゃあ、ついに現れたのか? シンカが!」
 蓮は微かに笑って頷く。大輝は眼を輝かせて笑う。
「まじでか!」
 困惑するのは、印が反応しなかったのを確認した、優斗と真司。
「でもさ、なんで印に反応しなかったんだよ」
「それは分からないわね。菊華さまはなんて言っていらしたの?」
「明日呼び出してみよう、と」
「明日ね……。こっちはもう、十年以上待ち続けているのよ。明日までなんて待っていられない」
 真琴の言葉に皆頷く。
「私がこれから確かな方法で確認してきましょう」
 真琴は楽しげに微笑んだ。






 夕食を食べ終わった麗華は、温泉に入ることにした。小さめの脱衣所で服を脱ぎ、タオルで前を隠して温泉の扉を開けた。むわっと温泉独特のにおいがする。体を洗ってから、温泉に浸かる。ほっと一息ついてゆったりする。明日また「藤森家」に行ってみようか考える。
 祖父母には一度会ってみたいとは思っていた。父には親戚がいなく、祖父母というものに会ったことがない。
 あんな立派な家の祖父母なら厳格そうだ。昼ドラマとかに出てくる、富豪を想像して少し憂鬱になる。首飾りひとつ見せただけで納得してくれるだろうか。一応写真も持って行こう。
 
 一息ついてから湯船をでて、次は露天風呂に入ろうと外に繋がる石を歩く。
 扉をあけて湯気の向こうの湯船に足を入れる。ぱしゃりと音が聞こえて、湯船に先客がいるのを発見する。黒髪をアップにした美人がいる。白い肌が赤く染まり、艶やかで星空を背景にした一枚の絵を見ているようだ。美人がこちらに気が付いて麗華を見る。美人に自分の裸を見られるのが、恥ずかしくなり背にして隠れるように湯船に入る。
 湯船が白い濁り湯でよかったとほっとする。
 それにしても、こんなに綺麗な人に会うのは初めてだ。長いまつげに、柔らかそうな唇。すらりとした指がうなじを触る。同性なのにそんな仕草にどきりとする。麗華の視線に気が付いた美人がやさしく微笑む。それにつられて麗華も微笑む。不躾に見すぎたと気づき恥ずかしくなる。
「……いいお湯ね」
 少し低いハスキーな声に色気を感じて、ドキドキする。
「そ、そうですね」
 ふと、美人の左肩に文字にも見える五百円玉程の痣があることに気が付く。不思議な痣でじっと見ていると水と書かれている様に見えてくる。
「不思議な痣でしょ」
 また、不躾に見てしまったと、気づき顔が赤くなる。女性にとっては、痣を注目させるのは嫌なことだろう。
「ごめんなさい」
 美人は嫌がるどころか、くすりとやさしく微笑む。
「いいのよ、この痣、私は気に入っているの。とても、大切な人に出会う為の約束の印だから」
「約束の印?」
「そう、この土地に咲く花を守る役目の者たちに与えられてた、約束の印」
 不思議な事を言う人だと思った。だが、その痣を愛おしそうに触れるその姿に目を奪われて動けなくなる。
 胸の奥が少し苦しくなり、胸を押えてそっと深呼吸する。湯船に浸かりすぎてのぼせてきたのだろう。
「あなたにもある?」
「え……私にですか? ないですよ」
「今、押えてる胸のあたりにあるんじゃない?」
 手をどけて自分の胸を見る。だけどそこにあるのは、小さなふくらみだけで痣など何処にもない。
「無いですよ。痣じゃないけど、傷跡なら背中にありますけど」
 そう言って、背を彼女の方に向ける。肩から背に向かい大きな引っ掻き傷が三本ある。
「小さい頃、野犬に襲われた跡なんです。大人になれば自然に消えるって言われたんですけど、今でも結構はっきり残ってるんですよね」
 しっとりした指先を背に感じ、麗華は驚く。
「こんな、傷跡が……」
「あ、でも。自分には見えないから気にならないですよ」
「俺達が居なかったから、妖魔に襲われたんだな。瘴気が微かに残ってる……」
「え?」
 何を言っているのだろう。それに、口調が先ほどと違う。麗華は驚いて振り返ると、辛そうな顔をした美人がいる。
「ごめんな……」
「え。え? いえ、謝られても……」
 困惑する麗華の肩を美人がつかみ、強制的に後ろを向かされる。
「ちょっとじっとして」
「は、はい?」
 背に柔らかい感触を感じて、麗華は体を固くして緊張する。これは、もしかして背に感じているのは、唇ではないだろうか。
「な、な、な、なにをしているんですかっ!?」
 離れようとするが、肩を押さえる力が強くて逃げられない。唇が一度離れたとホッとするのもつかの間、ぬるりとした柔らかいものが背を這う。
「――っ!!!」
 声にならない悲鳴をあげる。
「瘴気を祓っただけだ。これで、そのうち傷跡もなくなる。やっぱ、女の子の肌に傷が残るのは悲しいだろ」
「な、何をいってるんです!?」
 肩を押さえる手が外れたので、麗華は顔を赤くし警戒しながら美人の方を振り返る。
「分かってるでしょ?」
 綺麗に笑う。
「わ、分かりません! な、何なんですか!?」
「あなたの胸に咲く花を守るものよ」
 美人がゆっくりと手を伸ばしてくる。逃げるように後ろに下がるが、湯船にあたってそれ以上下がることが出来ない。

 ――どうしよう。この人、唯の美人じゃなくて、痴女だ!

 麗華は湯船から立ち上がり逃げようとするが腕を掴まれる。
「放してください!」
「……ない!」
 驚いた顔の美人が水しぶきを上げながら立ち上がる。
「無いってなんですかぁ!?」
「花がない……! なんで!」
 青ざめた顔の美人は胸を直視している。麗華は掴まれていない腕で胸を隠そうとするが、掴まれて身動きが取れなくなる。焦って暴れようとすると、目の前の美人胸に目が行く。
 そして、そこにある筈の膨らみがないことに気が付く。目を見開いて見るがあるのは鍛えられた、程よく筋肉の付いた男の胸板。自然に目が下に行ってしまうと、見てはいけないものを見てしまい、激しく後悔すると同時に激しく動揺した。
「あ、あ、あるるる!!」
 今まで以上に暴れる麗華だが、彼は軽々と片手で両腕を掴む。そして、空いた手で麗華の柔らかな胸の間に手を入れる。どんなに暴れてもびくともしない男の力に怖くなり、麗華は眼をつぶる。
「――――っ!!」
「五星護契約の下、我願う。尊き華の加護があらんことを」
 胸に触れる手に力が入り、息苦しくなってくる。だが、それ以上一向に何もしてこない。
「五星護契約の下、我願う。尊き華の加護があらんことを!」
 やけになって何度も同じ言葉を繰り返す美人を、不審に思い麗華はそっと目をあける。胸を見つめたまま、眉間に皺をよせて憤っている姿が目に入る。
 
 美人は一体何がしたいのか。先ほどから繰り返す言葉に何か意味があるのか。

「……あの?」
「……なんで? シンカなんだろ? なんで反応しないんだ?」
「……しんかって?」
 捨てられた子犬のよう眼で見られ麗華は困惑する。『シンカ』は彼にとっては重要なことなのだろう。気になりはするが、お互いが裸だと言う事にこの異常な状態にこれ以上耐えられない。
 麗華を掴む美人の力は一向に緩む気配がない。こうなったら、反撃して逃げれる隙を作ろうと身構える。
「藤森桃華の娘なんだろう?」
「え? 桃華って!? 母のこと知って――っ!」
 驚いて詰め寄ると、足が滑るバランスを取ろうとするが、腕を掴まれている所為でうまくいかずそのまま、温泉の岩に頭をぶつける。
 手を掴んでいるなら、救ってくれてもいいのにと、美人を恨みながら麗華は意識を手放した。




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