一章  四話 藤森家の朝




 頭痛と共に目を覚ますと、見知らぬ天井が目に入る。横を見ると離れた場所に障子がある。旅館の部屋はもう少し小さかった。痛む頭を押さえながら起き上ると、やはり自分の知らない場所でどうしてここに居るのか考える。日が差しているのでもう朝だ。
 昨日は確か、風呂場で美人の変質者に会い岩に頭をぶつけてそのまま気を失った。自分がいま何を着ているのか、気になってみると着物の肌着を着ていた。下着も付けている。
 急に怖くなる。あの変質者に誘拐されて、下着まで着せられたのだろうか。
 とにかく、ここから出よう。麗華は立ち上がり障子をそっと開ける。外の風景を慎重に覗くと、長い廊下と縁側に古風な庭が見える。
「お早う御座います」
 下から声が聞こえ視線を向けると障子のすぐそばに、黒縁眼鏡に黒い長い髪を一つに縛った同い年ぐらいの少女が正座している。目が合うと、手を床につけて静かにお辞儀する。
「……あの? ここは何処でしょう?」
「藤森家の離れになります。只今、顔を洗う桶をお持ちいたしますので、中でお待ちください」
「藤森家って……。なんで私ここに居るんですか?」
「昨夜、真琴さんがあなたをこちらに運ばれたのです」
「真琴さんって綺麗な男の人のことですか?」
「はい」
「でも、藤森家とその人と何の関係が?」
「真琴さんは藤森家に仕える水谷家の方ですから、怪我をしたあなたをこちらに運んで来たのです」
「怪我……」
 あれは、真琴に会った所為で負った傷だ。藤森家に運ぶよりも旅館の部屋に運んでほしかった。でも、藤森家に運ばれたと言う事は……。
「母が藤森桃華って言うのは本当だったのですか?」
 言われた少女は不審そうに眉を寄せる。
「今迄知らなかったのですか?」
「……母は記憶喪失だったの。父と出会う前のことをすべて忘れていた」
「記憶喪失……」
 廊下の向こうから人が歩いてくる音がする。見ると、金髪のセミショートの少女が衣類の入った箱を持って麗華の方にやってくる。
「おはようございます」
 麗華の前に止まると一礼する。
「……おはようございます」
「衣類をお持ちしました。こちらにお着替えください」
 箱を渡され麗華はお礼を言って受け取った。金髪の少女は眼鏡の少女を鬱陶しそうに見る。
「小百合(さゆり)あんた、まだ居たの。早く顔洗うの持ってきなさいよ。とろいわね」
「うるさいですね。今、彼女と話をしていたんです。せっかちな莉奈は引っ込んでいて下さい」
「なんですって! あんた、最近彰華にメガネ買ってもらったからっていい気になってんじゃないでしょうね!」
「なってません。でも暴走気味の莉奈より、いつも冷静な私の方が藤森さんの役に立ってるのは確かです」
「それが、いい気になってるって言うのよ!」
 麗華は騒がしい二人のやり取りを見ながら、この町に来た初日を思い出した。彼女たちはソフトクリーム屋の前に居た六人組の二人だ。
 嫌な予感が頭の中を駆け巡る。

 

 部屋に入り渡された服を見る。可愛らしい薄いピンクのワンピースに新品と思われる下着も入っていた。サイズは気味が悪いぐらい丁度良い。同い年ぐらいの少女がいたから、その子が調達したと信じたい。
 着替えた後にすぐに顔を洗う水を持ってきてくれる。黒縁眼鏡の少女に話をしようとしたが、彼女は朝食の準備があると言いすぐにいなくなってしまう。部屋の中で途方にくれていると朝食を、金髪の少女が持ってくる。話しかけたが、事務的な対応しかしてくれなく朝食を置くと『部屋から出ないように』言い残しすぐにいなくなる。
 なんとなく、少女達に避けられている気がする。少女達の気に障る事をしただろうか。
 
 服や朝食を持ってきてくれたのはありがたいが、部屋に閉じ込めて動くなと言うのは少し傲慢だ。
 言いつけを破って自分から挨拶に行こうかとも考えるが、人の家を動き回るのは気が引ける。少女達がもう一度訪ねてくるのを静かに待つことにした。
 お膳を下げに一度少女が来たが、そのあと一向に誰も来ない。


 二時間ぐらい経っただろうか、障子の向こうから男の声が聞こえた。
「失礼します」
 障子を礼儀作法道理に男が開ける。見ると麗華より二、三歳年上の眼鏡をかけた青年が正座していた。釣り目で切れ長の瞳が麗華を見て柔らかく笑う。
「初めまして、土屋 蓮(つちや れん)と申します」
 丁寧にお辞儀するのを見て麗華も青年と同じように正座をして挨拶をする。
「岩澤 麗華です。よろしくお願いします」
「藤森家当主、菊華さまの元にご案内いたします。よろしいでしょうか」
「は、はい。お願いします」
 麗華は蓮の案内で屋敷内を歩く。長い廊下をいくつも曲がり、まるで迷路のような屋敷だと思う。隣を歩く蓮を見ると165センチある麗華より20センチぐらい高い。すらっとした長い手足で、整った顔立ちでモデルのようだ。
 
「緊張していますか?」
 蓮がやさしく笑って言う。その笑みにどきりと鼓動が高鳴る。
「い、いえ。気後れは少ししますけど、緊張はしていません」
「気後れ?」
「こんな大きな屋敷に入るのは初めてでから。あの、土屋さんも藤森家に仕える家の人なんですか?」
「蓮でいいです。土屋家もその一つです。これから菊華さまが説明なさると思いますが、仕えると言うよりは守っていると言う方が正しいです。守護家と呼ばれており、藤森家の守護家は『土屋家』『水谷家』『荒木家』『火山家』『金子家』と五つあります」
「守護家が五つ……護衛みたいな感じなんですか?」
 あの門から言って旧家なのは分かるが、この時代に護衛が存在して、それがまだ続いているのだ。江戸時代にタイムスリップした気分だ。
「そうです。それと家の管理を『岩本家』が行っております。今風に言うと執事のようなものです」
「し、執事? そんなものまで……」
 恐るべし、藤森家。麗華の想像を遥かに超える旧家っぷりだ。母がそんなお嬢様の生まれだったとはとても想像できない。

 何かに躓いて廊下の真ん中で派手に転ぶ。転んだ音がむなしくも木霊する。
「――痛」
「大丈夫ですか?」
 心配そうに蓮が麗華に手差し出す。手を借りて立ち上がり何に躓いたのか見るが障害になるものはない。確かに何かに躓いた気がしたが気のせいのようだ。
「ここは、結構いるから驚いたでしょう」
「……居る?」
 目を凝らして見るが何かいるようには見えない。
「ちょろちょろして、踏みそうになると思いますが気を付けてください。あなたには何もしないと思いますが、あいつら結構しつこいですから」
 何もない廊下を何か居るように言う。麗華は不思議そうに蓮を見るが彼は全く気づいていない。
「あいつらって?」
「妖の一種です。岩本家の式神で、部屋の掃除や手入れに使われています」
「し、式神?」
 蓮が当然のように言うので麗華はからかっているのか、本気で言っているのか判断できない。妖や式神が存在するわけがないので本気で言っているなら、頭が可笑しいに違いない。真面目そうな蓮が場を和ますために変わった冗談を言っていると、思う事にした。


 菊華の元に向かう途中、古風な中庭を抜ける。離れから、母屋に行くにはこの庭を抜けるのが近道だ。立派な鯉が居る池にししおとしがある。初めて見たので近寄ってみようとしたが、蓮に「菊華さまが待っているので庭は後で見るように」と言われる。残念に思っていると池の真ん中に真っ赤な鳥居を発見する。なぜ今初めて気づいたのか、不思議に思うぐらい目立つ鳥居だ。池の真ん中に何で鳥居を作ったのか、この庭を作ったのは変わった思考の持ち主だったのだろう。
 鳥居を正面で見た時、その向こうに更にもうひとつ鳥居が見えた。その先がぼんやりとしてよく見えない。目を凝らして見るがその先は見えなかった。
「……麗華さま?」
「え?」
「そんなに池を見つめて気になりますか? ですが、池は後で見ればいいでしょう」
「あ、変な所に鳥居があるなって、思って……。あれ、何であんなところにあるんですか?」
「どこに鳥居が?」
「あの池のど真ん中ですよ」
 麗華は池の真ん中にある鳥居を指さすが、その鳥居が無くなっていた。蓮は不思議そうに池を見て、眼鏡を正し麗華を見る。
「……うそ。さっきまであの真ん中に鳥居が合ったんですよ。なんで無くなってるの!?」
 自分の目が信じられなく何度も目を擦るが、あんなに目立った赤い鳥居ははじめから存在していなかったように無くなっていた。
「あの池に、はじめから鳥居はありません」
「錯覚だったのかな……」
 腑に落ちないが、この屋敷を前から知っている蓮が言うのだから、鳥居などなかったのだ。

 母屋に到着し目的の部屋の前にくると蓮は障子の前で正座する。麗華も同じようにしようと思ったが、蓮に立ったままでいいと言われた。
「菊華さま、岩澤麗華さまをお連れ致しました」
 少し間があって、部屋の中から落ち着いた女性の声が聞こえる。
「入りなさい」
「失礼致します」
 蓮は障子を開けて静かに頭を下げる。頭をあげて、麗華に部屋の中に入るように眼で合図を送る。麗華は軽くお辞儀して、部屋の中に入った。蓮が外から静かに障子を閉める。部屋の中には結いあげられた黒髪に、品の良い紬の着物を着た三十代後半の女性が座っていた。凛とした面立ちの美しい女性だ。どことなく麗華の母に似た面影がある。
「座りなさい」
 菊華の目の前にある座布団に座るように勧められて、麗華は静かに座る。三十畳はありそうな広い和室に、二人だけで向かい向かい合い座る。
「昨日は良く寝れたかしら?」
「あ、はい。おかげさまで……」
 菊華が凛とした空気を生み出しているせいか、なれない空気に呑まれて自分が何を言ってくのかよく分からない。
「突然連れてこられて、貴女も困惑しているでしょ」
「はい」
 麗華は素直に頷く。菊華は上品に手を口元に当て笑う。
「そうでしょうね。挨拶が遅れたわ。わたくし、藤森家当主の菊華と申します」
「岩澤 麗華です」
「桃華の娘だそうね」
「はい。桃華と言うのが私の知ってる母であるならそうです。初めにお話ししておきたいのですが、母は父と会う以前の記憶を失くしていました。ここに来たのは、母が生まれ育った場所かもしれないと知ったからで、母が藤森家の人だと言うのは確信していたわけではありません」
「記憶がなかったの?」
「はい。覚えているのは名前だけだったと言っていました」
 菊華は口元に手をやり考え込むように「そう」と呟く。
「それなら、麗華さんはどうしてここまでたどり着けたのかしら?」
「テレビで母の首飾りに似たものが募集されているのを見て、母の出身地かも知れないと思ったので」
「桃華は一緒に来ているのかしら?」
「いえ。……母は六年前に亡くなりました」
 微笑んでいた菊華の顔が曇る。
「そう……。もう一度妹に会えると喜んでいたけれど、やはり会えない運命なのね……」
 
 桃華が行方をくらましたのは二十年前、その間菊華は一体どんな思いで過ごしていたのだろう。恐らく居なくなった、桃華を必死に探したはずだ。何年もの間手がかりもなく、どんなに心配して過ごしてきたことか。
その上突然やってきた娘に、記憶を無くし、亡くなったことを告げられれば衝撃も大きい。口を閉ざし、瞳を閉じている菊華に何かいい言葉を言いたいと思うが、気の利いた言葉は浮かばない。
「……母はいつも幸せそうでした」
 口から出た言葉はありきたりで、そんな言葉しか浮かばない自分がなさせない。だが何よりも本当のことだ。記憶の中の桃華はいつも楽しそうに笑っている。
「……幸せに暮らせていたのね。良かったわ。桃華の話を少し聞かせてもらっていいかしら。空白の二十年を少し埋めたいのよ」
「……はい」
 それから、桃華の母親ぶりを菊華に聞かせた。スーパーの安売りが大好きで、詰め放題に命をかけていたとか、自然が好きな父とよくドライブに行ったとか、料理の腕はあまり良くなく父と一緒に母に苦情を言う毎日だったとか、幸せがあふれていた時間だったころの話をした。
 菊華は話を楽しそうに聞きながら、麗華に簡単な質問をしていた。


時間を忘れて話していると、障子越しに菊華を呼ぶ声がした。先ほど案内をしていた蓮の声だ。
「菊華さま、昼食会の準備が整いました」
「分かりました。ささやかだけど、食事会を用意したのよ」
 昼食会。格式の高そうな言い方に少し焦った。ささやかとは言うが、このお屋敷で行われる昼食会のイメージはお座敷に御膳が並んでしとやかに上品にと感じがする。礼儀作法とか、全く分からないので、失敗して恥をかきそうな気がする。
 麗華の緊張した面持ちに気が付いたのか、菊華がやさしく微笑む。
「気を張らなくて大丈夫よ。わたくしの息子と、あなたと、わたくしだけの三人だけだから」
「あ、そうなんですか。……よかった」
 本当に身内だけの食事のようで安心する。
「それでは、参りましょうか」
「はい」





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