猫かぶりお嬢様と腹黒執事

二話 執事がいれば目覚まし時計は不要。




「お早う御座います。芽衣美お嬢様」
 いつも六時に鳴る目覚まし時計の代わりに、体を揺らすのは昨日から芽衣美の元に遣わされた執事の佐々だ。同級生の彼は今日も執事の制服を身にまとい微笑む。凛々しい顔立ちで寝ぼけた頭も一気に冷める美男子だ。
「…………な、なにをしているのですか?」
「早朝の運動をする為に早く起こしているのです」
「鍵掛けて寝たのに……」
 芽衣美の部屋は三階にあり、洋風の建物に合うように調度品も全て洋風になっていた。天蓋付きのベッドから体を起して、ドアが開いている事を不信に思う。
「鍵は全て奥様から渡されています」
 微笑む佐々を見て今日中に鍵を取り変えようと芽衣美は心に決める。
「着替えは此方に用意致しました。着替えを手伝いますか?」
「……し、下着まで!」
 差しだされた、衣服を奪い取る。綺麗に畳まれた服の一番上に下着が乗っていた。赤面して、服を抱きしめる。
「持ち物の管理は執事の仕事ですのでお気になさらさず」
「気にします! 洗濯も私がやりますから! 服には触らないでください!!」
「いえ。芽衣美お嬢様の私生活を任されたからには下着から私服に至るまで私が、用意致します」
「結構です!」
「女性の下着に付いてはあまり詳しくないですが、これからは勉強して芽衣美お嬢様に似合うモノを用意致します」
「もう、真面目な顔して何言っているのですか!?」
「未だに、クマのプリントされたショーツをお持ちなのはさすがに、驚きました」
 この男は芽衣美の下着全てチェックしている。顔を青ざめてそれから、未だにプリントショーツを持っている事を知られて絶句する。
「あれでは……色気の『い』の字もないのも納得ですね」
 大げさに呆れたようにため息をつかれる。
「着替えは一人で成されるのですね。では私は下でお待ちしております」
 一礼して、芽衣美の部屋を出て行く。
「あぁ。そのナイトガウンは可愛らしくてお似合いですね」
 ぱたんと閉じられたドアに芽衣美は思わず、枕を投げつけた。




 登校時間の校庭は学生が溢れている。芽衣美の鞄を持ち芽衣美の一歩後ろを歩く佐々を生徒は注目していた。
 学校始まって以来の完璧王子と呼ばれる佐々が、一般女子の鞄をもち後ろを歩いている。初めて見る光景に生徒の話題は今まで注目された事のない芽衣美に向かう。完璧王子に鞄を持たせているあの女は誰だと、女子の鋭い視線に怯えながら体を小さくして歩く。

「佐々。お早う。……どうしたの? 罰ゲーム?」
 佐々の肩を軽く叩いて、芽衣美を見る男子。芽衣美は、びくびくしながら男子の面白がっている視線に耐える。
「違うよ。宮野、芽衣美お嬢様を不躾な目で見るな」
「……どうした!? お前頭可笑しくなったのか!?」
 宮野と呼ばれた男子に芽衣美は見覚えがある。いつも佐々の隣にいる成績上位者だ。茶髪に耳には幾つもピアスが付いている。制服も乱れた着かたをしているが彼も女子から人気の男子だ。佐々の凛々しい顔立ちとは別の優しい柔らかな表情をする男子だ。
 宮野は佐々正気を疑い頭に手を当てようとするが、佐々が手を払いのけた。
「俺は正気だ」
「じゃあ、お前何してんの? そっちの、芽衣美お嬢様って?」
 芽衣美は宮野の視線から逃げ自分の靴を見つめる。
「芽衣美お嬢様、人と対話するときは目線を下げてはいけません」
 芽衣美の耳元で佐々が小さく囁く。芽衣美の顎を指先で支えて上を向かせて微笑む。逃げたいのに、顔を上げられて芽衣美は戸惑う。
「いいですか。目線を合わせられないのならば、目と目の間、鼻の少し上を見るといいでしょう」
「…………は、い」
 
「お前らキスでもするの?」
「はぃ!?」
 宮野の言葉に驚いて芽衣美は彼を見る。
「いや、顎掴んで見つめ合うからさ。でも、ここでするのはお勧めしないぜ。ギャラリー多過ぎだろ?」
 周りを見れば、芽衣美、佐々、宮野の三人を囲うように登校中の生徒が注目していた。
 芽衣美は顔を青ざめて、佐々が持っている自分の鞄を奪い取り、その場から逃げようとした。だが鞄を奪い取る事に失敗する。佐々が持った鞄を離そうとしない。
「芽衣美お嬢様の教室まで送ります」
「いえ、いいです。ひ、一人で行けます。か、鞄を離してください!」
「私の役目です。芽衣美お嬢様こそ、手をお放しいだきたい」
 芽衣美が引っ張る鞄を佐々は引っ張らず、芽衣美の方に渡す様にもって行きそれから指を一つ一つ鞄から外して行く。
 芽衣美は鞄を諦めて手を離す。でもこれ以上人から注目される事は耐えられず、佐々から逃げた。人をかき分けて、全速力で走った。


 息を切らせながら自分の教室に付くと、友人の静香を発見して彼女の所に泣きついた。黒髪を短く切っている静香は眼の大きな可愛いらしい少女だ。
「静香! 助けて! この世の終わりが来た!」
「幸せ絶頂の人がどうしたのさ。完璧王子様と付き合う事になったなんて私知らなかったよ。人伝えに聞いて、めっちゃ悔しかった」
「誰が付き合うのよ! もう、最悪!」
 芽衣美は叫ぶと同時に静香の机に顔をうずめて嘆く。静香とは中学生の時からの付き合いだ。お互い旧家の生まれで、静香がこの学校に決めたらから、芽衣美もこの学校に入る事にした。
「なんで最悪なのさ?」
「なにも聞かず、今日から静香の家に泊めさせて」
「泊めさせてあげたいけど、無理に決まってるじゃん。あの家だよ?」
 静香いま許嫁の家で生活している。高校を卒業と同時に結婚が決まっている身なのだ。許嫁の家に部屋がある静香は、友人を泊める許可が出来る立場ではない。
 
「そうよね……」
「なんでこの世の終わりとか言ってるの?」
「ドアを開けたら執事がいて。それが、佐々君だったの。あの母だから家庭教師をよこすのは想像が出来ていたけど、何でよりによって佐々君なの!? 最悪!」
 一年と少しの高校生活に支障が出た事はない。平凡な生活で、クラスで浮く事も外れる事もなく過ごして来た。毎日同じことの繰り返しの人生を満喫していたのだ。それが、学校の人気者が芽衣美の執事になるなど恐ろしい事が起きるとは思わなかった。今朝のあの騒ぎからして、芽衣美の名前は学校中に知れ渡っただろう。ファンクラブまである人気者の彼だ。女子の闇討ちに遭うかもしれない。
 芽衣美が何より愛していた平凡で平和な生活が、佐々が彼女の周囲に来るだけで崩れて行く。
 一條家にふさわしい令嬢になる事なんて、芽衣美はほんの少しも望んでなどいない。

「私が、それほどまでに気に入りませんか……」
 後ろから声が聞こえて芽衣美は顔を起こす。後ろには切なそうに微笑む佐々がいた。
「あ、い。いえ、あの」
「此方を」
 芽衣美に鞄を渡すと、佐々は一礼して教室を出て行った。
「完璧王子様、めっちゃ傷ついたって顔してたね」
「う」
「ほら。弁解しに行ったら? 後悔する前に行動を! ほら、行きな」
 



 静香に言われて佐々を追いかけた芽衣美は、HR前の人の溢れる廊下を小走りする。佐々のクラスは芽衣美のクラスと階が違う。大階段を上るはずだと思い、そこへ急いだ。
「さ、佐々君!」
「如何されました」
 階段を上っている佐々を発見し、芽衣美は声をかけた。上の階から芽衣美を見つめている。下から見ても足が長く凛々しい姿は様になっている。さすが完璧王子様。と思わず見とれてしまう。
 階段を上り下りしている生徒以外にも、芽衣美が佐々を呼び止めた事を不思議そうに思っている生徒たちの視線が、二人に注がれる。

「こ、ここじゃちょっと……」
「それでは、もう少しで予鈴が鳴りますので、後にして頂けますか」
 人が大勢いて話し辛いと思っている芽衣美に、佐々は腕時計を見てからそっけなく答えた。
 昨日から芽衣美の家に仕えていると言え、佐々にも学校生活がある。佐々が何故芽衣美の執事を引き受けたのかは、わからないが一般的な容姿に学力の低い彼女に構うのは面倒な事だ。
 仕事だから鞄を持ち、芽衣美を教室まで送り届けようとしたが、他の生徒からいらぬ注目をされるのは彼にとっても迷惑な話しで、送り届けて一人の生徒に戻れたのに、そこを芽衣美に追いかけられ鬱陶しく思っているに違いない。

「……い、いえ。か、鞄届けてくれて有難う御座います。……そ、それが言いたく……て……」
 視線を落として、靴を見ながら言う。すっと手が伸びて来て、顎を上に向かせる。顔が自然に上がりいつの間にか隣にいた佐々と視線が合う。
「人と対話している時は、目線を逸らさないように」
 先ほど不機嫌そうにしていたのに、いつものように微笑む佐々に見つめられて、体が硬くなる。芽衣美と係わるのは嫌だろう。
「……は、い」
「教室まで送ります」
「い、いえ! 佐々君はそのまま教室に行ってください。私は一人で行けますから!」
 これ以上佐々の手を煩わせるのは悪い。慌てて佐々から逃げる様に距離を取る。が、階段にいる事を忘れて、足を滑らせた。
「ひゃ」
「大丈夫ですか?」
 佐々に腰を支えられて、階段から落ちるのをまのがれた。
「足元にはお気お付けください」
 きゅっと抱かれた気がして、体が緊張する。近すぎる距離に芽衣美が耐えられなくなる前に、その光景を一部始終見ていた女子が悲鳴を上げた。




 家に帰って来た芽衣美は制服を着たままベッドに倒れこむ。あの後、学校で大変な目にあった。同級生から好奇の目にさらされ、友人からは質問攻めにあい。女子トイレで知らない女子からすれ違いざまに、タックルかと思うほど強く体を当てられた。くすくすと笑い声と嫉妬の声。
 昼になると、佐々が作った弁当を持ってやって来て一緒に食べようとする。更に帰りも教室の前で芽衣美が出てくるのを待っていた。毎回毎回馬鹿丁寧な敬語を使い『芽衣美お嬢様』と呼ばれる度、奇妙な目で見られて、女子からは『何様?』と睨まれた。疲れる。今日一日学校にいただけで、精神的に疲れた。

 ノックの音が聞こえて首だけを動かしドアを見る。鍵はしっかりと掛っている。帰りに買ったチェーンがついているので、もう二度と佐々が芽衣美の許可なく部屋に入る事は出来ない。
「芽衣美お嬢様、仕度が整いましたら勉強部屋へいらしてください」
「……はい」
 勉強を見る様に母より言いつけられた佐々は帰るなり勉強の準備を始めている。今日は週に三回来てくれる家政婦が料理を作ってくれるので、勉強に集中できると、喜んだ様子だった。

 

 二階にある勉強部屋は、芽衣美の趣味で集められた書籍で溢れていた。新築一年の家の真新しい香りと、古い書籍の香りで満ちている不思議な空間になっている。いつでも好きな時に本が読める様にと、芽衣美の一番お気に入りのイタリア製ロココ調ソファーとセンターテーブルが置かれていた。芽衣美のくつろぎの空間に佐々が陣取り教科書やテキストが置かれてある。
 執事の制服に勉強用の眼鏡をかけた姿は、佐々の凛々しさを引き立てている。学校の女子が騒ぐだけあるその姿に、芽衣美も見惚れてしまう。
「芽衣美お嬢様、どうぞこちらにお座りください」
 芽衣美に気がついた佐々は立ち上がり、芽衣美を椅子に誘導する。
「それにしても、凄い本の数ですね。こちらは芽衣美お嬢様の本ですか?」
 学力の低い芽衣美が、読書を趣味としていると思っていないようだ。それも、洋書や様々なジャンルの本が置かれている事もあるだろう。
「いいえ。そ、祖父が買った本が殆どです」
 嘘ではない。本家を出る時、祖父の本を譲り受けたのだ。
「そうでしたか。面白そうな本がたくさん読めていいですね」
「よ、良ければ、ここの本好きに読んでいいですよ」
「よろしいのですか?」
 佐々が嬉しそうに眼を輝かす。今まで、微笑んでいた表情とは別の本当に嬉しそうにしている時の顔だ。
「本好きなんですか?」
「はい。図書室にある本は読み飽きていたので嬉しいです。有難う御座います。芽衣美お嬢様」
「いえ、喜んでいただけて嬉しいです」
「お礼に、明日は私特製のテキストを作ってきます」
「う。お礼は要らないです」

 勉強が始まり佐々がわからない所を説明して行く。
「あ」
「どうしました? 分からない所でもありましたか?」
「あ、いえ。佐々君が持っている、シャープ私も持っていたなって思って」
「これ、ですか」
 佐々が持つ深緑色のシャープペンはノックの部分にクリスタルが埋まっている。その昔父が芽衣美に譲ってくれた物と同じだった。
「そう。そのクリスタル綺麗で私の宝物だったんです」
「今もありますか?」
「いいえ。人にあげたのでもうありません。中学受験の時に、筆入れ忘れた子がいたのであげたんです」
 中学受験の時、筆入れを忘れた女子がいた。黒髪の背の低い女の子。途方に暮れて今にも泣きだしそうだったので、筆入れに入っている一番綺麗なシャープと消しゴムを貸して上げた。本当は、受験が終わった後に返してくれる約束をしていたのだが、芽衣美を迎えに来た車が早く到着してすれ違ったまま別れた。
 その受験した中学には合格したにもかかわらず、地元の中学に通う事になったので、結局その女の子とは会っていない。

「大事なものではなかったんですか?」
「え? あぁ、当時の一番のお気に入りでした。お父さんの形見でもあったし」
「形見? 旦那様はご健在ですよね?」
「あ。あぁー……。忘れてください。それより。この方程式分からないんですけど。教えてくれますか?」
 芽衣美は言わなくていい事を話したしまったと、ばつのわるい顔をする。それから、話を逸らせるように、質問をした。佐々は明らかに話を逸らした芽衣美を少しだけ、不思議そうに見たが、直ぐに分からない問題の解き方を丁寧に教えてくれた。
 

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