猫かぶりお嬢様と腹黒執事

玄関開ければそこには執事。




「はじめまして芽衣美(めいみ)お嬢様。私は、本日より芽衣美お嬢様にお仕えする事になりました、執事の佐々(さざ)と申します。宜しくお願い致します。芽衣美(めいみ)お嬢様」
 鍵の掛っていない玄関のドア不信に思いながら開ければ、そこに居たのは、執事の制服を着た男子だった。膝を下り、頭を下げる男子を見て、芽衣美は開けた玄関のドアを閉めた。そして持っていた玄関の鍵を差し込み、鍵をかける。
 数歩下がり家を見る。三階建の洋風の家は本家より離れて高校生活を送る事になった芽衣美に、祖父が合格祝いに買い与えた家だ。一年と少し、この家で一人暮らしをしてきた。週三回家政婦の五十鈴が通い家を掃除してくれているので生活に困った事はなかった。
 さっき目にしたものは、現実にいるのだろうかと首をかしげる。

 彼の顔も名前も、芽衣美は知っている。
 芽衣美の通う進学校の同級生だからだ。佐々幸仁(さざ ゆきひと)二年A組で入学当初から首席で在り続ける彼は、学校の有名人だ。背の高く容姿端麗、文武両道で誰もが憧れ、女子からは完璧王子様と呼ばれている。
 クラスが違うので廊下ですれ違う事も滅多にない人物だ。

 何故そんな人物が執事の制服を着て、芽衣美の家の中にいるのだろう。もしかしたら、先ほど見たのは芽衣美の幻覚かもしれない。芽衣実はもう一度玄関のドアに鍵を入れて、ドアを少し開けてみる。
「芽衣美お嬢様?」
 ドアの向こうに、執事の制服を着た佐々幸仁が輝かしい笑みを浮かべて芽衣美を見ていた。ドアに隠れる様に芽衣美は顔を半分だけ出して、問いかける。
「……あの。う、家に何かご用でしょうか?」
「芽衣美お嬢様にお仕えするように言いつかり参りました」
「つ、仕える? あの。罰ゲームか何かですか?」
「違います」
「あの……同級生の、佐々君ですよね?」
 芽衣美が恐る恐る尋ねると、佐々は嬉しそうに微笑む。
「私を御存知でしたか。光栄です」
 すらりとした鼻筋に、凛々しい顔立ち。柔らかそうな黒髪。クラスの女子が密かにファンクラブを作っている程人気な彼が、芽衣美を見て微笑んでいる。卒倒しそうになるのを玄関のドアを掴みながら耐える。
「大丈夫ですか?」
 いつの間に目の前に来たのか、佐々は倒れそうになっている芽衣美の背に手を当て支える。
「あ、あの。……あの……」
 混乱して言葉が出てこない。
「奥様から話は聞いておりませんか?」
「お、お母様から? いえ、な、なにも……」
「そうですか。それは、驚かれるのも無理はありませんね。失礼いたします」
「え?」

 未だ玄関のドアにへばりついていた芽衣美を佐々は一言声をかけてから横抱きにした。軽々と持たれて、芽衣美は驚き体を硬直される。
「ひゃあ」
「心配は要りません。この様な所ではなくリビングにお連れいたします。話はそこで致しましょう」
 横抱きにされ凛々しい瞳に見つめられると、心臓の鼓動が嫌でも早くなる。近すぎる距離に動揺しながら、芽衣美はリビングに連れて行かれた。


 椅子に座ると、芽衣美は直ぐに母に電話をかけた。
「お、お久しぶりです。お母様? 私の家に、お、男の人が」
 芽衣美は混乱する頭で家にいる佐々に付いて母に話した。
『慌てる必要はありません。貴女の一人暮らしが心配なので私が手配した使用人よ』
「でも。同級生ですよ?」
『えぇ。貴女、先日行われた学力テストの順位を言ってみなさい』
 芽衣美はギクリとして、手が震える。学力テストで、過去最低の結果を出した芽衣美は両親にその報告をしていなかった。言わなければ知られないと思っていたが、母は芽衣美の成績を知っている。
『言えないのなら私が言いましょう。五百三十二人中、五百三十番よ!』
「……わぁ……下に二人もいますね?」
『後ろから数えて三番! なんて成績でしょう!! 一條家始まって以来の最低な成績ですよ!!』
 母の怒りが電話口から伝わって来て、芽衣美は受話器を耳から遠ざける。受話器からは延々と成績の悪さを怒る母の声が聞こえてくる。辟易していると、佐々が紅茶とお茶菓子を用意してくれた。
 勧められるまま、紅茶に口を付けると砂糖が適度に入った芽衣美の好みのアールグレイだ。温度も飲みやすく一口飲むたび、芽衣美の心が安らぐ気がした。
『私がこれで何故同級生の使用人を用意したか分かりましたね!』
「は、はい!」
 紅茶にほっとして、話を聞いていなかった。聞いていなかった事がばれるのを恐れて慌てて返事をする。
『貴女の私生活全て正して頂きます。学校でも、家でも彼には貴女の世話を全て任せました。今後私を失望させる事のない様に確りして頂きたわ! 上の二人も弟の翼さんもこんなことで私の手を煩わせることはありませんでしたよ!!』
 ガチャっと乱暴に受話器が置かれる音がして、芽衣美は大きくため息をついて受話器を下ろす。
 芽衣美には結婚がした姉と来年結婚が決まっている姉と一つ年下の弟がいる。皆優秀な頭脳を持ち、芽衣美一人が成績に苦戦していた。
 今回の学力テストの成績は芽衣美自身も酷いモノだと、思っていたが家庭教師を付けるのではなく、学校で一番優秀な人を家に仕えさせ私生活から正そうとていたとは、信じられない。

 脇に控える様に立っている佐々を芽衣美は力なく見る。
「あの。佐々君は、本気で……?」
 消え入りそうな声で呟くと、佐々は微笑む。
「もう一度はっきりした言葉でお聞かせ頂けますか?」
 声が小さい事も、緊張するとどもってしまう癖があるのも自覚している。指摘されて恥ずかしくて顔を赤く染める。ただでさえ、男子と二人で話した事がないのに、相手は学園の人気者、完璧王子様だ。緊張で体が縮んでしまう。
「さ、佐々君は。本気で私の執事をやるつもりなのですかぁ!?」
 声を大きくしたら語尾が裏返ってしまい、赤面し佐々を見る事も出来ずに手に持ったカップを見る。
 カップを持つ手に白い手袋をはいた手が添えられる、手をたどって視線をやると芽衣美の椅子の傍に跪いた佐々がいた。
「芽衣美お嬢様。今日より私は芽衣美お嬢様が、一條家の令嬢として花開けるように誠心誠意お仕え致します。家の仕事はもちろん、学業も微力ながら私が教示致しましょう」
「……家の仕事って、まさかここに住むつもり?」
「はい。奥様からは芽衣美お嬢様の私生活も指導するようにと」
 微笑む佐々を見て、悲鳴に近い声を上げる。
「本気!?」
「はい」
 何処の世界に、一人暮らしの娘の所に同級生の男子を住まわせる親がいるのだろうと、芽衣美は顔を青ざめる。
「安心してください。私にも好みがありますので」
 芽衣美の姿を見て佐々は、とりわけ美人も可愛くもない一般的な容姿に頭の悪い女など恋愛の対象外だと微笑んだ。侮辱された事に気が付いて眉を顰める。

「でも、半年後はどうなっているか保証致しませんがね」







 半年の間に、芽衣美の容姿も学力も鍛え直してみせると、笑う佐々を殴らなかった自分を褒めてやりたい。
 芽衣美は自分の部屋に戻るとベッドの上で母と佐々に呪いの言葉を吐く。
 一條家は旧家で幾つもの会社を持つ資産家の家だ。その家の空気が耐えられなくなり、家を出て来て一人暮らしを満喫していたのに、成績が悪かったばっかりに変な者が送られてきた。最悪だと呟いて、気を取り直して制服を脱ぐ。
 お腹もすいてきたので夕食の支度をしなければいけない。一人暮らしをするようになって、本家にいた時はやった事がなかった家事も出来る様になった。週に三回通ってくれる家政婦に料理の仕方を習い、今では一通り料理が出来る。
 今日は、なにを作ろうと思いなら三階にある自室から一階に下りて行くと、美味しそうな匂いが香って来る。

「芽衣美お嬢様。後少しで料理が出来上がるのでもう少々お待ちください」
 上着を脱ぎ、ワイシャツを腕まで捲りエプロン姿の佐々が微笑む。
「……凄い。美味しそうですね」
 テーブルの上に並ぶ数々の料理。豪華な食卓に芽衣美は驚く。
「冷蔵庫の中の食材が豊富でしたので、色々作る事が出来ました」
「き、昨日家政婦さんが買っていてくれたんですね。て、手伝いますよ」
「私の仕事ですので、芽衣美お嬢様はお座りください」
 少しすると、テーブルに全ての料理が揃う。
「どうぞ、お召し上がりください」
「いただきます」
 一口料理を食べると、絶妙な美味しさに芽衣美は驚く。紅茶の淹れ方もうまかったが、料理もうまい。
「す、凄く美味しいです!」
「有難う御座います」
 嬉しそうに微笑む佐々。
「あ。佐々君も座って一緒に食べましょう?」
 芽衣美の横で給仕の仕事しようとしている佐々に声をかける。
「私の事は気になさらず、召し上がりください」
「で、でも、佐々君が作ったものだし、こんなたくさん、私一人じゃ食べきれません。い、一緒に食べましょうよ。見られていると落ち着きませんし……」
 再度佐々に勧める。
「私は使用人です。落ち着かないと言うならば、私は席を外しましょう」

――使用人の分際でわたくしたちと同じ席に付くなんて恥知らず! 出て行きなさい!
甲高い女の声が頭に響く。幼いころの嫌な記憶が思い出される。椅子を蹴られて床に転がり落ちるお母さんの上に、料理が落ちる。本家の人達はその姿を見て笑っている。甲高い女を黙らせようとする幼い芽衣美を押さえて祖父に一礼してお母さんと部屋を出た、いまわしい記憶。
 本家での記憶は嫌なものばかりだ。次々と嫌な記憶が呼び起こされて息が詰まる。
 一人暮らしをするようになって忘れていた出来事が、佐々の言葉をきっかけに呼び起こされて芽衣美は佐々を恨めしく思う。

「本家では使用人と同じ席で食べる事は許されていませんでした。でもここは本家ではありません。この家は祖父より与えられた私の家です。そして、今日から寝食を共にするのですから、この食事はいわば佐々君の歓迎会でしょう。主役が席に付かずに会食が始められますか。座りなさい」
「…………」
 佐々が驚いて芽衣美を見ている。先ほどまで小さな声でどもっていた芽衣美の口調が変わり、視線の合う事の無かった栗色の瞳が佐々を見据えていた。
「かしこまりました」
 佐々は芽衣美に従い座る。芽衣美は座った佐々の前に手際よく小皿やグラスを持ってきて、料理をとりわける。葡萄ジュースをワイングラスに入れ、自分のグラスを持ち上げる。
「で、では、これら勉強とか色々お世話になります。佐々君、よ、宜しくね?」
「こちらこそ、宜しくお願いたします」
 グラスとグラスがぶつかる軽やかな音が響く。こうして芽衣美と佐々の同居生活が始まった。




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