二章 六話


 家に急いで戻って来た麗華たちは、家で待っているはずの菫の姿を探す。彼なら、麗華が家の玄関を開けると同時に出迎えに来そうなのに、姿はどこにもなかった。どうしていないのか不思議に思いながら部屋中を探し、麗華は自室の机の上に手紙があるのを発見した。部屋を出る時はなかったもので、菫が置いたのだろうと想像が出来た。
 神界の字と呼ばれるうねうねと、ミミズがはえつくばったような字体で書かれた手紙を手に取る。
「それ、神界の字よね?」
 麗華が手にした手紙を見て、綺麗な顔立ちの真琴は不思議そうに首を傾ける。麗華が元神である父の娘であることは知られているが、彼女が神界の文字を読み解くことの出来る貴重な人間だという事を、真司以外は知らない。
「はい、父が私にこの文字の読み書きを教えてくれたので、わかるんです」
「読めるのか」
 眼鏡を触りながら驚いている蓮に麗華は軽く頷き、手紙の中身を見た。和紙と思われる浅葱色の手紙を開くとほのかに菫の花の香りが漂ってきた。いい香りと思いながら、麗華は文字に目を移す。

「………………」
 書かれた内容を読みながら、麗華の眉間に皺が寄って行く。真琴と蓮は字が読めないため何が書かれているのか、わからずに麗華の様子を静かに見守った。読み終えたらしい麗華が静かに、長い息を吐いてから何かを決意したように軽く頷く。書かれた内容が気になる真琴たちだが、麗華が言葉を発するのを静かに待った。
「すみれ君は家の結界を維持する必要が無くなったので、神界へ戻られたそうです。挨拶も出来ずに、別れることを謝る内容が書かれていました。それと、これから大変になると思うけど頑張るようにと」
「それだけか?」
 麗華が渋い顔をしていたのを見て居た蓮は、もう少し違う内容が手紙に書かれているのだと考えていた。
「はい、あと、父に報告が終わったら藤森に遊びに行くとも書かれていましたから、ふらっと藤森家に来ると思いますよ」
「随分とせっかちな、式神ね。麗華さんに会ってから主のところへ戻れば良いのに」
「……なんか、父が早く戻って来いって結界が無くなった瞬間に司令が来たとか、書いてありました。自分が会えないのに、すみれ君が私と会っているのがずるいと思っているらしいです。私、お父さんに手紙で伝えたいことあったのに、自分ですみれ君に聞くように言っておきながら、私との接触を嫌がるなんて身勝手だと思いません?」
「まったく、その通りね。私も、もう少しお話を聞きたかったわ」
 身勝手な父に苛立つ麗華に、真琴も賛同して苦笑いする。麗華はもう一度、手紙の内容に目をやってから大事そうに折り畳み、服のポケットの中にしまいこんだ。

 結界が無くなった麗華の実家に長居は出来ない。ほぼ終わっていた引っ越し準備を急いで片付け、しばらく来られないであろう家のガスや水道などの締め忘れがないか最終確認を行う。
 家に人が居ないと、家は朽ちていく。おそらくもう、この家には戻ることはできないのだろうと、麗華は少し寂しく思いながら最後の確認を行った。真琴と蓮に外で待ってもらい、最後に麗華は玄関でもう一度家の中をゆっくりと見渡した。家族との思い出の詰まった家。ここを出ていく事になるとは、華守市に行く前は少しも考えて居なかった。

「いってきます」

 麗華は誰もいない廊下の先に向かい小さく笑って手を振った。母が生前居た時に、やっていた学校へ行くときの挨拶。もう、『いっていらっしゃい』と声は帰ってこないけれど、麗華は軽く目を瞑り母の声を頭の中で呼び起こす。
『いっていらっしゃい、麗華。気を付けていってくるのよ』
 笑って手を振る母を思い出し、麗華はもう一度、行ってきますと声を出して玄関を出た。鍵をかけて振り返ると、微笑している真琴と気難しそうな顔をして眼鏡を整えている蓮が麗華を待っていた。軽く笑って、麗華は二人のもとへ歩いていく。
「行きましょうか」
「あぁ」

「お隣に挨拶はしていく?」
「はい、ちょっと寄って行ってもいいですか?」
 隣に住む初恋の相手、司の家には父が居なくなってから何かと世話になっていた。今までのお礼とお別れを言ういい機会だ。

 隣に向かい歩いていると、道の向こうから手を振ってやってくる15,6歳の数名の男女が居た。

「麗華!」
「海?」
 数名居る男女のうちショートヘアの女子は、麗華と目が合うと走って来て彼女に飛びついた。手に持っていた荷物のまま飛び込んできた海と呼ばれた少女を麗華は受け止める。
「麗華! 間に合って良かった! お別れできなかったらどうしようかと思ったよ!」
「海、ありがとう」
 麗華の友人で、学校ではいつも一緒に行動していた仲の良い友達だ。結界が無くなった以上、長居は出来ないと思い友人たちとお別れが出来ないと思っていたが、前もって今日来ることを知らせていたため、彼らは麗華にお別れを言いに来てくれたようだ。
「本当に麗華、行っちゃうんだね。やだやだ、行かないでよ!」
 ぎゅうっと抱き着かれて、麗華も海を抱き返す。
「……海」
「麗華が居ないと学校がつまらないよ。学園祭だってあんなに張り切っていたのに、なんで今行っちゃうのよ」
「ごめんね」
「なんで謝るのよ。謝らないでよ。こっちこそゴメン。麗華を困らせているよね。今まで探していた親戚が見つかったんだから、おめでとうって送らなきゃいけないのにね。ゴメンね」
 身体を離し泣き顔で海に謝られて、麗華はもらい泣きをしそうになりながら、首を横に振る。
「来てくれてありがとう。他のみんなも、ありがとう」
 学校でよく遊んでいた人たちが集まってくれたようだ。他の人たちにも頭を下げてお礼を言う。友人たちは口々に、麗華の引っ越しを惜しみ、親戚と会えた事を喜んでくれた。


「家の外が騒がしいと思ったら。海ちゃんたち来てたの?」
 司が家の外が騒がしくなった事を不審に思い、玄関を開けて出てきた。
「司! 麗華が家についたら教えてって言ったのに、連絡しなかったでしょ!」
 海が司に向けて人差し指をびしっと向けて怒鳴った。
「ごめん、海ちゃん」
 司は苦笑いをして謝る。それから麗華と真琴たちに視線を向けて意味ありげに苦笑した。
「んっと、ここで騒いだら近所迷惑だし、みんな家に入る?」
 司は玄関の扉を開けて外にいる友人たちと、麗華たちに中に入るように勧めた。
「そうだね! 麗華には聞きたいこといっぱいあるし、そうしよう!」
 海は麗華を引っ張り、司の家に連れて行った。後ろから友人たちと真琴と蓮も続く。司の家の中に入ると、司の母が出迎えてくれ友人たちと一緒に居間へ案内してくれた。椅子に座ると麗華と一緒に入って来た真琴と蓮が友人たちの質問詰めにあう。長身で鋭い目をしているが整った顔の蓮と、髪を短く切り男前度が上がっている真琴が麗華とどういう関係なのか友人たちは興味津々のようすだ。二人は親戚だと簡単に答えて、友人たちの質問を要領よくかわしていた。

「麗華、ごめんね。海ちゃん、どうしても麗華を見送りたいって言うから押しかけてきたみたいでさ」
 麗華のお別れを言いに来たらしい、友人たちは麗華よりも真琴たちに興味があるようで、麗華は司と少し離れたところでその様子を見て居た。
「ううん。私も海やみんなとお別れが言いたかったし、嬉しかったよ」
「そう? よかった。ここじゃ騒がしいから、向こうでちょっと話さない?」
「うん、いいよ」
 ちらりと、真琴と蓮を見ると友人たちと話していたが、麗華の視線に気が付くと二人は友人たちに軽く断りを入れてから、麗華のところまでやって来た。
「私たちも行ってもいいかしら?」
 司と二人で話すことに何の危険もないとは思うけれど、麗華はなんとなく二人が付いてくることはわかっていたため、軽く頷いてから司を見た。
「いいよ。ごめん、みんな、母さんが麗華たちと話したがっているから、ちょっと麗華たち連れてくね」
 司は他の友人たちに軽く断りを入れると、彼らは快く見送った。



 司の両親の部屋に入り、麗華は司の母親にお別れの挨拶をした。今までお世話になっていた、本当に娘のように可愛がったくれた司の母は麗華が居なくなることが、寂しいと、親戚に無事に会えてよかったねと言ってくれた。たまに夕飯に呼んでくれた司の母の手料理が食べられなくなることが、残念だと伝えると、向こうに行っても栄養のあるものをしっかりとって、元気でやるのよ、と麗華の事を心配している様子で言われる。真琴と蓮に麗華の事を宜しく頼むと、本当の母親のような様子でお願いをしていた。
 
 司の母と別れて、友人たちが居る居間に行こうとすると、真琴が麗華の隣に来て耳打ちをする。
「司君ともお別れになるのだから、告白してしまえば?」
「え?」
 真琴の言葉に麗華は驚いて眉間に皺を寄せる。今告白するような場面ではないし、これから華守市へ行くのに告白をしてどうするのだ。大体前も行ったが、初恋ではあるが司への気持ちはもう友人として落ち着いている。
「言っておいた方がすっきりするわよ」
「…………」
 友人の海と付き合っている司は麗華を恋愛対象としていないはずだ。いきなり言われても、司は困惑するだろうし、友人の海にも悪い気がする。言った方は確かにすっきりするかもしれない。告白をしなかったことを、華守市へ行く前に後悔していた麗華だが、言ったことで、司や海にどう思われるか考えると言う気は起きなかった。でも、電話やメールでつながっているけれど、この生まれ育った場所で会うのは真琴の言うように、最後になるかもしれない。
 麗華は居間へ繋がる廊下で立ち止まり、司の方を向いた。
「司」
「ん?」
 突然振り向いた麗華に、司は首を傾げた。
「小さい頃から、司が居てくれたからやっていけたよ。有難う、いままで――」
「ひぃ」
「え?」
 麗華が感謝の言葉を伝えようとするとなぜか、司が顔と肩を引きつらせて、麗華から一歩下がった。それから、気を取り直したように麗華に近づき、彼女の肩を強めに掴んで、引きつった笑顔を見せた。
「俺たちこれからも、いい友達だろ! 親友だろ! 親友を助けるのは当たり前の事で、感謝とかいらないよ!」
「どうしたの、司?」
 司の慌て様に麗華は逆に引いてしまう。
「麗華が、水臭い事を言おうとしていると思ってさ、これからだって、気軽にメールや電話して来いよ!」
 大げさに笑って、麗華の肩をポンポンと軽く叩く。
「う、ん。またメールや電話するね」
「おう。いつでも待っているよ! さあ、あいつらも待っているだろうし、居間へいこ――」

 司が気を取り直すように麗華の向きを居間へ向けて背を押し歩き始めた時、居間の方から何かがなぎ倒されたような、激しい音が聞こえた。麗華の前を歩いていた真琴が軽く額に手を当て呆れたような表情をした。
「なに?」
 蓮が麗華の疑問を答えるように居間の方へ歩いていき扉を開けた。扉から見えたのは、麗華の友人の胸倉を掴み今にも殴りかかりそうな大輝と、それを止めようとしている優斗と真司が居た。真司の足元には先ほどの大きな音の原因と思われる友人が殴られた痕を頬につけ倒れていた。






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 2015.10.22

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