二章 二話



 居間に入るとそこには待ち構えたように、残暑も残る蒸し暑い家の中で黒い長袖を着た二十五、六歳の男が立っていた。漆黒の髪はゆるく波打ち、透き通る様な綺麗な藍紫色の瞳をしている。麗華は優しく微笑み立っている菫を見つけて喜ぶ。
「菫君! やっぱりいたのね!」
「麗しの麗華姫、ご無事で何より。おかえりなさい。さぁ、こちらに座りなさい」
「ただいま。菫君」
 麗華は菫の近くに行き触れようとした。だが触れようとしたら逃げられた。
「麗華姫、私は麗華姫に触れる許可を得ていない」
 菫が残念そうに、そして愛おしそうに麗華の指に触れるすれすれの所で手を止めた。
「お父さんまだ、許可出していないの? 何で、だろう?」
「主が触れる事が叶わないのに、私だけが触れる事が許せないのでしょう」
 麗華は父の性格を思い出して苦笑いする。後ろで、麗華達の成り行きを見ていた真琴と蓮と目が合った。
「菫君。こちら、水谷真琴さんと土屋連さん。華守市から家に来るのに護衛がいるって言われたから、付いて来てもらった守護家のひとだよ。真琴さん、蓮さん。こちらが、父が作ったって言う式神の菫君」
 麗華が紹介すると、真琴と蓮も自己紹介をした。ソファーに座り駅で買った冷たいお茶とお菓子をお茶うけに、話を始める。

 まず初めに、藤森家を襲った真犯人の菫と同じ顔をした、式神の話だ。登世子はまだ、なに一つ語らず藤森家の一室に監禁されている。最後に菫と会った時、彼との対戦を任せてその後を知らない。
「うむ。あいつとの戦闘は引き分けに終わった。瀬野殿に場が壊れると叱られ、止めるしかなかった。後少しで仕留められたのだが、残念です」
「あの人何がしたかったの?」
「あいつの主が命じた事らしいですが、私も詳しくは分かりません」
 菫が首を横に振る。菫なら何でも知っていると思ったのに、残念に思う。
「そっか……」
「分からなくても、想像が付いているのではないのですか?」
 真琴の断定的な言葉に、菫は小さく笑う。まだ真琴は菫とほんの少ししか話していない、麗華が彼に語った言葉だけでその事を推測して気が付けている事に思い白いと思った。
「もちろん。あいつの主が考えている事は一つだけだからな」
「え。なにそれ?」
「麗華姫、伯父上と会われたと言われましたね。彼は何かしませんでしたか?」
「何か……」
 麗華は、神界で伯父と会った時の事を思い出してみる。麗華が迷い込んだ華の丘と呼ばれる所で、会うと伯父は酷く面倒くさそうな顔をしていた。その後、彼に言われて屋敷でお茶をご馳走になった。正確には、お茶を飲む前に手のひら程の大きさの十歳児の姿に変わった父が飛んできて、お茶を飲むどころではなくなったのだ。
「特に何も……? お茶をご馳走になっただけ――あ。思い出した。神界の物を口にしたら、そちらの住人になるんだっけ?」
 お茶を飲もうとした時、父が文字通り飛んできてお茶を叩き割った。茶うけも燃やし、こちらの食べ物を口にしてはいけないと言っていた。
「そう。簡単に言えば、伯父上は神界の秩序を守る役目にあります。彼はその事を第一として働いている。麗華姫は、半分は神界の血が流れ、どちらにも住める存在なのです。ですが、神界と地上の行き来を、手順を踏まずに行われると歪みが出来ます。歪みとは天災をもたらすものと考えると分かりやすい。今回を含め麗華姫は三度神界へ手順を踏まずに訪れている。無意識とは言え、神界の秩序を乱す可能性がある麗華姫をあぶり出したかったのでしょう」
 麗華は、菫の言葉を慎重に考える。
 まず。麗華が、華守市に行ったのは菫が計画した事だ。華守市が出ているテレビ番組に興味を持つように仕向けたと言っていた。母が持つ首飾りと同じものが、華守市の特産品で一族だけに渡される物とだとテレビ番組で出ていたから、麗華は華守市を訪れた。それが始まり。
 では、藤森家で起きた蜜狩りはいつから計画されていたモノなのか。登世子一派と別の、伯父の式神に誘われて仲間に入り蜜狩りを仕掛けた人達は事件が起きる二週間前ぐらいから、誘いを受けたと報告があった。麗華が華守市を訪れようと思ったテレビ番組を見たのは、いつだっただろう。麗華はその時の事を思い出そうと記憶をたどる。あれは七月七日のテレビ番組だ。思い出したくない出来事と共に思い出された。初恋の幼馴染と、友人が付き合い始めた日の夜、陰鬱な気持ちと共にテレビを見ていた。そこで、母の首飾りによく似た物が出品されていて、これは母の故郷かもしれないと思い、そこに行きたいと思い立ち、計画を立てたのだ。失恋なんか、一週間の旅で忘れてやると思った。バイトも詰めてお金をためるのに必死になった。
 と言う事は、少なくとも蜜狩り後から加わった、登世子一派とは別の襲撃者達は、麗華が華守市に行こうと決めた後から、集められた事になる。

「菫君は、蜜狩りが起きる事を知っていた?」
「元々、私が制限なく移動できるのはこの家だけです。後は神界に主に報告に行く事以外は禁止されています」
 情報を得る場所はないと、菫は首を振り、麗華は、菫の言葉を信じて軽く頷く。
「私が華守市に行かなくても、蜜狩りが起きたと思う?」
 蜜狩り事態、麗華が勾玉廻りを完成させない状態で、藤森家から出たから起きた事だ。もし、勾玉廻りが例年通り行われていたら、華守市にある結界が働き、藤森家に害を及ぼす危険のある、術者は近寄る事も出来なかったはずだ。

「起きたでしょう。その為の、藤森の血族の少女です」
「登世子さん……」
「藤森にある結界は、藤森の者を守るために藤森を管理する者たちが特別に作っている結界だ。たとえ、藤森に害を及ぼす危険性がある術者でも、藤森の血族ならば、結界は超えられたはずです」
「蜜狩りが、私が居なくても起きたとして、それで私をあぶり出す事が出来るの? もし、私が華守市に行かなかったら、私を伯父が見つけるは出来なかったはずでしょ?」
 麗華をあぶり出す為に、蜜狩りを仕掛けたとしたら辻褄が合わない。麗華には、父が掛けた術が掛っていた。術者や妖魔には麗華の姿が見えていない。それに加え麗華の家は術者が近寄る事が出来ない様に幾重にも結界が張ってある。その安全な檻から出ない限り、麗華が伯父に見つかる事はないはずだ。

「麗華姫がいない状態で、蜜狩りが成功したとしたら、なにが起きると思いますか?」
 麗華は想像してみる。登世子は封印を解きたいと言っていた。その事と関係があるのだろう。

「陽の神華、彰華の危機」
「そうだな。あの男の強さは、尋常じゃない。守護家が束になっても敵わなかった……」
 今まで、たまって麗華と菫の話を聞いていた蓮と、真琴が青い顔で口をはさむ。守護家として神華を守る為に存在する彼らは、神華を守れない事は彼らとして生きる資格がないのと同じ事だ。いくら神界の式神で、人とは別の力を持ち強さのけたが違ったとしても、今回の蜜狩りで嫌というほど、力の差を見せつけられた彼らは、彰華の危機が簡単に想像出来てしまった。弱い守護家は役に立たない。強くならなければと、二人は改めて思う。
「そう。麗華姫は、主の術で厳重に守られている。神界の伯父上ですら、何処にいるのか分からない状態だった。ならば、居場所の分かる麗華姫の対になる陽の神華を陥れれば、陰陽の神華の繋がりから関渉し、麗華姫を見つける事が出来ると思ったのでしょう」
「ちょっとまって、タイムラグがあるよ。私をあぶり出す為に彰華君を、危機的状況に追いやるとして、何で蜜狩りが起きた瞬間にやらなかったの?」
 蜜狩りが発生した時の藤森家の様子は後から、真司に聞いた。あの時、現れた登世子とあの男は、彰華に危害を加えようとはしなかった。彰華と登世子が清めると言う理由で藤森家の一室に立てこもった。もし、麗華を見つけ出す為に、蜜狩りをしたならば、二人きりの時は絶好のチャンスのはずだ。
「それは、すでに、麗華姫の所在が分かったからでしょう。いままで何処にいるか分からない状態でしたが、藤森には麗華姫が滞在していた確かなものが残っていた。態々陽の神華を傷付ける必要が無くなり、しばらく様子を見ようと思ったのでしょうな」
「様子を見ている時に、私が藤森家に戻ってきた。私がいたなら、その時点で、あの狂気に出る必要は無くなっていたんじゃないの? なんで、登世子さんを刺して、私達を傷付ける必要があるの?」
「…………」
 麗華の疑問に、菫は何も答えない。
「想像は出来ているの?」
 菫は苦笑いしただけでやはり答えなかった。






 蒸し暑い外を歩き回り、麗華の家の周囲を別々に散策していた、真司、大輝、優斗の三人はある問題に直面していた。それは、麗華の家に戻れないと言う事だ。麗華の家に着くまでは、真琴が麗華に気付かれないように術で作った糸を出し、迷わないように案内をして貰っていた。だが、その糸は麗華の家に無事に着いた時点で切れている。
 電話でお互いの位置を確認し、合流しようとするが、別々の場所に着くと言う状態だ。麗華の家の周りに張られた術者避けの結界が三人に働いていたのだ。
 術を使って、何とか合流出来ないか確かめてみるが、上手くいかない。暑さと、術で上手くいかなく苛々がつのっていく。

 大輝は、四度目の合流作戦が失敗に終わり、苛立ちに任せて近くに立っていた自動販売機を蹴った。
「くっそ! 何なんだよ!」
 これでは麗華の護衛など出来る筈がない。何の為に麗華にばれない様にして後を追って遣って来たのか。

「……あ。あの〜……」
 苛々している大輝に、恐る恐ると声を掛ける少年がいた。
「あぁ! なんだてめぇ!」
 大輝は声のする方を苛立ちに任せて睨みつけた。
「わぁ。いや、なんでもないです! やっぱいいです!」
 そこには、どこかで見覚えのある少年だ。夏らしいTシャツにジーパンを着た少年だ。黒髪の短髪に、愛嬌のある瞳は大輝に怯えて、少しうるんでいる。その場から逃げようと踵を返す少年を、大輝は呼び止めた。
「おい。お前誰だ。どっかで会った事あるよな?」
 びくりと肩を震わせて、ゆっくり振り返り引きつった笑みを見せる。
「お、覚えてないかな? 麗華の隣の家の者です」
「あぁ! 思い出した。よっしゃ! これで帰れる!」
 大輝は麗華の隣の家に住む、司の肩を掴み、良い案内役を見つけたと喜んだ。
「迷っていたの?」
「まあな。お前、麗華の家まで案内しろ」
 司は、大輝の方を見て少し考えた様子で頷く。
「いいけどさ、麗華から今回は前来た時と違う人と来るって言っていた気がしたけど。何で居るの?」
 麗華がそんな報告まで司にしていたのかと、少し悔しく思い舌打ちする。
「いいだろ、そんなの。お前は案内すればいいんだよ」
「あまり良くないだろ。麗華に嫌われてんの? そう言う奴を案内する――! あぶねぇ! 殴るなよ!」
 拳を震わせて睨んでくる大輝に、殴られそうになった司は、安全圏まで逃げて怒る。
「別に嫌われてねぇ! 第一お前が偉そうにしてるのが気に入らねぇ!!」
「えぇ!! 俺、いつ偉そうにした!? ちょっと待て! 誤解だ!」
 司の言葉を無視して大輝は彼を殴ろうと好戦的に近寄っていく。司は近寄る大輝から逃げる為に後ろに下がる。
「いいのか! 俺、このまま行くと全力で逃げるぞ! もしそうなったら、麗華の家に辿り着く事なんて出来ないだろ!? とりあえず落ち着け、な?」
 確かに地理的に司が逃げれば、麗華の家に辿り着く事が出来なくなる。大輝は、苦虫をかみつぶした顔で舌打ちする。丁度良く電話が掛って来て、優斗が五度目の合流をしようと連絡が入る。
 丁度いい案内役を見つけたと、優斗と、真司に報告し、大輝は司を案内役に二人と合流する事にした。

 司がいるとすんなりと、合流する事が出来た。司は、真司、優斗に会い改めて自己紹介をした。
「はじめまして。杷保 司(はほう つかさ)です。麗華の家の隣に住んでいます……、って、なんで三人共、睨んでくるんだよ?」
 これが、噂の麗華の初恋相手。真司と優斗は司を品定めするように見ていた。真司はまだ不機嫌そうにしているが、優斗は人のよさそうな笑みを浮かべる。
「なんでもないよ。ちょっと人見知りなんだ。俺が優斗で、こっちが真司。案内よろしくね。杷保君……。」
「杷保……」
 優斗と真司は苗字を復唱して、ある事に気がついた。
術者にとって、世界中に散らばる術者の名前を覚えるのは基本だ。名前一つで何処の家の者か、どのような能力があるか分かる。特に特別な役割を持つ家は必ず覚えていなければ、術者として恥だ。

 杷保といえば、摩恵村(まえむら)の術者だ。神界と係わりの深い摩恵村は、神界の文字が読めると有名な術者達が住んでいる。

「あ。麗華には秘密にしてほしいな」
 二人の気が付いた表情を見て、司は人差し指を口元に持って行き苦笑いした。


top≫ ≪menu≫ ≪back≫ ≪next





2012.3.26

inserted by FC2 system