一章 六十六話




 一度来た事のある木張りの廊下、足元には金子家の家紋がありこの先に行くと九つの試練の場がある。周りは霧が掛ったようなで廊下が浮き上がっている様な不思議な空間だ。
 あの場から逃げる為に神技を受け継ぐ試練の洞窟に来たというのに、真司を置いて来ては全く意味がない。真司をあの男の所に置き去りにしてしまった。あの時真司にしがみついていればよかった。手を放してしまった事が悔しい。
 それに大輝や蓮達の事も気になる。何とかして、あの場に戻らなければいけない。
 では、どうやれば元の場所に戻る事が出来るのか。一つは九つの試練を突破する事。でもいくら今まで目に見えていなかったモノが見えるようになったからと言って、術が使える訳ではない。試練に挑んでも勝てる気がしない。
 もう一つここから抜け出す方法は出る為の呪文を唱える事。これも麗華は知らない。
 踊り場の下で何かうごめいている様な振動が伝わって来る。この場は時間制限があり早くここから移動しなければ床が落ちて霧の中に消える。
 
 とにかく、進むしかない。麗華は立ち上がろうとするが、右足に激痛を感じて顔をしかめる。足を見ると妖魔に襲われた時の傷口が開き、包帯を赤く染め上げていた。最悪だと喘いで、足を引きずりながら何とか前に進もうとする。
 こんなところでもたもたしている時間はない。上手く動かない体に苛立ち、どうやってここから出ればいいのか分からなく焦りがつのる。


「おい。なんでこんなところに居るんだ?」
 後ろから声が聞こえて振り返ると、鮮やかな白虎の刺繍が入った羽織を着た青年が首をかしげて立っていた。愛嬌のある大きな瞳に長い黒髪を高い所で結っている青年。真司とここに来た時会った、瀬野と言う金子家の神技継承を任せられている青年だ。
「瀬野さん?」
「どうした? 血だらけじゃないか」
 血だらけの服や手足を見て瀬野は心配そうに麗華を見た。
「あの! ここから出たいんです! お願いです! 出して頂けないでしょうか!」
 麗華は瀬野に縋るように必死にお願いする。
「ん? まぁ、出す事は簡単だが。取り合えずここから移動するぞ」
 瀬野は軽く手を振るうと、廊下にいたのに別の場所に一瞬にして移動した。気が付けば日本庭園が見える屋敷の縁側に座っていた。日本庭園は見覚えがある。淡く光る庭石は真司と瀬野が戦った場所だ。
 瀬野も麗華の隣に座り足の様子を見ていた。
「一度包帯をはずし、傷口を見る必要があるな」
「傷の手当ては後でもいいので、ここから出て早く元の場所に行きたいんです!」
 瀬野は困ったように頭を軽くかく。
「いや。そう言う訳にはいかないだろ。なにが起きているのか分からんが、その状態で帰したとしても、何が出来る?」
 麗華が戻っても確かに何もできない。立てもしない足を引きずり、真司や他の人達に守られる事しか出来ない。確実に唯の足手まといだ。
 今まで見えていなかった術や妖魔が見えるようになったからと言って、他に役立つ事が出来る訳ではなかった。
 でも、一人だけ、こんな所に逃げ込んでじっとしているのは耐えられない。自分が知らない間に真司達にもしもの事が遭ったらと、考えるだけで震えが止まらないほど恐い。
 赤く包帯を染めて行く血を見て、自分が役立つ唯一つの方法が思いつく。
「私の血が他の人の回復薬になるって聞きました。この流れている血だって、無駄じゃない」
「……そうかもしれないが。それは自己犠牲に酔いしれてないか?」
「はぁ?」
 麗華は嫌そうに顔を歪める。
「誰が自己犠牲に酔いしれるんですか。私が犠牲になれば、真司達を助けられるとかそんな事を言ってるわけじゃないです。痛い思いも恐い思いも本当はしたくない。でも、守るって言ってくれた人達を置いて、一人でこんなところに居たくない。傍にいれば足手まといで、お荷物だとおもう。でも、傍にいれば何か手助けできる事があるかもしれない。血をあげることで、彼らの力が回復するなら、少しでも役に立てることがあるなら、やりたいと思うのは間違いですか?」
「だが、お前を安全な所に置きたいから、ここへ来させたのだろう?」
「ここに来たのは手違いが遭ったんです」
「まぁ、そうだろうな。ここへお前一人で来ても意味がないしな」
 瀬野は麗華を見つめてどうするべきか悩む。
「正直俺の立場的に、お前を危険だと分かる所に帰すのは抵抗がある」
「でも!」
 瀬野は麗華の言葉を制止しさせるように手を軽く上げる。
「傷を治してから帰して遣りたいが、俺は回復系を得意としていない。得意な奴に診せるにしても、ここは地上と神界の狭間の様な場所だから、お前を移動させる為には色々制限がある。そう簡単には行かない」
「じゃあ、そのまま地上に帰してもらっても全然私は構いませんよ」
「俺が構う。本当はやりたくないが、状況が分かっていて治療の出来る奴を呼ぶから少し待て」
 瀬野が指を軽く振ると手のひらに小さな百虎が現れて、軽く鳴くと霧の様に消えた。
「お前も知っている奴だから、心配するな。奴なら文字通り飛んでくる」
「私が知ってる人?」
「直ぐ分かるさ。水桶持ってくるからそこにいてくれ」
 瀬野は立ち上がると、屋敷の中に入って行った。瀬野は一体どういう立場で、誰を呼んだんだろう。麗華の知り合いに、瀬野を知っている人がいただろうか。
 考えても浮かばない。
 何でもいいから早く藤森家に戻りたい。こうしている間にも刻一刻と時間は過ぎている。真司や大輝、蓮、彰華達、藤森家の人達は今どうしているのだろう。


 何か時空が歪むような、不思議な光景が見える。そして不思議な空間から現れたのは、軽く波打つ黒髪に菫の花の様な藍紫色の瞳で黒い長袖を着た男。
 麗華も見覚えのある男だ。
「菫くん!?」
 麗華の父が作り出した式神だ。麗華が生まれた時から傍にいて彼女を守っていた。今までその存在すら覚えていなかったが、小さい頃は一緒に遊んだ事がある。
「麗華姫! ご無事ですか!?」
 何故菫君が、ここに居るのか麗華が驚く。
「何でここに?」
 文字通り菫は、その場から軽く飛び麗華の前に移動して跪いて足の様子を見た。一瞬にして傍に来た菫に麗華は更に驚く。菫は麗華の足に触れるすれすれの所で手を止める。
「痛々しい。なんてことだ」
 後ろから、瀬野が水桶と手ぬぐいを持ってやって来る。
「お、来たな」
「瀬野殿。一体何が」
「俺も良く分からん。だが、このまま元の場所に戻すのは憚るだろう」
「あの、二人はどういった知り合いで?」
 瀬野は神技の継承を任されている青年で、菫は父が作り出した式神だ。二人の接点が分からない。
 瀬野は軽く菫を見る。
「ちょっとな。それより何している、早く治療してやれ」
「私は麗華姫に触れる許可が出ていない」
「なに? それじゃあ。お前を呼んだ意味ないだろ」
 瀬野は頭を押さえて軽く振る。
「治療薬は持参した」
 菫は塗り薬を取り出して、麗華に渡す。
「仕方がないな。俺がやるよ」
 麗華の隣に瀬野が隣に座り包帯の巻かれた右足を持ち上げて、包帯を取り始めた。
「あ、でも薬塗るぐらいなら、自分でも出来るんで」
「この位の治療俺でも出来る。一体地上で何が起きているんだ?」
 瀬野は麗華の足を診ながらきく。
 はっと麗華は菫の方を見る。菫と同じ顔で同じ様な黒い長袖を着た男に付いて、菫は何か知っているのではないだろうか。
「藤森家に菫くんと同じ様な顔の人が来て、陰の神華の登世子さんを刺したの」
「私と同じ様な顔?」
「なるほど」
 菫は顔をしかめて、瀬野は何か納得したように頷く。
「何か知っているんですね。あの人一体何?」

 菫と瀬野が一斉に日本庭園を見た。麗華もつられて、そこを見る。菫が来た時と同じように時空が歪む。そこから、前髪の長い鬱陶しそうな髪形の菫と同じ様に藍紫色の瞳を持つ男が現れた。
 
「おや? 瀬野殿の他にお前もいるとは」
「久しぶりだな。よくも余計なちょっかいをしてくれるものだ」
 同じ顔で同じ藍紫色の瞳をぶつけ合う。
「菫君、あの男の知り合いなの?」
「同じ石から生まれた、双子の様なものだ」
「え。だから同じ、顔なの? じゃあ、あの男もお父さんが作ったの?」
「いいえ。わたしの主はあなたの父親ではありませんよ」
「元になる石を半分に割り、主を私が作り、主の兄上があれを作ったのです」
 麗華の父の兄。麗華にとって伯父がこの一連の出来ごとに関わっている。
 地上と神界の狭間であるこの場所に、簡単に来られる様な式神を作りだした父と伯父が何者なのか。

 それよりも、麗華が気がかりなのは藤森家の事だ。ここに来る前、真司とやり合っていた男がここにいると言う事は、真司はどうなったのか。
「藤森家はどうなっているんですか?」
「藤森家の事は、もういいでしょう。わたしの目的は別にありますからね」
「麗華姫。あれの事は私にお任せください。あなたは一度藤森家に戻り、陽の神華殿と話し合う必要があります」
「彰華君と?」
「瀬野殿。麗華姫の事をお願いしてもよろしいか」
 菫は麗華を守る様に立ち上がり、男と向かい合う。
「いいが。この場を壊さない様にしてくれよ。直すのは一苦労だから」
「瀬野殿は、重罪人の麗夜様贔屓ですね」
 藍紫色の瞳が光る。瀬野は男を睨み返す。
「勘違いするな。俺は自分の役割を果たしているだけだ」
「そうでしょうか。一度、彼女がここに来ていた事を報告していませんよね。それは何故でしょうか」
「この場に来た人間を逐一報告する義務は俺にはない。お前こそ立場をわきまえろ」
 男は大げさなまでに綺麗な一礼を披露する。
「これは失礼致しました」
「瀬野殿、これを戒めは私にお任せください」
 菫はそう言うと男に向かって走り、いつの間にか手に剣を持ち男に切りかかる。金属がぶつかり合う高い音が響く。男も剣をいつのまにか手に持ち、菫の剣を受け止める。二人は激しい戦いを始めた。
 菫の様子を心配そうに見る。互角にやり合う二人を見て菫に任せて大丈夫そうだと思う。


「お前の傷を癒して遣る暇がなくなった。とにかく、元の場所に送り返す。あの鬱陶しい髪の男に付いてはもうそちらに行かない様にするから、地上の事は自分で上手く治めろ」
「……はい。有難う御座います」
「悪いな」
「……あの。父は重罪人なんですか?」
「……俺からは何も言えない」
「そう、ですか」

 
 藤森家の人々の事以外に別の心配が浮かび上がる。父は重罪人。だから、麗華の前から姿を消したのか。全く想像もしていなかった。一体どんな罪で重罪人になったのだろう。
 麗華は胸の中に浮かぶ、ぐしゃぐしゃした言葉に出来ない気持ち悪い感情を、菫が持ってきた治療薬を強く握る事で紛らわそうとしてみるが上手くいかない。この思いを父にぶつけてやりたい。
 
 瀬野が呪文を唱え、麗華はその場から藤森家に戻った。


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2012.1.7

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