一章 六十一話



 勾玉を紐に通した麗華達は次の場所に向かう。勾玉が置いてある部屋の奥の扉を抜ける渡り廊下は森の中へと続いており、日が落ちた暗い森の中に入っていく。夏の森で鳴いているはずの虫達の声が不思議と聞こえてこない。麗華達の足音だけが静まり返った森の中に聞えていた。
 暫く歩くと舞台が現れる。五つの奇妙な文字が書かれた強大な石が舞台を囲う。大輝が軽く手を動かすと、幾つかの火の玉が現れ舞台上を照らした。屋根のない野晒しの舞台なのに落ち葉一つ落ちていない。
 ここで、勾玉廻りの舞を踊るのだ。
 舞の手順は従妹の知華から聞いている。本来なら、神華の衣装があるらしいが、今は着替えをするだけの余裕と着付けを出来る人が居ないので、元々来ていたワンピースの上に一着、打掛の様な着物を羽織っている。この着物は勾玉の置いてある部屋に仕舞われていた。
 手に持った三方の上には紐で繋げた彰華が集めた陽の勾玉。麗華の首には麗華が集めた陰の勾玉。

 これからあそこに行って覚えたての舞を踊る。失敗するかもしれないとか、自分で良いのだろうかとか、悩むのは止めた。ここに来るまで助けてくれた人達や麗華なら出来ると信じてくれている人達の為に今、自分に出来る事だけに集中しようと思う。
 ほんの少し、陰の神華に申し訳なく思う気持ちがあるけれど、それは胸の奥に鍵を閉めて隠しておく。

「じゃあ、行ってくるね」
 少し緊張した様子で麗華は蓮と大輝に声を掛ける。
「舞台の真中で着物引っ掛けて転ぶなよ」
「転ばないよ」
 大輝の言葉に苦笑いする。
「異変を感じたら中断していいからな」
 失敗などあり得ないと言っていた蓮が眼鏡に軽く触れ言う。
「異変ってどんな感じなんですかね?」
「不愉快な感覚があれば中断すればいい。此方で異変に気が付いたら止めに入る」
「わかりました。じゃあ、もし何かあった時は対処お願いします」
 軽く微笑んでから舞台の中に入る。

 淡く光りを発していた勾玉が舞台の中に一歩足を踏み入れると、光りが消えた。勾玉に反応するように五つの石が淡く光りを発し始める。大輝の作った火の球が煙の様に消え、五つの光る岩が照明の代わりを成す。
 陽の勾玉の載った三方を教えられていた右側に置き、指定の位置に立つ。勾玉を身につけてから、胸の疼きが強く感じていた。その感覚がこの舞台の中に足を踏み入れてからぴたりとやんでいた。
 小さく深呼吸を繰り返し、緊張する気持ちを落ち着かせ舞を踊る型を取る。

 右手を上げて左足を左斜めに動かす。何処からともなく鈴の音が聞こえてくる気がする。気のせいかと思うぐらい小さな音。不思議に思いながらも覚えたての舞を踊る。更に音が増えて行く。鈴の音の次に笛の音、弦楽器の音、太鼓の音。音は上から降って来る。思わず見上げるがなにもいない。唯、星空が見えるだけだ。舞を踊りながら音の正体を探ろうと目で探すが何処から聞こえてくるのか分からない。
 でも、不思議と恐怖感はない。幻想的な空間に気持ちが高揚して行く。舞いの手順を考える事をしなくても体が音に反応するように動く。
 体が羽を生やしたように軽く、気持ちがいい。勾玉廻りの舞がこんなに幸せな気持ちになれるモノだと知らなかった。
舞いながら、自分が自分で無くなる様な奇妙な感覚に気が付かなかった。

 何かに魂を持って行かれる様なそんな感覚がした瞬間、悲鳴が聞こえて我に返った。

「なにしてるのよ! 貴女!」
 誰の声だろうと、舞を踊りながら視線を向ける。
 蓮と大輝の他に、彰華と見知らぬ少女が立っていた。麗華と同じぐらいの年頃の少女は肩に掛る程で切り揃えられた髪を揺らしながら憤慨する。
 その少女が誰なのか、言われなくても分かった。少しつり上がった瞳で麗華を睨む少女は藤森家に奇襲をかけた本人、陰の神華なのだろう。

 舞を踊っている麗華は、陰の神華を目の前にして、負い目よりも後少しで何かが起こりそうだった所を邪魔されて腹を立てる。
 少女がまだ何か叫んでいるが無視して舞を踊り続ける。この全身が震えて歓喜するような高揚感をもっと味わいたい。何かに取りつかれた様に、頭の中は舞を踊る事だけを考える。
 

「私を無視する気!!!」
 派手な衝撃音が、舞台の上に響き渡る。少女が術を使い麗華に攻撃を仕掛けている。だが、舞台を囲う石が結界の役割を果たして麗華の元に少女の術は届かない。
 蓮と大輝が止めに入り、言い争いをしていた。
 舞の虜に為っていた麗華だが少女が放った衝撃音と共に、何かに弾かれた様に聞えていた音色が聞こえなくなり高揚感が急に冷めて行く。今まで踊っていた舞が、何節目なのか思い出せず舞が止まってしまった。
 舞台の上に茫然と立つと、一気に疲労感が麗華を襲う。筋肉痛の様なだるさと痛みに顔をゆがませる。五分も舞っていないと言うのに、何故こんなに体が痛いのだろう。

「そこの貴女! そこから降りてこっちに来なさい!」
 少女は麗華に向かい怒鳴る。何故、上から目線で指図されなきゃいけないのだ。陰の神華だからと言って、麗華が命令に従う結われはない。体の疲れと、折角調子よく舞えていたのを邪魔された麗華は不機嫌だった。
「……そっちがこっちにこれば良いじゃない」
 喋るのも億劫な疲労感の所為で、ため息を吐く様に言葉を出す。少女は憤慨したように此方に来ようとするが、結界に拒まれて弾き返される。
「貴女がそこで場を作っているかぎり、私がそっちへ行けないじゃないのよ!」
「……場?」
 少女の言葉が良く理解出来ないが、こちらに来る事が出来ないらしい。仕方がないので、麗華が少女の傍に行く事にした。疲れた体に鞭打ってゆっくりと少女の方に行く。
 麗華より少し背の低い少女は少しつり上がった瞳に眉を寄せて、麗華に詰め寄る。
「貴女あそこでなにをしていたわけ!?」
「……なにって。勾玉廻りの舞いを、していたの」
「誰がそんな事許可したのよ!」
「……守護家の人達」
「守護家ですって!? 私が知らない所で余計な事して! 許せないわ!」
「……そんなに怒鳴り散らさないで、ちょっと落ち着いたら? というか、ごめん、その声頭に響いて痛い。もう少しトーンを下げてくれると助かるだけど」
 頭を押さえながら麗華が言う。麗華としては少女の声が高く本当に頭痛がするので、声の調子を抑えて欲しくて言ったのだが、少女は麗華の態度に軽んじられていると思い、更に眉を吊り上げる。少女はある事に気が付いた。
 麗華の首に飾ってある勾玉を手で掴む。
「ちょっとこれ何よ! これ何の紐よ! このレース部分とかちょっとゴムになってるこの感じとかもしかして!?」

「ブラの紐」
 麗華の言葉に少女の後ろに居た彰華が吹き出し、腹を抱えて笑っている。少女は言葉にするのもけがわらしいと、信じられないモノを見る眼つきで麗華を見る。
「……彰華君、普通に元気そうだね。私、二人が何らかの事情で出来ないって聞いたんだけど。二人揃っているってどういう事?」
 麗華は未だに勾玉を掴んでいる少女の手を軽く退かせる。蓮と大輝が麗華達を心配そう窺っているのに気が付き大丈夫だと目で合図を送る。
「麗華こそ、数年は華守市に近寄らないと言っていなかったか?」
「……事情が変わったんだよ」

「ここへは、彼女が来たいと言うので連れてきた。紹介が遅れたな、昂然 登世子(こうぜん とよこ)。藤森家に豪快に登場してくれた、珍客だ」
 彰華は登世子の事を、嫌味を含みつつ紹介する。登世子は苛立たしそうに彰華を睨みつけた。
「こっちは、麗華。俺の従妹だ」
「はじめまして、岩澤麗華です」
 麗華は軽く会釈する。登世子は麗華を睨む。
「貴女、唯の従妹でしょ。こんな場所に出しゃばるなんて恥知らずね。自分が陰の神華に為りたかったのかしら」
「別に、そんな事思ってないけど」
 麗華がきょとんとした顔で即答する。
「白々しい。力がないからと、こんなみすぼらしい紐で勾玉を繋げるなんて暴挙をしてまで、神華のする事を真似したかったのでしょう」
「どちらかと言うと、仕方がなく、自分の責任を果たしに来たって感じだよ」
「自分の責任? 何か勘違いをしているんじゃない?」
 攻撃的な態度の登世子の様子に麗華は少し困惑する。陰の神華の登世子からすれば、麗華が役割を取ったから腹立たしいのだろう。だけど、その原因を作ったのはそっちだ。藤森家にある結界が緩んだ隙に藤森家に奇襲をかけ幾人もの人達と共に、蜜狩りをしかけてきた。何故、嫌味をねちねちぶつけられなきゃいけないのだろう。

「勘違いしているのはそっちでしょ? 私に変わりをやって欲しくなかったのなら、奇襲なんてしなきゃよかったじゃない。貴女が、華守市を襲う主犯として来た所為でこうなったのに、何言ってんの?」
 陰の神華として一目置かれた存在として、藤森家に扱われていた登世子は彰華以外で初めて正面から文句を言われた。陰の神華として育ち、他の者より高位の存在として崇められてきた。同じ神華の彰華に言われるのとは訳が違う。自分より格下の藤森家の血族と言うだけで、口ごたえする麗華が許せない。
「私は崇高な使命があるのよ。下賤な貴女程度には理解できないでしょうね!」
「下賤……って今時使う人いるんだ。初めて聞いた」
 麗華を見下して馬鹿にして登世子が言い放った言葉だが、聞き慣れないその言葉の所為で侮辱されたと思うよりも、よくその言葉が出てきたと感心してしまう。
「なんなの、貴女! この私に対して失礼にも程があるわ!」
「なんなのと言われても、私からしたら、貴女の方が失礼だよね」
「身の程をわきまえなさい!」
 金切り声で怒鳴られて、麗華は頭痛のする頭を押さえて眉間に皺を寄せる。
 陰の神華と言うから、もう少しまともな人だと思っていた。少なくとも怒鳴り散らす事しか能のない少女だとは思ってもいなかった。いや、考えてみれば藤森家に奇襲をかける様な少女なのだから、まともなはずがない。
 それにしても、少し疑問に思う。この単純そうな少女が、指導権を持って幾人もの術者を使い華守市に同時に奇襲をかけたとは思えない。登世子は人の上に立つ器がある様に見えないからだ。麗華の血を取った女が長袖を着た妙な男に蜜狩りの話を持ちかけられたと言っていた。
 登世子が主犯ではなく、計画を立て実行したのはその男だろう。

 麗華の横で何時でも止めに入れる位置に居る、蓮と大輝に目を向ける。待ちに待った陰の神華が、我がまま姫の様で大変だね、と苦笑いする。蓮は眉間に皺を寄せて眼鏡のずれを直す。大輝はこの世の終わりが到来して、自暴自棄になっている様な荒んだ表情を登世子に向けていた。
 唯でさえ、勾玉廻りの舞いの疲労感でだるいと言うのに、登世子を相手にすると余計に疲れる。
「ごめんなさい。私、登世子さんの様に階級意識のある家で育てられていないの。不愉快な思いをさせる気はなかったのよ。それで、登世子さんはここになにしに来たの?」

「私の行動を貴女に言う必要がある?」
「じゃあ、勾玉廻りを邪魔しに来たって思って良いって事だよね? 登世子さんの崇高な使命って、藤森家に封印されてるって言うのを解く事なの?」
「それこそ貴女になんて喋らないわよ」
「そっか。ちなみになにが封印されているのか、分かってるの?」
「もちろん知っているわ」
「それってなに?」
「ふふ、貴女知らないのね? 知らずに封印の舞を踊っていたの?」
 麗華より優位な位置に居ると知り登世子が楽しそうに笑う。
「そうなのよ。私って結構伯母さまに良い様に使われてたみたいで、なにも教えてくれないままだったのよ。ほら、私って唯の血族ってだけだし」
「そうでしょう。貴女程度に教えるはずないもの」
「まぁね。でも、気に為るんだけど、封印されてるモノについて頑なに外部に漏らそうとしなかった伯母さまが、突然現れた登世子さんに教える機会はなかったはずでしょ? 他の誰かから聞いたから知っていたのよね。いいなぁ。なにも知らされない私と違って、情報通の人が傍に居て教えてくれたんだよね」
「私は神華だもの。藤森家の事を知らされていて当然でしょう」
 藤森家の情報を教える人の事の存在を否定していない。
「じゃあ。気に為ってたんだけど、あの鳥居についてどう思う? 私は良く分からないんだけど、気に為って」
 鳥居とは、藤森家の離れから母屋に繋がる池に浮かぶ鳥居の事だ。初めて鳥居を見た時は正面から見ると奥にもう一つ鳥居があった。数日後に彰華と共に藤森家を出ようとした時見た鳥居は正面から見ると二つに増えていた。計三つの鳥居が池の上に浮かんでいた。
 蓮と大輝に鳥居が見えるか聞くと見えない様子だった。麗華はなんとなくその鳥居の正体が分かる。
「……鳥居?」
「あ、なんだ。知らないんだ。藤森家の事なのに情報通の人から聞いていないの?」
「どの鳥居の事か考えて頂けよ。幾つもあるんですもの。場所をハッキリ言いなさいよ!」
「鳥居ってそんなにあるのか。えっと、母屋と――」
「麗華、場所は言わない方が良い」
 今まで黙って見ていた彰華が、初めて口を出した。そういえばあの鳥居は彰華には見えて居たようだった。
「彰華君ストップがかかったね。と言う事は、鳥居って聞くと彰華君には思い浮かぶ場所があるようだよ。それなのに、登世子さんは分からない訳だ。その情報通の人って大丈夫? 案外封印されてるモノについても嘘教えてるたりするかもよ」
「そんなはずはない。それに、鳥居についても幾つかわかるもの。全て言うのが億劫なだけよ」
「でもさ、不思議に思わない? 何で秘密厳守で厳しい掟がある藤森家の秘密をその人は知っているのかな?」

「なにが言いたいの?」
「私も人の事言えないけどさ。登世子さんって短気でプライド高いく単純みたいだから、騙すのが簡単そうだよなって」
「彼が私を騙していると思うの?」
「それか、洗脳。なんかさ、私が術とか関わりのない環境で育ったからか、そう思っちゃうのかもしれないけど。術者の家って結構洗脳で人育てたりしてるよね。それが当然だと思わせてると言うか、ちょっと私から見ると異常な感じが多々あるんだよね」
「貴女、華守市で育っていないの? それも術と関わりのない環境ですって?」
「うん。あれあれ? それも、情報通の人から聞いていないの? 全然情報通じゃないじゃん。あ、それとも伯母さまみたいに言わないだけかもね」
 登世子の中に少しの疑問が浮かんでいるようだ、様子を麗華は見逃さない。
「崇高な使命もその人が、登世子さんの力を利用してるだけじゃないの?」
「……違うわ。これは私が望んでする事よ。私にしか出来ない事。なにも分かっていない癖に、勝手に想像してくだらない仮説を言うのは止めなさいよ! 術と関わりなく育ったですって。それなのに、私の代わりを務めようとしていたなんて、なんて図々しくやましい人なのかしら! そのけがらわしい紐の発想からしても、育ちの質が伺えるというものよ!」
 登世子が手を横に振ると、光りが麗華を襲う。一瞬の出来事で身構える余裕もなかった。紐が切られて首に掛っていた勾玉が床に転がり落ちて行く。
 紐をだけではなく、麗華の着ていた服と皮膚を切り裂いていた。カッターナイフで浅く切ったような切り傷からじわりと血が浮き上がり流れて行く。
「麗華!」
 蓮と大輝が、麗華を庇うように立つ。

「この程度の力も防げないなんて。なんて弱いのかしら」
 せせら笑う登世子を麗華は睨みつける。そして、登世子の後ろで何故か楽しげに笑っている彰華に、落ちた勾玉を一つ拾い上げて力一杯投げてぶつけてやった。麗華の投げた勾玉が彰華の額に見事に当たる。
 このややこしい状況を作って楽しんでいるらしい彰華に、報いる事が出来て少しだけすっきりした。

top≫ ≪menu≫ ≪back≫ ≪next


2011.9.4

inserted by FC2 system