一章 四十四話



「麗しの麗華姫、おかえりなさい。さぁ、そのような所に立っていないで椅子に座り休みなさい。長旅で疲れたであろう」
 麗華の父親が造ったと言う式神は麗華の隣に行き椅子に座る様に勧めた。髪は漆黒で緩やかな波をうち、麗華を心配そうに見つめる瞳は藍紫色をしている。麗華より二十センチ程高く、姿は二十五、六歳程の成人男性だ。真夏だと言うのに黒い長袖の服を着ている。式神の言葉が聞こえない麗華は大輝の言葉に驚いて未だに口を開けて固まっていた。
「……いままで一緒に居たって。ど、どういう事?」
 大輝も麗華に見えていないと言うのに、自然に話しかけている不思議な光景に首を傾ける。
「こっちが聞きてぇーよ。本当に知らねぇーのかよ。自分の家の事だろ」
「おい。小童。姫に何たる口の聞き方をする」
 式神は大輝に向かい鋭い視線を送る。先ほど窓から麗華の家に入ると言葉を交わす前に、術を使い攻撃を仕掛けて容赦なく窓から突き落とした式神は大輝を敵と判断しているようだ。
「あぁ?」
 大輝もこの式神が気に入らない。お互いに睨み合う。
「全くもって気が利かない小童だ。麗華姫の足の包帯が目に入らないのか。更に気が動転している状態だと言うのに、このまま立たせておくのか」
「でも、そんな、式神が家の中にずっと居るなんて、信じられない。そんな気配全くなかったよ。大体生まれた時からって事は、お母さんが居た時も一緒に家に居たって事? なにそれ、意味分かんない!」
 混乱している麗華の隣で、式神は麗華の頬を撫でる様な仕草をする。実際には頬に触れるか触れないかの僅かな距離。愛おしそうに見つめて優しく囁く。
「何も案ずる事はない。気を鎮めなさい」
 式神は大輝に麗華を椅に座らせるように視線を送る。この訳のわからない式神に従うのは癪に障るが、麗華を落ち着かせて話を聞く為に居間のソファーに座らせた。
 麗華の隣に当たり前の様に式神が座る。麗華は大輝から隣に式神が居ると言われてソファーを見るが、式神が座っているのに凹みはなく本当に誰も居ない様に見えた。

 今までずっと、一人だと思っていた。母が亡くなり、父は帰らなくなった。広い家に何時も一人で、寂しい思いをしていた。それなのに、本当は見えない式神がずっと傍に居たと言う。それは、麗華にとって信じがたい出来事だ。藤森家に居る式神達も姿は見えないが、時折物音や気配を感じる事があった。でも、家の中で物音や気配を感じた事は一度もなかった。
「本当の事を言っているの?」
「こんな嘘付いてどうするんだよ」
「だって……、見えないし」
「未だに、私を見る事が出来ないとは此方も信じがたい。何のために身を切る思いで華守に送ったのか。その上、こんな小童と共に帰って来るとは私の成した事は無意味だったのか」
 式神はため息をつく。
「華守に送った? どういう意味だよ?」
「え? なに?」
「私の事を少し麗華姫に理解していただこう。小童、然りと言葉をお伝えしろ」
 尊大な式神の態度に大輝は苛立ち舌打ちをする。式神の言う通りにしたくはないが、言葉が聞こえず混乱している麗華の為に仕方なく通訳役を遣る事にした。





 麗華の母が麗華を宿した時に父、麗夜が生家に置いてきた式神を麗華の為に連れてきた。麗夜は自分たちの血を受け継ぐ麗華は、妖魔や他のモノから狙われる恐れがある事を危惧し守り手が必要だと考えていた。そのため、麗華を守る力があり、麗華を任せられる式神を傍に付けた。麗華が幼子の時からずっと傍に侍り、見守り時には妖魔から守っていた。
 麗華が四歳の時、麗華は妖魔達の襲撃に遭う。式神だけでは防ぎきれず、麗華は生死の境を彷徨う大怪我を負った。その事がきっかけで、麗夜は麗華に妖魔から身を隠す術を麗華に施した。四歳までは式神の姿も見え、式神の事を兄の様に慕っていた。
 麗夜の術は完璧でこのまま生活して居れば、麗華は麗夜の思惑道りに普通の人として生活出来た。
 だが、式神は藤森家が出る事を知り、麗華にテレビ番組見える様に仕向けて、母親の実家に興味を持たせた。麗華が昔から母親の生まれた場所に行きたいと思っていた事は知っていたので全て式神の思惑通りに事は進んだ。
 
 では、何故式神は麗夜の術を解く事を望んだのか。

「それは、もちろん私の存在に気が付いて欲しかったからだ」
 式神は至極当然の事と胸を張って言う。
「はぁ?」
「え? なに?」
 大輝は式神の身勝手な言い分を麗華にそのまま伝える。麗華の眉間にしわが寄る。
「何を不思議に思う必要がある。片時も傍にいると言うのに、私の姿も声すらも聞こえない。この、歯がゆい状況を打破する為には、奥方様の実家で内側から術を解いて貰うしかないであろう」
「…………よ、よく分からないけど。その、お父さんの術を解いたら、式神さんも見える様になるけど、妖魔に襲われるようになるんじゃないの?」
「そうなるだろうな」
「なるだろうな。って。お前なんだよそれ、無責任にもほどがあるだろ!」
「だが、麗華姫。案ずる必要はありません。私が変わらずにお守りする予定だ」
「守るって、お前に話によると、麗華が小さい時に守りきれずにやられたんだろ! その所為で父親が術を掛ける事にしたなら、この状態の元凶はてめぇじゃんか!」
 元凶と言われて式神は大輝を見据えて軽く頷く。
「なるほど。奥方様が言われた事は真のようだ」
「あぁ?」
「神華を守る為だけに存在する、守護家の奴らは真実を知る気のない馬鹿ばかりだと、言われていた」
「なんだと!?」
 失笑と共に言われて大輝は憤慨する。式神に掴みかかろうと手を伸ばすが、ひらりと避けられた。大輝は式神の事を口汚い言葉で罵倒する。
 式神の話をちゃんと聞きたいのに、通訳役の大輝は怒りにまかせて今にも暴れ出しそうな勢いだ。話に取り残された麗華はテーブルを強く叩く。
「ちょっと! 全くもって話が通じない。話に私もちゃんと入れてよ。大輝君は何を言われてそんなに怒ってるわけ?」
「お前はどっちの味方だよ!」
「味方とか、そうじゃなくて、ちゃんと聞きたいの。本当に、自分を見てほしいって理由だけでお父さんが掛けた術を解こうとしたの? だって、お父さんが式神さんを造ったんでしょ。普通。主の命令に背いてまで自分を見てほしいって理由だけでする? 良く分からないけど、式神ってそういう自由が利くものなの?」
 麗華の数少ない式神の知識からすると、この式神の言う言葉が理解できない。

「そういう変わりモノなんだろ! 見ろよ、こいつ。どう見ても、自分勝手のいけすかない野郎の顔してんだろ!」
 大輝は麗華の成長を自慢する祖父の様な顔で満足げに頷いている式神を指差して言う。
「だから、見えて居ないって。大輝君。とりあえず、落ち着いて一つ一つ、解決していこうよ。まず、一つ目『本当に私が生まれた時から一緒にいるの?』」
「麗華姫の傍を片時も離れた事はない」
 麗華に通訳を急かされて悪態付きながらも、大輝は通訳を再開する。
「お父さんから、月一で手紙が届いていた。お父さんの近況報告だけじゃなく、たまに私の生活を見たかの様に書いてる時があった。それは、式神さんがお父さんに私の近況を伝えていたってこと?」
 中学の時に陸上競技会で一位になった事があった。その時の事をほめる様な言葉が手紙に書いていた。その時、なんで知っているのだろうと不思議に思ったけれども、傍にいた式神が報告していたと言うなら納得がいく。
「その通り。麗華姫の近況報告は随時している」
「じゃあ、そのお父さんは今、何処で何をしているの?」
「それを答える権限を持っていない」
「答えられないの?」
「主は麗華姫に自分を探して欲しくないと思っておられる。故に私は答える権限を持たない」
「なんで?」
「主の考えまでは分からない」
「でも、私は知りたい。お父さんは何で私の前から居なくなったの?」
「そうせざるおえない事情があったのだ」
「どんな?」
「奥方様が亡くなった事により、問題が発生した」
「ちょっといいか。桃華さまって、俺が知る限り、氏神に上がられたんじゃなかったのか?」
 大輝は、桃華は儀式の失敗により亡くなったと教わっていた。藤森家の血筋は短命が多い。未婚で二十に満たないで儀式の最中に亡くなった女性の魂を、氏神として祀り上げる習慣があった。祀り上げられた魂は神界行き、藤森家の繁栄を見守ると言われていた。
「奥方様に何があったのか、私も詳しくは知らないが奥方様の記憶は曖昧であった。深く知る事を恐れておられたし、主も思い出す必要はないと言っておられた」
「じゃあ、本当にお母さんは記憶喪失だったの?」
「そうだ」
「なら、さっき言った言葉は何なんだよ『神華を守る為だけに存在する、守護家の奴らは真実を知る気のない馬鹿ばかりだ』って言っていたんだろ」
「曖昧だが、不愉快な記憶は幾つか覚えておられるようだった。華守にいた時に守護家がらみで不愉快な思いをされたのだろう」
「お母さんに一体何があったのかな?」
 藤森家にいた時、菊華は母に付いて嫌な出来事があったとは何も言わなかった。菊華から聞いた母の話は、他愛ない少女時代の話ばかりだ。桃華が記憶を失うきっかけになったと思われる儀式の話は何も聞いていない。藤森にいるときに母親の事をもう少し知ろうとすれば良かったと、今更ながらに後悔する。
「俺も、詳しくは聞かされていない。藤森家が独自に行う儀式に付いて、守護家は詳細を聞かされない事が多い」
 前に真琴も藤森家は知っていても、守護家が知らされない事が多いと言っていた。守る事に不要な事は教えない規則がある。
 何故、詳細を教える事を不要としているのか、藤森家に対して不信感が生まれる。神華が封印しているモノに付いても麗華が聞いた時に、教えてもらえなかった。

「……じゃあ、次に本当は何が目的で私に掛けられた術を解こうとしたの?」
「それは先ほども言ったが、私が見れるようするためだ。いつも一人で寂しそうにしていたであろう。傍に私が居る事を教えてあげたかった」
「本当に気が付かなかった。けど、存在を教える方法は他にもあったんじゃないの? 物を動かしてみるとか、私に触れてみるとか」
「麗華姫に直接触れる許しを主から貰っていない。物を動かして存在を誇示した事はあったが、怯えさせる事になったので止めた」
 式神が言う事に思い当たることがある。藤森家で感じた式神の気配とはまた違う。物音も気配もなく、たまにテレビのチャンネルが急に変わったり、淹れた覚えのないお茶がテーブルの上にあった。気のせいだと思う事にしたし、幽霊がいるのではないかと、怯え小さい時は夜中でも電気を点けないと寝られなくなった。
 
「あぁ……あれ。そうだったんだ」
「怯えさせるつもりはなかったのだ。だが、申し訳ない事をした」

「じゃあ、藤森家に行けば私に掛けられた術が解けると思っていた理由は?」
「それは、華守で親類と会えば麗華姫が自力で力を欲し、内側から術を破ろうとするだろうと思ったからだ」
 自分にも力があれば良いと思った事はある。見える力があれば、今も大輝に通訳して貰う事なく話せただろう。でも、本音を言うと恐いモノは見たくない。
 妖魔を見たいとは絶対に思わない。
「麗華姫が力を欲しないかぎり、主の術が解ける事は無いだろう」
 麗華は大輝を見る。それから、式神が居ると言われた場所を見る。
 胸に手を当て、自分の中に封印されていると言う力に気持ちを向けた。でも、何かがあるとは思えない。

「……どうしたら、お父さんの術を破れるの?」
 お父さんが作ってくれた安全な籠がから出るのは恐い。このままここに居たい気持ちもある。
 術を破った時に何が起きるのか、不安で恐い。また、妖魔に襲われる事になったらと思うと恐怖で震えてくる。見えるようになれば、見えていない時よりは、逃げられるとか楽観的にはとても思えない。

 でも、自分の出生と向き合うと決めた時、自分に何か隠されているならそれをひも解きたいと思った。



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2011.1.18

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