一章 二十三話 掛け軸




 藤森家の森の中から戦闘音が聞こえて来て、瑛子は予想道理の結果に軽くため息を付く。蓮が大輝を追った時点で話し合いだけで終わると思っていなかったが、森から出る煙から察するに大輝が火の術を使って暴れている。蓮は術をかわしながら森が燃えない様に火消しに当たっているのだろう。先ほど麗華に向かって大輝の納得がいくように修めると言ったのはどの口なのだろうと、好戦的に術をぶつけ合っている二人を見つけて呆れてしまう。大輝が逃げない様に、少し距離を離れたところから結界も施してある。
「れーんー。大輝ぼこってどうするのよ?」
 二人の術に巻き込まれない距離から、瑛子は声を張り上げて話しかける。蓮は大輝の術を軽々よけながら瑛子に視線を向けて眼鏡の位置を正す。
「怪我はさせていない。少し暴れれば疲れて落ち着くだろう」
「それが蓮の解決方?」
 疲れ果てて静かになったとしても、大輝の気持ちが落ち着く訳ではない。大輝の性格なら蓮まで味方につけた気になり偉そうにしやがってと、麗華を逆に逆恨みする可能性の方が大きい。
「話をしやすくする為だ」
 確かに暴れている大輝とはまともに話は出来ない。瑛子は二人の成り行きを少し見ることにしてた。蓮に向かいほどほどにと手で合図して、近くの木に寄りかかる。
「何なんだよ! 瑛子まで出しゃばってくるな!」
 瑛子まで出てきた事が気に食わないらしい大輝は、成り行きを見守ろうとしていた瑛子にまで、術を放ってきた。慌てて避けるが、寄りかかっていた木が赤々と燃え始めた。木が燃える熱風を受けて、瑛子は大輝に危ないじゃないと叫んで睨む。
「はっ。お前ら二人してあのクソ女にほだされたってのかよ。靴の件だって、全部あいつが悪いんだ! 全部! あいつが来てから最悪な事ばかりだ!」
「それ、半分八つ当たり。ほら大輝の好物のプチっとプリンあげるから食べて落ち着きなよ」
 瑛子が投げてよこしたプリンを反射的に受け取った大輝は、プリンを地面に叩きつけたい衝動に駆られる。
「お前ふざけてんのかよ!」
「気に入らないなら、ほら、これも付ける」
 そう言ってもう一つ、チョコ味のプチっとプリンを投げた。両手にプリンを持った大輝は、瑛子と蓮の二人に投げつけてやりたくなる。
「あ、でもスプーン忘れたから、手づかみか、すすって食べて」
「おまえなぁー!」
「あとこれも」
 投げられたモノを腕でキャッチすると、それが原因の片方だけの靴だった。森を走りまわったと言うのが嘘のように綺麗に手入れされている。
「昨日麗華さんがピッカピッカに洗ってたの。女中さんが洗うって言っても、自分が借りたものだからって」
「……だからなんだよ。人の物勝手に借りてったんだから当然なことだろ」
「そうだね。でも本当に靴を無くしてしまった事悪いと思ってるんだよ。反省している人をいつまでも責めるのは、かっこ悪い」
「靴程度で騒いでる俺が悪いんだろ! 悪かったな!」
「逆切れするな。お前を責める気なんてない。麗華がモノを借りる相手を間違えたのが悪い。よりにも寄って大輝から借りようとするのが馬鹿だ」
 ここ最近さらに機嫌が悪く些細なことでキレる大輝に借りたと聞いたときは耳を疑った。しかもあの時、大輝は治療中で寝込んでいた。それなのに、服と靴を借りる麗華が悪い。でもその原因は蓮が勾玉を取り返せていなかった所為で、不甲斐ない自分が一番悪かった。
「昨日、麗華と勾玉廻りをした結果、幾つか気に為る出来事があった。まだ他の者には言っていない、情報だ」
「クソ女の情報なんて、聞きたくもねぇよ」
「いいのか? 陰の神華に関する情報だぞ」
 蓮は軽く眼鏡を正し、怪訝そうに眉を顰めた大輝を見据えた。








 家の大きさは金子家も土屋家のように大きな屋敷だ。金子家でも土屋家のように出迎えの人が多いかと思っていたが、出迎えの人は三十代前半の女性一人だけだった。一人だけの出迎えでホッとする。仰々しい出迎えは心臓に悪い。

 車を降りると、女性が麗華に歓迎の一言を述べ真司に笑いかける。
「真ちゃん、まぁまぁ、見ないうちに大きくなって!」
「……姉さん、一か月前ぐらいに会ったばかりだよ」
「そうね、でも男の子の背はすぐ伸びるから会うたびに大きくなったように見えるわ」
 出迎えた女性は真司の姉で、すこし鬱陶しそうにしている真司に楽しそうに話しかけている。本当に土屋家とは違い和やかそうな雰囲気で安心した。この雰囲気なら蓮のように家の者から疎まれてはいないだろう。
 真司は三人姉弟で上に年の離れた姉が二人いる。神華が誕生する前触れがあると守護家は年の近い子を授かろうとする。真司の両親も守護家を授かろうとしたために年の離れた姉弟になった。
 真司の姉は気さくな女性で、金子家を案内しながら格式ばった事に慣れていない麗華を気遣いながら色々話をしてくれた。話をしていると真司の姉が小百合の母親だと分かった。十六の時に授かったと言う。麗華の年と大して変わらない時に、子供を産んだと言うので凄く驚いた。驚いた麗華に「金子家の女ですから」と微笑む。
 家の為なら若くても子供を作るのだろうか。自分だったら出来そうにないと思いながら、彰華が妊娠したくないだろと言っていた事を思い出してぞっとした。もしかしたら、藤森家の一族になったら麗華にもそういう事を強要したりするのだろうか。まさかそんなことは無いと考え直し、小百合にいつも世話をして貰っていると話を振る。
「小百合は近頃、夫に似て型物度が増しているのよね」
 もっと柔らかい女の子に育ってほしかったと、軽くため息を付いていた。
 真司の姉のおかげで案内されている間、変に緊張することなく彰華の待っている広間に向かう事が出来た。広間に着くと土屋家でもうけた挨拶や説明受ける。勾玉廻りをする前に準備がある為に控えの部屋に案内され、そこで麗華たちは暫し待つ事になった。
 真司が言う通り金子家は落ち着いた家だ。当主は七十代の優しそうな老人で真司の祖父だと言う。当主の雰囲気が家全体の空気にも表れているようで、土屋家のように殺伐とした空気は無かった。

 待っていると真司がお茶を運んできた。金子家との話が終わり、緊張が解れた所為かお手洗いに行きたくなった。小百合が居れば彼女に聞いたのだが、居ないので仕方なく真司にこっそりお手洗いに連れていって貰うよう頼む。最初言葉だけで場所を教えてくれたが、入り組んでいるので覚えられそうにないと言うと、勝手知ったる他人の家だから優斗が案内しようと言う。麗華はどちらでも案内してくれればいいのでお願いしよとしたが、「優斗が案内するなら僕がする」と、結局真司が案内してくれる事になった。
 なら最初から案内してくれればいいのにと突っ込むと、言葉だけじゃ理解できない馬鹿だと思わなかったと皮肉を言われた。

 金子家の廊下を歩いていると普通なら飾りそうにない廊下の突き当たりに掛け軸を発見する。なんだか気になり、真司の腕を突いて掛け軸を指差す。
「あそこにある掛け軸なに? 」
「あぁ、神が書き遺したって言われている掛け軸で各守護家に一軸ずつある。所定の場所に飾る様にって決まってるから、うちは西のこの位置に飾ってるのさ」
「へー。なんか落書きみたいだね」
 うねうねとミミズが這いつくばったような書体は、麗華の父が書く字に良く似ていた。日本語と少し違う字だが父は、この字の方が楽だからと毎月貰う手紙ではいつもこの字だった。だから、書いてある字が読めたのだが、何を考えてこれを書いたのか不明な、落書きのような事が書かれている。
「これだから、学と力のない奴は……。この掛け軸から肌がしびれるぐらいの神気を感じるんだ。そんな神聖なモノを落書きっていうなんて」
 真司が麗華を馬鹿だと言いたげに大げさにため息を付く。その様子に麗華はむっとする。
「だってこれ、『ゆらゆら、き しづしづ、つち ひらひら、みず ふあふあ、ひ きらきら、かね』って意味不明の落書きみたいじゃん」
 掛け軸を指差し抗議すると、真司は掛け軸と麗華を交互に見て疑いの目を向ける。
「……本当にそう書いてあるの?」
「え? 代々飾られてある掛け軸なら、なんて書かれているか知ってるでしょ?」
 いつの時代から飾られているのかは知らないが、代々飾られている掛け軸なら知っていて当然だろう。そう思っていたが、真司の表情から違う事が分かる。
「嘘だろ……。何で読めんだよ」
「お父さんの字がこんなミミズが這いつくばったような字なの」
 事もなげに答えると真司は興奮して声を荒げる。
「あんたのお父さんって何者なんだよ! これは、神界で使われてる文字で人には読めないはずなんだぞ!」
 何百年もの間、解読しようと何百という守護家の者が挑んだが、神の字を理解することはできなかった。それを少し見ただけであっさりと、麗華は解読してしまったのだ。それがどんなに守護家にとって衝撃的な事件なのか麗華は全く理解していない。
この掛け軸は一説によると、神技を継承する場所を示していると言われているのだ。
 
麗華の父に関して藤森家の方でも調査しているがいまだ何者かつかめていない。

「何者って、真司君に前に話したじゃない」
「普通の人じゃないよな。もしかしたら華守とは別の地域の術者なの?」
「別の地域にも術者っているんだね」
「当たり前じゃんか。そう考えると、掛け軸の字を知っているのも納得がいく。観荒市の大加家か摩恵村の杷保家って事か」
 神界と繋がりの深い二つの家は神の字が読めると言う。守護家に伝わる掛け軸の解読を依頼したことは無い。守護家に伝わる秘伝を知られる訳にはいかないからだ。
 何度か婚姻で繋がりを持ったが、二つの家から神の字を読み解く方法を教わることは出来なかった。
 
「……お父さんの名字は岩澤だし、親戚も居なかった」
「じゃあ、縁を切られた人かもしれない」
 家が分かれば調べるのも簡単に為る。すぐにでも麗華の父の正体が判明するだろう。

 麗華が神の字を読めると知れば、藤森家が利用価値を見つけた麗華を離す訳がない。事の重大さを分かっていないボケっとした顔の麗華が本当に、藤森家として生きていけるだろうか。知り合って数日しかたっていないが、どこにでもいる普通の少女と言うのが真司の受ける麗華の印象だ。

 おそらく、麗華には藤森家の一族として生きて行くのは難しいだろう。

 真司は頭を乱暴に掻いて小さく唸る。
「とにかく! この掛け軸の事は少し忘れな。事がややこしくなる。字が読める事も、父親の事も他の人には話すなよ」
「なんで?」
「あんた、地元に帰れなくなるよ。ここで住んで暮らす気あるの?」
 真司が麗華の目を鋭く射抜くように見た。
 麗華は思わず、息をのんでしまう。

「遊びに来たいとは思うけど、住むのはちょっと……」
「だろうね。だったら僕の言う通りにしなよ。じゃないと、二度とこの町から出られなくなるよ」

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2010.1.1

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