一章 二十一話 ため息の理由




 今日は麗華が来てから初めて守護家全員がそろっての朝食だ。いつも静かな食事だが、今日は一つの音が食事中絶え間なく聞こえてくる。その音の原因の前に座っている彰華は、いい加減鬱陶しくなり箸を置いてその人物を見た。
「麗華、食事中にため息ばかりつくな」
 音の原因の麗華は、声をかけられた事に気が付かない様子で御膳の厚焼き卵を口に運び、またため息をつく。
「麗華」
 少し口調を強くして再度言う。麗華は初めて彰華に声をかけられた事に気が付き顔を上げた。
「え、なに?」
 今度は彰華がため息をつく番だ。
「どうしたんだ。何か気になる事でもあるのか?」
「……何もないけど?」
 視線が泳いでいる。何か気になる事があるが、彰華に言う気はないらしい。部屋に入ってきたときから様子が変だった。昨夜は普通だったのに朝までの間に何があったのだろう。優斗と真司の視線が黙々とご飯を食べている大輝に向かっていた。母屋に部屋がある彰華は知らないが、離れでひと騒動遭ったのだ。麗華と守護家男性陣の間に問題があったとしても、よほどの事がない限り彰華は関わる気はなかった。
「それなら、食事中にため息ばかりつくのは止めろ」
「え。ごめん。考え事してたから、ため息付いてるの気が付かなかった……。気を付けるね」
 謝り食事を再開させるが、その数分後にはまたため息を付いていた。


 彰華と麗華が菊華に朝の挨拶に行った後、残った守護家は朝の会議だ。
「あーあ。誰かの所為で、朝からため息ばかり聞かされる羽目になった」
 真司が隣に座る大輝に向かい大げさにため息をつく。
「あぁ?」
 大輝は真司を睨みつける。
「大輝、朝からお盛んだったみたいだけど、何やらかしたのよ」
 真琴がにやりと笑いながら言う。
「はぁ? なんで俺がやらかした事になってんだよ」
「部屋中を破壊していただろ」
 十分やらかしていると、蓮が大輝に冷ややかな視線を送る。
「なに、なに。なにがあったわけ?」
 金髪のセミショートの髪を軽く揺らして、興味深々の様子で莉奈が聞く。
「うるせぇな。お前には関係ないだろ。黙ってろ」
「何よ! こっちだって、朝から憂鬱になりそうな、ため息聞かされたのよ! 知る権利ってもんがあんでしょ」
「ねぇーよ」
「昨日、麗華さんが大輝の靴を借りてそれを、無くしてしまったから怒ってるんだよ」
「優斗は黙ってろよ!」
 優斗は軽く肩を上げて、大輝の言葉を聞き流す。
「靴を無くした?」
 蓮が何か思い当たる事がある様に呟く。
「靴ぐらいで怒ってばっかみたい」
 莉奈は呆れたように言い、大輝は苛立った。絶対そう言われると思ったから言いたくなかったのだ。
「大輝が怒ってるってことは、コレクションしてた靴を無くされたのね。でもなんで大輝の靴を借りて行ったの?」
 麻美は軽くウェーブのかかった髪を触りながら首を傾ける。
「昨日治療中の部屋から脱走した時に、必要だったから借りたみたいよ。あの子、封印を力技で解いていったわ」
 真琴が楽しそうに笑う。昨日、真琴が治療のために麗華の部屋に封印の札を貼った。治療中の封印は、安静にするために邪魔なのもが入らない様に施したモノで、外から開けれない様になっていた。今まで、治療中に内側から出ようとする者などいなかったから、内側からは脆い造りだった。札を破れば出れるだろうが、かなり力が必要だったはずだ。
「靴を無くしたのは俺の責任だ。森で妖犬に襲われた時に片方の靴を喰われたらしい」
「妖犬? 何でそんなもんに襲われてんだよ」
 昨日遭った事は、一日中寝ていた大輝以外の守護家には報告済みだ。無くした理由は聞いていなかったが、妖犬に襲われていたというのなら事は違ってくる。本来大人しい妖犬だが、力のない麗華が対処出来る相手ではない。鋭い牙と爪をもち、凶暴化すればいともたやすく人を喰う。靴一つで済んだのなら運が良い方だ。

 そんな出来事があったのなら、靴の一件も仕方がない事に思え少しだけ大輝の苛立ちが修まる。

「それについては昨日、結論が出ている」
 昨日行われた緊急守護家会議。普段襲って来ないはずの妖犬が、藤森家の血族を襲う事は一大事だった。様々な検証が行われ、妖犬は土屋家の管理する森以外から来たものだと分かった。何者かが、麗華を襲うように仕向けたのだ。誰が何の目的で麗華を狙ったのかはこれから調査を開始する。
 一度狙われたのなら、これからも狙われる可能性がある。麗華の護衛を強化する為の予定をこれからやる会議で決める事になっていた。

「でも、なんであいつを狙うんだよ。力のない奴が藤森家に居る事を嫌う奴らの仕業か?」
「それは今のところ何とも言えないわね。藤森家に対する反乱分子かもしれないけど、犯人見つけ出したら、この世の地獄を見せてあげなきゃ」
 真琴は犯人を捕まえた後を考えて、嬉しそうに笑う。真琴に他の者たちも賛同する。藤森家の者を傷つけようとする者は守護家にとって抹殺すべき敵だ。

「でもさ、考えてみたら凄いよ。見えないのに妖犬を蹴り倒そうとしたんでしょ。それで靴を食べられても、怪我ひとつしてなかったんだから」
 莉奈が感心したように言う。
「そうですね。無謀とも言いますが、力がなくても、抵抗しようとしたところは称賛に値します」
 小百合が黒縁眼鏡を規則正しく直す。守護家女子陣の間で麗華に対する評価が上がるのに比例して、靴一つで癇癪を起こす大輝に冷ややかな視線が送られる。
 納まりかけていた苛立ちが、大輝を非難する視線で再熱する。
「なんだよ! お前らだって、もしも彰華からもらった物、無くされたら怒るだろ!」
「私は怒らないわよ」
「嘘付くなよ!」
「ホント。だってそれで、麗華さんの命が助かったのなら、絶対彰華はほめてくれるもん。そしたらもっと良い物くれるし、きっと一日中やさしくしてくれる。万々歳じゃない」
 その光景を想像して嬉しそうにはしゃいでいる莉奈を、うるさい蠅のように大輝は見て舌打ちした。


 勾玉廻りの次の家は金子家のようで会議の途中で真司と小百合の二人が菊華に呼ばれた。
 会議が終わり、皆各部屋に帰ろうとしたところに彰華、麗華、真司、小百合の四人が戻ってきた。麗華以外の三人の顔に不機嫌と書いてある。皆眉間にしわを寄せて、歩き方がぞんざいだ。麗華はそんな三人に負けているように、しょぼくれた様子で一番後ろをとぼとぼ歩いている。
 菊華に呼ばれた場所で一体何があったのか。

「大輝。ちょっといいか」
 彰華が大輝を呼ぶと、麗華が彰華のもとに駆け寄り止めようとする。
「ねぇ、やっぱりちょっと待ってよ。私が悪いんだし、大輝君が言ってるのは正当な事だと思うの」
「さっきもその話はした。二度もさせるな」
「そうです。貴女の言い分は綺麗で聞こえはいいですが、愚か者の考えです」
「大体正当とか、どうしたら思えるんだよ。頭可笑しいんじゃないの」
 畳みかけるように麗華の言葉を三人で潰す。ここに来る前にも同じやりとりをしたので、きつい言葉が飛ぶ。それでも、麗華はめげずに止めようとするが、大輝が麗華を横に押しのけて彰華の前に立つ。
「何さ?」
「麗華が家に帰るといいだした。その理由が、金の工面をするために働かなくては為らないと言う」
「だから、それは――」
 麗華がまた何か言おうとするが、彰華、真司、小百合から黙るように冷たい視線が送られ、思わず言葉を飲み込む。
 先ほど菊華に挨拶に行った時に、麗華が今日すぐに地元に戻りたいと菊華に告げた。予想外の事に驚く面々に、詳しい事情は言えないが急を要する事柄が出来たと説明する。だが菊華は納得しない。彰華や菊華に厳しく詰問されても訳を言わずにいたが、最後に菊華に泣かれて渋々、今朝の出来事を説明した。

 大輝に靴を弁償する代わりに五百万要求されたと告げる。
 麗華が確り確認せずに勝手に靴を持ち出したのがいけなかった。だが、あの少し大きい靴がなかったら今頃片足を失っていた。大輝には悪いがあの靴を選んで良かったと思っている。弁償する為に携帯電話を使いインターネットで同じ品がないか調べた。だがやはり見つからない。こうなったら家に戻りもっと沢山の情報を集め、靴を手に入れ同じものを弁償しようと思った。靴を探しても見つけられなければ、大輝の大事なモノを無くした責任を取り大輝の言う通りに五百万用意したい。どちらにしても、お金がなければ話にならない。大学に通う為に地道に貯めていたお金だけでは、五百万と言う金額には程遠い。ゆえに、今日からでも働いてお金を作りたかったのだ。
 麗華も最近一番大事にしていた写真を無くしている。大事にしていた物が無くなる悲しみが良く分かるからこそ、許してくれると言う通りの事をしたかった。

 説明し終えると、菊華と彰華は言葉ではなく目で会話をするような仕草をした。その後、彰華、真司、小百合対麗華の言葉合戦が始まる。三人は、大輝の要求は幼稚で馬鹿げていると非難し、麗華は大輝を非難する言葉を聞きたくなかったから理由を言わなかったのだと言い、それでも大輝の言う通りにしたいと頑なに言い張った。
 言い合いは永遠と続くかと思われたが、菊華が扇子をバチンと鳴らし四人の言い合いを止めた。大輝の言い分も聞いてきなさいと一言いい、今の状況に至る。

「へー。たかが五百万も用意できないほど貧乏だったんだな」
「そうなの、ごめんね。だから、今すぐお金を渡すことは出来ないんだ。出来れば分割に――」
「まだ、馬鹿なこと言う気かよ。靴一足が、五百万もするわけないだろ」
「でも、それで大輝君の気が済むなら……」
「あんたって絶対、借金の連帯保証人とかになって破産するタイプだよな」
「そんなことは無いと思うけど……」
「とにかく。今、麗華を地元に帰らせる気はない。大輝は五百万払えばそれで気が済むんだな」
「彰華が代わりに払うって? でもな、俺は別に金が欲しいわけじゃない。俺の靴を勝手に履いて無くした、対価をそいつに払ってほしいだよ」
「はぁ? 何対価とか偉そうなこと言ってんの?」
 真司が大輝に詰め寄ろうとするのを彰華が手で軽く止める。
「麗華の意思でなく、事故で無くしたと言っているのにそういうのだな」
「事故でも何でも、勝手に持ち出す時点でアウトだろ」
 彰華の瞳が冷たく光り、何かを大輝に告げようとした時、蓮が横から出て来て大輝の肩に手を置く。
「靴の騒動なら、責任は俺にある。何故なら、麗華が靴を借りる原因を作ったのは俺だからだ。それに、土屋家の管理する中に妖犬が居たのも、侵入を許した土屋家に問題がある。弁償は俺がしよう。文句ないな」
 長身の蓮が有無言わせぬ鋭い目で大輝を見下ろす。大輝はまわりを見て、他の者が全員麗華の味方をしている事に気が付き舌打ちする。

 悪いのは麗華なのに何で、自分ばかりが責められるのか。

 大輝は肩の乗る蓮の手を乱暴に振り払い、彰華に守られるように後ろにいる麗華を憎悪の思いで睨みつけた。
「クソ、もういい! 靴も金も、もうどうでもいい! お前なんて大嫌いだ!」 
 そう言って大輝は部屋を飛び出した。
 麗華は自分の所為で大輝が責められる事になってしまって、酷く落ち着かない気持ちになる。飛び出した大輝を追いかけようと、走ろうとしたが蓮に腕を掴まれた。
「お前が行っても逆効果だ。俺が行く」
「え、蓮さんが?」
 蓮と大輝の二人が仲の良いようには見えない。上手く大輝の気持ちを鎮められるとは思えなかった。不安な思いが顔に出たようで、蓮は苦笑いする。
「心配するな。大輝を扱うぐらい出来る。靴の事も俺の所為でもあるから、大輝の納得のいくよう修めてくるから安心しろ」
「でも……」
「お前には助けられたんだ。そのくらいさせてくれ」
 蓮が麗華の頭をポンと軽く叩いて、大輝を追う為に部屋から出ようとする。
 麗華が行っても大輝の気持ちを逆なでしてしまうだろうから、蓮に大輝の事を頼むことにした。
「……すみません。お願いします」
 麗華は蓮の背中に深々と頭を下げる。蓮が任せておけと、振り返らないまま軽く手を上げて部屋を出て行った。
「待ってよ! 蓮! 蓮だけじゃ絶対乱闘になるって!」
 成り行きを座って見ていた瑛子が立ち上がり、蓮を追って部屋を出ようとする。その前にくるりと振り振りかえり、麗華にむかい笑う。
「安心して、私は大輝と同学年で、ずーっと同じクラスだったから仲は良いの。だからちゃんと上手く説得するから! 兄さま方が迷惑かけたお詫びね!」
 言うとすぐに蓮を追って部屋を出て行った。
 蓮や瑛子が大輝をなだめに行ってくれて、少しホッとするが、麗華の予想外の展開で心が落ち着かずもやもやする。
 彰華たちに上手く説明して納得させる事も、大輝ばかりが責められる状況を打開する事も、出来なかった自分の不甲斐無さが悔しかった。


「さて、大輝の事は蓮たちに任せて、麗華は着替えて来い。小百合、仕度を手伝ってやれ」
「分かりました」
「……また、着物着て行くの?」
 大輝たちの事は気になるが、金子家に行く事は決定事項のようだ。
「当たり前だ」
 昨日、着物を着て日射病になった身としては、着物は当分着る気になれなかった。
「うちは、どっかと違って落ち着いてるから、勾玉廻りも午前中で終わるよ」
「それならいいけど……」
 早く終わるなら、着物の圧迫感も耐えられるだろう。それに、早く終わるのなら、やはり大輝を探してもう一度話し合ってみようと思った。


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2009.10.18

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