一章 十八話 鬼ごっこ その一



 なぜ麗華はあんな約束をしたのだろう。

 鬼ごっこを始める前、二手に分かれて兄二人を探す事になって居たが、蓮は密かに麗華の後を付けていた。麗華一人でこの森を歩かせるのは危険だからだ。兄たちと遭遇しても、大した傷は負わないだろうが、この森には妖魔が住み着いている。各守護家の管理された森の中で生息をしている妖魔は、森から出る事は無く普段は人を襲う事は無い。だが何かのきっかけで凶暴化した妖魔に、襲われる事があれば見えない麗華にはどうする事も出来ないだろう。
 それともう一つ、麗華の提案に乗り分かれて探すことにしたのは、先に兄二人を見つけてほしかったからだ。
 蓮が兄二人に先に会えば必ず、激しい戦闘になる。蓮の実力なら勝てる相手だが、勝った後が面倒だった。幼いころからの経験上、蓮が勝てば今よりもさらに鬱陶しく付きまとい、「お強い蓮さまは!」と嫌味を言ってくるだろう。相手にしないのが一番だとほっておくと、嫌がらせは過激になり、部屋の中の物が燃やされたり、部屋中が水び出しになる事が幼いころから日常茶飯事だった。蓮が両親に告げ口しないのを知っているから、兄二人は過激な行動に出る。蓮が土屋家に引き取られた時から、屋敷内の者は兄二人の味方で蓮を助けようとする者は居なかった。それは陰の神華が現れないからと言うだけではなく、蓮の出身の所為でもあると幼いころから理解していたので、兄二人と仲良くしようという事は初めから諦めていた。
 祭典のある日までは藤森家本家で生活が出来き、学業が始まれば寮での生活が始まるため、今では土屋家で生活することは殆どない。それが救いだが、兄二人と二対一の戦闘はなるべく避けたかった。だから麗華を一人にさせて、兄二人に麗華が先に会いやすい状況をつくった。兄二人から勾玉を返してもらう為には戦闘はさせられないだろうが、藤森家の使いの者が傍に居れば、お互い無茶な戦闘はしないだろう言う目論見だ。

 だから、木の陰から麗華が兄二人と話していた事は全て聞いていた。不思議で仕方がない事がある。
なぜ麗華は、兄二人が蓮に絡むのを止めさせる事を条件として持ち出したのだろう。勾玉をもし取り返す事が出来なければ、藤森家に二度と関わらないと約束までしてしまった。蓮が兄二人の狙いに気づいていれば勾玉を盗られる事は無かった。蓮の失敗の所為でこんな事に巻き込まれたのに、責めることをしない。
 さらに、麗華は蓮には兄二人に出した条件を全て語らなかった。勝てば勾玉を返してもらえるとだけしか、言わなかったのだ。何のためにそんな事をしたのだろう。
 麗華にやさしくした覚えも、恩を売っても得するような間柄ではない。
なにか、麗華に思惑があり蓮に恩を売ろうとしているのだろうか。
 それとも、ただ単純にお人よしのお節介なのだろうか。


 鬼ごっこ開始の二時が過ぎ、蓮と麗華は兄二人を探しに出る。軽く駆け足で後を探すが、隣を走る麗華は着物のため小走りが大変そうだ。走るのを邪魔する着物に苛立ったように、麗華は走るのを止めた。そして着物の裾を上から一枚ずつ持ち上げ、帯の間に挟み込もうとしていた。その姿を見て驚いき麗華を止める。
「何を考えているんだ。はしたない」
「だって、上手く走れないんですよ。ちょっと見た目は変ですが、機動力をとった方がいいですよ。それに、中が蒸れて熱くて死にそうなんです」
「それでも、止めろ。その姿で、あの二人にあったら、一生笑われる事になるぞ」
「あの二人に笑われても平気ですよ」
「お前の行動でお前だけではなく藤森家が、笑われる事になるんだ。自重しろ」
 麗華は仕方がないといった様子で、着物を元に戻していく。蓮は麗華がちゃんと戻した事を確認し、眼鏡を軽く触れて元の位置に戻す。
 そして、また走り出すが今度は少しだけ早さを落して走る。兄二人の気配を探りながら、麗華の指示で二人を捕まえるための罠をいくつも仕掛けていく。
 たまに蓮が罠を仕掛けている時、麗華が木の陰にしゃがみ何かしているようだったが、すぐに蓮の傍に戻ってきて見えていない罠の出来に付いて、興味深く聞くので大した事ではないと思っていた。

 鬼ごっこ開始から、三十分過ぎたころ兄の一人を発見する。すぐさま、蓮と麗華は追いかける。蓮は術を練りながら走り、完成すると地に手を付き地面を這うように術を放った。兄の方は術に気が付き、寸前のところで木の上に避けた。兄が木の上から小石を術でぶつけて来たのを、結界を張り防ぐ。遅れて蓮たちに追いついた麗華は蓮の服の袖を引っ張り小声でささやく。
「蓮さん、あの人勾玉を持っていますね。あの人捕まえれば勝負がつきますよ」
「なぜ、それが判――!」
 話の途中で兄が使ってくる術から、蓮は麗華を庇いながら避ける。先ほど麗華には術を使わないと約束したはずなのに、麗華が傍に居てもお構いなしの様だ。
 術の所為で舞い上がる土埃に麗華は驚き、兄の方を睨みつけるが約束が違うと声を上げることは無い。もし言ったとしても、麗華ではなく蓮を狙っている、巻き込まれるところに来る麗華が悪いと言われると分かったのだろう。

 木の上を飛び逃げだした兄を蓮と麗華は走って追いかける。しばらく蓮と兄の術を使いながらの攻防戦、追いかけっこが続いた。音を聞きつけやってきたもう一人の兄が加勢に加わり、派手に術をぶつけ合う。術の強さは蓮が優勢で、兄二人は追い込まれていく。このままでは勝てないと思ったのか、二人はまた逃げ出した。
 逃げ出した二人をさらに追い込もうと走りを早くしようとした時、後ろで何かが倒れる音がした。
 何事かと振り返ると、地面に麗華が気を失い倒れていた。
 蓮たちの術の巻沿いを食らったのかと焦って傍まで駆けよる。どこにも外傷がない事を確認して、麗華の頬を軽く叩く。頬に異常にまで熱がある事に気が付き、急いで日陰に運ぶ。そして、帯を器用に解いて少しでも涼しくなるように長襦袢だけの姿にした。
 麗華は炎天下の中、水分補給の不十分のまま、通気性の悪い着物で走り熱中症になったのだ。何度か、木の陰に行っていたのは、もしかしたら嘔吐していたのかもしれない。これは、鬼ごっこなどしてる場合ではないと、携帯電話を取り出して救助を呼ぼうとした時、麗華は目を覚ました。虚ろな目で蓮を見て、身体起こして横に嘔吐した。蓮は麗華の背中を摩る。
「大丈夫か?」
「……鬼ごっこ、じゃなく、かくれんぼに、すれば良かった……」
「今、救助を呼ぶから横になって安静にしていろ」
「大丈夫です。ちょっと、めまいがしますが、息がしやすくなったので……って脱がせたんですね」
 蓮が脱がせた着物と帯が器用に畳まれて横に置いてある。道理で息がしやすくなったと納得する。身体を起こそうとした麗華を、蓮は肩と背中を押さえてゆっくりと横に寝かせた。
「寝てろ」
「でも、まだ勝負が……あ、私どのくらい気を失っていたんですか?」
「五分も経っていない」
「良かった……。なら、鬼ごっこ続けないと勾玉が……」
「後は、俺一人でも大丈夫だ」
「でも……」
「いいから、休んでいろ」
「…………ごめんなさい」
「気にするな」
 蓮は携帯電話で連絡を入れようとするが、圏外になっている事に気が付き軽く息をつく。圏外になるほど森の奥に来てしまったようだ。周りを見渡し、ここからなら藤森家に行く方が早いと判断し、木から葉を取り、葉に念を込めて術を使い藤森家で待機中の真琴の下に飛ばす。麗華はぼんやりと飛んでいく葉を見ながら、自分から提案した勝負のお荷物になってしまった事を恥じていた。
 蓮は麗華の着ていた着物と帯を肩に乗せると、麗華を横抱きに持ちあげた。驚いて固まる麗華に、少し揺れるが我慢するように言い走りだした。予想以上の速さで揺れて、気分がさらに悪くなるかと思ったが、逆に風が吹いているようで心地よく感じた。

 五分ほど走ると、藤森家の屋敷の屋根が見えた。土屋家と藤森家の間にある結界は、麗華が持っていた通行手形の御守りのお陰で弾かれることなく通る事が出来た。屋敷の方から、黒い艶のある長い髪を靡かせながら、絵具の付いた白衣を着た真琴が走ってきた。手にはクーラーボックスを持っている。

「あんたたち何やってんのよ! まったく、世話の焼けるわ」
 蓮が抱きかかえていた麗華を、真琴は奪うように取り上げて地面に下ろし回復の術を練り上げ麗華に施す。身体全体が水に包まれたような心地よさを感じ、気持よくうっとりとする。麗華の顔の前で、術を呟きながら額に唇を落とす。柔らかい感触に驚いてしゃっくりのような小さな悲鳴を上げる。少し赤みが引いてきていた頬が、先ほどよりも赤く染まっていく。真琴は回復のためにやって応急処置に過敏に反応されて、苦笑いする。
「これで、ダイブ楽になるでしょ。ボックスに水が入ってるから、蓮も補給しなさい。どうしたら熱中症になるまで外で遊べるのよ。大体、勾玉廻りはどうしたの」
「詳しい報告は後でする。麗華を頼んだ」
 蓮はペットボトルをクーラーボックスから出し、三本持つと説明をしないまま森の中に走って行った。蓮の後ろ姿を、呆れた様子で見送って麗華を見る。
「一体何が遭ったのか気になるところだけど、藤森家に戻って貴方の治療しましょう」
「すみません、よろしくお願いします……」
 立ち上がって歩こうとする麗華を、真琴は横抱きに持ち上げて運ぶ。自分で歩けると主張する麗華を無視して、真琴は藤森家に向かった。



 ――まってよ、お父さん! なんでいつもお母さんばかり追いかけるの! それじゃあ、鬼ごっこにならないよ!
 ――麗華、お父さんは生涯お母さん一人を追いかけるって決めているんだ
 ――だから! それじゃあ、鬼ごっこにならない!
 ――なら、今度はお母さんが鬼をやるから、麗華もお父さんも逃げて
 ――わーい。お母さん、こっち、こっち。って、お父さん!
 ――桃華が俺以外の人を追いかけるなんて嫌だ。俺だけ追っかけてくれ!
 ――麗夜(れいや)。邪魔よ
 ――…………わぁ、お父さん気絶してるんじゃ……
 ――いいの。ほら、幸せそうな顔して寝てるでしょ。ほら、麗華逃げなさい、捕まえちゃうわよー
 ――きゃははは。捕まらないよーだ



 久しぶりに幼いころの夢を見た。車で出かけた先でやった家族三人の鬼ごっこ。いつもお父さんの所為で、ちゃんとした鬼ごっこに為らなかった記憶がある。まどろみの中、楽しかった余韻に浸っていると、先ほどまでしていた鬼ごっこを思い出し、慌てて身体を起こす。
 少しだけ頭が重く感じたが、先ほどまでとは比べ物にならないぐらい体調が回復していた。周りを見ると、布団のまわりに怪しげな札や水瓶が置いてあり壁にも大きな札が貼ってある。時計を探してみるが見当たらない。窓から見える空は、まだ明るく太陽も上の方に見える事から、鬼ごっこ終了時間にはまだなっていないようだ。
 布団から抜け出し自分の着ているものを見ると、長襦袢のままだった。机の上に水差しを発見し渇いたのどを潤した。その横に麗華の携帯電話が置かれていたので、袂にしまう。
 とにかくもう一度、蓮たちが居る場所に戻ろう。鬼ごっこの決着が付いているかもしれないが、じっと結果を待っているのは性に合わない。
 戸を開けようとするが、なかなか開かない。渾身の力を込めて戸を横にずらすと、なにかが破ける音がして戸が開いた。何を破壊してしまったのだろうと、恐る恐る戸の外を見ると、戸に四枚ほど開かない様に札が貼ってあった。もしかしたら、麗華のために封をしていたのだろうか。破ってしまった事に内心で謝罪して、廊下に出る。
 見覚えのない場所だ。困ったと思いながら歩き始める。先に服を着替えたい。それに靴も調達したい。自分の部屋にあるのは短いスカートばかりで走るのに不便だ。守護家の女子陣に上手く会って、借りれないだろうか。とにかく時間も無い。焦りながら、手短の部屋をノックしては開けていく。

 いくつも部屋を開けていくと、見覚えのある場所に出た。優斗や大輝たちの部屋のある場所だ。優斗に事情を話して服を貸してもらおうと考え、部屋に行ってみるが不在だった。許可なく人の服を借りるわけにはいかない。迷った挙句大輝の部屋をノックする。今朝怪我を負っていたから、今も寝ているだろう。怪我人の所に行くのは悪い気がしたが、いまは時間が惜しかった。
「大輝君? ちょっといいかな?」
 戸を開いて中を覗く。朝、大輝を部屋に送った時に部屋の中に靴が飾られているのが見えた。服と靴を借りれるように交渉しようと、ベッドで寝ている大輝の傍に恐る恐る近寄る。部屋に飾られた時計を見ると時間は四時過ぎをさしていた。後残り一時間を切っている。蓮は勾玉を取り戻す事ができただろうか。不安になり焦りが増してくる。
「大輝君、怪我で寝てるところ、本当に悪いんだけど、ちょっと起きてもらえる? ごめんね」
 今朝見たときは、血の気の引いた顔をしていたが、赤みが戻り小さな切り傷はほとんど消えていた。優斗に手当てを頼んで正解だったと、後でお礼を言おうと決めながら、大輝を揺らす。
「大輝君、起きて、ねぇ。お願いがあるの、服と靴貸してもらえないかな?」
 大きく揺らすと、不機嫌そうな声を出して、麗華の腕を振り払って目を開けた。麗華の方を見ているが焦点の合っていない、ぼんやりした目だ。
「大輝君寝ているところ起こしてごめんね、あのちょっと服と靴貸してもらえないかな?」
「あぁ?」
「服と靴貸してほしいの」
 しばらく、大輝は麗華を見つめて徐々に目が覚めて来たようで、酷く嫌そうな顔をした。それでも、時間が無いから麗華はもう一度お願いをする。大輝は麗華を上から下に下から上に見て、頭をかいて吐き捨てるように言う。
「クソ、優斗の奴、マジかよ」
「優斗君?」
 なぜ優斗が出てくるのか不思議に思う。大輝は言うとベッドに転がり、タオルケットにくるまった。折角起きてくれたのに、また寝てしまった大輝を麗華はしつこく揺らす。
「ねぇ大輝君。ホント酷いお願いだと思うんだけど、この恰好じゃ走れないし、靴も玄関まで行かないと無いから、絶対途中で迷ってさらに遅くなっちゃうと思うの。お願い」
「あぁー! うるせぇ! 黙れ! 好きなの勝手に持ってけ!」
「ありがと! 本当に助かるよ、このお礼は必ずするから!」

 麗華は棚に入っていた手頃な大輝の服を借り、大輝がタオルケットにくるまってこっちを見ていないのを確認して、器用に着替える。麗華と大輝の身長差があまりないため服は調度良かった。問題は着物を着ていたためブラジャーを付けていない事だが、濃い色のTシャツとタンクトップを着たので何とか大丈夫だろう。一番小さな靴を選んで持つ。
「ホント寝てるところ騒がしてごめんね。それとお大事に!」
 麗華はそのまま大輝の部屋の窓から外に出て森に向かった。



top≫ ≪menu≫ ≪back≫ ≪next


2009.10.6

inserted by FC2 system