一章 一話 始まり


 
 高校に入って初めの夏休み。住んでいるところから、新幹線に乗って初めての一人旅行。駅を出て、初めて踏みしめる土地を見渡し無事に着いたことに安堵する。自分の住んでいるところよりは涼しい事に喜び歩きだした。

 有名な名所があるわけでもない「華守市」にやってきたのは一つの目的がある。ここの街は麗華(れいか)の母、桃華(ももか)の故郷らしいということがつい先日発覚した。十二歳の時に亡くなった母は、父と出会う前の記憶を失っていた。自分が誰なのか知るのが怖くて必要以上に昔を知ろうとしなかった母が唯一、記憶を失う前から持っていた首飾りがここ「華守市」の特産品だったのだ。知ったのはぼうっとテレビを見ている時。『何とか鑑定団』の幻のお宝募集というコーナーに母の形見の首飾りとよく似た物が出ており、それを二百万で引き取りたいと募集だった。もちろん母の形見を売るつもりは毛頭ない。でも、気になるのはその首飾りが一族のみに渡されたと言われている特別なものということ。もしかしたら、記憶を失う前の母の実家かも知れないと思ったのだ。連絡先はテレビに載っていたがテレビに出るのに抵抗があったため、直接会いに行くことにした。先方に連絡は取っていない、さらに詳しい住所も分からない。こんなことでは本当に会えるか分からないが、それでも良かった。
 記憶が失うほど何か嫌な事があったのかも知れないし、本当は記憶があってあえて言っていなかったのかも知れない。
 昔のこと思い出そうとしないのかと聞いた時の母は、酷く辛そうな顔で「全てを知るのが怖くて」と言い、そのあとすぐに笑って「お父さんと麗華がいればお母さん幸せなのよ」と言っていた。
 だから、絶対に母の実家を見つけようとは思わない。見つけられたらいいな、くらいに思っている。それでも来たのは、母が育ったかもしれない土地に一度来てみたかった。早くに亡くした母の面影を少しでも追いたかったのだ。



 ふらふらと、一週間分の荷物が入ったトランクを引きながら駅前を歩き、名物の花ソフトクリーム店を見つけ一本買おうと十人ほど並んでいる列に並ぶ。自分の住んでいるところよりは涼しいが、夏の日差しは容赦なく麗華を照らす。空いている手で顔を仰ぎ自分の番が来るのを待った。

「でねぇ。色んな店のソフト食べたけど、ここのソフトが一番だと思うの」
 前に並んでいる人たちの会話が聞こえてくる。ゆるくウェーブのかかった茶色の髪の背中が大胆にあいた服を着ているお姉さんが言う。自分じゃ似合わないセクシー系の服だと思いながら、ここのソフト地元の人にも人気だと知り楽しみになってくる。
「あ、はいはい! あたしもここのベリベリーソフトお気に入り、です!」
「ベリベリーソフト……。私も好き……よ」
 元気に跳ねながら、ショートヘアーの少女がいい、分厚い本を持った麗華と同い年ぐらいの髪の長い少女が続く。
「そうですね。暑いと体力も低下します。体内の熱を冷ますためにも補給は重要。さらに、ここのソフトクリームは嗜好的にも有効です。藤森(ふじもり)さんにおすすめなのは、甘さ控えめヘルシー豆乳ソフトクリームだと私は思います」
 黒く長い髪を一つに縛った眼鏡をかけた少女が言う。
「はぁー? 豆乳ソフトって不味いって聞いたけど? 彰華(しょうか)にそんなもん食べさせる気?」
 金髪でセミショートの少女が眼鏡の少女に詰め寄る。
「味覚は人それぞれです。私は美味しいと聞きました。それに、莉奈(りな)が豆乳嫌いだからそういうのでしょ。お子様の食わず嫌いはいい加減に直したらどうです」
「余計な御世話よ! それを言うならあんただって、そのだっさーい黒縁めがね止めたら。一緒に歩くの嫌なんだけど」
「この眼鏡は藤森さんが買ってくれたものなんです」
 眼鏡の少女が勝ち誇ったように笑う。金髪の少女が悔しそうに顔をゆがませ、六人いる内の唯一の青年を見る。麗華の位置からじゃ青年の顔が見えないが後姿は麗華より少し上ぐらいの年ごろだ。
「彰華、ほんと!?」
「あぁ、誕生日にやったな」
「彰華さんの買ったものを……ださいって言った……ひどい」
 分厚い本を持った少女が金髪の少女を信じられないものを見るような眼で見る。
「ち、ちがうのよ! べ、別に彰華の趣味が悪いって言ったわけじゃないの!」
「小一の誕生日だったよな、それ」
「はい。その時から、レンズを交換して大事に使っています」
「小一って、またずいぶん年期が入ってるのね」
 セクシーな服のお姉さんが呆れ気味に言う。
「強制してるわけでもない。変えてもいいんだぞ」
「いえ、これが気にっています」
 青年が眼鏡の少女の眼鏡を取る。
「やっぱりな、サイズが合っていないから、眼鏡の跡が残ってる。新しいのを買おう。綺麗な顔に跡が残るのは悲しい」
 青年は眼鏡の少女の頬を撫でる。少女はうっとりした様子で顔を赤くして青年を見つめて嬉しそうにうなずく。それを見ている他の少女達が悔しそうに嫉妬している。
「彰華ぁ! ずるい、です! 瑛子もなにかほしい、です」
 ショートの少女が跳ねながら青年の体に抱きつく。青年は少女の頭を撫でる。
「瑛子(えいこ)、いい子にしていたら何かやろう。お前たちもな」
 悔しそうにしていた少女達一人ひとりに、手を伸ばし手や肩や腰を触る。その手付きが淫靡だ。生み出される異様な雰囲気に麗華は顔を引きつり無意識に一歩後ろに下がる。
 
 ついて早々、変なものを見てしまった。五人の少女をそれもみんな美人や可愛い少女達を、一人の青年が侍らせている。手なれた手付きが、見ている方が恥ずかしくなってくる。この青年は関わり合いになりたくない、人ナンバーワンだ。

 不意に青年が麗華の方を振り返った。長めの前髪を左右に振り分けるようにかけあげ、鋭い瞳をあらわにする。
体か震えるような衝撃が麗華を襲う。こんな青年見たことがない。印象的な鋭く光る瞳。一度見たら絶対に忘れられない恐ろしいほど整った顔。見ていたら覚えているはずだ。
それなのに、全身全霊で感じるのは奇妙な既存感。

私は、どこかでこの人と会っている?

青年の方も何か驚いた顔をしている。それから、整った綺麗な薄い唇の片側をあげて笑う。

「旅行者?」

 青年が自分に話しかけていると気づくのに数秒かかった。先ほどの衝撃は霧が晴れるように抜けていく。残ったのは、タラシという要注意人物とに対する警戒心。
「はい」
 ぶっきらぼうに一言でこたえる。前に並んでいる少女達が不審な目で麗華を見ている。
「何日ぐらい滞在する?」
 麗華は怪訝に思い青年を見る。そんなこと聞いてどうするというのだ。目の前にいる少女達だけでは物足りないというのだろうか。
「……それより、前に進んでください。順番来てますよ」
 少女達が買う順番が来ているというのに、こっちを見ているせいでソフトクリームを買えていない。青年は前を見ると、少女達に早く買うように指示しまた麗華を見る。
「初めて来たのか?」
「……」
「初めてだよな」
「……」
 麗華は、青年を無視することにする。ナンパにあった時は無視が一番だ。それにしても、五人もの少女達を侍らせていながら、ナンパとは最低な青年だ。
「岩澤 麗華(いわさわ れいか)って言うのか」
「え?」
 自分の名前を言われて驚いて青年を見る。青年の視線の先にトランクがあることに気が付き見ると、中学の卒業旅行で使ったネームプレートが付いたままであることを知る。慌てて隠すが、すでに遅い。
「麗華か、似合った名前だな」
 綺麗に笑う。普通の少女ならこの笑みを見れば赤面するだろうが、麗華は顔を赤く染めること無く青年を睨む。
「何なんですか? ナンパなら他を当たってください。というか、女の子と一緒にいるのにナンパとか最低だと思いますよ」
「俺が君をナンパ?」
 驚いたような顔を麗華に向ける。
「……違うんですか?」
「そんなつもりはない。ただ君を知りたいと、話がしたいと、気になっただけだ。他意はない」
 何を言っているのだろうこの青年。
「それをナンパって言うと思うですけど……。……ソフト買いたいのでどけてください」
 青年の分は前の少女が買っている。次は麗華の番だった。早く買ってこの変な青年から離れたい。なぜか困惑している青年をどけて麗華はソフトクリームを買うことに成功する。青年の方を見ると少女達に囲われて、どういうつもりなのか、と問い立たされている。
「……変な人」
 青年が少女に囲われながらも、一直線に麗華を見つめている。それを綺麗に無視して、その場を離れた。
 


 宿のチェックインまで時間が少しある。それまで大きなトランクを引きずりながら、町の中を歩くのは疲れそうだ。この町には一週間滞在する予定なので、観光も焦る必要はない。時間になるまで、ゆっくりしようと思い丁度いい具合に目に入った公園に入ることにした。
 夏休みの公園ということで、水遊びをする子供が多い。噴水の周りで楽しそうに遊ぶ子供たちを見ながら、日陰になっているベンチに座る。
 こうやってのんびり過ごすのは久しぶりだ。夏休みに入る前はバイトを二つ掛け持ちしてやっていたため、目まぐるしく時間が流れていた。じんわり浮き上がる汗を軽く拭く。子供たちの無邪気な声、噴水の音、鳥の声、風に揺れる木々の音、普段なら気にも留めないものに意識を向けてゆっくり目を閉じる。


 目の前に小さな古びた祭壇がある。何が祭られているのだろうと覗いてみると、そこにあるのはステーキ鉄板に乗った焼きたての特大ステーキだった。じゅわっと肉が焼ける音と肉汁が跳ねる香ばしい香りがしてくる。サイドには揚げられた芋やコーンが置かれ、ステーキの美味しさを盛り立てている。
 麗華は思わず息をのむ。大好きなステーキを目の前で見るのはいつぶりだろう。ここ最近学費や生活費を稼ぐのに加え、この旅行費を貯める為にいつも以上に食費は削ってきた。毎日、コンビニのバイト先で貰う賞味期限の切れた弁当やおにぎりだった。香りに誘われるように麗華はステーキの元に近寄っていく。
 麗華以外に誰かいないか確認のために周りを見る。祭壇だけがその空間にあるようで、他は何も見当たらない。ということは、このステーキは自分のために用意されているに違いない。麗華は口から垂れてきそうな涎をのみ込み、ステーキの前に立つ。横にはステーキホークにナイフまで置かれ完璧だ。麗華の口から笑みがこぼれる。
 ステーキホークにナイフを手に取り、ステーキにつきたてようとした時、急に目の前に一羽の禿鷹が飛んできた。禿鷹の鋭くギラついた眼は麗華のステーキに向いている。麗華はホークとナイフをジーンズのポケットに突っ込むと、ステーキ鉄板を持ち抱え禿鷹から逃げる。久しぶりにステーキが食べられると言うのに、禿鷹などに渡してなるものか。
 どんなに走っても、禿鷹はしつこく追ってくる。どこまでも、執念深くステーキを狙ってくるのだ。禿鷹がステーキを渡せというように、一鳴きする。走りながら、自分の体の限界が近づいて着る事に焦り、麗華一人ではステーキを守り切れないと考える。
「だれか、誰か助けて! 私のステーキを守って!」
 強く願うと、その願いは聞き届けられた。目の前に五色の光が放射線状に輝き、懐かしの登場曲と共に現れたのは『お豆腐レンジャー』だ。五人それぞれ特色のスーツを身に付けて、決めポーズを決めている。
「お豆腐レンジャー!!」
 麗華は歓喜の悲鳴をあげた。お豆腐レンジャーは麗華が幼稚園の時に流行った戦隊ものだ。麗華は昔から大ファンで、今でも携帯の待ち受けがお豆腐レンジャーという気合いの入りようだ。
 これで、ステーキは守って貰える筈だと安心して彼らの元に駆け寄った。だが、お豆腐レンジャーの行動は麗華の期待を裏切るものだった。近寄った麗華を横目で見ただけで、やる気のなさそうにそこに座ったり、話し始めたり、眠ってしまうものまで居る。
「ねぇ! お願い助けて」
 何度頼んでも、お豆腐レンジャーは見て見ぬふり。何のために出てきたのだ。ステーキを守るためではないのか。麗華が苛立ち始めると、オオカミの遠吠えが聞こえる。禿鷹は麗華の上を旋回しながら、忙しなく鳴き声を上げていた。禿鷹がオオカミに麗華の居場所を教えているように見えた。
 それから数秒も立たないうちにオオカミの群れが麗華を襲う。お豆腐レンジャーに再度助けを求めるが、見向きもしない。
 ダメだ。彼らは役に立たない。自分で乗り切るしかないのだ。
 麗華はまた走り出す。オオカミ達は麗華を追いかけ始める。ポケットに入っているホークとナイフをオオカミに投げつけたが、対して効果はなかった。あっという間にオオカミに囲われて、ステーキを守るように抱きかかえる。
一匹のオオカミの遠吠えを合図に、麗華に襲いかかってきた。逃れられなく、鋭く尖った爪の一撃を食らい、あっけなく麗華の腕から離れ地面にステーキが転がる。オオカミ達はステーキに群がり一瞬にしてステーキは無くなってしまった。
「あぁ……私のステーキが……」
 麗華は悲しくなって、地面にしゃがんで泣く。久しぶりのステーキだった。でも無くなってしまった。大好きなお豆腐レンジャーも助けてくれなかった。自分で何とかしようと思ったけど、結局できなかった。
 どうしたら、良かったのだろう。

「私じゃ……守れない。でも、誰も助けてくれない……」

 一体、どうしたら、――――を守れたのだろう。
 
「……おい。おい。起きろ」
 乱暴に足を蹴られた。じんわりとする痛みに、麗華の頭が覚醒する。目をあけると、一人の少年と目が合った。明るい金髪が街頭の光に当てられて輝いて見える。少し釣り上がった瞳で麗華を睨んでいる。年は麗華より少し下だろう。
「えっと……?」
 麗華はきょとんとした顔で少年を見る。あたりが暗いことから、どうやらこのベンチで寝てしまったようだ。
 少年は手のひらを麗華の前に突き出す。
「金」
 一言だけそう言い、麗華を睨む。これはもしかして、人生初めてのカツアゲというものだろうか。麗華は少年を上から下に、下から上に眺めてみる。B-boy系の服を着ていて、喧嘩慣れしているような少年だ。口にピアスをしている。夜の公園で一人寝ていたからカモにされたのか。
「持っていません」
 少年に言うと不愉快そうに眉をひそめて、麗華の足元に置いてあったトランクを乱暴に蹴る。トランクは派手な音を立てて地面に転がる。
「ちょっと!」
「持っていないわけねぇだろ」
 確かに、大きなトランクを持ち見るからに旅行者なのだ。お金を持っているように見えるだろう。だが本当に、この少年にあげられるようなお金を持っていない。どうやって切り抜けようかと考える。この、キレやすそうな少年を逆なでするようなことを言うのは、得策ではない。むかし、どっかのテレビ番組で刺されるくらいなら数万渡して凌いだ方が利口だと、語っているのを見たことがある。でも、必死に稼いだお金をよく知りもしない、何癖付けてきた少年にあげる気にはとてもならない。
 ドンと音を立ててベンチが揺れる。少年が麗華の太ももすれすれの場所に足を乱暴に乗せた。驚いて早くなる心臓を何とか鎮めようとするが無理だ。早く金をよこせと態度で言っている少年を軽く睨む。
 それから、背中を背もたれの方に傾け、足を思いっきり振り上げて少年の急所を蹴った。そしてもう一度、少年が離れるように腹を渾身の力をこめて蹴った。不意を突かれた少年はまともにくらい、地面に転がってうめき声をあげた。
 麗華は急いで立ち上がりトランクの方に駆け寄る。そこで異変に気が付いた。トランクのそばに、二人の男が気絶して転がっている。痛がっている少年の方を見るとそのそばにも一人居る。気がつかなかったが、麗華が座っていたベンチの端にも一人男が気絶してぐったりしている。
「……もしかして、助けてくれた?」
 転がっている男たちは見るからにガラが悪い。やくざとまでは行かないそれに近いものがある大人の男だ。ただの喧嘩で気絶した男たちなら、麗華の近くに転がっているのは妙。この少年に起こされる前に彼らに絡まれていたのかも知れない。少年一人だったから、逃げられたが、本当に四人の男に絡まれていたら今どうなっていただろう。
 少年は、地面に手をついて急所を押えながら麗華を殺す勢いで睨みつける。
「クソ女っ!」
 吐き捨てるように言う。質問の返答がこの言葉のようだ。それでも、麗華はこの少年が四人の男から助けてくれた気がした。麗華は鞄から新幹線で食べていたドロップの缶を出して、少年の方に投げる。受け取る気がないのか地面にドロップ缶が落ちて少年の前で転がる。
「お金はあげられないから、お礼にそれあげる」
 ドロップ缶を少年は見て、また麗華を睨む。
「じゃあね」
 麗華はその場に転がる五人の男たちを置き去りにして足早に宿に向かった。




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