私の可愛い未来のご主人様 その四



 凪沼家に来て、改めて未来の主人との年の差を感じる。それは朝、未来の主人が学生服を着ていたからだ。
 春休みも終わり今日から学校が始まる。若さの力がみなぎる様な学ランが眩しすぎる。
「どうしたの?」
 私が学ラン姿をマジマジと見ていた所為で、未来の主人が不思議そうに首を傾ける。そうだよね。学生の時、制服は当たり前の物で珍しく思う事はない。
「なんでもありませんわ。学業に励んでくださいませ」
「うん。行ってくるよ」
「行ってらっしゃいませ」
 未来の主人を玄関でお見送りする。学生時代に戻れるなら戻りたいものだわ。今思えば学生時代が一番楽しかった気がする。


 未来のお義母様にお使いを頼まれた。私に出来るのは、買い物ぐらいだから使い走りでも仕方がないわ。しかも、凪沼家の車は一台だけ。未来のお義父様が使っているので私は使えない。小さな村で山奥にあるのに、足に為る車がないなんて不便だ。今度家に戻ったら、私の車を持ってこよう。
 田舎道を、買い物袋を持ちながら歩く。二時間かけて店まで行き、お使いを済ませて帰る。こんなに歩いたのは久しぶりで疲れてきた。大体、舗装されていない道があるなんて信じられない。それに、野牛って本当にいるのね。放牧されているかも知れないけれど、道のど真ん中を陣取って邪魔だったわ。
 田んぼの傍を歩いて居ると、目の前に突然緑の物体が飛んできた。驚いて飛び退く。足を滑らせ、このままだと田んぼに落ちる。でも買い物すらまともに出来ないと、お義母様の心証が悪くなる。買い物袋を死守するつもりで、両手で抱えて背中から田んぼに落ちた。
 雪解け水で田んぼは泥水に為っていた。ぬるりとする感覚と、水が服を浸透する気持ち悪さ。最悪。ため息をついて空を見る。

 こんなに空が広く高いとは知らなかった。青々した雲ひとつない快晴。この山奥の小さな村には娯楽は特にないけれど、この空は綺麗だわ。
 田んぼに落ちた事も忘れて空を見ていた。


「綾奈さん!? どうしたの? 大丈夫?」
 上から声が聞こえて、体を起こす。あぜ道の上から未来の主人が私を見ていた。何故ここに居るのだろうと思うと、その後ろには学生バスがある。窓から興味津々と言った感じで十数名の子供がこっちを見ていた。あぁ。今日は始業式だから、午前中で学校が終わったのね。
 変なところを見られてしまったわ。未来の主人が田んぼに入ろうとしていたので、私は立ち上がりその必要はないと手で制する。
「足を滑らせて落ちてしまいました。ですが、雅仁様のお手を煩わせる必要はありませんわ」
「何言っているの、ほら」
 手を引っ張ろうとするのを避ける。今の私は泥だらけ。手に触れたら泥が付いてしまう。

「なに。誰が落ちたの?」
「怪我とかしてんの?」
 様子を見ていた、学生バスに乗っていた子供達が降りてくる。
「うわ。田んぼに落ちるとか、お嬢様はどんくさいんだな」
 その中に生意気な田矢まで居た。腹を抱えて大笑いしている。全く失礼な奴だわ。こんなに子供がいなければ、その口を閉ざして同じ様に田んぼに落としてやるのに。
「綺麗な服が真っ黒だ」「いい服も台無しだね」「泥人形見たい」「都会の人ってあぜ道も歩けないのかな」
 とか声が聞こえてくる。服なんて捨てる程持っているから、駄目になっても気に為らない。本来なら子供の言葉なんて全く気にとめない。でも、この子供達は未来の主人の学友。未来の妻の私が、笑い者なって未来の主人に恥をかかせてしまったわ。
 こんな失態するなんて、未来の主人に申し訳ないわ。
 恥じていると、未来の主人は黙って田んぼに入り、私の手を引いて道に連れ出す。
「怪我はない?」
「ありません」
「良かった」
 少しホッとしたような顔をする。恥をかかせてしまったのに気分を害した様子はない。

「初めて見る人だよね。雅仁君の知り合い?」
 セーラー服の少女が言う。くりっとした大きな瞳の可愛らしい少女だ。
 未来の主人はなんて私を紹介するのか少し興味がある。二十四歳の大人の女性が未来の妻とハッキリ言うかしら。それとも曖昧に紹介するかしら。どちらでも私は構わない。十も年上の人を学友に結婚相手と言うのは抵抗があるでしょう。

「綾奈さんって言って、僕の婚約者」
 未来の主人は迷うことなくそう言った。未来の主人の株が私の中で上がる。恥じる様子がないのが少し嬉しい。周りの学友が驚きの声を出す。
「はじめまして。皆さま。綾奈と申します。凪沼家にお世話になっております、これから顔を合わせる機会もあると存じます。どうぞよろしくお願い致します」
 私は頭を下げる。少し戸惑った様な未来の主人の学友から聞こえて、それから挨拶を交わす。
 その中で、一人私を怪訝そうに見ている子がいた。セーラー服の可愛らしい少女だ。この子きっと未来の主人が好きなんだわ。未来の主人を見るとその視線に気が付いていない様子。今は完全に片思いの様ね。今その子の思いを潰すべきか、放っておくべきか少し悩む。未来の妻としては少しでも未来の主人の気を逸らすモノは潰すべきかしら。でも、恋心すら打ち明けられた事のない、つまらない男を夫にするのもどうかしら。
 考えた結果、少女の事は放っておく事にする。ハラハラした展開になるのも、この平凡な田舎村のいい暇つぶしになるでしょう。


「バスを行かせて宜しかったのですか?」
 私が泥まみれの服なので学生バスに乗る事を拒否すると、未来の主人も歩いて帰ると言いバスを先に行かせてしまった。未来の主人の学ランを肩に乗せて私は歩く。この学ランも汚れるから要らないと断ったのだが、無理矢理かけられた。
「いいよ。歩くのは嫌いじゃないし。荷物持つよ」
「いえ、これは私の仕事ですから」
「いいから、かして。かわりに鞄持ってよ」
 筆記用具しか入っていない軽い鞄をかわりに渡される。こんな些細な事で、頼れる男を演出したいのかしら。思惑が見え透いていて可愛らしい事。
 そう思っていると、隣で未来の主人が笑いだした。
「綾奈さんって、意外に抜けているんだね」
 この私が抜けている?
「何です」
「だって、田んぼに落ちるとか、普通にないよ。しかも空見ていたでしょ?」
 気がつかれていたとは思わなかった。
「天気が良いと思っただけです」
 馬鹿みたいに空を見ていた事に気づかれていて気恥ずかしい。未来の主人はくすくすと笑う。
「何がそんなにおかしいのですか」
 笑い止まない未来の主人に冷ややかな視線を送ると、笑い止む代わりに楽しそうな笑みを浮かべる。
「可愛いなって思って」
 か、可愛い? この私が?
 綺麗とか美人とは言われた事があるが、ここ数年誰にも言われた事のない台詞だ。驚いて目を瞬く。
「あ、顔が赤くなった」
 言われて、顔が赤くなるのを感じる。なんでこんな子供の言葉に翻弄されなきゃいけないの。言われ慣れてない事を言われて動揺しただけよ。大体赤面している事、態々指摘しなくても良いじゃない。
 覚えていなさい、未来の主人。何時か何倍返しにして、動揺させてあげるんだから!




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