二章 十五話




 華神剣の儀を行うために、中央にいた彰華は、麗華が行いやすいように自分が立っていた場所を麗華に譲る。麗華は先ほどまで書いていたノートを横に置くと立ち上がり、気持ちを整えるように小さく深呼吸をした。
「じゃあ。真琴さん。やってみますか」
 なるべく軽い感じで声をかけてみたが、緊張で微かに語尾が震えてしまった。真琴は立ち上がると優雅に微笑む。
「大丈夫よ。麗華さん、緊張しないで私に身を任せてちょうだい。やさしくするわ」
「よろしくお願いします」
 真琴は麗華の微かに震える手を軽く触れる。麗華は手の平に軽く添えられたような真琴の手に、力を集中させる。
「尊き蜜を五星護契約の下、頂戴いたします」
 麻美と同じように、真琴は麗華の指先に軽く口を付ける。
 今だ。
 麗華は、自分の指先に傷がありそこから血が流れているようなイメージを行う。止まらない血を、真琴が止血のために口を当てている。得体のしれない力を真琴に流すイメージよりも、血が流れていると想像する方が現実にありえる出来事なのでしやすいのだ。ほんわりと光を放っている事から成功している。
 彰華は一瞬だったが、どの位行えばいいのだろうと、麗華は彰華の方を見た。
「これ、どの位やればいいの?」
「まだだな。初めて行うのだから、もう少し中和させるために満たしたほうがいい」
 陰の守護家は長年現れていなかった、陰の神華より力をもらう事が出来ていなかった。そのため、力の飢餓状態が長く続いていた。麗華が神華になりはしたが、彼女は術に疎く、陰の守護家を満足するまで力を満たしたことはない。
 この行おうとしている華神剣の儀は、陰の守護家の力を満たす方法の一つである。
 麗華はなるべく多くの力を真琴に送るイメージをすることにした。血と想像するのはさすがに無理がある。ホースを手に持っていて力が出る蛇口に繋がっているイメージを行う。蛇口を回し、真琴の口に力を一気に流し込む想像をする。
 真琴が口を落としている手の逆の手が、蛇口を回すイメージにつられて一緒に指が動く。少し変な形になっているのはわかるが、上手く行っているようで、光が増した気がした。自分の想像力はすごいかもしれないと、自画自賛する。

「左手、変じゃね?」
 大輝が麗華の不自然に動く左手に気が付き、指摘をした。皆の視線が真琴の口が付いている右手から左手に移され、自分でも変な形だと分かっていた麗華は、恥ずかしくなり麗華の集中力が切れた。取り繕うように指を誤魔化して軽くふると、想像の蛇口がかき消えてしまった。淡く光っていたのが消えて、大輝のせいで集中力が切れたのだと気が付いた守護家たちが大輝に非難の視線を向けた。
 儀式中は他の者は問われることがない限り、口を閉ざすことが基本だ。姉である麻美は、軽く手に入れたばかりの華神剣を振るい空気の切れる音をだす。不用意に言葉を発してしまったことを怒られたのだと気が付き、大輝はバツが悪そうに視線を逸らした。
 同じように蛇口をイメージすることはできなく、麗華は力を送る事に苦戦し始めた。そのことに気が付いて、真琴は手から口を離した。
「だいぶ力をいただいたから、大丈夫だと思うわ」
 真琴は彰華を見る。彰華は真琴にたまった力を見てから軽く頷く。
「いいだろう。すぐに手に剣が生成されなければ、手を引き抜き、無理はけしてしないように。守れるか?」
「大丈夫よ。初めてですものね。無理はしないわ」
「よし」
 麗華は軽く衿元を緩め、真琴の手が入るようにする。
「彰華君と同じように額にキスをした方がいいの?」
「そうだな、繋がる場所は多い方がいい」
 麗華は自分の前に立つ真琴を見る。額に唇を落とすためには身長差があるために難しい。麗華が困っていると、心得たとばかりに真琴が微笑んで顔を下に降ろし、麗華の口が額に届く範囲の距離になった。

だけど、これ。
 麗華は真琴の吐息が鎖骨部分に当たる気配に、体中の血が沸騰するように熱くなり、恥ずかしくなって来た。深く考えてはダメだ。そうは思うものの、これはいたたまれない。
「初めていいかしら?」
 真琴の声が首筋を通り抜けてゆく。くすぐったい感覚に、声が出そうになるのを必死で耐えた。
「は、はい。……真琴さん、ちょっと、髪を除けますね」
 額にかかる真琴の黒く短い髪を、唇が当たりやすいように軽く上げる。柔らかい髪質だなと思いながら、麗華は額に唇を落とした。
 真琴の暖かな手が、胸元に滑り込む。触れられることを嫌がるように陰華が動いた気配に麗華は少し驚いた。真琴の手に抑えられるのは嫌だと陰華が麗華の胸の上を、花びらを動かし逃げている。陰華が嫌がる気配は真琴に伝わっているのだろうか。
「五星護契約の下、我願う。尊き華の加護があらんことを」
首筋を吐息交じりの言葉が通り、体が震える。陰華が動くのを止めた。その代り熱を帯び始めた。麗華のさらに奥に、陰華が逃げて行く。それを追いかけるように、真琴の手は麗華の奥へと入りこんで行った。


 なにこれ。苦しい!
 麗華は、今まで感じたことのない胸の痛みに驚いた。苦痛に声をあげようとしても、声は出てこない。それどころか、体が固定されたように動かない。表情一つ動かすことが出来ない。
 でも、ものすごく痛い。傷口から手を入れられて内臓を、ぐちゃぐちゃに掻きまわされているような激しい痛みだ。
――いや、刈り取られたくない。
 陰華がそういっているように、麗華の奥を逃げている。
 ――代わりにこれをあげる。だから、刈り取らないで。ついでに、外敵から守って。
 陰華が、何か代わりの物を見つけてきたようで、それを真琴の手に押し付けている。そんな気配がする。激痛の中で内心うめきながらも、陰華の言葉に笑う。外敵から守ってもらうのは、『ついで』で、刈り取られる事から逃げる事が一番大事だと陰華は思っているようだ。この思いは恐らく、守護家の人たちは知らないのだろう。

 真琴の手は手首が軽く入ったぐらいで何かを掴み上げた。そのままゆっくりと引き抜いてゆく。
 
抜かれると、痛みはさらに強く走った。切れ味の鋭い物で内臓をじんわりとゆっくり執拗に切りつけられているような痛みで、呼吸が出来なくなる。
今まで散々痛い目に遭ってきたが、これは群を抜いて苦しい。妖魔に足を食われた時の比じゃない。自分は痛みから出来ているのではないだろうかと錯覚する。
「はっ……」
 小さく痛みが声として出た。
真琴は陰華に触れていない方の手で麗華の背を支えている。二振りの刀が姿を現した。頬をほんのりと赤く染め高揚している真琴の嬉しそうな表情が目に入った。二振りはやはり鞘はなく抜き身の刃で、紅く発光している。
「おぉ!」
「すげぇ! 二本も出てきた!」
「やった!」
「本物だ!」
真琴や陰の守護家たちから無事に華神剣が姿を現したことに喜びの声が上がった。今まで、行ったことのない、陰の守護家が行う、華神剣の儀が無事に執り行われたことによる喜びは彼らには格別のようで飛び上がり喜ぶ。座って居られないと立ち上がり麗華や真琴の周りに駆け寄り、おめでとう、良く出来たと皆声が声をかけてくる。

 だが麗華は、自分の手に胸を当て血が出ていない事を不思議に思う。刀が引き抜かれたと同時に、麗華を苦しめていた激痛は嘘のようになくなっていた。陰華はあんなに逃げ回っていたのに今は麗華の胸の間で、何事もなかったように揺れていた。

真琴や蓮、優斗に真司、大輝は今とてもうれしそうな顔で喜んでいる。こんなにはしゃいで喜んでいる姿を初めてみたかもしれない。
 神華が現れたら、まず始めに行おうとしていた行為なのだ。無事にできて、次は自分だと、浮かれているのがよくわかる。
「麗華さん、大丈夫?」
 真琴の声に、麗華は返事が出来なかった。今は、痛みは無い。でも、先ほどまで感じていた激痛がなかったものだとは到底思えない。

間違えなく、華神剣の儀は、守護家にとって快楽を伴う行為でも、神華には激痛を伴う物だと分かってしまった。
 
 麗華の異変に気が付きどうしたのだろうと、興奮を落ち着かせ心配し始めた真琴たちを麗華は曖昧な顔で誤魔化して、彰華の手首を掴む。
「なんだ?」
「ちょっと来て」
「麗華さん?」
「おい、大丈夫か?」
 困惑するみんなの声に答えることが出来ないまま、麗華は彰華を引き連れて地下から上がりリビングへ入る。彰華を麗華が血相変えて連れて行ったことを心配した誰かが放った式神の気配に、麗華は気が付いた。戸の隙間から入って来たのは、五センチぐらいの小さな紙で作られた人型の式神だ。隠しているつもりらしく、姿消しの術もかかっていたが、そこだけ違和感があるのでわかる。麗華はそれを足で踏みつけて力を消滅させた。消滅させると、放ったのが荒木家の莉奈だと頭の中に浮かんだ。麗華と彰華が何を話すのか知りたかったらしい。

 このことは守護家に聞かせるわけにはいかない。
誰にも聞かれないようにさらに二階に上がり、麗華の部屋に彰華を投げ込むように入れた。
 麗華の部屋の前にいる式神に誰もこの部屋に近づけることのないようにと、会話を聞かせないようにするようにとお願いする。式神は麗華のお願いに、ふさふさの尻尾さらにふさふさにさせて体を緊張させた。そして任せておけとしっかりと頷き、部屋の前に仁王立ちをした。麗華はもう一度お願いね、と声をかけて戸を閉めた。


 彰華は特に動揺することなく、麗華の部屋にある椅子に座り彼女の様子を見る。彰華と二人きりになると、麗華は今感じた思いを爆発させた。
「どういう事? 華神剣、めちゃくちゃ痛いじゃない!!」
「痛みが伴わないとは一度も俺は言っていない」
 平然と言う彰華に麗華は苛立つ。彰華も麻美が華神剣を取り出すとき軽く唸っていた。あの時はあまり気に留めていなかったが、彰華も痛みに耐えていたのだ。
「そういう、大事な事は言うべきじゃないの!?」
「激痛が胸を貫き、陽華に触れられると身動きが取れなくなり、呼吸が出来なくなるが、やると守護家は喜ぶ。華神剣の儀を執り行うか?と言えばお前は絶対にやらないと言っただろう」
 激痛が伴う物でも、華神剣の義を執り行うかと言われたら、もちろんやりたくないと答えた。彰華の想像通りだが、腑に落ちない。
「言ったかも、しれないけど。ちょっと痛いって忠告してくれたらいいじゃない!」
「それは言っただろ。先にこちらの力を流し込むことで、痛みは中和される」
「言っていたっけ? いや、中和されるとか言っていたのは覚えているけど、『痛みは』って大事な言葉がなかったよ!」
「百聞は一見に如かずという。激痛だから心構えをしておけと言えば、あいつら麗華の異変に気が付き華神剣の儀はやらなくていいと、遠慮するだろ」
 真琴たちの心配そうな顔が頭をよぎった。確かに、痛みがあると言えば、守護家男性陣はやらなくていいといてくれるかもしれない。
 麗華は、そうだ。痛いってはっきり言えばいいのだと、名案が浮かんだと思う。痛くてとても出来るものじゃないと言えば、彼らは麗華の事を気遣いやりたいとは言わないはずだ。
 彰華は麗華のほっとしたような顔を見て、馬鹿だなと言うような表情をした。
「華神剣の儀は、守護家に力を与えるのに手っ取り早い。一度で、彼らの飢えを癒すことが出来る。触れることで力を流すのには限界がある。血を使い、蜜を与えることも同様だ」
 神華は守ってもらう代わりに、守護家に蜜を与える約束になっている。
「でも、いままで、保っていたなら」
「酷いことを言うな。彼らが飢えに苦しんでいるのを見ていたのに、そのままでいろというのか?」
 麗華は神華の仕事はしっかり行おうと思っていた。今までと立場が違う。守る人なんていらないとは、口が裂けても言えないと分かっている。
 守ってもらう代わりの対価が必要だという事は、麗華にもわかる。理解はできるが、あの全身が痛みの化身になり変わったような激痛を、これから生涯耐えなければいけないのかと思うと、気が遠くなる。
「彰華君は、平気なの?」
「痛みに耐えるのは数分の事だ。そういうものだと、思えば平気だ」
「昔からやっているから、慣れているって事?」
「そうだな」
 平然と言う彰華に、麗華は絶望的な気持ちになった。彰華は、痛みに慣れている。幼少の頃より慣れてしまうほど、痛みを感じてきたという事だ。いまだによく理解できていない藤森家の仕来りや儀式は、痛みを伴う事が多々あるのかもしれない。
 前に、麗華の血に力があるかどうか確かめるために、神羅刀で手首を切らされたことがある。あの時も痛かった。あの時の彰華の瞳の奥に暗い影が、思いだされる。
彰華が、痛みがある事を言わずに耐えていたので、守護家たちは痛みがあるという事を知らない。
 神華になるという事はそういうことなのか?
 
「力を分け与えるためには必要だと分かるけど、痛いのは嫌だな……」
「麗華が嫌だというのなら、別の方法もある。簡単な方法だ」
「彰華君の言う、簡単な方法って、嫌な予感しかしないよ……」
「SEX」
「……言うと思った……」
 さらりと言う彰華に麗華は、大げさにため息を吐いた。体液が蜜になるのだから、肌を合わせることで力を与えることになるというのは、想像できる。それでも、5人と関係を持て、と言う従兄の言葉に嫌気がさす。
「嫌なら、華神剣の儀だな。すでに、真琴は成功させている。他の四人に何もしないでいると不平不満がでて、取り返しのつかないことになるだろうな」
 真琴の次は自分たちだと、喜んでいた真司たちの顔が浮かぶ。かなり期待した眼を麗華に向けていた。これで、やりたくないと言えば、真琴だけずるいとか、俺らは嫌われているんだとか、変な方へ話が行くかもしれない。
「……痛いって正直に言うのはどうだろ。やっぱり、彰華君が耐えているのはわかったけど、知らせることで違う解決策が出てくるかもしれないじゃない」
「そうしたいなら、そうすればいい」
「そうするよ」
 麗華は正直に守護家男性陣に話をしようと思った。痛いものは痛いのだ。彼らが気を使い、やらなくていいと言うだろうことに甘えることにしよう。
「麗華ならあの場で騒ぎ立てるかと思ったが、何故あの場で痛いと騒がず、守護家に聞かせまいと、俺と二人きりになったんだ?」
「え? だって、あの場で痛いって騒いだら、守護家の人たちに痛い儀式なんだって知られるから。知らせたらまずいかなと」
 彰華は意地が悪そうに片方の口角をあげて笑った。
「そう。守護家の居る場所で痛いと言う気にならなかっただろう」
「え、嘘。まさか……。言えないの?」
 はっきり痛いという事を言おうと決めて気持ちが浮上していた麗華の、気持ちが急降下する。
「神華と守護五家の契約がある。守護するために不利益になることは、守護家に言う事が出来ない。華神剣は、守護家が神華を守るために振るう武器の総称だ。神華が武器を出すたびに痛みを訴えれば、守ることに支障がでるだろう。ゆえに神華が痛みを守護家に訴えることは出来ないようになっている」
「そんなことって。あるの?」
「実際、麗華は守護家に聞かれないように、俺とここに二人きりになったのだろう?」
 確かに先ほど、ついてきた式神を消滅させるなど力技を使いつつ、なぜか、聞かせるわけにはいかないと、そう思ってここまで彰華を連れてきた。
「そんな、……信じられない!」
 麗華は部屋から飛び出し、守護家のいるところへ走った。陰陽の守護家はリビングで話し合いをしているようだった。かけ入って来た麗華を心配そうに見てくる真司たちに、麗華は、華神剣の儀がどれだけ神華にとって負担のある儀式なのか、訴えようとした。
 だが、彰華の言う通り口が開かない。意味のない唸り声のような物が代わりに出て、胸元にある陰華が何か言いたげに花びらを揺らしていた。

 結局、麗華は痛みを訴えることが出来なかった。夜になり、手紙で守護家に伝えようとしてもペンを持つ手が震えて書けない。術関係の事を書いているノートにも痛みがあると言う記述は書けなかった。

 だから、彰華は痛みがあることを守護家たちに言っていなかったのだ。言いたくても言えない。
 まるで神華の呪いの様だと、麗華は今後の事を考えて暗く気持ちが落ち込んでいった。

 翌日、学校は学力テストが行われた。
麗華はテストに集中しなければと答案を見つめるが、昨日の内臓をえぐられるような激痛を思い出し胸にある陰華を制服越しに押さえる。のんきに揺れる陰華がなんだか、憎らしく思えてきた。
 今夜、次は蓮が華神剣の儀を行う事になっている。あの痛みをこれから何度、味わう事になるのだろう。

――彰華君のように、慣れるまで、どの位時間がかかるのだろう……。

 そのことばかり考えていたせいで、テストは散々な出来栄えになってしまった。それでも、ただの学力テストなので、麗華はたいして出来が悪いことを気にしていなかった。
 
 翌日、学校の掲示板に貼られた順位表を見て愕然した。上位50人までの名前が載っているだけではなく、全生徒の成績順が張られていた。
 323位 岩澤麗華 
 成績順の最後の文字に麗華の名前が書かれていた。

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2016.11.28

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