二章 十二話


 憎い。人を見下した態度のあの女が憎い。
 登世子は陰の神華として育ってきた。母と祖父を殺したと教わった藤森家に復讐するという目的のため、血反吐を吐くほどの厳しい修行を毎日、朝から晩まで行い力を身につけてきた。神華であることが生きる理由だった。

『ねぇ。生まれてきた意味が否定されたら、登世子さんが生きている意味あるのかな?』

 あの時の麗華の笑みが頭を離れない。刺青として入れられている華は、消えることなく今も登世子の胸にある。本物の神華は触れるとくすぐったそうに揺れていた。本物の神華とは比べものにならない、ただの入れ墨を見るたびに、格の違いを見せつけられてみじめにさせられる。
 村の事も、共に蜜狩りをした人々の事も、藤森家の人間や、他の術者に聞かれても登世子は何一つ話さなかった。沈黙を続ける登世子は藤森家の牢に入れられ、呪力封じを施される事と、蜜の採取が罰として課せられた。
両手の甲にされた、呪力を封じる印を見つめる。自分では消せない、忌々しい印が体にある不快感に苛立ちが募り、甲を掻きむしる。術印が施された時を思い出す。

蝋燭の橙色の明かりに、むせかえるほどの香が焚かれた牢の中に、麗華と彰華、それと数名の藤森の血族が入って来た。皆が袴衣装を身にまとい、重々しい雰囲気に登世子はこれから、行われる事に嫌な感覚がした。とっさに、自分の周りに結界を張ったが、彰華が何かつぶやくだけで、結界はほどけて消えてしまう。
「これより呪力封じを行う」
牢に入って来た藤森の血族たち数名は左右に別れ、登世子の動きを封じる術を使う。手を台に乗せられ、嫌だと抵抗した。呪力を失えば、今までの辛く厳しい修行が無になる。ただの、人になってしまう。
 登世子の抵抗も虚しく、麗華が左手の甲に右手を置き、彰華が右手の甲に右手を置いた。
「陽の神華、彰華の名において」
「陰の神華、麗華の名において」
「昂然登世子の力を封ずる」
 二人が同時に言うと手の甲が重みを感じ、体にめぐる呪力が、手の甲でせき止められるような違和感を覚えた。すっとどけられた手の甲には、封印の術印が施されていた。こすっても消えることはなく、術を使おうとしても呪力が手の甲でせき止められているような感覚で使えなくなっていた。
 当然のように神華を名乗り、力を行使する麗華が、憎い。

 力が封じられ使えない。あの女はその事を哀れみ、私に情けをかけているつもりなのだ。彼女が神華で、私が偽物。傲慢で横柄で人を見下し、うわべだけの同情で周りを虜にしようとする憎い女。
 

『同じ転校生同士仲良くしようよ』

 同じ転校生などではない。
 麗華は、守護家に守られ愉快で楽しい学園生活を送るのだ。だが、登世子は蜜狩りの主犯格として人を傷つけた。登世子があの時に、切り捨てた人たちやその親族が、この学園には通っている。恨みの声と偽物と笑う声に囲まれた、辛く虚しい学園生活になるのだ。
 なんで私が、こんな思いをしなければいけないのだ。

 そうよ。
 登世子は、赤く血のにじむ左手の甲を見て笑った。あの女も、辛く虚しい学園生活に落としてしまおう。そして……、あの女が自分から死にたくなるように、孤独で辛い思いを味わわせてやろう。





 全校集会は体育館、普通科よりも教室が遠い特進科より先に退出することになる。大輝は全校集会が終わったらしい人の動きを見て、職員室へ繋がる廊下から麗華が出てこないか見ていた。大輝は生徒会をしている優斗たちと違い、真面目に全校集会へ行く気は毛頭なかった。いつから、出ていないのか忘れるほど、全校集会に出ていない。麗華が出るなら全校集会も出ようと思っていたが、職員室で別れたまま出てくることはなく、集会が終わると担任と共に教室に案内をされる事になったようだった。
 そういえば、全校集会が始まる少し前に、登世子が職員室から飛び出てきて、すぐに追ってきた担任に捕まり、また職員室へ戻されていた。
 登世子もこの学園に通うらしいと聞いた時耳を疑ったが、本当に通わせるようだ。力を封じたとは言え、蜜狩りを引き起こした犯人を、野放しにして何かあったらどうするのだろうと、菊華の判断を疑る。藤森家当主の決定を、覆すのは難しい。被害に遭った水谷家の反対があったのにもかかわらず、登世子は野放しで学園に通う事になった。

 ふと、麗華が居る職員室から飛び出してきたという事は、もしかして、同じ部屋に入れるという愚行をしていないだろうな、と不安になった。職員室には、会議室が二室と、応接室が二室、隣接されている。いくらあの、くせのある高等部一年の担任でも、そんなことはしないと思い直し、もう一度職員室を見た。
全校集会を終えて10分休憩が入るため、先生方が、RHLの前に職員室にちらほらと帰ってきていた。
 廊下でしゃがみ職員室を睨みつけている大輝を、通りすがる先生方は、こいつは何をしているのだという目で見て通り過ぎていく。何人かの先生には、『また、さぼったな?』とか『何しているんだ?』とか『そんなところでしゃがむな』と注意を受けていたが、大輝は軽く受け流していた。

 今日、まだ麗華と一言も話していないことを思い出し、大輝は落ち込む。麗華の友人もどきを殴ってからと言う物、麗華が大輝に冷たい。真司と優斗も黙って麗華を付けて実家のある街へ行ったのに、あの二人とは普通に話しているのに大輝には目もくれない。
 一般人を気絶させるほど殴ることは、正直つい最近までの大輝にはよくあることだった。害意あるものは排除していいと、教わっていた事もあり、街で絡んできた不良や、たちの悪いやつらとやり合う事は変な事だと思っていない。
『馬鹿ども、よーく覚えておきなさい! せっかく、現れた陰の神華に嫌われるような事はしない。簡単でしょ!』
 莉奈の言葉を思い出し、金髪の頭を掻きむしる。陰の神華だからではなく、麗華だから嫌われたくない。
簡単では全くない。短気な大輝が、麗華の顔色を見て動くと言う事は難しく、自分の思うままに動けば、また麗華に冷たい目で見られることになるんじゃないかと不安になる。
 それに、麗華は目も合わせてくれない。どうしたらいいのか、考えれば、考えるほど、わからなく、むしゃくしゃしてくる。
 苛立ちに任せて、立ち上がり近くの壁を蹴る。
「くそっ」
 壁をぶち破るほどの力を入れて蹴ったのに、花守学園に施されている強化の術が効いて傷もつかない。過去に何度も同じように壁に苛立ちをぶつけていた大輝は、壁が傷つくことのないことを知っていた。無傷の白い壁を見て舌打ちをする。

「なに、しているの?」
 麗華の声が聞こえて、大輝は小さく肩を震わせる。なにも、こんな時に出てこなくても、と思いながらゆっくりと声のする方を見た。職員室から出てきたらしい、真新しい緑の特進科の制服を着た麗華と、おどけた顔をした高等部一年生の担任眞尾と、その後ろに大輝を馬鹿にするように鼻で笑う登世子が居た。

「……何もしてねぇよ」
 麗華が壁と大輝を見比べている視線に耐えきれなくなり、舌打ちをして目線を逸らす。
「いやいや。思いっきり、壁を蹴っていたよね?」
 麗華が近寄って来て、壁がへこんでいない事を確認してから、大輝の顔を覗き込んだ。
「どうしたの?」
「何でもないって言ってんだろ」
 大輝は麗華から顔を背け廊下から走って逃げた。
「大輝君?」

 これでは、麗華と初めて会った時と同じ態度だ。短気を直そうと努力していた事が、無意味になると分かってはいる。
でも、優斗みたいに何もなかったように和やかに笑う事も、真司みたいに当然のように隣を歩いて守ることも、蓮のように、麗華の今後を気にかけて注意することも出来ない。

 どうせ、俺は、麗華から嫌われてる、短気で暴力的な奴なんだ!


 廊下を走って階段を飛び降りた。
「大輝君!」
 軽く息を切らせている麗華が階段の上に居た。追って来ている事に驚いた。そして、麗華が自分を追っかけて来たことが嬉しく思い、その思いを知られる事のないようにわざと悪態をつくように言う。
「……なんだよ」
「なんか、機嫌が悪いようだから、気になって」
「……別に、ふつーだ。普通」
 階段の脇に視線をやり麗華の視線から逃げる。
「そう?」
 階段をゆっくりと降りてきて、麗華は大輝の隣に立つ。
「ねぇ、大輝君。先生を置いてきちゃったから、教室がわからないんだ。案内してくれないかな?」
 苦笑いで見てくる麗華に軽く舌打ちする。
「何やってんだよ。来た道を引き返せばいいだろ」
「んー。結構走ったから、覚えていないよ」
「……しゃねぇな」
 大輝は麗華が付いてくるのを軽く見てから、特進科のある教室塔へ向かい歩き始めた。
「この学校って思っていたよりも、広いよね」
「そうか?」
 大輝は小学校から花守学園に通って居るため、この学校が広いのか、狭いのかの判断は出来ない。
「そうだよ。それに、ところどころ藤森家みたいな空気があるのはなんでなんだろ」
「学園には藤森家みたいに、侵入者除けの術はかけられていない。でも術者同士が喧嘩した時とかに校舎が壊れないように、強化の術が掛かっているからじゃね?」
「あぁ、だからさっきも壁が壊れなかったのね。壁に波紋が広がったのが見えたから、びっくりしたよ」
 ちらりと、半歩後ろを歩いている麗華を見る。神華として、藤森家の結界や華守市の結界を彰華と共に直している麗華は、確実に術者としての能力を高めている。大輝には、壁を蹴った時に波紋など見えなかった。彰華もそうだが、藤森家の術者は結界や護符作りを得意としている。
「というか、術者同士の喧嘩って起きるものなの?」
 麗華はきっと大輝が喧嘩しているのではないかと疑っているのだ。大輝が校内で喧嘩をすることは、夏休みに入る前はよくあった。なんて答えようか、大輝は小さく唸る。
「ほどほどにね」
 麗華が大輝の唸り声でよくわかったと、言いたげに頷き肩に手をぽんと置いて苦笑いしていた。
「してねぇーよ! 喧嘩なんて子供じゃあるまいし」
「そう? なら良かった」
「そーだよ」
 バツが悪そうに少し早歩きになる大輝に、麗華は置いていかれないように同じように歩く速さを速めた。チャイムもなり、RHLが始まっている廊下は静かだ。二人のせわしない歩く音が廊下に響いている。くすくすと、すぐ隣から笑い声が聞こえて、麗華を見ると何がおかしいのか笑っていた。
「なんだよ?」
「いや、藤森家に行ったすぐの事を思いだしてさ。あの時はこうして大輝君がすんなり案内してくれる時が来るなんて、考えられなかったなっと」
 麗華が藤森家にやってきた当初、力のない麗華を嫌い幾度となく手荒な事をしてきた。今は前よりも短気にならないようにと、気を付けているつもりでいる大輝としては、あの時の事を思いだされると少しきまりが悪い。
「あ、あの時の事は、もう忘れた。お、覚えてねぇよ」
「おや? 動揺で歩くのが早くなっているようだけど?」
 麗華のからかうような言い方に、舌打ちをする。麗華は軽く笑い、急に歩く速さが落ちた。不思議に思い大輝が立ち止まり振り返ると、麗華は右足を軽く押さえて顔に脂汗を浮かべていた。
「大丈夫か?」
「うん、平気なんだけど。ごめん。走ったのが意外に足に響いたようで……」
 麗華の右足には未だに妖魔に襲われた傷跡が残っている。隠れるようにハイソックスを履いているが、微かに傷跡が見えた。
「わ、悪い。気が付けなくて……」
「別に大輝君は悪くないよ。私が勝手に走って、追っかけて来ただけだし。いやー。普段は全然痛くないんだけどね。まさか、ちょっと走っただけで痛くなると思わなかったんだけどね。全く、使えない右足だわ」
 麗華は苦笑いをしながら早口で言う。本当に、予想外だったようで悔しそうにしていた。
「保健室、連れてくよ」
「いいよ。HRに出ない事を怒らそうだし、座っている分には痛くないから」
 麗華が拒否するように手を振るのを大輝は、軽く避けて、麗華の背に片方の手を回し、もう片方を足の裏に差し込むと持ち上げた。急に横抱きにされた麗華は、驚いて行き場のない手が宙をさまよう。
「わぁ。ちょ、大輝君!?」
「運ぶ」
「歩けるし、別に抱きかかえなくても」
「足痛いんだろ?」
「でも、横抱きって、スカートの中身が丸見えなわけで!?」
 麗華の叫びに大輝の動きが止まる。太ももに触れている手の方を見た。大輝の足にかかるスカートのプリーツに横から見た時の姿を想像し、不意に廊下の窓に映る麗華の姿を見た。
「ぅ」
 小さく大輝が何か唸り、麗華はゆっくりと降ろされる。ほっとしている様子の麗華を見ないように大輝はしゃがみ込んだ。
「あ、大輝君ごめん。やっぱり、重かったよね」
「ち、ちがう。そ、そうじゃなくて。……お、おんぶならいいか?」
「肩を貸してもらえるのが一番いいんだけど」
「肩に荷物のように担がれるか、おんぶかのどちらか」
 大輝がしゃがみなら言う。麗華は拒否をしてもどちらかされるだろうと推測し、肩に担がれるのと、おんぶどちらか悩み、おんぶを選んだ。
「それじゃあ、お言葉に甘えて」
 麗華は大輝の背負われる肩に手を置く。胸が当たると大輝が嫌がるだろうと思い背に持たれないように、少し空間を開けて背負われた。大輝は軽く立ち上がり、軽く廊下の窓に映る姿を確認してから歩き始めた。
「重いのにごめんね。教室までお願いします」
「麗華ぐらい、俺だって持てっから気にすんな」
「ありがとう。大輝君」


 大輝に運ばれたのはもちろん教室ではなく保健室だった。転入早々、それもまだ教室にすら顔を出していない状態で、保健室のベッドで休むことになり麗華は自分の軽率な愚かさに悶えることになった。


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2015.11.8

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