一章 五十九話



 夏の空も徐々に色の濃さを深め、微かに星空が見え始めた頃、藤森家では落ち着かない様子で廊下をうろつく茶色の髪に中性的な顔立ちの少年、真司がいた。
 真司がうろつく廊下の先には、彰華ともう一人女が閉じこもった部屋がある。
一日前突然、華守市に奇襲をかけたモノと共に現れた、陰の神華。彼女が見せた胸の陰華と力は確かに本物の様な気配がある。真司の右手にある印は微かな反応を見せた。でも、陰華に触れて本物と確かめた訳ではない。

 肩に触れる手前で切りそろえられた艶やかな黒髪に、少しつり上がった焦げ茶色の瞳は藤森家を恨んでいる様な色が伺えた。一般的に綺麗な少女と言える容姿をしていた。現れる事を切望していた陰の神華。でも、顔を見て陰の神華だと名乗り上げられた時も何の感情も湧きあがってこなかった。藤森家に居る式神がうるさいほどの警報音を出す中、不思議なぐらい冷静で、むしろ、襲って来た奴らと一緒になぎ倒して遣りたい気持ちしか浮かばなかった。
 彰華の様子を伺うと笑っていた。陰の神華を見下す、冷めた微笑みと、起きる事を想像して楽しむ様な笑み。陰の神華が力を見せた時も、ただ感心しているだけだった。彰華は様子を見てはどうかと提案しても菊華さまを始めとする大人たちが、陰の神華だと認めてしまったのだ。
 それだけ、陰の神華が見せた力は強大だった。真司も力を見た時、その力の衝撃に全身が震えるほど魅せられた。
 でも、何かが違う気がする。
 周りが神華だと認める中、どうしても真司は素直に神華だと認める事が出来なかった。実際に真司が陰華に触れて確認した訳ではないからだろうか。陰の神華は、その場に居た唯一の守護家である真司が陰の神華の確認をさせなかった。正確には、傍に寄りそう様に居た、黒い長袖を来た少し伸びた鬱陶しそうな髪の男が陰華に触れる事を許さなかった。
 初めてその男を見た時、麗華が連れてきた式神かと思った。この真夏に黒い長袖で瞳が藍紫色で顔立ちも良く似ていた。人にしては妙な気配で男が発する気配と麗華が連れてきた式神の気配も良く似ていた。だが、口調も仕草も別者で、麗華が連れてきた式神ではないと分かる。
 似たような顔つき背格好の男がそうそう居るだろうか。麗華が連れてきた式神と何か繋がりがある気がしてならなかった。

「少し落ち着いたらどうですか」
 廊下に立つ長い黒髪を一つに纏めた黒縁眼鏡をかけた少女、小百合が軽く眼鏡に触れながら真司に言う。この先に居る彰華を心配した陽の守護家が交代で見張っているのだ。真司は自分の姪である小百合を見て、軽くため息をつく。沈着冷静を装っている小百合だが、彰華が祭典の為に体を清める必要があると言って、ひきこもって出てこない事が気になって仕方がない様だ。その証拠に、言葉は真司に向けているが視線は彰華が閉じこもっている部屋から離れていない。

「この状況で落ち着けると思う? しかも、麗華がこっちに向かってるって言うし」
 そう、さっき聞いた話によると、麗華が勾玉廻りを完成させるために、藤森家に向かっていると言う。陰の神華が連れてきた者たちにばれない様に、裏から入り隠密に勾玉廻りをする気なのだ。麗華がまた華守市に戻ってきた事に驚いたが、何よりも、彰華抜きで勾玉廻りをしようしている事が信じられない。結界の緩みはこの場に居ても感じるが、だからと言って何も知らない麗華に出来るのか、失敗でもしたらどうするのか。
 それに、陰の神華は麗華の存在を知らないようだった。もし、自分がやるべき事を他の者がやっていると知った時、陰の神華は気分を害するだろう。陰の神華が気分を害したからと言って、今更ずっと意図的に現れなかった彼女に文句を言う資格はない。だが、それを知った時陰の神華が、自分のやるべき事を奪ったと言って麗華を傷つけないか心配だった。
 麗華が父にかけられた術を解こうとしているのは知っているが、陰の神華の力は強い。力をみる事も出来ない麗華が、陰の神華に勝てるはずがない。
 出来れば陰の神華と鉢合わせに為らないと良い。一週間このまま彰華と部屋に籠って居てくれればいい。一週間が無理なら後一日だけでも、籠っていて欲しい。
 本来なら、麗華の所に行き勾玉廻りの手伝いがしたい。だが、陰の守護家で藤森家に居るのは真司だけだ。陰陽の神華が揃ったのだから、陰陽の守護家が揃って護衛をする事は当然だと周りから言われた。それに、この場に真司がいなければ陰の神華が連れてきた者たちに怪しまれる。
 陰の神華の事。麗華の事。気がかりな事が頭の中を巡り、とても落ち着いて立っている事など出来ない。

「麗華さんの事は他の方々に任せるほかないでしょう」
「分かってるさ」
 真司もそれは分かっている。何もすることが出来ず、ここで唯立っているだけしか出来ない事が不甲斐ないのだ。
「藤森さんも麗華さんが藤森家に向かっていると気が付いているはずです。だから、彼女を外に出したりしないと思います」
「だと、信じたいけどな。正直、最近の彰華が考えてる事が良く分からない」
 優斗達がした事を彰華は始めから全て知っていた。菊華や守護家の当主が集まり、優斗達が麗華にした事を咎めている時、彰華が白状した。神華かどうか見極めるために、彰華も黙認していたのだ。麗華の手紙の効果もあるが、彰華が黙認していたと言う事も優斗達の罰が軽くなった要因だった。それでいて、麗華が藤森家から出る様に手はずを整えたのも彰華だ。
 陰の神華じゃないと、確信したから外に出したのだろうか。実際本物らしき少女は現れた。

「小百合は本当に彰華がこのまま籠ると思う?」
「…………」
「大体。彰華が籠るって言い出したのも、急だったし。陰の神華が藤森家の門を破壊して入ってきた時、楽しそうに笑ってた様に見えたんだけど。あれ、絶対陰の神華が来た事を喜んでた顔じゃないよ」
「勾玉廻りが終わるまでは、確実に籠ると思います。その後、どのようにする気かは正直分かりません。麗華さんの事は気にかけていましたが、藤森さんは陰の神華の彼女を好ましく思っていないようでしたから」
「だよな」
 勾玉廻りが無事に終われば、彰華が祭典に備えて体を清める為に籠ると言う無理な理由が無くなる。更に、自分の役目を他の者にやられた、と陰の神華の自尊心を傷つけられる。その為だけに、部屋から出る可能性があるのだ。陰の神華が麗華に何かしても、優斗達がした事を止めなかった彰華が止めると思えない。
 しわ寄せを食らうのは麗華だ。

「真司さんは、もし麗華さんと彼女が争う事に為るとしたら、どちらに付く気ですか?」
 小百合がめずらしく真司の方を見て言う。真司は軽く息を吐いた。
「争う事が決定してる様な言い方だね」
「真司さんもそうなると思っているでしょう」
 いきなり藤森家に乗り込んでくるような、陰の神華が麗華という存在を簡単に受け入れる筈がない。
「陰の神華を差し置いて、麗華さんに付くとは言いませんよね?」
 真司は眉を顰める。
「真司さんは何処かの馬鹿な守護家たちとは違い私達守護家の役割を、正確に理解していますね」
「分かってるさ。だから、僕は麗華の方に付くよ」
「やっと現れた神華を差し置いてですか」
「藤森家や各守護家を襲う様な性格の歪んだ神華より、麗華の方がよっぽどましだしね。ほら、守護家は藤森家に害する者を排除するように教育されてるだろ」
「それは全体の教えで、最優先事項は神華を害する者を排除することです」
「そうだっけ?」
 幼いころから教育されているのに、知らないふりをする真司にむかいため息を付く。
「いいのですか。陰の神華側に付かなかった事を後々後悔する事には為りませんか。今まで、陰の神華が現れず無用の守護家と呼ばれていたのに、現れたら現れたで、別者の味方をする、無能の守護家となるのですよ」
 昔から近くで陰の守護家達がどのように扱われていたのかは知っている。自分たちには陽の神華が居ると、一時優越感を覚えた事もあるが、もしそれが逆だったらと考えると、恐ろしくて優越感も消え失せる。だから余計に、陰の神華を蔑にする真司が心配だった。今後、陰の神華と溝が出来る様な事になれば、陰の守護家の存在意義が問われる。
「他の奴がなんて言おうと今更、気にしないよ」
「本当にいいのですか」
「しつこいな。僕が良いって言ってんの。小百合はなんなのさ。あんなトチ狂ってる様な神華でも付いて行くわけ?」
「そんなの決まっているじゃないですか。藤森さんがどちらの味方するのかで私は動きます」
 当然決まっていると、黒縁眼鏡を規則正しく直しながら言う小百合を見て、真司は失笑する。彰華の言葉に忠実な下僕のようだ。
「小百合らしい答えだな」
「では、もし。陰の神華が普通に現れていたらどうしていました?」
 もし、陰の神華が普通に現れて居たらどうしていただろう。陰の神華として、守る存在として普通に受け入れていたはずだ。麗華の事は藤森家の血族として、接する事になったと思う。
「そんな、もしの世界なんてないから分からないね。大体さ、普通に陰の神華が出て来てたら、麗華に付くか、陰の神華に付くかとういう話は出てこないだろ」
「そうでしょうか。麗華さんの事、真司さんは好いていますよね。普通に現れて居ても、陰の神華を蔑にしたのではないでしょうか」
「蔑にされてるのは、僕達の方だろ。小百合は陰の神華の肩を持つんだな」
「守護家は神華を守る役目なのに、それ以外の方を選ぶのは如何なものでしょうか」
 幼いころから、神華を守る様に教育され、それを実行してきた小百合は神華よりも、麗華を選ぶと言う許されない行為をしようとしている事が理解できない。
「そもそも、あれは本当に陰の神華だと思う?」
 菊華も認めた陰の神華を今更疑う真司の言葉に首をひねる。
「印に反応があります。神華なのでしょう」
「だったら何で、彰華は籠ってんの? もし、本当に神華だったら、清めるとかいう理由で籠るか?」
「藤森家を奇襲した罰を与えているのかと」
「罰ね」
 


 扉が開く音が聞こえて、真司と小百合は話すのを止めて扉に注目する。麗華が勾玉廻りを終えるまで出てこないと思っていた。でも、彰華と陰の神華が揃って部屋から出てきた。
 早い。まだ、麗華が藤森家に着いたと言う連絡さえ入っていないのに、彰華は一体何を考えているのか、何をさせる気でいるのか。これから起きる事を想像して、真司は背筋に嫌な汗が流れた。


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2011.7.20

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