一章 五十七話



 胸に何かが疼く様な違和感を覚えて、麗華は目を覚ました。目に入ってきたのは、心配そうに此方を伺う大輝と蓮だ。どこかの和室の布団の中にいる。体を起こそうとして、蓮に止められる。
「無理はするな」
 良く状況が掴めない。ここは一体どこで、気を失ってからどのくらいの時間が経つのだろう。
「あの、ここは?」
「一番近かった岩本家に来たんだ。体調はどうだ?」
「わりと平気です」
 若干変な違和感があるが、それ以外は特に痛くもないし、具合が悪いわけでもない。
「そうか、良かった」
「なんで。私ここに居るんでしょう?」
「覚えていないのか?」
「女の人に血をあげたまでは思えてるような気も……」
 記憶がやけに曖昧で思いだせない。いつもの夢の中に何故か真琴が出てきた気がした。
「あの女が言霊使って、麗華を攫ったのは覚えているか?」

 大輝の話しによると、麗華が連れ去られた後、蓮が繋げた糸を伝って真琴に呼ばれ、術に掛り麗華の事を忘れていたが、思いだしてすぐに迎えに来た。道の裏に倒れた麗華と、真琴を見つけて岩本家に急遽連れてきた。麗華の治療により力を使い果たした真琴は別室で休んでいる。
 貧血になった所を真琴が治してくれたのか、ぼんやりと考える。血が抜かれたのに輸血しなくても、治るものなのかなと不思議に思いながら、指先や足先が動くか試してみた。真琴に会ったら、治療してくれた事のお礼を言おう。
 夢の中で、真琴が治療の副作用で夢に来たとか言っていた様な気がするが、やっぱり曖昧な記憶で良く思いだせない。お豆腐レンジャーが活躍したという今はどうでもいい様な記憶だけハッキリ残っていた。
 胸の中が疼く様な違和感を押さえる様に胸をさすりながら、部屋に飾られている時計を見る。今の時刻は五時。

「やだ。もう五時じゃない!」
 麗華は布団から飛び起きる。倒れる前に着ていた服じゃなく、長襦袢の様な浴衣を着ていた。泥だらけだった服を岩本家の人が着替えさせたらしい。浴衣の着付けがしっかりしていたので肌蹴る事はないが、和装に慣れていない麗華は動き辛さに嫌気をさす。
「もう元気だから、とにかく、勾玉廻りしなきゃ」
「そんなに焦る必要はない。今は少し休んでいた方がいい」
「でも、何のために私がここに来たか分かんなくなりますよ。ただ寝込んでるだけじゃ意味ないでしょ?」
「麗華が寝ている間に他の守護家達と連絡が取れた。勾玉廻りが途中だった荒木家、火山家の二つの家の勾玉はすでに、藤森家に集められている」

「それって……」
 麗華が華守市に来た意味が全くないではないか。何のために恐い思いをしても来ようと決意したのか。自分が中途半端にした勾玉廻りを完成させなきゃという思いがあったから来たのに。肩すかしを喰らった様な、気持ちになり落ち込む。
「だが、集められているのに、結界の様子に変化は見られない。むしろ、弱くなっている気配がある」
「勾玉って、藤森家に集めればいいんじゃないんですか?」
「集めた後、勾玉に力を補充する為に神華が勾玉を繋げた首飾りを着けて舞を舞う。その後、また勾玉を各家の祠に戻す事で勾玉廻りが完了する」
 そういえば、勾玉を首飾りにして舞を舞うと言っていた。その事を思い出して苦い顔をする。
「私、ただ。勾玉を藤森家に持ってくるようにとしか言われてなかったんですけど。その、やっぱり私が舞を踊る事になったりするんですかね?」
「舞の練習をしたのか?」
「いえ。全くもってした事がないです。小学校で習ったマイムマイムとかジェンカでいいですかね?」
 勾玉の首飾りを付けて、マイムマイムやジェンカを踊るのはさすがに場違いだ。蓮の目にふざけてるのかと書かれている。大輝は呆れた様子で首を振っている。
 日本舞踊など普通の人はやったことがなくて当たり前だ。馬鹿にされた様な態度にむっとする。
「そう言う、二人は舞出来るんですか?」
「出来るに決まっているだろ」
「俺達だって、祭典の際に舞を踊るんだからさ」
「す、凄いね」
 やっぱり、守護家として教育を受けてきた人は一般人とは違うようだ。
「俺達の場合おまけの様に踊るだけだけどな。肝心なのは神華の舞なんだよ」
「でも、陰の神華が不在の時は神華がいるはずだった場所に置いているだけだって、言ってましたよね?」
「そうだ」
「でもって、私が踊る事になったりしないですよねって確認した時、あり得ないって言ってましたよね?」
「言ったな」
「じゃあ。もう、私に出来る事ってないんじゃないですか?」
「だが、藤森家に居る陰の神華は何を考えているか分からない。行為的に結界を緩めているとしか思えない。彰華も身動きの取れない状況にあるならば、麗華以外に結界を強める舞を踊れる者はいない」
「……って。その舞がどんなものかもわからないのに踊れる訳ないじゃないですか。というか、神華のやる事をなんの変哲もない私がやっていいんですかね?」
「麗華と彰華で始めた勾玉廻りだから、麗華が神華の代わりをしてもいいのだろう」
「藤森家に陰の神華がいるのにですか?」
「藤森家に居る陰の神華が勾玉廻りをした訳ではない。勾玉廻りは通例始めたモノが最後までやる」
「今までは、彰華が、陰の神華の不在を補っていたけど、今度は麗華が、陽の神華の不在を補う様に舞を踊り勾玉に力を補充させてほしい」

 麗華の眉間に皺が寄る。彰華は神華だ。だから今まで陰の神華不在を補い、力を補充する事が出来ていた。でもそこを、彰華抜きで麗華にやらせようとするなんてどうかしているとしか思えない。大体、祭典と言うモノが今一想像出来ない。神楽の様な舞を踊るのか、恐らく色々な手順があり、決められた形式にのっとりやるのだろう。それを一朝一夕で出来る筈がない。

「蓮さん。それ、かなり無理な事言ってるって分かってますよね」
「あぁ。だが、麗華になら出来る気がする」
「何を根拠にそう言うんですか」
「彰華が舞を踊れるようになったのは三歳の時だ。誰にも舞を教わらなくても、勾玉の首飾りを身に着けると、舞い始めたと言う」
「それは、彰華君が神華だからでしょう」
「勾玉を首飾りに舞うと、体に神が下り、そのまま身を任せて舞う事で力が補充されるらしい。自分で舞う踊りは神が下りて来るまでの最初の部分だけでだから、楽だと、前に彰華が言っていた」
「最初の部分も良く分からない私に良く言いますね。それで、私が神華じゃないからやっぱりその神様? が下りて来なかったらどうするんですか。失敗したら結界が暴走とか、勾玉が壊れたりとかしないんですか?」
「失敗した例がないのでどうなるか分からない」
「神華以外が勾玉を付けて舞う事自体初めてだ。言っとくけど、俺は反対派。それで、失敗して神の怒りが麗華に落ちたらどうする気だよ」
 大輝が神の怒りが落ちると恐ろしい事を言う。蓮は眼鏡を軽く触り、麗華を見る。
「神の怒りが落ちる事はないだろう。もし在るならば、初めから麗華に勾玉廻りをさせたりしない」
「本当ですか?」

「麗華。勾玉廻りを完了したいがために、華守市に戻ってきたのだろう?」
「そうです……けど」
 ただ、勾玉を集めて、藤森家に持って行けばいいのだと思っていた。だから、舞を踊るとか、神が下りてくるとか途方もない事を言われると、どうしていいか分からなくなる。
「心配する事はない。俺達も傍に付いている。もし異変が起きたらすぐに止める。舞を踊るのも五分ぐらいだから覚えられるはずだ。形が少し違っても大切なのは思いだ。麗華なら出来る」
 心配するなと言われても、無理だけど、蓮の言う通り、ここに来たのは勾玉廻りを完了させる為だ。やった事のない事で、本当に上手くいくのかは分からない。でも、麗華に出来ると言うのなら、たとえ、陰の神華じゃなくても、やって見よう。失敗して、勾玉が壊れたらその時はその時で、対処するしかない。
「分かりました。私。出来る限りの事をしようと思います」
「そうか。頼む」
「いいのか?」
「うん。大丈夫。もし、失敗したら、私にやれって言った蓮さんの所為にするから」
 麗華は笑う。
「そうだ。失敗しても、蓮がごり押しした所為だから全く気にするなよ。責任は全て蓮が取る」
 蓮は眼鏡を軽く触り麗華と大輝を一瞥する。
「失敗などあり得ない。今からここに知華を呼ぶ。彼女は神華の舞を全て覚えて居るから、教えてもらう」
「知華ちゃんって、大丈夫なんですか?」
 誘拐されて、怯えて声も出ないほど泣いていた従妹だ。まだ落ち着いていないだろう。
「時間がない。十二時になる前に勾玉廻りを完了させたい」
「知華だって、この緊急事態に泣いてばかりいられないって分かっている。ちゃんと話は付けてある」
 
 蓮が知華を呼びに部屋を出て行く。泣き晴らしていた従妹を思い出して、彼女に負担をかけない様に、頑張って舞を覚えようと思う。
「なぁ」
 大輝が片膝を立て、両手を組むようにしてそこに顔を伏せて居た。そう言えば、さっきから大輝の様子が少し変だ。いつもより大人しい。
「なに?」
「やっぱり、ここに連れて来たの間違いだったかも。俺がちゃんと麗華を止めておけばよかった」
「え? なんで?」
「…………守るって。言ったのに、俺、全然……守れてない」
 確かに、二度攫われてどちらも、大輝に助けられてはいない。初めに攫われた時は麗華が大輝の傍を離れた所為だし、二度目は相手が言霊を使って予想外だった。あの女が本気になれば、麗華はきっとここに居る事はなかっただろう。運が良かった。真琴が倒れた所に回復しに来てくれたおかげで、こうして元気でいられる。

 気にしないで、と言うのは簡単だ。麗華自身大輝を責める気なんて全くない。

「ホント。痛い思いも恐い思いもこの短期間の間で結構したなー」
 大輝が更に落ち込む様に腕に顔を埋める。
 こんなに落ち込んでいる大輝君を見るのは初めてだ。いけないと思いつつほんの少し悪戯心が芽生える。
「傷つく所見たくないって言ってたけど、私の体結構傷だらけになったね」
 腕をめくれば注射針の後と体当たりを食らった時の青淡が出来ている。ほら、と言って見せるが、大輝は顔を腕に埋めたまま上げない。
 本気で落ち込んでいる。傷つけないと意気込んでいたのに、助けられていない事が悔しい様だ。大輝の所為で怪我をしたわけじゃないのにこれ以上傷を抉るようなことしちゃいけない。
「これから、舞を覚えなきゃいけない。その後、藤森家に行って陰の神華に会う事になると思う。大輝君は陰の神華の方に行きたいだろうけど、こんな恐い思いや痛い思いして、ここまで一緒に来たんだから最後まで責任とって、私の傍にいてよ」
 我ながら凄く可愛げのない事を言っている。一緒に来たと言っても麗華が嫌がる大輝を脅す様にして無理矢理連れて来たのだ。責任も何も本当はない。
 でも、本当は陰の神華に会いたくないと思ってしまう。貴女の代わりに、図々しくも居座って勾玉廻りの舞を踊ろうとしている。本来なら陰の神華がいる場所を奪っている。分かっているけど、もう少し大輝を貸してほしい。大輝は裏表なく麗華に関わってくれて、一番嫌な思いをした時に一緒に来てくれた。
あと少し、一緒に居て欲しい。勾玉廻りが終われば、藤森家で起きている何かが終われば、守護家としての役目に戻るだろう。
 あと少しだけ、傍に居てくれればこれから起きる事も乗り越えられる気がする。
 変に疼く胸を片手でさすりながら、もう片方の手で大輝の頭を突く。
「ねぇ。いいでしょ?」

 大輝は頭を軽くずらして目だけで麗華を見る。
「…………いいのか。それで」
「うん」



top≫ ≪menu≫ ≪back≫ ≪next


2011.7.3

inserted by FC2 system