一章 三十一話 麗華の血 その一





 ただ、指に針を刺して、少しだけ血をあげると言う単純な作業だと思っていた。
 だから、深く考えていなかったのに、着替えるように言われて渡された服にまず驚いた。巫女装束だ。何故こんな衣装に着替えなきゃいけないのか不安になり、優斗が儀式がどうのこうのと言っていた事が思いだされて嫌な予感が強まる。
 なされるがまま小百合に着替えを手伝って貰い、着替え終えると儀式の間が整ったと言われて案内された。
 儀式の間に行く途中に着替える必要があるのか小百合に聞くと、黒縁眼鏡を規則正しく直して「規則ですから」と一言。
 嫌な予感を埋める為に、小百合に儀式に付いて聞いてみたが、陽の守護家である小百合は血を分け与える儀式をした事がないと言われた。血を上げる行為は彰華に負担が大きく、他に変わりが出来る人がいない為に仕方がなくやっている応急処置だ。彰華がいる小百合たちには無縁の儀式だった。

 儀式の間は、母屋から少し離れた場所にあり、廊下で繋がってはいるが孤立した場所にあった。儀式の間の扉には、焼いて書いた様な不気味な文字が一面に書かれてある。それだけではなく、部屋をしめ縄がぐるりと一周していた。さらに文字の書かれた石が部屋を囲うように地面に突き刺さっていた。
 明らかに異様な部屋に、麗華は入りたくない気持ちになる。進む事をためらっていると、皆が待っているから早く行くようにと、無理に部屋に押し込まれた。

 麗華が血を分ければ彰華の負担が減るので、小百合は麗華が血を与える事に大賛成だった。

 無理に押し込まれた麗華は、扉を閉められて覚悟を決めた。案内役の小百合が居なくなり、儀式の間を不安げに見渡す。きついお香のにおいにむせそうになる。部屋の中は薄暗く窓が一つもない。昼間だと言うのに蝋燭が灯っていた。床に何か字が書かれているし、壁にも札が貼られてある。
 真夏の暑さは感じられず、肌が引き締まる様な空気が漂っていた。
 
 中央に祭壇の様な台が置かれてあり、その前に紺色の袴を着た彰華が立っていた。その三歩ぐらい後ろを囲うように、真琴、蓮、真司、優斗、大輝、が同じ様に袴姿で立っている。
 彰華と真琴まで居る事に少し驚いて、恐る恐る皆に近づく。

「なんで、彰華君や真琴さんまでいるんですか?」
「あら、私だけ仲間はずれなの……?」
 真琴が落ち込むように顔を下に向けると、一つにまとめてある髪がさらりと肩に下りる。ちょっとした仕草なのに、袴効果だろうかいつもより色気を感じて動揺する。美人が嘆く姿は見たくない。
「いえ、そんな事は! 真琴さんもよければ一緒にどうぞ!」
 麗華が焦って言うと、真琴は綺麗に微笑む。
「よかったわ」
 美しい笑みを見て、何で真琴が男の人なのだろうと不思議に思う。
 彰華は立会の為に来たと言う。そんな立会まで付ける様な事じゃないだろうにと、不思議に思う。
「……あの。この部屋って、かなり恐いね」
「そうかな? 大丈夫すぐなれるよ」
 優斗の言葉にこんな異様な部屋になれたくないと思う。この部屋に慣れているらしい優斗たちは、きっと感覚がおかしくなっている。
「それに、お香焚きすぎじゃない? 息苦しいよ」
「血の匂いを消す為だ。我慢しろ」
「匂いって……。しょ、彰華君それは?」
 麗華は、彰華が手にしている刀に気が付いて、後ろに一歩下がる。蝋燭の光に照らされて鈍く光る刃。
「神羅刀。これで切れば、傷も残らず治りも早い」
「針で一刺しって話しだよね? 刀なんて使わないよね?」
 話が違う。鋭く研がれた刀を前にして麗華は、逃げ腰になる。
「それは、俺とした話じゃないだろ。血を与えると決めたのならこれが一番手っ取り早い」
「嫌だよ。痛そうじゃん!」
「手首を切るんだ。痛いに決まっている」
 痛いと断言する彰華。この部屋の異様な空気もあって恐怖感が麗華を襲う。
 この場に居る人の視線が麗華に注がれている。普通なら気にもとめないけれども、皆の早くしろと急かすような視線が恐い。
「尚更嫌だよ! 無理。やっぱりやめよう。そんな血を流すなんてやっぱり嫌だ」
 怯える麗華に気づいて、彰華は神羅刀を鞘におさめて祭壇に置く。
「分かった。肌に傷を付けたくないのだろう。血を与えるのは止めよう」
 優斗たちが彰華に非難の視線を送るが、麗華は心底ほっとする。従兄だけあって彰華は麗華の味方をしてくれるようだ。

「そう、睨むな。別の方法で、蜜を与えればいいのだろ。一番楽で簡単な方法がある。麗華。血を流したくないと言うなら、それなら出来るな?」
「……その方法は?」
「ディープキス」
「頭おかしくなったの?」
 彰華が真面目な顔で言うので、一歩後ろに下がりながら正気を疑う。どこに複数の人と口づけするように、命令する従兄がいるだろうか。
「痛い思いもせず、楽で良いだろう。少し口を開けて目をつぶっていれば終わる」
「何言ってんの!? そんなの無理に決まってる! 優斗君たちだっていきなり私とキスしろって言われても困るでしょ!」
「私は平気よ。むしろ歓迎」
 真琴が軽くウインクして笑う。麗華は馬鹿な事を言う真琴を睨みつける。
「俺もいいよ。それに血を流している麗華さんを見るのは心苦しかったから、その方がいいな」
 真琴に賛同する優斗。他の三人は絶対反対するはずだと思い、期待の眼差しを送る。
「僕は、遠慮する。無理矢理する様な事じゃないだろ」
 真司の言葉に麗華は目を輝かせる。味方がいた。
「元々、昨日血を分けて貰った真司は、今日血を分けて貰うメンバーに入って無いだろ」
「そうだけど、もしそうでも嫌だね」
「蓮は?」
「麗華が拒否するなら、強要はしたくない」
「蓮さん……」
 蓮の言葉にさらに目を輝かせる。反対三賛成二の多数決で止めるって事にならないだろうかと期待する。
「先に他の奴が毒味した後でなら、俺もいいぜ。下手してファーストとか言ったら最悪だしな」
 大輝の言葉に、絶望感を覚える。もし、本当にここで口づけする事になったら、初めてがこの暗い不気味な部屋だ。そんな恐ろしい事態は避けたい。
「あれ、なに、お前マジでファーストなの?」
 大輝は麗華が青ざめているのに気が付いて馬鹿にした様に言う。
「そんなの、大輝君には関係ないでしょ!」
「うぁー。マジで、だっせぇ」
 大輝の笑い声に腹が立ち、殴ってやりたい気持ちになる。
「高一でファーストキスまだな人なんて山ほど居るわよ」
「そういえば、ここに来る直前に男にふられたっていってたっけ。そりゃ、こんな色気のない奴、誰も相手にしてくれるはず無い――!!」
 気が付けば、麗華は大輝を殴っていた。力一杯殴られて床に倒れた大輝を見下ろす。
「うるさい。馬鹿。経験が多ければ偉いのかよ。違うでしょ」
「この、クソ女っ!!」
 大輝が殴りかかってこようとするのを、優斗、蓮が止めて、真司が麗華の前に立ち壁を作った。真琴は軽く額を押さえてため息を付く。


「麗華」
 彰華に手を引かれて体を向ける。
「え?」
 一瞬の出来事で、何が起きたか理解できなかった。
 ただ、手首に皮膚が瞬時で凍結するほどの冷たい何かが当たったような感覚がした。
 カチリと刀を鞘に納めるのが見えて、次の瞬間、手首に激痛が走る。
「あぅ。あっっ」
 声にならない悲鳴。次々あふれだす赤い液体が、手首から落ちて祭壇の上に乗っていた白い器を染めて行く。
 溢れ出す流れを止める為に手首を押さえると、彰華が両手を掴んでそれを阻止した。逃げようとする麗華の手を逃げられない様に掴んで、白い器に液体が溜まる様に手を運ぶ。
 痛みで涙が流れ、手を握る彰華を睨みつける。
「いきなり酷い! 最低!」
「すまない。思ったより深く切れた。自分を切るのとは少し勝手が違うな」
 流れ落ちる液体を見つめながら、彰華が謝罪した。

 ああ。痛い。焼けるように痛い。

 彰華は、いつも、こうやって陰の守護家に血を与えていたのだろうか。
 優斗は神羅刀で切ると言った時に、少し切るぐらいなら痛みは無いと思うと言っていた。
 そんなの嘘だ。彰華は痛み感じても言わなかったのだ。どのくらいの頻度で、血を分けていたのかは知らない。でも、こんなに痛みを耐えていたのは、他に出来る人がいないからだ。
 陰の守護家の飢餓状態が少しでも改善されるのなら、彰華が与える血が少しでも減るなら、自分の血で少しでも役に立つなら、一時の痛みに耐えるしかない。

 瞳の奥にある影に気が付かなければよかった。そしたら、心構え一つさせないで問答無用に切りつけた事を罵倒出来たのに。

 むせる様なお香の匂いと、血の匂いが混ざって気持ち悪い。

 悲鳴を飲み込んでも、痛みで流れる涙は止められない。
 頬を拭う手に驚いて顔をあげる。真琴が泣いている赤子をあやす様に、微笑んでいた。
「ごめんな。痛いよな。彰華、これだけあればもういいだろ?」
「ああ」
 彰華は麗華の手を離し、真琴が麗華の手を掴む。そして傷口を指でさすって何か呟く。
「少ししみるけどちょっと、我慢するんだよ」
 そういうと、真琴は傷口に口を近づけてやさしく舐めた。痺れるような痛みが走るが、それが徐々に消えて行く。
「んっ」
 痛みの変わりに手首に感じる、柔らかな舌が這う不思議な感覚に戸惑う。唇を手首に落とすたびに、微かに覗かす舌が血を舐め取るのが見え心臓の鼓動が早まる。不快感を覚えない様に丁寧にやさしく、それでいてたまに力強く、強弱を付けて舌や唇が血を拭ってゆく。
 頭の中がぼんやりとして、何も考えられなくなり、ただ、真琴がくれる不思議な感覚に身を任せていたい。
 腕まで流れていた血を、袖を器用にめくり上げながら舌が追いかける。
 吐息交じりの声を漏らすと、真琴は腕から顔をあげて妖艶に微笑む。
「気持ち良い?」
「……え?」
 この感覚を気持ちが良いと言うものなのか、よく分からない。痺れるような、不思議な感覚。
 頬を伝っていた涙を真琴が舌で拭う。反射的に瞳を閉じで、体を少し強張らせる。
「かわいい……」
 真琴の吐息を間近に感じが、どう動けばいいのか分からないほど、頭の中に霧がかかっていた。

「やりすぎだ!」
「離れて」
 真司に腕を引っ張られて、催眠術が溶けた様に我に返った。
 真琴の腕も蓮と優斗に掴まれている。目を瞬かせ、微笑んだ真琴が唇を舌で舐めるのを見て、一気に力が抜けその場に座り込んだ。
「あれ、腰が抜けるほど感じちゃったか?」
 違うと否定したかったけれども、早鐘を打つ心臓と恥ずかしさで全身が燃え上がる様に熱く顔をあげる事も出来ない。

 いっそ貧血の所為と言って、気を失ってしまい気持ちになる。

「いつでも、この続きしてあげるから、その気になったら俺の所おいでよ」
 悪い冗談だとしか思えない。麗華は必死に首を横に振った。


「あら、残念。振られちゃったわ」
 茶化すように笑う。
「あなたの蜜、まるで神華の様に甘く力に満ちてるわ。何故かしらね?」




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2010.8.20

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