なりきり女神の三十三日間




 ここ最近台風が立て続けに日本を襲っている。ニュースでは河川が氾濫しそうだと、しきりに注意を促し、都会のマンホールから水が溢れると言う事件が起きたりしていた。
 そんな荒れた天気の中、それでも仕事と言うモノはしなきゃいけなく、私は今日も夜遅くまで残業をした。
 同期の高沢君が奢ってくれると言うので、立ち飲みの居酒屋に入って、最近の仕事について話していた。

 私の最悪な三日間が過ぎてから、今日で三カ月が経つ。あの後、即刻私の魂が別世界に行ってしまった原因の石は、近所の薄汚い川に投げ捨てた。もう二度とあんな場所にはいきたくない。いくら美女になれても、自分の失態で出来たドS設定もきついし、何よりあの神官長に会いたくない。
 二十代前半のすらりとした長身の男。青々と茂る森の様な深い緑色の瞳に、亜麻色の髪は肩に掛る前に切りそろえられたおかっぱ頭。嫌味なほど綺麗な男だ。
 でも性格は最悪。私がドS設定で女神を演じていたけれど、あいつは真性のドSだと思う。綺麗な笑顔で私が焦っているのを楽しんでいた気がする。しかもあの神官長は最後に恐ろしい事を言っていた。
 それは、一度召喚すると、三回は召喚させられると言う。それは、恐ろしい事だ。だから私は川に石を投げたのだ。でも投げるなら海とかもっと遠くに投げれば良かったと、投げた次の日に後悔した。
 そして、次にもしも向こうに行ってしまったら、神官長との結婚式が待っている。
 なんでも、女神を降臨させることが出来た人は女神の伴侶になると言う、これまた恐ろしい決まりがあるのだ。


 高沢君に最近の私の仕事ぶりを褒められた。女神をやってからいい事もある。人を使う事を覚えたのだ。圧縮スプリンクラーを作った時覚えた人を効率よく使う方法とかが、現代の仕事に活かされたようだ。先々を考えて行動し、能力に見合う事を振り分け、全体を見ながら指示を送る。前は、人前で話すのが苦手だったし、人から注目される事が苦手だったけれど、女神の時は一挙一動に注目されていた。その視線は今まで、日本で生活してきた中で感じた事のない類の視線だったけれど、戻って来てから緊張したりする事が少なくなった。二十人ぐらいの会議なら、普通に発言も出来るし進行役に選ばれる事も多くなってきた。
 人の視線に慣れた。という点だけ、女神を三日間演じて自分の為になった事だと思う。


「でさ。大川が結婚するって、聞いた?」
「ホント? 大川さんやっとみはるちゃんのOK貰ったのか。それはめでたいね」
 一個下の後輩、大川さんは、総務課のみはるちゃんと三年付き合っていた。社内恋愛なんて、後々面倒な事よくするなぁと、見守っていたけれど、上手くゴールイン出来たようで、私も嬉しい。
「なんか周りはどんどん結婚していくねー」
 二十六歳と言うのは第二次結婚ブームになるのだ。第一次は二十三の時に来た。まだ、二十六と思うけれども周りが結婚し子供が出来たとか聞くと、焦って来る年頃。その上私は、彼氏がいない。胸がときめく様な男とも出会えていない。
 このままだと、寂れた老後を送るんじゃないかとたまに思ってしまう。

「お前は相手いないのか?」
 ビールが四杯、酎杯二杯、焼酎一杯。いつもなら高沢君はこの手の話しを聞いてこないのに、酔っているようだ。
「うるさいなぁ。もし彼氏が居たら、毎回残業したりしてないわよ!」
 軽く笑ってビールを飲む。高沢君も「そりゃそうだ」と笑ってビールを飲んだ。奥さんがいる人と二人でご飯食べたりとかって出来ないから、こんな風に気がねなく飲める相手は、高沢君ぐらいになってきた。彼氏がいないのは寂しいけれど、こんな風にくたくたに疲れた残業の後、同僚と一杯って言うのは中々辞められない。

「じゃあさ、俺にしとく?」

 笑って飲んでいた手が止まる。高沢君の方を見るとてれた様子も何もなく普通の状態で私を見ていた。なんだ、冗談か。
「いいねー。高沢君ってうちの会社で結婚したい相手bPとか言われているし、将来有望そうだから、どうしてもって言うなら付き合ってあげても良いよ」
 と、上から目線で返した。笑って、生意気言うなとか、お断りだって言われると思って、またビールを飲む。
「どうしても」
 と軽く笑って言う。
「高沢君酔っているでしょ。酔っ払いには付き合っていられないわー」
 高沢君が酔ったら、誰にでも言寄る男だったとは知らなかった。世間受けのする顔と性格で会社の女子から人気の高い高沢君は、女が途切れた事がないと言う噂だ。会社の女に手を出すのは面倒だからと言って、取引先のOLや合コンで知り合った人と遊んでいる、と影で言われている。強ち嘘じゃないと私も思っている。
「いや、本気で言ってんだけど」
「またまたー。彼氏いないって言ったからって、簡単に落とせると思ったら大間違いだよ。大体、同僚とか別れた後に面倒なのに手を出すのはやめなよ」
 悪乗りで、ホテルに直行とか勘弁してほしい。その後死ぬほど気まずい思いをするのは嫌だ。
「正確な仕事をするわりに、優柔不断で人前に出るのが苦手でとちったりしていただろ。書類は完璧なのに、アホだと思って見てたらさ。細かい所に気がついて、先廻りで行動したり、さりげなく人をフォローしてる姿も見えたりして、さ。気がついたら目で追ってた。最近何かに吹っ切れたように仕事するようになって、人前に出ても失敗する事がなくなって。仕事を頑張る姿見てたらさ、これはヤバいなって。どんどん綺麗になって、他の奴に取られる前に言っとかなきゃって思って。お前とこうやって飲んだりするの、気が楽で落ち着くし、相性いいと思うんだよね。俺とお前」

 耳が変になった。幻聴が聞こえる。
 唖然として、高沢君を見ていると、苦笑いをしながらでこをぽんと叩かれる。
「なんつー顔してんだよ」
「いや、だって。まさか、本気で言ってるの?」
「本気」
「なんか、全く考えてなかった」
「そうだろうと思った。飯食いに行こうって誘って、立ち食いで良いとか言われたら想像は付く」
「ごめん」
「俺本気だから、三日間以内に返事くれよ」
「三日間以内なの? 短くない?」
「そうか? 答えは決まってる様なものだろ。俺、優良物件だし」
 高沢君は憎たらしいほど、良い笑顔でそう言った。


 その後どうやって、店を出て、歩いてきたのか良く覚えていない。
 だって、私にとって全くの予想外の出来事だった。高沢君から好意を寄せられていたって、事が信じられない。今まで散々、ちょっと顔を出しては、仕事が遅いとか、肝心なところで失敗するとかあり得ない。って笑いながら、注意をしてきた。細かい事も結構言われた。初めなんて最悪の相手だとしか思っていなかった。でも、仕事の事を注意して更に効率良くする方法を教えてくれたり、考えさせられたりする事はいい事なのだと、思える様になってやっと、上手く付き合えてきたのだ。
 同期としては、好きだ。でも男の人としての感情は全く考えていなかった。周りが騒いでいた時も何とも思っていなかった。

 でも、正直悪い気はしない。
 会社でも人気の高い男性から、告白されたのだ。私の人生の中で、こんな出来事またとない。

 でもなぁ。高沢君かぁ……。周りの女子がうるさそうだ。付き合う事を想像して、色々考える。
 考えながら歩いていて、物凄い風で飛ばされてきた看板が足元を転がって気がついた。
 今は台風来ていた。こんなのんびりと、千鳥足で歩いていたら危ない。というか、何で歩いて帰って来てるんだろう。タクシーとか普通は乗るだろ。きっと予想外の事で頭が回らなく、歩いて来たのだ。でも、それにしたって、告白した女の子を、台風の中タクシーにも乗せないで別れるってどうなのよ?
 
 そんな事を、考えて歩いていたら、また何かが飛んできた。驚いて避けると、店の前に置いてある『今だけ! 500円ランチ!』と書いてある旗だ。風に飛ばされて転がっていく。早く家に帰らなければ、こんな台風の中危ない。

 と、思った矢先、また旗が飛んできた。『美味しいしゅーくりーむ。100円。 美味しいよ!』と書かれた旗が顔面に当たる。
 旗をどけようともがいていると、いつの間にか、足が水に浸かる感覚になった。冷たい水が靴の中に入り込みくるぶしまで水が来ている。なんとか、旗をどけたら、家の近所のきたない川が水位を今まで見た事のないぐらい上がっていた。
 砂で作った土手を悠々とこして流れ込んでくる水に焦る。走って逃げようと思うが、水位はあっという間に増えて行った。足を何かに取られて転んでしまった。流れが強く、そのまま、川に流れた。必死になって泳ごうとするが、浮かぶゴミや何処からか流されてきた自転車などに当たり、泳ぐなんて出来る筈がなかった。
 もがいてもがいて、力尽きた。
 こんな夜中に、流されている私に気がつく人なんているはずがない。

 あぁ。私、ここで、死ぬ。

 川の底に沈んでいく感覚に、成すすべもなく私は意識を手放した。


 短い人生だった。
 こんなことなら、親孝行しておくんだった。年に一度ぐらいしか会わなかった事が悔やまれる。先立つ親不孝者を許してください。


 淡く光る世界に、ぼんやりとした意識。何か人影の様なモノが見えた気がした。

 死後の世界ってどうなっているんだろう。
 そう思っていると、視界が変わった。
 ハッキリした時、何故か木に囲まれていた。木に寄りかかる様にして私は座っている。目をこすって、場所を確認する。やっぱり、森の様な所だ。白いひらひらした素材の服に、金色と銀色の刺繍がふんだんに施された綺麗な服だ。
 これが天国の衣装なんだ。

 立ち上がった時、ある事に気がついた。私の髪の色が変だ。藍紫色のウェーブのかかった長い髪が腕に降りて来たのだ。見覚えがある。焦って額に触れる。額には石の様なモノが突き刺さっている感覚。
 こ。
 こ。
 これは! 三カ月前と同じだ。じゃあ、じゃあまさか。またあの世界に来たって事?
 天国じゃないの? いや。もしそうだとしても、私の体は川でおぼれている。つまり体は死んでいるんじゃないだろうか?
 それじゃあ、意味ないじゃん。こんなところに来るより、普通に死んでいた方がまだましじゃないか。

 そうか。私の体は死んでしまったのか。今ここに居るのは女神像にとりついた私の魂。短い人生だった。こんな簡単に死んでしまうなら、もっと色々やっとけばよかった。色々な後悔が頭の中を駆け巡り、泣きたくなってきた。

 確か、神官長は、次は三十三日間の滞在と言っていた。
 私が生を感じてられるのは、残り三十三日間。色々な未練がある。もう、開き直って、女神としてこの未練をはらして遣る。


 木の影から男が出て来た。

「ユーデリの女神様。こちらにいらしたのですか。小夜の義、仕度が整いました。参りましょう」

 私にとって会いたくなかった男。
 神官長が私の着て居る服にそっくりな、白い生地に金と銀の刺繍をふんだんに施した服を着て微笑していた。



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2011.7.20

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